第3580話 はるかな過去編 ――時の涯――
過去での様々な戦いを経てついに未来へ戻るべく『時の道』を進んでいたソラ達一同。そんな彼らは少し未来に進みすぎたことを受けて、更に未来の時代のカイトを基準として今度は過去へと向かうことになる。が、その最中。未来から今度は過去へと向かうという少年少女らとすれ違うことになるのだが、それが自分達の子供達なのだと知らされたことによりソラはうっかり足を踏み外してしまうことになる。そうしてそんな彼がどこかへたどり着くまでの永遠にも等しい一瞬で目の当たりにしたのは、必然といえば必然であった。
『すまん』
誰に謝っているのか。ソラは自分の意思ではない何者かの意思で頭を下げながらそう思う。そうして顔を上げた先に見たのは、一人の美女の顔だ。だがその美女の顔は微笑んでおり、自身の行動を諌めるでもなく許してくれていた。
『殿! お考え直しを! 裏切るおつもりですか!』
『そうだ』
『っ!』
待て。お前。ソラは何者かの中で絶句する。この何者かが誰か。ソラは自分自身のことであればこそ理解していた。そしてなぜ美女に頭を下げたのかも、だ。だがだからこそ、彼は自身の選択が到底信じられるものではなかった。
絶対に自分ならしない選択だし、そんなことをすれば自分で自分を許せなくなる。もしするとすれば苦渋の決断でなければならないはずだし、最初はそうでもあったはずだ。それがこんな楽しく感じられるわけがない。そしてその決意を理解して、自身に話しかけた何者かも翻意は無理と悟ったようだ。
『去るならば去って良い。お前はそれだけの忠義を私に、父に捧げてくれた。あの方との友誼のため、随分と苦労をしたとも聞いている。そのお前の頑張りを無駄にするのだ。我らを見限っても無理はあるまい』
『……いえ。私は殿と共に最後までお供致します』
『……かたじけない』
待て。好き勝手にするのもいい加減にしろ。お前が進もうとするのは人の道を外れたことだ。苦しむのは自分じゃない。あの人だ。そうしないとお前はあの人に誓ったじゃないか。
ソラは忠臣に対して深々と頭を下げる自分の中で声を張り上げる。こいつとは致命的なまでに反りが合わない。表面は似ていても、性根が致命的なまでに正反対。彼はそれを心の底から理解する。そうして、彼は誰もが知る話を当事者の一人として、ただ最初から最後まで追体験することになるのだった。
さて自身の過去世の一生涯を追体験を終えたソラが気が付いた時には、どこかの海岸線に打ち上げられていた。そうして彼は自らが自らであることを理解して、盛大に悪態をついた。
『ソラ。気が付いたな……ん?』
「なんで……なんでそんなことをしやがったクソ野郎!」
だんっ。過去世の自分の選択と決断。そして知っていた末路にたどり着いて、ソラはこれ以上ないまでの苛立ちと共に砂浜を拳で殴り付ける。それは怒りが相まって凄まじい力で、砂浜の砂を大きく巻き上げる。
『ソラ! 気をしっかり持て! 錯乱するな!』
「くそっ……くそっ! 全部、全部お前のせいだろうが! だのに何が言うに事欠いて……」
『ソラ!』
「っ!」
<<偉大なる太陽>>の放った力で、慙愧の念に駆られるソラがびくっと震える。そうして彼はようやく自分が置かれた現状を理解した。
「<<偉大なる太陽>>?」
『何があったかは知らんが、大丈夫か?』
「……あんま大丈夫じゃねぇよ。自分の過去世がこんなクソ野郎だとは思いもしなかった」
『どこぞの盗賊であったか?』
「それならまだマシだっての……」
どうやらついに知った自身の過去が自分が思う以上に失望に値する相手だったことでかなりショックを受けているらしいな。<<偉大なる太陽>>は落ち込んだ様子の彼にそう思う。だが、今はそんなことを嘆いている場合ではなかった。というわけで<<偉大なる太陽>>は敢えてそれについて触れず、とりあえず今についてを話すことにする。
