第574話 助言
盗賊団を壊滅させた翌日。カイトはレーメス伯爵と再会していた。そうして出会って早々、カイトは伯爵から頭を下げられた。
「まずは、詫びさせてくれ……過日は申し訳ない……本来なら、この首を差し出すべき所であるが……」
それは出来ない。言外に、レーメス伯爵がそう告げる。彼は伯爵だ。そしてすでにマクダウェル公爵家からも、皇帝レオンハルトからも叱責がされた後、だ。すでに罰は言い渡された後で、それを超える処罰を課す事は出来なかった。
「……受け入れましょう。貴方の罪は、今後の行いによって、贖罪をなしてください」
「かたじけない」
カイトからの許しを受けて、レーメス伯爵は下げていた頭を上げる。そんなレーメス伯爵は、以前とは見違える様な風貌だった。
脂ぎって太っていた身体からは余分な脂肪が取り除かれ、かつてはカエルや豚とさえ陰口を叩かれた様相はそこには無かった。どうやら運動もする様になったのだろう。袖口等から垣間見える彼の腕には筋肉の姿があった。カイトからの本気の殺気と皇帝レオンハルトからの叱責を真摯に受け止めて、自らの今までを見なおした結果、だった。
かつての傲慢さは鳴りを潜め、貴族として本来は持つべき風格や見識の高さが、この歳にしてようやく、彼にも身につき始めていたのである。治安の改善もその一環、だった。
それを見せられては、カイトとて謝罪を受け入れないわけにはいかなかった。真実更生に動き出した者に鞭打つつもりは、彼には無かったのだ。そうして、カイトに謝罪を受け入れてもらい、更に彼はユリィに頭を下げる。
「ユリシア学園長も、過日は迷惑を掛けた。申し訳ない」
「……しっかりと、そのまま道を違えない様になさい。貴方は確かに問題児ではありましたが、同時に私の生徒の一人、でもあります。もし何か悩みがあるのなら、私達の所に来なさい」
「……わかりました」
頭を上げたレーメス伯爵は、ユリィの言葉を真摯に受け止める。そうして、しばらくのやり取りの後、ユリィが本題を切り出した。
「皇帝陛下からのご命令は、以上です。何か存じあげていませんか?」
「……誰かあるか?」
ユリィからの言葉を受けて、レーメス伯爵が側付きの従者に問いかける。彼とて全てを理解しているわけでは無いのだ。治安維持の担当官を呼び出せ、という事だった。そうして、しばらくして、領内の治安維持を取り纏める者がやって来た。
「……はぁ……最近何か変な気配が無いか、ですか……」
「ええ」
「……申し訳ありません。最近は盗賊達やいつも通りの討伐以外には、何か変わった報告は……」
ユリィの言葉を受けて、報告書のまとめを見ながら答えた担当官だが、どうやら彼の所にも何か変わった事は報告されていないらしい。
ちなみに、いつも通りの、というのは一種のテロリストに近い者や変な宗教集団等のことだ。どんな時代でもこれらは一定数が存在してしまうのは、エネフィアも地球も一緒だ。
そしてそれらが時折紙面を賑わすのも、一緒だった。どれだけ善政を敷いても、こればかりは致し方がない事だろう。と言うか、平和な時代の方が多いだろう。
まあ、宗教集団については神や魔術等が平然と存在する世界であるが故に、地球よりも少しだけ、頻度は多かった。信じられる土台があった事の影響だった。これも、致し方がない事だろう。地球とは色々と異なるのだ。全てが一緒には出来ないのである。
「そうですか……分かりました。もし何かが判明した場合は、陛下か当家に連絡を入れてください。我々は再び西へと調査を続けます。それと、調査は内密に。これは陛下の密命です」
「かしこまりました」
ユリィの言葉に、レーメス伯爵と担当官は即答で答える。レーメス伯爵とて、皇国の忠臣だ。それだけは、カイト達も認められる。なにせ彼自身が、皇国の初代に仕えた事を誇りとしているのだ。
それ故、彼とて自らの配下に皇国に仇なす存在は置いていないだろう、と判断したのだ。密命の意味は理解しているし、これを漏らすはずは無かった。
そうして、しばらくの会談の後、レーメス伯爵が領内の調査を快諾し、会談は終わりを迎える事になった。まあ、あまり長居をしても怪しまれるだろう。手短に、終わらせたのだ。
「今日はこちらで宿を用意させて貰った。そこに泊まってくれ」
「ありがとうございます」
レーメス伯爵からの言葉に、カイトが感謝を示す。そうして、去って行くカイトを見て、レーメス伯爵が思わず、冷や汗と共に、息を吐いた。
「伯爵……どうされました?」
「あれは……あの男、だ」
「あの男?」
「うむ……儂が忘れもせん、あの蒼い髪の男だ……」
どすり、と力なく椅子に腰掛けたレーメス伯爵は、小さく、キーエスの質問に答える。その呼吸は若干乱れていたが、それは確信を持って、告げられていた。
