第419話 秘密の夜会 ――公爵達――
「……負けだ……」
合同訓練が行われたその夜。皇城にあるとある隠された一室にて、アベルの少し無念そうな声が響いた。彼は今日の演習はどうだったか、と問われて、負けた事を告げたのである。
「それはそれは。たまさか敗北を味わうのも、若い内は良いだろう。特にお前には、経験が足りていない。敗北の、な。良い経験になったろう」
「るせぇな……」
今代のアストレア公が、アベルの顔に浮かぶ悔しそうな表情を見て、適当にアドバイスを贈る。何時もの通例ならばその日の内に訓練の反省会や皇帝レオンハルトも参加する祝勝会が開かれるのだが、最後の戦闘に参加したラウル達の疲労を考えて、皇帝レオンハルトの命令で翌日に延期されたのである。
とは言え、これは真実を知るアベルやその老執事アンヘル、側付きのスーラにとっては、別の意味合いを含んでいた。この夜会の為、だった。
なお、アベルの口調が違うのだが、こちらこそが彼本来、だ。カイトとの相対や軍の准将として振る舞う時の口調は、敢えて作っているのに近かった。威厳と風格を見せる為の見せかけ、だった。
「たくっ……何故陛下もまた今日を選ぶ?」
「ふふふ、まあ、陛下も何かお考えがあるのでしょうね」
今代のリデル家当主が笑いながら、アベルの言葉を窘める。カコン、キューによって弾かれた白いボールが、紫色のボールを弾く。が、落ちたのは白いボールであった。
「おや、失敗か。珍しいな、リデル公が一つ目で失敗とは」
「キューを変えたのですけど、いまいち合っていませんね」
リデル公が外した事に驚いたのは、アストレア公であった。彼を含めた公爵達全員が、今この部屋に集まっていた。
とは言え、全員がビリヤードをしているわけではなく、キューを持っているのは5人。アベルこと次期ブランシェット公、リデル公、アストレア公、クズハ、アウラであった。
彼らが来る前からハイゼンベルク公ジェイクは別のテーブルで金髪のメイドをディーラー役として、ポーカーを楽しんでいた。
「少々長すぎですね」
次のプレイヤーであるクズハが、笑いながらリデル公が手に持ったキューを観察する。リデル公は身長160センチと少しなのだが、その彼女が取り扱うには、少々長かった様に見えたのだ。
「そうですね。やはり、何時もの物を使いましょう」
テーブルを離れていったリデル公を見て、クズハは自分のボールを置いて、キューで弾く。
「おー、4、7同時。お見事」
カコン、と二つのボールが同時に落ちたのを見て、アウラが褒める。それに、クズハが少しだけ照れくさそうに微笑んだ。が、馴染みの者から褒められて照れた所為で、次のショットを外した。
「あ……」
「次は俺か」
ちょっと残念そうなクズハを他所に、アベルが手球を置いてショット。キューで弾かれた白いボールは、見事5番のボールを落とした。
「さて……次は6番か」
アベルは再びキューを構えて、手球の中心からちょっとだけ右斜上を狙い打つ。今手球がある位置からでは8番が邪魔で直線的には6番を狙えないので、回転を掛けようというのだ。
「よし!」
回転しながら9番を逸れた白い手球は、見事6番に衝突して、更にそのまま9番へと衝突する。6番に弾かれた9番は、テーブルの真ん中にあるポケットへと直進し、カコン、と音を立てて落下した。
「これで通算32勝か」
今までの通算成績を記述した魔道具に、アベルが勝利を刻む。ちなみに、これはこの部屋で行われた、建国から今までの公爵達の全ての勝負の勝敗の記録が入っている年代物であったりする。
「おい、爺。たまにはやらねえか?」
魔道具に記録を付け終わったアベルが、ふと、ハイゼンベルク公ジェイクの方を向いた。アベルはかなり口調が砕けており、幾ら同格とは言え公爵相手の口調では無かったのだが、実はこれには理由がある。
この部屋は存在そのものが隠されており、入れるのも存在を知るのも公爵家以上の貴族の、それも当主達だけであった。おまけに中で何が話し合われているのかは、この場にいる当主達以外には口外禁止――アベルの父アンヘルは特例――という、皇城でも最も強固な防備が敷かれているエリアであった。
