第3391話 はるかな過去編 ――異形の化け物――
世界の情報の抹消。それは世界の壁という世界そのものの果てを定める概念も含まれる非常に重要なものだ。それの消失は即ち中に住まう者たちが世界と世界の狭間に放り出されたり、逆に世界と世界の狭間に生息する『狭間の魔物』という特殊かつ強大な力を持つ魔物達が入り込む要因と成りかねないものであった。
そんな世界の情報の抹消によりこちら側に入り込んだ『狭間の魔物』により軍の一個中隊が壊滅させられたというエザフォス帝国の要請を受け帝王との謁見を行うカイトであったが、その最中。帝王と敵対する貴族派という一派が『狭間の魔物』を捕獲したことを知らされることになる。
というわけで帝王の要請を受ける形で『狭間の魔物』が捕獲されているという秘密研究所に突入したのであるが、その最深部では『狭間の魔物』に侵食されたと思しき生き物達がまるでひとつに融合したかのような魔物でさえない化け物が屯し、なにかを行っていた。そうしてそんな最深部にて、カイトと瞬は何体かいた異形の化け物との交戦に乗り出すことになっていた。
「……」
流石にあんな巨体かつ異形の姿で機敏な動きは無理なのかもしれない。瞬は体中に生物のありとあらゆるパーツを無造作にくっつけたような化け物の姿に、そんなことを思う。実際動きに機敏さはなく、まるで蠢くように、這うように移動していた。
(一応は……手足? を伸ばして這うように動いている……のか?)
ウルカでの留学を含めておおよそありとあらゆる形状の魔物とは戦ってきたと思っていた瞬であるが、それでもこんな異形の化け物とは戦った記憶がない。が、一つだけ思い当たる節があった。
(<<暴食の罪>>……だかには微妙に似ている……か。それよりも更にごちゃ混ぜ感が強いな……あれの時もそうだったが、なんというか気味が悪い。得体の知れなさも感じる……)
おそらくこいつは放置していては駄目なやつだろう。瞬は異形の化け物と相対しながら、直感的にそう判断する。そうして間合いを詰めてくる異形の化け物を見据える瞬であるが、先に行動したのはカイトであった。
「っ」
ひゅひゅひゅ。高速で弓弦が音を立てて、無数の矢が放たれる。それは無傷だった方の異形の化け物のを打ち据えて押し止める。が、その程度だ。これにカイトは僅かにだが舌打ちする。
「……ちっ。思ったより防御力は高いらしいな」
ずどどどっ、と無数の矢に撃たれる異形の化け物であるが、意外なことにカイトの弓術でも貫けていなかった。
「大丈夫なのか?」
「ああ。手は考えてる……無策に矢を射ってるわけじゃないさ。それより……そろそろ向こうさんも動きそうだぞ」
「ああ……良しっ!」
来る。瞬はカイトに言われるまでもなく、異形の化け物の体が僅かに後ろが盛り上がるような台形に近い形状になっていることに気付いていた。それはまるで地面に爪を立ててしっかり踏みしめているかのようで、正しく獣が襲いかかろうとしているかのようであった。そして、瞬が気合を入れたと同時。異形の化け物が大きく跳躍する。
「「ふっ」」
異形の化け物が着地する寸前に二人は別々の方向に跳躍する。そして空中に躍り出てカイトは引き続き先程から矢を射ている個体に向けて矢を射続け、瞬は地響きを立てて着地した個体へ向けて右手に持った使い捨てナイフを投げ付ける。
「はぁ!」
気勢を上げて放たれた三本の小型ナイフは即座に音速を超過し、異形の化け物目掛けて一直線に飛翔する。が、それを異形の化け物は触手を伸ばしてはたき落とす。
とはいえ、真正面からの攻撃が防がれるだろうことぐらい、瞬も想定はしていたようだ。彼は投擲の結果を見ることさえせず、異形の化け物を飛び越えるように虚空を蹴っていた。
「ふっ! はっ!」
真上を通り過ぎる瞬間に身を翻し、再び三本の小型のナイフを投擲。更に距離を取った所で背後――前も後ろもわからないが――に向けて三度ナイフを投擲する。が、その全てが異形の化け物から生えてきた触手に叩き落され、弾かれる。
「ちっ」
カイトの急降下に対応するぐらいなんだ。自分の腕程度では反応されても仕方がない。瞬は異形の化け物に防がれたことに対して舌打ち一つで受け止める。が、その次の瞬間だ。異形の化け物が蠢くと、勢いよく瞬へと突進を仕掛ける。
「何!?」
業風を纏いながら仕掛けられた突進に、瞬は大慌てで虚空を蹴ってその場を離脱。が、そんな彼に異形の化け物もまた虚空で身を震わせると、触手や様々な生き物の手足で地面を大きくえぐりながら急停止を仕掛けて再度跳躍。まるで巨体に見合わぬ超速度で瞬を追撃する。
「ちぃ! どっちが前でどっちが後ろなんだ、貴様は!」
異形の化け物が身を翻した様子はない。なのに前も後ろも上も下もない様子で飛び回るのだ。これでは背後に回り込んだ、上を取ったという戦いの定石とも言える手段が通用せず戦いにくいことこの上なかった。
というわけで瞬は少しだけ苛立たしげに再度ナイフを投擲。これまた触手が伸びてきて叩き落されるかに思えたが、触手がナイフに触れた瞬間にナイフが爆ぜて異形の魔物を叩き落とす。
「はぁ……っ、はぁ! 気色が悪いやつだ、本当に」