『……そうか。とりあえずそれは後で考えよ。兎にも角にも今はここがどこで、どうやれば元に戻れるか考えねばならん』
「……」
『……どうした?』
「……なんでもない」
一瞬戻るということに躊躇うような様子があった。<<偉大なる太陽>>はソラの逡巡とそこに浮かんでいた表情からそれを見抜く。
だが、ここで折れられても困るのだ。なんとか歩いて貰う必要があった。そしてソラ自身もこれには触れられたくないのだ。下手にここで自分が渋って話さなければならなくなることだけは避けたかったらしい。数瞬の後、頷いて立ち上がる。
「……おう。ここは? どこかの海岸線っぽいけど」
『わからぬ。一応、どこかの世界に流れ着いたのかと思うが……』
聞こえるのはざざんという波の音。見えるのは永遠に続くかと思える海岸線と水平線に浮かぶ黄金の太陽だけ。今が朝か夕方かもわからなかった。
というわけで、彼らは永遠に続くかと思われた海岸線をただ只管に歩いていく。飛空術はどうやら使えないらしく、ひとまず海岸線を目印に歩いていくしかなかった。
「魔物もいないな」
『だな……ふむ……』
「どうした?」
『ここまで魔の気配がない場所も珍しい。なにかの聖域か、神域などの特殊な場かもしれん』
「うへぇ……やっちまった……」
一応ソラも驚いた反動で足を踏み外したことは覚えていたらしい。なのでそれもあって殊更落ち込んでいる様子だった。
そうして歩いていくこと暫く。何時間歩いても疲れず、太陽も動くことのない空間。それに気が狂いそうになるが、幸い<<偉大なる太陽>>や<<地母儀典>>が一緒なおかげで――特に<<偉大なる太陽>>が気を遣ってくれたことも大きい――さほど苦にはならなかった。
「なんも……変わらないな」
『うむ……やはり特殊な空間……ん?』
「どし……あれは……」
<<偉大なる太陽>>がなにかに気付いたことで足を止めて先を見て、ソラもついに現れた異変に気が付いた。そうして、彼が声を張り上げる。
「おーい! おーい!」
『あ、おい! 小僧!』
いくらなんでも迂闊すぎるだろう。久しぶりに思わず小僧呼びするぐらいには<<偉大なる太陽>>は顔を顰めていた。とはいえ、そんな彼にソラが告げる。
「つっても流石にこんな所で人がいりゃこうなるって……流石にきつい」
『それはわからんでもないが……はぁ。とりあえず近付いてみろ。警戒は怠るなよ』
「おう……ってか無反応かよ。死んでる……とかじゃないよな」
『笑えんな……』
そこに居たのは、ちょうど波が掛かるかどうかという所にロッキングチェアを置いた一人のローブを目深に被った人影だ。まるで波の音を聞きながら眠っているようにも死んでいるようにも見えるが、こうなっては生きている方に賭けるしかなかった。というわけで少し小走りに近付いてみるソラだが、向こうは一向に反応がなかった。
「あの……すんません」
「……聞こえているよ。こんな所に流れ着くとは。災難だったね」
「『っ……』」
男のようであり、女のようであり。まるで老人のような含蓄も感じさせるが、同時に子供のような若々しさも感じられた。それは人のようでありながらも神のような厳かささえ伴っており、彼なのか彼女なのかがもはやそういう人知を超えた超常の存在なのだと声だけで理解させた。そんな彼に再び近づこうとして、超常の存在が僅かに片手を挙げて制止する。
「ああ、あまり近寄らないでくれ。この子達が起きてしまう」
「え? あ、すみません」
どうやら居たのは一人ではなかったらしい。超常の存在の左右。肘掛けのあたりに見えた超常の存在よりも少し小さな人影にソラはその場で停止する。そうしてそんな彼に、超常の存在は小さく指を動かした。
「とりあえずは座りなさい。疲れただろう」
「いえ……なんかここ、変な場所で。疲れたとかそういうのもなくて……」
「ふふ……そうだったね。ここはそういう場所だった」
