第3437話 はるかな過去編 ――王立研究所――
世界の情報の抹消という世界を崩壊させかねない事態の発生。それを受けて大精霊が動いたことによりようやく一丸となり動き始めた大陸各国。その裏でカイト達は今回の一件が何者かによる人為的な犯行ではなく、『狭間の魔物』による侵攻と判断。戦いが近いと判断したカイトはアルヴァにそれを報告すると、カイトは会議が開かれている裏で旧知の軍の高官であるアクストという将軍とと会っていた。
その最中に舞い込んできた急報により、シンフォニア王国側で一番空白地に近い領土を治めるフゲレ伯爵が死んだ事を知ると、カイトは一路フゲレ領へと移動。そこで彼の息子にして次期フゲレ家当主となるベルクという青年から、フゲレ伯爵が暗殺された可能性を聞かされる事になり、再び王都に戻った彼は情報局からの要請を受けて王立研究所を訪れていた。
(……ここは変わらないな)
戦乱の世にありながらも、戦乱の前とほとんど変わった印象がない。カイトは何度めか思い出せないほどに通った王立研究所の中を歩きながら、そう思う。
そんな王立研究所であるが、やはり王都の外である事で広大な敷地面積を取れるからか、それとも貴族の門弟達がここで研究している事も多いからかだろう。
中庭があったり研究所というよりも公園のような印象があったし、研究者達も一応白衣を身に纏っている者がほとんどだが明らかに貴族の門弟というような上質な衣服に身を包んでいる者も同じぐらいいた。その中でも一番新しい建物に、カイトは用があった。が、そんな彼の足取りはどこか重かった。
(第4研究科……はぁ……)
当たり前であるが、カイトが暗殺に対する対応策を研究しているという第4研究科を苦手とする理由はない。というより、最前線で戦う彼にとって暗殺の対抗策を授けてくれる第4研究科はまさしく命綱と言える。では何故ここまで気が重いのかというと、そこに居る人物が原因だった。
『おう、カイト。クロードから聞いた。第4に行くんだって?』
「あ、ラシードさん。どうしました?」
『いや、ノアの奴が大丈夫かついでに見てきてくれと思ってな。あいつ、俺からだと無視しやがるからなぁ。母さん……御婆様も最近また煩くてなぁ』
「あー……多分これから会いに行く事になると思いますよ」
『ああ、そうなのか。何があった?』
「情報部の依頼です」
ラシードの問いかけに、カイトは彼には隠す必要もないのでここまでの数時間の出来事を報告する。
『……そいつぁ』
「ええ……作為的な物を感じざるを得ない」
『……だがそうなると、か』
「ええ。後はノアさん頼みとしか」
『そうだな。まぁ、良かったじゃねぇか。ノアはお前だったら秘匿情報でも出してくれるだろ』
少しだけ楽しげに、ラシードはカイトの言葉に笑う。どうやらカイトは嫌われていたり疎まれているから足取りが重かったわけではないらしい。それどころかこの様子だと逆の可能性さえあるのだろう。
「そうでしょうけど」
『何だ。まだ苦手なのか。まぁ、あいつにとっちゃいつまでもかわいい僕くんだもんな』
「いい加減やめて欲しいんですけどね。流石に二十歳も超えて正式に騎士に叙任もされているんですが。騎士団の連中を除けばあの人とロレイン様だけですよ、姫様がなんにも言わないのは。特にノアさんなんてあの格好なのに何も言わないって……」
『だな』
あの嫉妬深いお姫様がカイトが二人で会うと言ってほとんど興味を示さない相手。それが騎士団以外に二人だけ居て、その片方は自身と共に幼馴染と言える姉のロレイン。もう一人が、このノアであった。というわけでそんな女性を思い出したカイトに笑うラシードであったが、気を取り直した。
『まぁ……あいつは血もあるが、それにしたってちょっとあの服はどうかと思うんだわ。お前も言ってやってくれ。その年でその格好はどうなんだって』
「それ、この間の年始の集まりで言って特大の雷落とされてませんでした?」
『はははは……っと、悪いな、仕事中』
「いえ」
元々クロードから仕事で王立研究所に行くというからそれなら、と移動中に頼もうと思っただけの話だ。というわけでラシードからの念話が途絶えるとほぼ同時に、この王立研究所で最も新しく、そして最も警備が厳重な一角にたどり着いた。
そこは外とは違い近衛兵が守っており、カイトの接近に僅かな警戒を滲ませる。が、それも彼だと気付くや否や、すぐに解かれた。
「っ……マクダウェル卿でしたか。いつものですね」
「ええ」
「かしこまりました」
そんな足繁く通ってるつもりはないんだが。カイトは第4研究科の建物を守る近衛兵の返答にそう思いながら、扉の開門を待つ。そうして数秒。元々手続きはされていたので、すぐに扉が開かれて中へと通される。
