第3447話 はるかな過去編 ――動議――
世界の情報の抹消という世界を崩壊させかねない事態の発生。それを受けて大精霊が動いたことによりようやく一丸となり動き始めた大陸各国は大陸全土の国家を集めた会合を開くことを決定する。
というわけで会合の裏で色々と動いていたカイトは会合の裏で起きた魔族側の暗躍や様々な情報共有の結果、『狭間の魔物』との決戦に向けて情報を収集する事として彼自身もまた世界と世界の狭間に赴き敵情の偵察を行っていたのだが、そこで現れた触手の海の如き魔物に発見されそれが弾き出した触手の人形とでも言うべき敵と交戦。これに勝利を収めたものの、直後謎の攻撃を受けて敢え無く敗北する事になっていた。
そしてそれを受けてレックスが即座に対応策を立てると、統一王朝が発足する前に使われた法律を利用して緊急の動議を行う事にしていた。その光景を、はるか遠くから大魔王は<<千里眼>>で見ていた。
「……大魔王様。ご報告が」
「……良い」
ここまで真剣な様子の大魔王さまを見た事はない。後に魔族達がそう語るほど、この時の大魔王の表情は硬かった。そんな大魔王は手で報告を制止すると、一度目を閉じて魔眼を停止。そのままそちらを振り向いた。
「次元が裂けたがすぐに閉じた。そうだな」
「はっ……その際、監視の兵より勇者らしき人物が血まみれになりながら落下してきた、と」
「……それは奴で間違いなかろう。我からも奴が落ちていく様が見えていた」
「大魔王様が……ご覧に?」
とはいえ、それは不可能ではないだろう。報告にやってきた魔族は大魔王の部屋に備え付けられているエントランスを思い出す。基本的に侵攻作戦を大将軍ら配下の魔族に任せた大魔王が何をしているかというと、日がな一日エントランスに立つか執務室に籠もって書類仕事だ。
ではエントランスに立って何をしているかというとそれは誰にもわかっていなかった。おそらく魔眼を使用して遠くの戦場を把握しているのではないか、という推測が立てられている程度――そうでなければあり得ないほどに報告を受ける前から遠くの状況を把握しているため――だった。
「……奴で敢え無く敗走するか」
「っ……」
ぞわり。あまりに禍々しい魔力の高まりに、報告に来た魔族の呼吸が僅かに止まる。誰も見た事のない大魔王の本気の力。その一端が放たれたのだ。並の魔族では連絡役にもなれなかった。そうしてこれから先の戦いに備えながら、大魔王が口を開く。
「ヴアル」
「はっ!」
「あの勇者が堕ちた。全く抵抗も出来ず、だ。触れられもしなかった」
「っ」
カイトの実力は誰よりもヴアル本人が知っている。自身が本気で勝つのであれば命を賭けてなお足りないかもしれないほどの人類側の大傑物。それが、抵抗も出来ず敗北したのだという。その事実に、ヴアルが僅かに牙を剥く。そうして主の前でさえ闘志を隠せぬヴアルに、大魔王が告げた。
「貴公はどう見る」
「難敵……かと」
「であろうな……我も出ざるを得まい」
「大魔王様が、ですか」
「うむ……あれは生かしてはおけまい」
ヴアルは少しだけ驚いた様子をしながらも、同時にそれが道理とも見ていた。自身とほぼ互角であるカイトが敢え無く敗北したのだ。
現状では人類側・魔族側の臨時連合は最強格の一枚を欠いた状態だ。ならばそれを補填する必要があるが、補填出来る手札は残り一枚。即ち大魔王その人しか残っていなかった。
「はっ……出征の支度を整えます」
「貴公に任せる。此度の一件、全て我が命として差配せよ」
「はっ!」
大魔王の下知が下ると同時に、ヴアルが報告に来た魔族と共にその場を後にする。そうして後に一人残った大魔王は再び表情を固くした。
「……まさか、オリジナルが敗北するか。大精霊と言えど所詮は世界の末端。世界の庇護なき狭間の世界では存外頼りないものだ」
大精霊の庇護を受けた状態だから帰って来る事そのものは出来るのではないか。大魔王は今回の偵察の結末をそう推測していた。が、その予想を上回る事態に流石の彼も表情は固くならざるを得なかった。
