第3887話 滅びし者編 ――客室――
暗黒大陸へ向かう航路の最中に発見された幽霊船により構築された幽霊船団。この対応のため、冒険者ユニオンは皇国へと協力を要請。各地から霊力や退魔の力を操る者を招集する。
というわけで元々幽霊船の除霊を要請されていたカイトは、その中でも最大のガレオン船に近い幽霊船の除霊を行うべく、アリスとソーニャの二名を連れて幽霊船へと乗り込む。
そうして甲板を通過して船内へと潜入したわけであるが、幾つかの部屋の探索後。空間の歪みにより生じたセーフティエリアらしき客室へと到達。小休止を挟んでいた。
「……あの」
「ん?」
「ここでのんびりしてて大丈夫なんですか?」
なにかを考えるようなカイトがこちらを向いた事を受けて、アリスがおずおずと問いかける。確かに小休止を挟む、とは言ったもののその小休止もすでに十数分経過しており、体力を回復するには十分な時間であった。だがどうしてかカイトは動く様子はなく、物憂げになにか物思いに耽るだけだったのである。
「ああ、それか。この幽霊船が幽霊屋敷と一緒と類推したのは良いか?」
「はい。それは何度か」
「幽霊屋敷の特徴というか、なんというか……幽霊屋敷の内部では時間が狂ってる事が多いんだ。何十時間も経過したように思えて、全部が終わってみたら実はたった一夜の出来事だった、みたいな塩梅のな」
「そんな物語みたいな事があるんですか?」
いくらなんでもご都合主義が過ぎやしないか。カイトの冗談にも似た語りに、アリスも少し笑いながら首を傾げる。
「あはは……ま、流石に何十時間は盛ったよ。でも一日ぐらい経った気がする、って塩梅で実は一夜の出来事ってのは割とある。それが恐怖やら焦りやらによる体感時間の変化なのか、それとも実際に時間が歪んでいるかはその空間次第ではあるがな」
「ここは歪んでいるパターンだと?」
「ああ……基本的に空間の歪みの大きさに、時間の歪みも比例する事が多いんだ。だから大きな幽霊屋敷ほど、時間もまたゆっくり進む。ここまで大きい空間の歪みになると、おそらく時間の歪みも相当なものになるだろう」
アリスに説明を行いながら、カイトは懐から懐中時計を取り出す。それはいつものように時間を刻んでいるが、彼が一度スイッチを押すと時針、分針、秒針がぐるりと回転して、途端に秒針の動きが遅くなる。それはまるで秒針が止まっているかのようでさえあったが、数十秒に一度だけ動いていたので止まったわけではなかったようだ。
「……うん。多分そうで間違いないな。とはいえ、さっきも言った通り、そうなるかどうかはその空間に依存する。一応、そういう事が多いというだけに過ぎん」
「は、はぁ……」
あの懐中時計がなにか。何故このタイミングで取り出して、確認しようとしたのかはアリスにはわからなかった。わからなかったが、とりあえずソーニャがなにか否定をしていない所をみるにカイトの言葉は正しいのだろうとはわかったようだ。と、そんなソーニャが口を挟んだ。
「<<二重時計>>ですか。また随分と高級品を」
「知ってたか」
「幽霊屋敷探索の上での必須アイテムにも近いですので……持っている方は非常に少ないはずなのですが」
「<<二重時計>>?」
どうやらカイトの持つ懐中時計は何かしらの所以のある品らしい。もう一度カチッとスイッチを押し込むや否や、普通に時を刻みだした懐中時計に、アリスが首を傾げる。
「アリスさんは世界に流れる時間、という概念をご存知ですか?」
「物体に流れる固有時間と、世界全体に流れる時間の概念の事ですか?」
「はい……あの時計は世界に流れる時間と、時計そのものに流れている時間を観測するための時計です。世界に流れている時間と時計に流れている時間が同一であれば、スイッチを押しても何も変わりません。ですがもしその両者が異なれば、切り替えたタイミングで時の進みはおかしくなる」
「そんな魔道具があるんですか」
カイトが持っているのがまさにそれなのだろうとはアリスも察したようだ。少し驚いた様子でカイトの持つ時計に注目する。そうしてその視線を受けて、カイトは先程同様に懐中時計の上部に備わっていたスイッチを押し込んだ。すると途端、秒針の進みが一気に遅くなる。
「厳密にはこいつは違うがな。ちょっと特殊な魔術でその機能を保有させた。オレの持つ魔導書にはその力がある。だから厳密にはこの時計を媒体として、その力を展開しただけだ」
「……そちらの方が凄いのですが」
「こいつらは特別製なんでな」
本来は滅多な事ではお目にかかれない超が付くほどの高級品だ。それを魔術で同じ事が出来る、という事にソーニャは逆に呆れていた。が、一方のカイトは懐の所をぽんぽん、と叩くだけであった。と、そんな所でアリスが一つ疑問を呈す。
「ですがこの安全域は本来影響がないのでは?」
「ああ、安全域は幽霊屋敷の外、という話か。あれはあくまで概念的には、という話だ。厳密には安全域も幽霊屋敷の中にある事には違いない……というか、そうでないとこんな何十年、何百年も経過した、一切手入れもされていない船の客室が綺麗な状態であるわけがないだろ?」
「あ……」
そもそもこの客室にもきれいな状態であるという異変が生じているし、その異変が生じている理由はなにか、と問われれば、幽霊船の異変の影響を受けているから、という一言に尽きる。この安全域にも幽霊船の影響が及んでいる証明と言えた。