「はぁ……えっと、マクダウェル研究室は……」
マクダウェル女史にマクダウェル研究室。もうこの時点でわかろうものであるが、先程からカイトらマクダウェル家本家に属する者たちが話すノアなる女性はマクダウェル家本家に所属する研究者だ。
別にマクダウェル家だから男も女も騎士にならねばならないわけではなかった。というわけで、建物の中を進むこと少し。件のノアの研究室へとたどり着いた。
「……」
扉をノックする一瞬手前で、カイトが僅かな停滞を生じさせる。が、しばらくして彼は少し諦めた様に扉をノックした。そうして数度ノックをしたわけであるが、中からの応答がなく彼は小首を傾げる。
「……ノアさん? おかしいな……在室になってるのに……」
もしかしてなにか一大事か。カイトが警戒した次の瞬間だ。彼の背に柔らかな感触が伸し掛かり、それと同時に声が発せられる。
「誰かお探しかしら?」
「うひゃあ! ノ、ノアさん……後ろ居たなら声を掛けてくださいよ……」
「掛けたわよ?」
くすくすくす。驚きつつも恥ずかしげなカイトの言葉に、彼の耳元でまるでささやくような様子で女性が笑う。そうして彼が動くと共に僅かにウェーブの掛かった銀の長い髪が揺れる。
「とりあえず中に入りましょうか」
「その前に離れて貰えませんか? あの、当たってます」
「何が?」
「何がって……」
「ふふ……まぁでも、貴方の立場で見られると少しだめだものね。中に入りましょう」
「だから離れてくださいよ」
「せっかく久しぶりに可愛い甥っ子が訪ねてきてくれたのだもの。存分に貴方の匂いを堪能したいわ」
今度はささやくような声ではなく、まるで少女のような声音で女性が拗ねたような様子を見せる。が、その声音が笑っているので拗ねてはおらず、単にカイトをからかって遊んでいるのだと察せられた。
そして悲しいかな、過去のカイトも未来のカイトも姉貴分の女性には弱いらしい。口では拒みながらも、強引に振り払おうという様子は見られなかった。
「はぁ……わかりました。とりあえず鍵、開けてください。所長の所ですか?」
「よくわかったわね」
「白衣が見えてるんで」
王立研究所の研究室に所属しながらも白衣を常用しない女性はそう多くない。その内の一人が、このノアだった。というわけで彼女を背負う形で彼女の研究室へと入った所で、ノアが離れて白衣を椅子へと投げ捨てる。
「ふぅ……やっぱり白衣は慣れないわね」
「また今回はすごい格好ですね……なんですか、その……形容しがたい格好は。ダイヤ型の布が連なってる? しかも足は完全に露出してるし……淫魔達より露出度高いですよ、その格好」
「すごいでしょう?」
「あぁ! ちょっとそんな胸を強調するようなポーズだと!」
待った待った。カイトは大慌てで前かがみでそのふくよかな胸の谷間を強調するようなポーズを取るノアを制止する。胸が強調されるだけでなく、ほぼほぼ乳首付近を隠しているだけだったダイヤ型の布が持ち上げられ、後僅かでもズレれば中が見える状況だった。この反応に、ノアが満足げに笑って応接用の椅子に足を組んで腰掛けた。
「ふふ……大丈夫よ。上も下も動いても大事な所が見えない様にきちんと作ってるわ。いつも言ってるけれどもね」
「はぁ……それなら良いんですけど……」
だから嫌だったんだ。カイトは楽しげなノアに対して盛大にため息を吐く。まぁ、なんというかそういうわけで。カイトやクロードの反応が楽しいから、彼女はこんな事をしているらしかった。ちなみにカイトが今回はという様に扇情的な服装はこれ一つだけではなく、幾つもあるらしかった。
「にしても、恥ずかしくないんですか? その格好」
「恥ずかしがって逆に気分が悪くなったら元も子もないでしょう」
「確か体質なんでしたっけ?」
「まぁ、隔世遺伝ね。もしくは祖先帰りとも言うわね」
ぱちっ、ぱちっ。ノアは自身の言葉を証明する様に手のひらに雷を生み出すと、それと共に彼女の身体の全身に魔術的な刻印が浮かび上がる。今はまだ刻印が浮かび上がる程度であるが、更に力を上げると刻印が活性化して熱を帯びるそうだ。そしてそういうわけなので、彼女は肌の露出を高めて身体に熱が籠もらない様にしているらしかった。
「それで? 確か昨日今日と会議だったはずでしょう? その護衛の総隊長様がなんの用事?」
「無論仕事です。これを」
「これは……情報局からの書類ね。確認しましょう」
カイトの差し出した書類を見て、ノアが先程までのカイトに向けるいたずらっぽい表情から仕事の顔に一変する。そうして、カイトは暫くの間彼女が書類に対して得た疑問などを答えていく事になるのだった。