「狭間よりの侵略者か……存外、人の世というのも面白いものではないか」
大魔王は自身が如何なる存在か、よく理解していた。が、だからこそある意味無気力な所はあった。そしてだからこそ、このイレギュラーの事態に喜びにも似た感情を抱いていた。全てが想定外。自分でもどうなるかわからないからだ。
「……この程度で果ててくれるなよ、我がオリジナル」
ぱちんっ。大魔王が指をスナップさせると、今まで一度も発せられた事のなかった大魔王出征の号砲が魔王城の最上階から放たれる。そうして大魔王は人類側に数歩先駆け、出陣するのだった。
さて大魔王が出征を決断したちょうどその頃。カイトの敗走と敵の首魁と思しき触手の海の存在は王様達に共有されていた。
「「「……」」」
カイトの状態を聞く声も、<<七竜の同盟>>による偵察の是非を問う声も、それら一切がなかった。この場の全員が理解している。人類で最強に最も近い戦士はカイトである、と。
その上で大精霊達まで彼による偵察を支援していたというのだ。それで呆気なく敗北を喫したという事がどういう事か、理解できない者は誰一人としていなかった。というわけで重苦しい沈黙が舞い降りる天醒堂の中で声を発したのはエルフ王であった。
「各々方、現状は今ご覧頂いた通りだ……正直に言って、私もまた到底信じられるものではないが……」
『申し訳ありません。我らの力でもカイトを退避させるのが精一杯……彼の治癒には私達も力を加えています』
「大精霊様……一つお聞かせ頂けますか?」
『なんでしょう』
レックスの問いかけに、光球の状態で現れたシルフィード――王達の前なのでこちらの世界の姿と性質を取っている――が問いかけの先を促す。
「カイト・マクダウェルの実力は誰より私が知っております。確かに、あの時は敵影に異質な所が見受けられたため油断していた所はあるでしょう。ですがそれを加味したとて、大精霊様のお力添えを頂いてもあの程度とは到底思えないのです」
『ああ、それか……それは簡単だ。我らはあくまでもこの世界の内側の存在でしかない。だから世界の外側では僕らも力を振るえない。勿論、力を貸し与える事も出来ない。精々、僕らの加護を道標として、帰り道を指し示してあげる事ぐらいだ』
なるほど。そうであったのならまだ救いはある。大精霊達が勢揃いした上でカイトという存在に力を与えて敗北した、という絶望的な状況だったと思い込んだ王様達の中に僅かに活力が復活する。そしてレックスがこの場でこれを問いかけたのは、それを理解していたからだ。
「なるほど……承知致しました。であれば仕方がないものと思われます。なにか打つ手はありますでしょうか? 我らは彼以上の戦士を知らない。彼が敢え無く敗北し、再起に時間が掛かる状況では打つ手が見当たりませぬ」
『……一つ、あるにはある。だけれどそれを行うには君達が力を尽くす事が前提条件としてある』
「無論、そのつもりです。我らはこの世界に住まう者。誰一人として、あのような触手の化け物に操られる傀儡となりたくはありません。喩えこの世界に住まう最後の一人となろうと、抗う所存です」
やはり大精霊達はまだ切り札を隠していたか。レックスは大精霊の一人の言葉――少なくともシルフィードではなかった――にそう判断する。
ソラ達がいればそれがカイトが偵察に出る前に聞いた事だと思えた事だろうが、それはカイトが伝えていなかった事もありレックス達も知らなかったのだ。とはいえ、レックスはなにかは必ずあるはずだと踏んでおり、王達を奮起させるためにこの場で聞いたのであった。そうして大精霊達が有する秘策を聞き出したレックスは父へと小さく頷いて合図を送る。
「各方、今聞かれた通りだ。もはや戦や恨みなぞ言っている場合ではない。今こそ我らが力を合わせる時であると考える」