この部屋自体は皇城建設時に創られた部屋で、当時の公爵と大公達が集まって、素で腹を割って話し合う為に使われた部屋なのであった。その為、この場にいる当主達は口調や態度等、殆ど素の振る舞いを行っても慣例として許されたのである。初代皇王イクスフォスの方針だった。
ちなみに、ハイゼンベルク公ジェイクは今はポーカーを楽しんでいるのだが、実はビリヤードでもかなり強かったのである。実は勝負好きなアベルが誘うのも無理ない事であった。そうして、ハイゼンベルク公は自分の手札から顔を上げて、アベルの方を振り向いて告げる。
「……そうじゃな。たまさか、腕を見せねばな」
「そうか、じゃあ、爺も参加で」
アベルが全員にそう告げると、今までビリヤードを楽しんでいた面子が一時休憩となる。そうして、一同は一旦供された飲み物と軽食を口にしながら、ポーカーの勝負を行っている2人の人物へと、視線を送る事にする。
「では、オープン」
アベルに返事をしたハイゼンベルク公ジェイクが再びテーブルに向き直るのを待ち、スタイルの良い金髪のディーラー、即ちこの部屋への入出が許された数少ないメイドが告げる。
「フラッシュじゃ」
「同じく、フラッシュ」
「ファイブ・オブ・ア・カインド」
「……は?」
「ぷっ……恐ろしいのう……」
メイドの声に従い、この場で最も爵位を受けて長い2人が同時に手札を晒した。そして、更にメイドが手札を晒す。勝ったのはディーラー役のメイドであった。メイドのあまりに有り得ない手札に、公爵二人が目を瞬かせて、苦笑するしかない。と、そこで部屋の全員が、違和感に気付いた。
この場には限られたメイドや執事を除いて当主達しか入れず、当主達は全員で6人――クズハとアウラが共同で代行であるため――だ。
大公家の当主は皇帝レオンハルトと共に現在会議中で、もし先にどちらかが入っていたとしても、自分達が気付かないはずはない。なのに、ポーカーが行われていたテーブルから上がった声は2つだ。何故か一人多かったのである。
「誰だ!」
そうして、見ず知らずの人物へと、アベルの誰何が飛ぶ。それと同時に、クズハとアウラを除いたビリヤード台近くの公爵家当主達が各々の武器を抜き放った。
「ふむ……10分30秒。まだまだじゃな」
彼らが武器を抜き放つと同時。少しだけ失望したようなハイゼンベルク公ジェイクが懐から懐中時計を取り出し、ストップウォッチを停止させる。
「喋らないともっと長かっただろ」
誰何された男は、楽しげな笑みを浮かべて足を組んでテーブルの上に置く。そんな彼の手にも時計が握られていた。それは、嘗ての友と同じ拵えの品であった。そしてそれと同時。楽しげな声が部屋に響き渡る。
「くくく……アベル。当主就任までにもう少し技術を磨いておけ。いくらなんでも10分は要しすぎだ。軍で准将ともなろう男が、この程度に10分も要するではない」
キィ、と音を立てて1つしか無い扉から、楽しげな笑みを浮かべた皇帝レオンハルトとそんな主に頭を痛める2大公の当主達が入ってきた。
「陛下!」
幾ら無礼講が許されるからといって、初代と15代の頃を除けば皇帝を相手にも無礼を働けるという事ではない。全員が立ち上がって、頭を下げた。それは、足を組んでいた男も同じだ。
ちなみに、初代が除外される理由はこの場で最高齢のハイゼンベルグ公ジェイクさえも素だったし、ウィルについてはカイトと悪巫山戯という名のじゃれあいが過ぎたし、だからだ。
「では、席に着かれよ」
皇帝レオンハルトは部屋の中央にある円卓の自席に着席して、一部の者の疑問を他所に、とりあえずは着席を命ずる。
疑問符は浮かんでいるが、公爵達はその命に従い、円卓にある自席に座る。自席の横についてなお、席に座らないクズハとアウラを訝しむ公爵達だが、全員が席に座ると同時。動き出したのは、先ほどの男だ。
「どうぞ、お兄様」
「ああ、助かる」
クズハが椅子を引いたので、カイトはぽん、と頭を撫ぜた。撫ぜて貰ったクズハは少し嬉しそうにして、アウラと同時に着席する。
「久しぶりとなる出席。感謝するぞ、マクダウェル公」
