第3396話 はるかな過去編 幕間
ここではない何処か。カイト達も知り得ぬ遠い場所。上も下も左も右もない謎の場所。そこに、今回の事態を引き起こしている原因は存在していた。彼なのか彼女なのか、老人なのか若者なのか。暗闇に包まれるそこでは、姿形はもちろんのこと何も見えなかった。
「……」
おかしい。原因は本来は返ってくるはずの報告が上がってこないことを訝しんでいた。いや、返っては来るのだ。ただその精度も頻度も予想より遥かに少なく、色々とを加味したとてそれにとっては到底あり得ぬことであった。
「……」
原因は何なのだろうか。自分の想定に反した事態に原因を推察する。大精霊。神々。世界の異物を排除するシステムの一端。それらはもとより警戒済みで、致命的な事態にならない限りは露呈しないように設定していた。
この致命的は自分にとっての致命的ではない。向こう側。即ち大精霊や神々といった世界側にとって致命的にならない限り、という意味だ。つまりバレた所で問題がない状況にならない限りはバレないようにしていたのだ。
「……」
原因は返ってきている情報を精査する。が、その情報を洗い出しても、やはり自分の存在に気付いている様子はない。
いや、操っている者が居ることに気が付いている様子はあるし、それについては問題はない。操っている存在そのものの露呈はさしたる問題ではない、と原因は判断している。
問題となるのは自分の正体だ。それを気取られるわけにはいかなかった。無論、同時にそれが可能とも思っていない。
「……」
原因が推測を重ねる最中、何度目かになる報告が上がってくる。それを見て、原因は得心する。
「……」
神の末端。それが自分達を邪魔しているという。それもそれは如何なる理由か、大精霊達の支援を受けているという。それならば仕方がない。原因は大精霊達も事態に気が付いて、本格的に介入を始めたのだと理解する。元々自分の行為が何を意味するかは理解しているし、それだけの知性はある。そして同時に、その程度を想定していないわけでもない。
「……」
出来ることであれば、もう少し情報を入手してからと思わなくもない。些か性急だと戒める声があることも理解する。だが同時に、そんなことをしていれば自分の正体を気取られる可能性は十分にあった。
「……」
やはりそろそろ手段を変えねばならないのだろう。そう判断する。相手は大精霊。決して油断して良い相手ではない。だが同時に、大精霊とて万能ではないことを知っていた。
「……」
すでに種は撒いている。それを芽吹かせるのには些か時間は必要であるが、それはさしたる問題ではない。そうして、原因たる何者かは事態を更に進めるべくさらなる指令を発するのだった。
何処とも知れない場所にて、今回の事態を引き起こした原因が次の動きを見せていた頃。カイト達の住まう大陸の中央。セレスティア達がセントレアと呼ぶ街の中心。
かつて統一王朝の首都にして最大の王城があった場所。そこには今、魔界とこの世界を繋ぐ楔たる魔王城が存在していた。その様相としては、一言で言えば魔王城と言われなければ魔王城とわからない上品な城だ。
材質こそ謎だがきちんとした建築技術によって建築されていることがわかるし、デザインセンスも内外共に貴族達が見たとて感嘆する見事なもので、彼らが唯一惜しむとすれば魔界との楔となっている場所にある関係で周囲が常に闇に覆われていることぐらいだろう。
「「「……」」」
そんな魔王城であるが、一言で言えば静寂に包まれていた。それそのものについては別に珍しいことではなく、意外なことに魔王城で悲鳴や怒声が響くことはあまりない。
この城の主はそういった静寂をかき乱す存在を嫌うため、あまり拷問やらをしたがらないのだ。何よりこの城の主にとって拷問や尋問は不要なものだ。欲しければ脳から直接情報を引き出せば良いだけで、拷問も尋問も時間の浪費か単なる趣味にしかならないと判断していた。
無論それでも一部の魔族達はここに住んでいるため、話し声などがないわけではない。時には魔族であるがゆえに粗野な声が響くこともある。だがそんな全ての魔族達はその一切が押し黙っていた。
「……」
男なのか女なのか。もしくは、そのどちらでもあるのかもしれない。もしくは、そのどちらでもないかもしれない。もはや人とは思えぬほどの美丈夫が、魔王城最大の会議室の最奥に座っていた。この魔王城全体の静寂は、この美丈夫が創り出しているものだと誰しもが理解出来た。
「報告致します」
緊張と緊迫。その二つが包む会議室にて、白衣に似た服を着用する魔族が美丈夫へと頭を下げる。彼の緊張は額に浮かぶ冷や汗だけで察するにあまりある。一つでも発言を間違えば待つのは死。それを理解しているが故だった。
というわけで大魔王へと頭を下げた魔族の科学者が部屋に備え付けられたプロジェクターに似た魔道具で情報を全員に――誰よりも大魔王に――見えるように表示させる。
「まずこちらが銀剣卿が確保されましたサンプルの情報を精査した結果となります」