「だがどうする。すでに中央はなく、率いられる資格を有する者もいない。無論、それを決めた法律なども存在しない状況だ……今からそれを作るなぞ悠長な事が言っていられる状況か?」
ある王様の問いかけに、今度はアルヴァが答えた。
「かつて、まだあの国が存在しなかった頃の事を覚えているだろうか。その時に作った法を用いるのだ」
「「「っ!」」」
アルヴァの言葉に、王様達は自分達の国が作ったまま放置し続けて死文化してしまっていた法律を思い出す。そうしてアルヴァの言葉を引き継いで、レイマールが告げた。
「そして率いられる資格ならば一人だけいる」
「だ、だがそれは……」
「覚悟しております。そしてもしもの場合は、私もまた同じ戦場で果てましょう」
「「「……」」」
全て承知の上か。王様達はある王の言外の問いかけにレックス自身が答えたのを見てそう理解する。間違いなくこの一戦で一番負担を強いられるのはレジディア王国だ。そうして押し黙った王様達を横目にレイマールらへと、エルフ王が問いかける。
「統一軍の再結成……その動議でよろしいか?」
「然り。もはや我らに残されている手はそれしかない」
「……相わかった。ただやはり統一軍の再結成となると、今すぐというわけにはいかぬ。一旦、休憩を挟む事にしたいが如何か」
「……承知しよう」
エルフ王の問いかけにレイマールが応ずる。そしてこれに異論を唱えられる者は誰一人としていなかった。レックスから凄まじい闘気が迸っていたからだ。迂闊な事を言えば彼に殺される。そう思えるほどに、彼のオーラとでも言うべき風格が凄まじかったのである。
「……」
何もかもが想定外。そんな様子で重い足を引きずる様に去っていく王様達をレックスは見送りながら、彼には珍しいほどに物静かな様子だった。そんな彼が大精霊へと問いかける。
「……大精霊様。一つ、お聞かせ頂きたい」
『なんでしょう』
「カイトは間に合いますか?」
『ふふ……なるほど。死ぬとは思っていないと』
「ヒメアが付いています。死ぬ事はないでしょう」
ここ数時間寄っていた眉の根がはじめて緩み、レックスがようやく笑みを浮かべる。死ぬだけはないとは思うが、間に合うかどうかがわからなかった。
『間に合うか間に合わないかであれば……間に合わせるでしょう。彼自身が意地で』
「い、意地?」
『そうです。意地です……かつてのカイトはこう言いました。オレとレックスが戦えば誰も居ない所だとオレが負けるだろうな。でも誰かが……そうだな。あいつらかお姫様が見てる場なら、オレが勝つ……それは何故と問うと、見栄か意地、と』
「それはどういう……いえ、それ以前に。あいつが御身らとどこで?」
カイトが大精霊に関わったのはソラ達が来て以降だという事は誰より自身が知っている。なのにここで語られるカイトは彼のようであり、それでいて彼の事ではなかった。
『それは語る必要のない事です……ただ、そういう事でしょう? それは誰より貴方がわかっているはずです』
「……そうですね」
『ふふ……我らの力は彼と共に在ります。貴方達は敵をこちらの世界に引き込んでください。それで後は彼と我々が』
「どちらが大変か、ですか」
後は自分達とカイトが方を付ける。そんな楽な話ではないだろうとレックスは察していた。そしてそれを大精霊達も認めた。
『ええ……後は、お願いします。魔族軍も動き出したようです』
「もう?」
『ええ……おそらく敵が準備を整える前に攻撃を仕掛けるつもりなのでしょう』
「……正解か」
おそらくこちらが気付いた事に敵も気付いているだろう。ならば後は性急だろうとこちらが先手を打つのが最善だった。そうしてレックスは魔族側に負けぬ様に矢継ぎ早に指示を飛ばし、自分達だけでもすぐに出れる様に軍を動かせる様に父やアルヴァらに具申する事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。