「とまぁ、そういうわけなんで。数十倍……は行かずとも、十数倍には加速してるみたいだな。取るかどうかは別にして、仮眠ぐらいなら取れる時間的な猶予はあるだろう……後は気になるとすると、更に下の階層に進んだ際にどうなるか、というところだが……」
「なにか懸念があるんですか?」
「下に行けば行くほどもし空間の歪みが増大するなら、階層ごとに時間の歪みも増大する。下手に逸れると、救援が難しくなる可能性がある。さっきソーニャがこの時計が必須アイテムにも近い、と言ったのはそこらがあるんだ」
再び時計に視線を落として、更に彼はそれをアリスに見えるように盤面を向ける。
「外の時間はゆっくりになっている事はわかるだろ? ってことは、もし中でなにかあっても外では短時間しか経過していない事になる……だからもし中で苦境に陥っても、外からの救援が来るまでに相当の時間を要するんだ」
「それは……凄い危険ですね。待てど暮らせ、助けが来ないと思ってしまいかねない」
「ああ……だからこの時計が重要になる。中でどれぐらいの時間が経過して、外でどれぐらいの時間が経過したかを知るためのな。自分じゃ何日も救援を待っていたつもりでも、外では実際には一日も経過していない事だってあり得る。救援が来ると期待して来ないと、一気に瓦解しかねない」
それであくまで必須アイテムに近い、という所に留まるのか。アリスはソーニャの言葉の意味を理解して、もし攻略が出来るのなら必要のないものだと理解する。というわけでこの時計――厳密には魔術――の重要性をアリスが理解したのを受けて、カイトは改めてはっきりと明言する。
「ま、そういうわけでな。この様子だとゆっくり休憩しても何ら問題はない。何だったらベッドで仮眠も取ってくれ」
「それは、流石に……」
「あはは……ま、流石に今は無理だろうけどな。とはいえ、本当に無理になったら休める事は覚えておけ。休憩出来る、と知っておく事は非常に重要だからな」
「はい」
仮眠を取るような言葉には流石に遠慮があったアリスであったが、出来るか否か、という所の重要性は理解していたようだ。出来るからしないのと、出来ないからしないのはまた別の問題だからだ。
というわけでアリスが安心して休んだ事を受けて、カイトは再び椅子に座って物憂げになにかを考え始める。そんな彼を見て、ソーニャが問いかけた。
『なにか気になる事でも?』
『……やはりここまで大きいと、他の所が大丈夫か、とな。セレネ、ルテの二人は問題ないだろう。セレネに至っては平然と全部を突破してくるだろうしな。ルテもああ見えて腕利きだ。あちらも問題はない。後はセレスの所も問題ないだろうが……』
『……』
確かに懸念はわからないでもない。ソーニャは他の幽霊船の攻略が滞りなく進んでいるか気にするカイトの心情に理解を示す。とはいえ、同時になにか出来るかと言われればなにか出来るわけもなかった。
『……少なくともこちらからなにか出来る事はないと思われます。ただ幽霊屋敷の基本として、建物の大きさと空間の大きさは比例します。他の船はここよりは楽ではないかと』
『まぁ、そうだと思うし、そうだと良いが……』
やはり皇国側から退魔師・除霊師達の可能な限りの保護を命ぜられている関係で、カイトとしてもこの予想外の事態は少しだけ苦い顔にならざるを得なかったようだ。
『とはいえ、急ぐべきではないと愚考します。急いで我々が倒れる方が他に迷惑となります』
『……わかってる。そもそも他の心配の前に一番心配されるべきはこっちだからな』
先程ソーニャが言っているが、おそらく一番広大な領域を保有している幽霊船はカイトとセレネが攻略しているガレオン船だ。そこが一番幽霊も多いだろうし、罠の数も多い事は想像に難くない。必然危険性も一番高いはずで、他所の心配をする前に自分達のこれからを心配するべきだ、というソーニャの指摘は正しいものであった。というわけで、ソーニャの指摘にカイトは少しだけ眉間のシワをほぐした。
『……悪い。オレも少し疲れが出ているようだ。少し休む』
『それが良いかと』
『珍しく優しいな』
『一応は、助けて頂いておりますので』
どこか苦笑するようなカイトの問いかけに、ソーニャが恥ずかしげにそう告げる。そもそもの話として、カイトはソーニャの不足している体力を自らの気で補佐しているのだ。
つまり彼に限って言えば自分の足りない分も体力を消耗しているとも言えたわけで、そのお荷物になっているという彼女も流石にキツくは対応出来なかったのだろう。
『こりゃ良かった。助けた甲斐もあるってもんだ……ま、そういうわけだからオレも少し休むわ』
『はい』
休む、という言葉が正しいかのように、カイトが目を閉じる。そうしてその姿でソーニャもひとまずカイトを安静にしよう、と考えたらしい。魂の接続を解除する。
「……そうじゃないと、良いんだがな」
ぽつりとカイトが呟く。その顔はやはり物憂げで、なにかソーニャに語った以外の心配事か気になる事があるかのようであった。とはいえ、それは本当に小さなつぶやきで、二人に聞かれた様子はなかった。そんな彼はその懸念を自らの奥底へと押し込むように深呼吸して、少しの休息を取る事にするのだった。
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