叩き落されながらも爆炎の中から触手を伸ばして自身に追い縋ろうとする異形の化け物の触手に、瞬は槍の穂先から魔刃を伸ばして切り飛ばして更にナイフを一つ投げて切り飛ばした先を消滅させる。どうやら本体から離れてしまえば防御力はさほどでなく、簡単に消し飛ばすことが出来る様子であった。
「……」
どうしたものか。瞬は地面に轟音を上げて落着した異形の化け物を見ながら、僅かに逡巡する。カイトの交戦の様子から防御力は高い様子なので可能であれば接近戦を仕掛けて仕留めたい所だが、触手で貫かれた瞬間にこちらも一巻の終わりである可能性が高いのだ。遠距離から高威力の一撃で仕留める必要があった。
(……まさかあの身体の至る所にある目は全部が本物で見えている……のか? だとすると厄介だし、それなら前後左右がないのも筋が通る……本来ならこういう場合は投槍が一番良いんだろうが……)
この状況での上策は喩え正面からでも強引に押し切れる投槍だろうな。瞬はそう思うが、同時に流石に二度も三度もあんな威力を叩き込めばこの大実験室とてただではすまないとも思っていた。
この大実験室はすでに様々な実験動物達が暴れただろう後なのだ。監視塔とて兵士達が乗っただけで崩れている以上、どこが脆くなっていても不思議はない。脆くなっている所に下手な行動は厳禁だった。
「っ」
アメーバか、貴様は。瞬は自身に気付かれにくいように中心が僅かに凹んで勢いよく飛び上がってきた異形の化け物に苦笑いを浮かべながら、虚空を蹴ってその場を離脱する。
「……何?」
飛び上がった異形の化け物はそのまま更に上昇を続けていく。それに瞬が意図を理解できず困惑するが、直後だ。異形の化け物の上部から無数の触手が伸びて、吸魔石の天井を叩く。
「んなっ!?」
だんっ、と天井を叩く音が響いたと同時に自身目掛けて急降下してくる異形の化け物に、瞬が思わず目を見開く。これに瞬は大慌てで虚空を蹴って直撃を逃れるも、その直後だ。異形の化け物が地面に着地するよりも前になにかを叩く大音が響いて、再び異形の化け物が急上昇する。
「っ」
面倒な。瞬は触手を器用に使って空中を跳ね回る異形の化け物に顔を顰める。とはいえ、このままビタビタと跳ね回られては何時この大実験室が崩壊するかわかったものではない。故に瞬は顔を顰め、跳ね上がってきた異形の化け物の真上からナイフを投げつけた。
「あまり実験室を揺らすな!」
投げつけたナイフが爆発し、異形の化け物の勢いを緩める。が、その程度で止まる質量でもない。故にまだ上昇を続けるのを見て、瞬は左手の槍の顕現を一時的に解除。左右の手で三本ずつナイフを持つと、左手に一つだけ残して残りを一斉に投擲する。
「はぁ!」
左右の投擲の後。クー・フーリンから譲り受けたナイフを右手で抜き放ち、投げた五本のナイフに刻まれた刻印を共鳴させその場に停止させる。そうして五本のナイフが五芒星を描くと、描かれた五芒星の中心目掛けて残していた最後の一本を投擲する。
「……はっ!」
一瞬の瞑目の後。五芒星に異形の化け物が到達すると同時に瞬の投げた最後の一本もまた到達すると、強大な魔力の光条を放ち異形の化け物の巨体を地面へと押し付ける。そして間髪入れず、瞬もまた地面に着地する。
「ふぅ……」
左手に槍を顕現させ、瞬は更に右手を振って異空間に収納している使い捨てのナイフを右手に出現させる。実は瞬の右手の人差し指には彼が保有する物品収納用の小型の異空間からものを取り出せる指輪が嵌められており、手を振る動作に合わせて顕現させられるように練習したのであった。こうすることでほぼタイムラグなく手に使い捨てのナイフを出現させられる、というわけであった。
「さて……」
うぞるうぞると蠢きながら、異形の化け物は瞬の光条で消し飛んだ部位を再生させる。これに瞬は試しにナイフを投げつけてみる。
「ふっ……まぁ、駄目か」
再生中であれば反応出来ないのではないか。そう思った瞬であるが、やはり物事そう甘くはない。というわけで弾かれたナイフは簡単に軽い音を立てて地面に落下する。
というわけで瞬は異形の化け物が再生中で動かないことを受けてしばし攻め手を逡巡するのであるが、蠢きながら再生していた異形の化け物が更に大きく蠢いたのを見て一気に警戒を強める。
「……」
何をするつもりだ。瞬は大きく蠢く異形の化け物に身構える。そうして身構えて数秒。彼は思わず顔を顰めることになる。
「なぁ!?」
剥離というよりももはや分離。しかも単に離れるというよりも、まるで身震いした動作に合わせて飛び散るように。異形の化け物が大きく身震いしたと同時に肉片が飛び散って、周囲に撒き散らかされる。これに瞬は大慌てで距離を取ってその場を離脱するも、行く先行く先に肉片が飛び散っているのだ。空中に逃げるしかなかった。が、そんな彼は更に顔を顰めることになる。
「はぁ!? 気色が悪いにも程があるぞ!」
飛び散った肉片から放たれる無数の触手に、瞬は盛大に悪態をつく。そうして、瞬はしばらくの間下から伸びる無数の触手から逃げ回ることになるのだった。
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