「そうか……全て、理解した……儂はあんな男に喧嘩を売ったか……生きていられたのは、幸運……いや……祖先が彼と友誼を結べばこそ、か……」
「何が分かられたのですか?」
「あれはおそらく……」
「なっ……」
小さく、耳を近づけた上に注意しなければ聞こえない程で告げられた推測に、横に控えていたキーエスとカラトが絶句する。彼は小さくだが確かに、カイトが勇者カイトだ、と告げたのだ。
当たり前だが、カイトもユリィもカイトの正体は匂わせてもいない。自らが浴びた殺気と、最近になり十数年ぶりに真面目に鍛錬をこなし、貴族の仕事を行う様になったが故に、僅かに自らに向けられる敵意からカイトが過日に自分に警告を送った男だと気付いたのだ。
「それは確かなのですか?」
「忘れるはずもない……あの気配とあの風格……幾ら隠そうとも、直に浴びた儂には分かる……」
小さく、震えながら告げられた言葉に、二人はこれが真実だろう事を悟る。ここまでの怯えようは、嘘や演技では無理であることは、彼の腹心である二人にはよく理解出来ていたのである。
そしてそれを考えれば、全ての辻褄が合う。あれだけの戦闘力も、カラトが見たカイトの容赦の無さとそのトラウマも、そして勅令が与えられている理由も、彼が300年前の大戦期を生きた勇者カイトだと仮定すれば、全て筋が通った話だった。
冒険部部長のカイトを隠れ蓑にユリィが動いている様に見せかけて、その実、それさえも隠れ蓑にした二重の隠蔽工作。これこそが本当の作戦だ、と三人は理解した。そうして、レーメス伯爵が口を開いた。
「キーエス……詫びに、酒でも持って行ってくれ……」
「かしこまりました」
力なく言われた言葉に、キーエスが腰を折る。カイトの来歴を考えれば、伯爵が見逃されたのは幸運にも程があった。彼の言うとおり、お目こぼしが貰えたのは、祖先がカイトと友誼を結べばこそ、だろう。
終戦直後にも関わらず、皇都を護る重要拠点の隣家になっているのだ。その重要度は首都を護る最終拠点たるマクスウェルにも劣らない。
当然ウィルも内偵はしていたし、皇国の忠臣と判断されたからこそ、この場所に領地を構える事を許されていたのだ。彼の祖先である時のレーメス伯爵は英雄であったカイト達も認めていたのである。
そうして、そんな会話からしばらく。カイトとユリィの所に、キーエスから詫びの品として、高級な酒が届けられていた。
「わかりました。頂きましょう」
「ありがとうございます」
カイトが受け取ってくれたのを見て、キーエスが腰を折って感謝を示す。二人が泊まる様に指示されたのは、彼の領地でも最も高級なホテルだった。お詫びの証、という事だろう。
「……一つ、よろしいですかな?」
「何でしょう?」
渡された酒を冷蔵庫に入れたカイトに対して、キーエスが問いかける。
「お二人はこの街をどうご覧になられますかな? 忌憚なきお言葉をお聞かせください」
「……そうですね……」
キーエスの言葉に、カイトは窓から外を眺める。一見すると、そこは普通の街、だった。だが、少し魔術で遠くを見れる様にしてやると、事情が変わる。スラム街にも似た治安の悪い場所がちらほらと見受けられたのだ。
幾ら治安が改善されていようとも、一朝一夕では改善はされない。道理だ。だからこそ、カイトは見たがままを答える事にした。
「目に見える所は、治安が悪くはない。見えぬ所にまでは、手が届いていない。光が差し込まない場所には、闇が屯している」
「本当に、忌憚無い……やはり、そう見えますかな?」
どうやらこれはキーエスも気付いていたらしい。頷いたカイトの言葉を苦笑に近い笑みを浮かべつつも、認める。そしてその上で、問い掛けた。
「どうされるべきかと思われますか?」
「どうすべきか……学園長は、どう思われますか?」
「私じゃなくて、貴方が意見を述べなさい」
カイトの言葉を受けて、ユリィが荘厳な顔付きで答える。表向き子供に自らで考えることを促した様子だが、実情は面倒だからぶん投げただけだ。
おまけに教育者としての彼女の専門は内政では無い。結局は、カイトと同じく門外漢になってしまうのである。そうして、しばらくの間、カイトは街の至る所を使い魔を通して観察し始める。
「……そうですね……割れ窓理論、とはご存知でしょうか?」
「いえ……」
「まあ、簡単に言えば、どんな軽微な犯罪でも取り締まる、という事なのですが……」
「それは当然でしょう」
カイトの言葉に、キーエスは至極当然な事だろう、と問いかける。それは彼からすれば当然の事で、何か不思議な事では無かったのだ。そして、今は彼主導の下、きちんと取り締まっている。だからこそ、カイトは続ける事にした。
「ええ、そうですね。割れ窓理論、とはそれを説明する際に使われる理論なのですが……そうですね……割れた窓を放置している、ということは、その地域はどういう風な状況だと思われますか?」