結果だけを報告すること。魔族の科学者はそれを理解していた。故に彼は口の中がカラカラに乾いているのを自覚しながらも、自分の冷や汗を舐めてでも一言の無駄もなく報告することを頭に叩き込み、自身を機械の部品に置き換える。
おそらく、多少どもった所で許されるだろう。大魔王とて狭量ではない。ミスならば許される。だがそれが万が一、無駄と取られれば消される。それを彼は知っていた。というわけでデータの開示を行った彼に、大魔王が視線を向ける。
「……」
「次にこちらがハルフォル殿の確保されましたサンプル……次にこちらが……」
ぱっぱっぱっ。魔族の科学者はいくつもの情報をプロジェクターに表示させる。結論へと導く上の過程は必須。何処までが無駄で、何処までが必要かを見定めることがこの大魔王を前にして生き延びる唯一の方法。魔族の科学者はそれを理解していた。
そして今回はうまくいったようだ。いくつかの情報をプロジェクターに表示させた所で、大魔王の端正な眉がほんの僅か。数ミリにも満たないほどに動いたのを全ての魔族が理解する。そして同時に、今の映像だけで大魔王が全てを察したことも。
「はっ……これら全て別の個体を取り込んでいるにも関わらず、存在としての情報はそれら全てが同一個体であることを示しております。そして次に示しますのが、触手の原体のデータとなります」
「……」
続けろ。目は口ほどに物を言う。まさに大魔王にとってそれが何より当てはまった。それに魔族の科学者は自分が今の所何もミスをしていないことに安堵し、促されるがまま先に進める。そうして続けて『狭間の魔物』の原体、即ちグウィネスが遭遇したという触手だけの化け物のサンプルデータを大魔王へと提示する。
「……以上となります。結論としては、今見て頂いた通りとなります。あれら触手に取り込まれた個体はその全てが同一個体。どのような個体を取り込んだとて、同一の魔力波形を持つ同一個体と化すことになるかと」
「……」
見たままを口にする魔族の科学者に、大魔王はそれを必要なことと認めていた。彼だか彼女だかにとってその結論はデータを見ればわかるものだが、部下達が全員そうでないことぐらいはわかっている。理解を求めることが無駄であることもまた。なのでその部下に必要と判断していたのであった。というわけで結論が出された以上、次に求めるのは決まっている。
「……」
「はっ……すでに我ら魔族にも被害が出ております通り、コヤツらの融合はありとあらゆる生物に有効と考えられます。試験は不可能に近いですが、東の地に居るという龍神共にも有効ではないかと」
「……」
「っ」
なにかを間違えた。魔族の科学者はじろりと見据えられたのを理解して、滝のような汗を流す。が、大魔王とて狭量ではない。何よりここで魔族の科学者を殺せば次の報告者を待つという無駄が生ずる。
その無駄を、大魔王は厭った。そんな大魔王の内心をつゆ知らず一瞬先の死を避けるべく挽回の方策を探った魔族の科学者であるが、それが功を奏した。
「た、対策ですが、ひとまず考えられることと致しましては波形が判明致しましたゆえにそれを弾く結界か障壁、それに類する魔術や魔道具の開発を行うべきかと思われます」
「……」
助かった。魔族の科学者は大魔王の圧が緩まったのを受けて、自身がするべきことが推測の開陳ではなく対策の報告であったことを理解する。
そうして一通りの報告が終わった所で初めて、大魔王が口を開いた。それはやはり男なのか女なのかわからぬ声であったが、まるで氷のような冷たさを秘めていたことだけは誰しもが理解出来た。
「イブリース」
「はっ」
「人間どもへこの情報を流してやれ。こういったことは貴様の得手だ」
「はっ……相手はいつもの彼らで?」
「それが最も無駄がない……ヴアル」
「ははっ!」
「そろそろ彼奴らも動きを次の段階へと押し上げるだろう。大戦が考えられる……おそらく此度は人間共との共闘となろう。が、人間どもには手を出すな」
「は?」
おそらく大魔王が人間に手を出すな、という指示を出したのは初めてだったのだろう。ヴアルと呼ばれた巨大な魔族は大魔王の発言に耳を疑う。そんな彼に、大魔王が少しだけ威圧的に告げる。
「二度も我に同じことを言わせるな」
「も、申し訳ありません」
「良い……貴公の困惑は理解しよう。人間共なぞ一部を除き戦力として期待なぞ出来ん。が、数が多い。その数であれば肉壁としての利用価値程度はあろう。我らや人間どもの一部の肉壁を削ぐな、と言えばわかり易かろう?」
「なるほど……かしこまりました」
部下の不満や困惑を解くのは王の役目。大魔王は自身の言葉ゆえに無理矢理納得をしようとした部下に対しての説明を無駄とは考えていなかった。
そうして説明された意図に、ヴアルなる巨大な魔族が何処か荒々しい笑みを浮かべて恭しく頭を下げる。人間ではなく自分達の盾に手を出すな。そんな冷酷な指示であれば一切の異論なぞあるわけがなかった。そうして、その後もしばらくの間大魔王により矢継ぎ早に指示が下されていくことになるのだった。
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