クズハとアウラが公爵代行の席に着席すると同時に、皇帝レオンハルトが告げる。それに訝しむのは、カイトの正体を把握していない公爵三人と、いまいちまだ皇帝レオンハルトの言葉を信用しきれていない2大公家の当主達だ。彼らの訝しんだ顔を見て、カイトが皇帝レオンハルトに願い出る。
「陛下、皆様に証拠をお見せしても?」
願い出られた皇帝レオンハルトは、これを指輪を見せる程度だと考えていた。が、いたずらっぽく笑みを浮かべるカイトの行動は、予想の斜め上を行く物であった。
「好きにせよ」
皇帝レオンハルトが頷いたのを見て、カイトが指をスナップする。そうして、現れたのは8人の色とりどりの美女達だ。
「まさか……大精霊様!」
「納得していただけたかな? 今代の当主達よ。オレ以外に、彼女らを……ん?」
公爵達が頭を下げたのを見て、カイトが確証を得られたかとテーブルの下で足を組み、腕を組む。そうして、格好良くニヒルな笑みを浮かべる。
だが、そこで大方の面々の顔に浮かぶ困惑の表情に気づく。かなり嫌な予感がしたカイトは、ゆっくりと左後を振り向く。
「……うぅ……」
そこには、かなり恥ずかしげなメイド服姿の雷の大精霊こと雷華の姿があった。彼女の姿を確認して、逆の後ろ側を確認した。
「いぇーい」
そこには、Vサインを浮かべるこれまたメイド服姿の風の大精霊ことシルフィの姿が。そして、それを確認したカイトは、スナップ1つで全員纏めて消し飛ばした。
実は全員各個人の特徴が生かせる様に改造されたメイド服を着用していたのであった。まさか偉大なる大精霊達がメイド服姿で現れるとは露とも思わず、困惑するのは仕方がないだろう。
「……失礼しました」
「ちょっと! 無かった事にしないで! 突っ込みも無いとか、僕悲しい!」
だが、8人総出で即座に戻ってきたので、カイトは遠慮なく分身して全員に同時にハリセンをお見舞いしてやった。
恥ずかしがっていたサラと雷華まで戻ってきたのは、折角真っ赤になってまで出てきたのになんの反応ももらえなかった事に対する抗議だったのだろうか、と後のカイトが語る。
「満足か?」
「ひたひ……」
カイトは更に首謀者っぽかったシルフィの頬を引っ張り、額に青筋を浮かべながら問い掛ける。抓られているシルフィが少し満足そうだったので、もう少しだけ強めに抓ることにした。ちなみに、その間に全員消えて、着替えに入っていた。
「はぁ……さっさと着替えてこい」
「はーい」
溜め息と共にカイトがシルフィのもち肌の頬を手放した。そうして嬉しそうにシルフィが答え、消失し、彼女もカイトの精神世界で着替えに入った。
が、どういうわけか直ぐにシルフィが戻ってきた。しかも今度は体操服――ブルマver――で、だ。快活な印象の強い美少女であるシルフィに、ピッタリとしたブルマ姿は非常に似合っていた。周囲がこんなどこかの小洒落たバーの様な場所でなければ、であるが。
「……冗談だから。素振りやめて。カイトが本気でやると僕の頭が吹き飛ぶから」
「大丈夫だって。頭吹き飛んでも大精霊って死なないのか試すだけだから。血が出なけりゃグロ注意にはならないって」
カイトがかなり本気でハリセンを振りかぶったのを見て、シルフィが即座に引っ込む。ちなみに、かなり本気であったらしく、皇帝レオンハルトでさえ、ハリセンを振りかぶる手が見えなかった。
尚、おまけに威力を出来るだけ減衰しないように余波で生まれる筈の豪風などを全て消しているので、ハリセンであっても大ダメージは確実だろう。
「ちっ、アイツがユリィの親玉だってのがよく分かるな」
眷属も眷属で時折――頻度はシルフィよりも少ない――真面目な場面で同じようにおふざけに走る。それをよく知るカイトが、深い溜め息を吐いた。
そうして、誰もが理解した。カイトこそが、本当に伝説に語られる勇者であるということを。当たり前だが、大精霊達を相手におふざけを出来るのは、カイトだけなのだ。意図しない形であるが、カイトは他の公爵達にも自身の帰還を認められるのであった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第420話『秘密の夜会』