穏やかな存在だからなのか、それともこの超常の存在自身も微睡んでいるのだろうか。こちらを見ることもない超常の存在の声は緩やかだった。そんな相手に、ソラはおずおずと問いかけた。
「あの……もし起こしてしまったならすみませんでした。初めて見かけた人だったもので……」
「仕方がないことだ。ここに人は滅多にこない。大精霊達もまた」
「え?」
「君が知るかどうかはわからないけれど。ここは『時の涯』。全てが終わった後。全てが始まる前。ありとあらゆる存在が眠りに就いている場所だ」
「ここが……」
確かにここがどういう空間か、と問われれば説明は難しい。見た目は永遠に続く海岸線。そうソラの目には映っている。だがそれが表面を見ているだけなのだ、とソラは本能的に理解していた。
「ああ、あまりこの世界を意識して視ない方が良い。どこにどういう情報が潜んでいてるか私にも定かではない。下手をすると一つの世界を構築する情報が全て流れ込んできて、君という存在そのものが焼ききれてしまいかねない」
「うへ!? あ、すんません……」
思わぬ情報にソラが素っ頓狂な声を上げて、それに気付いた彼が恥ずかしげに謝罪する。これに、超常の存在が穏やかながらも少しだけ楽しげな声で笑った。
「ふふ……気にすることはない。この子らも滅多なことじゃ起きないからね」
「は、はぁ……あ、えっと……あの、俺は天城空って言います」
「そうか……私の名は……あるが。ここではそれも意味はない。名乗って貰ったのに申し訳ないね」
「いえ……」
やはり自分達とは格の違う存在なのだろう。ソラは超常の存在の様子にそれを察する。そうして僅かな沈黙が流れるが、やはり相手は超常の存在だったと彼はすぐに理解する。
「なるほど……ふふ」
「え? あ、どうされたんですか?」
「君の事を調べさせて貰った。そういうことか」
「え?」
調べさせて貰ったとはどういう事なんだろうか。ソラは超常の存在の言葉を理解できず目を丸くして困惑するしかない。そうして超常の存在が肘置きを軽く指先で叩いた。すると唐突に時乃が姿を現した。
「ふぅ……こっちにたどり着いたとはのう。運が良いのか悪いのか。いや、必然か?」
「あ、時乃さん」
「うむ。お主、足を踏み外すでないわ」
「あ、あはは……すんません」
時乃の苦言にソラは恥ずかしげに頭を下げる。
「ほんとにのう……はぁ……本当にお主、もしここでこやつに会わねば気が狂って死んでおったぞ」
「え? もしかして……出会えたのって……」
「幸運も幸運じゃ。ここがどこか、吾にもわからぬ。呼び寄せられたからこれただけじゃ」
「……」
どうやら本当に九死に一生を得たらしい。ソラは時乃の言葉に顔を青ざめる。というわけで自分の幸運を理解して、ソラは深々と頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「構わない。これも必然だったのだろうからね」
「はぁ……」
「なるほど。必然か。確かに必然やもしれんか」
そもそも過去に飛ばされたこと事態も必要な事だったのだ。ここにソラが落とされるのも必然だったのかもしれない。時乃は超常の存在の言葉に納得を得る。というより、そうでなければここでこの超常の存在に出会えるという幸運なぞ起こり得なかった。
「さぁ、戻りなさい。自分の戻るべき時間。世界に」
「ありがとうございます」
「うむ……ああ、そうじゃ。たまには吾らも起こせ。一人では寂しかろう。話し相手ぐらいにはなろう」
「一人じゃないし……一人まどろむのも悪くない。私自身も意識は半分眠っているようなものだからね」
「そうか……ま、どうしても話したくなれば、じゃ」
超常の存在の返答に、時乃もまた穏やかな表情で応ずる。そうしてソラは白い光に包まれて、再び時の道へと戻されるのだった。
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