「それは……経済的にも、人心的にも、余裕の無い地域、だと思われます」
「ええ。まさに、そうでしょう。つまり、その土地の住人達が誰もが周囲には関心を払っていない、という事に対する左証にほかならない。となると、それは犯罪者達にとっては、好都合だ。なにせ犯罪を犯しても、住人達にはそれに対処する余裕が無い、という事なのですからね。つまりは、捕まらないわけです」
「そういえば……勇者カイト殿がかつて街を再興された折り、割れた窓を見まわりの兵士達に報告させて、その数を競わせて、数に応じてボーナスを支給。更にその家に補助金を渡してでも修繕させていった、というお話を聞いた事がありますね……」
カイトの説明を受けて、キーエスがカイトのかつての施策を思い出した様だ。これは経済を回す為の策であったと同時に、治安回復の為の施策だった。そうして、それにカイトも頷いて、続けた。
「おそらく、同じ理論に基いていたのでしょう。街の小さな不具合を報告するだけ奨励金が出るのなら、見回りの兵士達にはやる気が出る。となると、彼らは率先して街の隅々まで見て回る。特に、治安の悪い所は窓が割れやすく、それに気付けば、見回りも重点的に行われる事になる。その中で犯罪を発見すれば、当然、対処もする。それが仕事ですからね。そうなってくると、犯罪者達は街に居所が無くなってしまう。何処に行っても、犯罪が露呈する。闇が無い、わけですからね」
「なるほど……結局は治安の悪い所を重点的に見回りを行え、という基本中の基本、というわけですな……」
カイトの言葉を受けて、キーエスは結局は治安回復は基本に行き着くのだ、と気付く。カイトの言葉は道理だったのだ。そうして、その助言を受けて、キーエスは満足したらしい。頭を下げて、感謝を示した。
「ありがとうございます。とりあえずは、勇者カイトの記録を参考に、見回り等についてを更に重点的にさせていただこうかと」
「ええ、そうしてください」
キーエスの言葉に、カイトも頷く。何事も、基本が重要なのだ。そして、カイトはそれを理論的に示しただけに過ぎない。そうして、それを受けて、キーエスが去っていった。
「立ち直るかねぇ……」
「多分、そうじゃないかな?」
「だと、良いな。まあ、ゆっくりとだが、治安の回復はされているんだ。2年……いや、3年もすれば、このレーメス領も他とさほど変わらない安全な場所になる……かな」
カイトは街を眺めながら、ぼんやりとつぶやく。カイト達とて戦乱で荒れ果てた領土を一朝一夕で治安を改善出来たわけではない。数年がかりで、治安を改善させたのだ。今の皇国で最も治安が良いという結果は、それは300年という長い時間を掛けたからこそ、の結果だった。
「さって……で、馬鹿神器達。どっちに次は向かうべきだ?」
カイトはとりあえず部屋の中に戻ると、再び神器を取り出して方角を調査する。すると、今度もまた迷いながらも、やはり西を指し示した。
「これ、合ってるのかなぁ……」
「わかんね。当人達にもわかってねーんだからな」
相変わらずくるくると混乱する神器の光を見ながら、二人は怪訝な顔でため息を吐いた。おそらく、正解は正解なのだろう、とは思う。
「……多分、だが……シャルの力が神器にも効いちまってるんじゃないか?」
「自分自身の力で、自分自身が混乱しちゃってる、ってこと?」
「そういう……あ、マジなわけね」
ユリィの言葉を認めようとしたカイトだが、その前に神器自体がその言葉を認める。どうやら神器達にも撹乱が効いてしまっている様子だった。それ故、正確な場所が掴めないのだろう。
「はぁ……いよいよ、厄介な話になってきたな……」
「きな臭いったりゃありゃしないねー。これがシャルの目覚めによる副作用なら万々歳……」
「どっかの馬鹿なら、腹立つな」
二人はどちらに転ぶかわからない前途を想像して、ため息を吐いた。どちらなのかは、事ここに至っても判別は不能だ。
というのも、シャルの力は強力なのだ。永い眠りに就いている彼女が目覚める際に、混乱が生じるのは仕方が無い事なのかもしれない、とも思えたのである。
別れてからすでに300年。目覚める可能性は十二分にあり得た。まあ、幾ら何でもこれ以上眠るのなら、もはや寝過ぎだろう、とカイトとユリィは言いたかった。
「目覚めは良いはず、なんだけどねー」
「寝相は悪い、けどな……何度か叩き潰されてただろ、お前」
「……あー……そういえばそんな事もあったねー」
懐かしげに、今はまだ会えない最愛の人の事を二人は思い出す。そうして、そのまま二人は今日は宿に泊まって、休息を取るのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第575話『更に西へ』




