第3728話 幕間 ――挑戦――
殺し屋ギルドとの交戦から数日。再び平穏な日々へと戻るはずのカイトであったが、そんな彼の所に入ってきたのは暗黒大陸への遠征の経路にて幽霊船が見付かったという報告と、日本側からのソラの異変に関する問い合わせであった。
というわけでソラの父である星矢の要請を受けてソラの過去世の因縁に決着をつけるべく町の外へとソラと共にやってきたわけだが、カイトはそこで意図的に浅井長政にソラの身体のコントロールを乗っ取らせていた。そうして乗っ取られたソラが戦場に繰り出してくると、カイトもまた戦場に乗り出していた。
「はぁ!」
馬の嘶きと共に、数十人の武者達が一斉に戦場を駆け抜ける。それに向けて小谷城から一斉射が射掛けられるが、やはり動く的には当たらない。
更には狙われているのもカイト。それも織田信長を憑依させてはいるが、ソラと違い単に織田信長の性格と性質をエミュレートしているというだけのカイトだ。なおさら戦国時代の火縄銃が命中するわけがなかった。
「ふふ……」
火縄銃を躱しこちらへ一直線に進んでいくカイトの姿に、長政が僅かに笑みを浮かべる。そんな彼に、側近の一人が声を掛ける。
「殿。お気を付けを。あれは」
「わかっている。かつての上総介殿。今の万夫不当の猛者」
勝ち目なぞあろうはずがない。そうして長政の脳裏に響くのは、かつて交わした会話だった。
『何を目指し上洛するか?』
『は……一体上総介殿は何を目指し上洛されるのですか』
この戦国乱世の世の中。すでに幕府に力はなく、上洛してくれ、と請われてバカ正直に上洛しようとする者はいない。なので浅井家、ひいては長政からしてみれば政略結婚をしてまで上洛しようとする織田家の思惑が気になったのは無理もなかった。そうして少し。信長は考えた末に、あっけらかんと言い放つ。
『天下布武のためだ』
『天下布武? 聞いたことがありませんが……それは如何なるものですか?』
『天下とは畿内。帝がおわし、将軍がおわす畿内。それに武を布く。この武とは唐国に伝わる七つの武を指し示す。七徳の武は語るまでもあるまい』
武を用いて暴を禁じ、戦を止め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊にする。それが七徳の武だ。それを信長は大真面目に語り、そして部下達はそれを誰一人として疑っていなかった。
そんな光景に、長政は彼らが本当に馬鹿正直に幕府の命に従って天下に安寧をもたらそうとしているのだと理解する。いや、理解させられた。
この男達はこの戦国乱世にありながら、もはや自分が生まれる前から行われていた戦の時代にありながら、単なる小国の兵士達でありながら、時代を終わらせるとのたまっていた。余人が聞けば馬鹿としか言いえない。そんな大言壮語だ。だがそんな彼らの言葉には、妻となった女の言葉には、信長であればそれが出来るとの信頼があった。
『終わるのですか、この争いが』
『終わるのではない。終わらせるのだ。我らの手で』
この男は自分ひとりで終わらせられるとは到底思っていない。だからこそこうして一人でも多くの味方を求め、そしてだからこそ多くの者達が集っていくのだろう。長政は朗らかに語る信長の言葉に、思わず魅せられる。
『新九郎殿。どうか、力を貸して頂きたい』
『上総介殿……もちろんです。私も義弟として、微力ながら力を尽くしたく存じます』
今まで自分の国を守るのに精一杯で、お市の方との婚姻も単に戦を避けるためだけの方便に過ぎなかった。だがだからこそ、長政は正真正銘戦国乱世を終わらせようとする信長に感服する。人として格が違う。そう感じたのだ。
だがだからこそ。長政は一直線に自分だけを見て進軍するカイトの姿に、笑みを浮かべるしかなかった。
『私はあの方に勝ってみたいのだ。誰もが……私が惚れたあの方に。わかっているとも。これが人の道に背き、貴殿を大きく傷付けることになるのだということも。お家を危うくする愚行だということも』
『……』
妻を前に、この胸の高鳴りに身を委ねることが愚かであることを理解していることを口にする。当たり前だ。自分の妻は織田信長の妹。織田家の誰しもに愛された兄妹。そして自分と同じく兄の言葉に魅せられ、兄のために自分に輿入れした自身の最愛の妻だ。
それに、こんなことを言っているのだ。妻の愛にも、信長の信頼も裏切っている。この後に妻に待つのは最愛の夫の死か最愛の兄の死だ。行くも戻るも地獄しかない。それに、お市の方は微笑んだ。
『わかりました。私は御身の妻。御身の決断に従います……お市は果報者です』
『……は?』
『ふふ……この戦国の世。妻のことなぞ考えもせず家を裏切る男の多いこと多いこと。だというのに新九郎様はお市のため、涙を流してくださる。そのようなお方の言葉をどうして翻意させられましょう』
当たり前だ。最愛の妻なのだから。長政はお市の方からの言葉に思わず言葉を失う。そしてだからこそ、再度彼は滂沱の涙を流すしか出来なかった。必ず勝つ、なぞと言えない。それは絶対に兄を殺すと言っていることと同じだ。故に彼は無言で、ただただ頭を下げ続ける。そんな光景を脳裏に思い出しながら、長政は誰にともなく呟いた。
『勝ちたい、のだ。あの方に。一人の男として』
『あの人はわかってんだろ? 奥さんがどれだけ苦しんだと思ってるんだよ。あの人が……信長がどれだけ苦しんだと思ってるんだ』
長政の声無き声に応ずるのは、同じく自身であるソラだ。彼はだからこそ挑んだ長政への怒りを隠さない。
『わかっている……人の道に背いた、畜生の行動だなぞと』
『だから負けたこともわかってんだろ。信長の語った夢に魅せられて、そしてその背を追って走ったんだ。お前は』
『わかっている』
こうして怒られながら抱くのはどうしようもない呆れだ。夢を追って誰よりももがく男に挑んだ所で、単に時の利を得て勝利にあと一歩まで近付けただけだ。結局そんな奴らを天が見捨てるはずもなかった。何度追い詰めても、正しく天佑の如くに天の助けが降り注ぐ。当たり前の話だった。
「『だがだからこそ』」
挑んでみたいのだ。ソラの怒りを受けながら、長政は笑ってこちらに突っ込んでくるカイトに向けて同じような笑みを浮かべる。これが人道に背いた夢であることなぞわかっている。勝った所でその夢を継げないこともわかっている。だがそれでも、挑んでみたかったのだ。そうしてその数秒後。両者の刃が激突するのだった。
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