第3387話 遥かな過去編 ――大実験室――
世界の情報の抹消という世界そのものさえ破壊しかねない行為。その発生を受けて大精霊達は後に彼女らと縁を結ぶことになるカイトへと事態の収拾を指示されるわけであるが、その調査の中で彼は世界の情報の消失によりこちら側に入り込める様になってしまった『狭間の魔物』により軍の一個中隊が壊滅させられたというエザフォス帝国の帝王に招かれることになるのである。
が、そこで帝王と敵対する一派の浅慮により『狭間の魔物』を捕獲したという秘密研究所が連絡を絶ったことを知ることとなり、急遽帝王から依頼を受けた体で秘密研究所の調査に乗り出すことになっていた。そこで一同が目にしたものは人はもちろんのこと、ありとあらゆる一切の生き物がいなくなった秘密研究所であった。
というわけで、一同はひとまず途中の調査を後続にまかせて事態の収拾を優先するべく最深部である大実験室を目指すわけであるが、階段までたどり着いても相変わらずのもぬけの殻の状態であった。
「……真っ暗……か。確かここは非常階段なんだったか?」
「ああ……だから一気に最下層まで行けるわけだな……が、流石に暗いな。イミナ。荷物に発煙筒があったな」
「はっ……こちらを」
カイトの求めを受けて、イミナは軍で利用している発煙筒を差し出す。カイトの意図は読めているのか、すぐに使える状態だった。というわけでカイトは最後のスイッチを押し込むだけの状態になって渡された発煙筒のスイッチを押すと、少し大きな音を立てて光を放つ発煙筒を階段の下へと投げ込んだ。
「「「……」」」
しゅー。そんな音を立てながら光を放つ発煙筒は一直線に最下層へと落ちていく。そうして最下層までたどり着くと、音を立てて地面を数度バウンド。その後停止して、最下層の周囲の様子を照らし出した。
「こ……れは……」
「ひどい……ですね」
最下層の様子を見て顔を顰めた瞬の様子に自身もまた最下層の様子を覗き込んで、リィルが盛大に顔を顰める。というわけで瞬が見たままを口にする。
「転落……したのか」
「おそらく洗脳が効果がありすぎたか、逆に効果が薄くうまく制御できず階段から落ちたのでしょう。そうでなければ何人も折り重なる様に落下していることに筋が通らない」
「どちらにせよ、正常な判断ができていたとは思えんか……」
一同が階段を照らして目にしたのは、最下層で折り重なる様にして倒れた何人もの白衣を着た研究者達の姿だ。それはまるで階段の途中で手すりから落下したようで、上から何人も積み重なっていた。そんな光景にカイトもまた顔を顰めていたのであるが、彼へとイミナが問いかける。
「カイト様。如何致しますか?」
「……生きてはいないだろうが……少し考えさせてくれ」
この秘密研究所が連絡を絶ってすでに二日以上が経過しつつある。もし大怪我を負ったのであれば、その時点で助かる見込みは薄いだろう。しかも推定『狭間の魔物』は研究者達を魔術で洗脳しているため、多少の怪我であれば指示を優先させられるのだ。
それもせずここに放置していた、ということは回収する意味がないほどの怪我を負ったと判断出来る。その状況で二日以上も放置されていたのだ。生きている可能性はかなり低いとカイトも判断したのであった。
「考える?」
「奴らが融合された撒き餌みたいなものだったら?」
「っ……」
確かにその可能性はないではないかもしれない。カイトの指摘にイミナが顔を顰める。おそらく移動の最中にこうなったという可能性が高いと思われているわけであるが、意図的である可能性がないかと問われれば誰にも答えられない。というわけでカイトは色々と精査するわけであるが、その必要はなかったようだ。
『大丈夫そうですよ』
「ん? 大丈夫なのか?」
『大丈夫です……短時間だけなら、ですが』
カイトの問いかけに答えたのは、エザフォス帝国に入国するまでは『黒き森』にてサポートをしてくれていたサルファだ。彼は距離が遠かったこととカイト達が赴いたのが同盟関係にないエザフォス帝国であったこともあり一旦支援はあちらがこちらの状況を確認する程度になっていたのだが、今回は事態が事態ということでサルファも口出ししていたのであった。
『それは良いでしょう。兎にも角にもそいつらが変異している様子はありません。おそらく融合はされていない、と見て良いでしょう』
「そうか……なら放置……ともいかんよな」
『でしょう。敵の情報が少なすぎる。この死体が変異する可能性だってないではない……そうなると、取るべき手は一つしかないかと』
出来ることならばこのまま回収してやりたいんだが。そんな感情を滲ませるカイトに対して、サルファは何処か諌める様に首を振る。そしてこれに、カイトも結論を下すしかなかったようだ。
とはいえ、この会話はあくまでわかっている二人だけのやり取りだ。というわけでなにかを決意したカイトに、今まで黙っていた瞬が問いかける。
「何をするんだ?」
「こうする」
「うおっ!」
カイトの右手の人差し指の先端に現れた数センチほどの白球を見て、瞬が思わず仰け反った。別に魔術で編み出した白球は瞬も山程知っている。それでもなぜ驚いたかというと、そこに圧縮されている魔力の量があまりに尋常ではなかったからだ。
「死体を消し飛ばすのにそこまで必要なのか?」
「万が一、『狭間の魔物』に乗っ取られでもしていたら非常に面倒だ。確実に消し飛ばせる様にしておきたい。それで魔族共も痛い目に遭ってるからな」
カイトが思い出したのは、先日の銀剣卿が率いる調査隊との交戦での一幕だ。おそらく魔族側はエザフォス帝国の貴族派の研究者達より技術も警戒度も高いと考えられる。にもかかわらず、危うく確保に失敗しかけたのだ。誰よりも魔族の厄介さを知るカイトが警戒に警戒を重ねるのも無理はなかった。というわけで死体を消し飛ばすには不相応な力を放ち、カイトは最下層に積み重なっていた死体の山を消し飛ばす。
「……良し。降りるぞ」
これでひとまず道中の安全は確保できただろう。そう判断したカイトを先頭に、一同は吹き抜けへと躍り出てそのまま飛空術で緩やかに降下していく。
「なんだか……結局俺達も同じようなことをしているな。飛空術がなければ同じことになっていたかもしれんか」
「それはないな……研究者達も魔術師。飛空術を使えなくともこの程度の高さから落ちただけでは普通は死なんさ」
「そういえば……確かにそうだな」
この階段の最下層までの深さであるが、大体20メートルほどあるかという所だろう。大実験室の広さを考えればもっと深い様に思えるが、大実験室の中にも階段があるようで、そこから更に下に降りるためこの深さになっていた。というわけで最下層に降りたわけであるが、そこでソラから通信が入ってきた。
『カイト、皆も聞こえてるか?』
「ああ……どうした?」
『さっきの階段で転落した死体が積み重なってたって話。こっちから本陣に報告を入れた……すると他の階段でも転落死したと思しき死体が何体か見付かってるって。見付かってないのは一階下に降りる場所ぐらいじゃないか、っだそうだ。逆に一番ひどいのはそこと正反対の所。もう一つの非常階段だって』
「やはりか……となると研究所の職員達は全員揃って操られて、最下層に誘導させられていそうだな」
『じゃないか、ってのが本陣の推測』
どうやら非常階段は一つではなかったらしい。また別の所の非常階段から最下層へのアプローチを試みていた部隊もまた、カイト達と同様の光景を目の当たりにしていたようだ。とはいえ、これはカイトも他の一同も考えていたようで特に驚きはなかった。
「わかった……こっちは今しがたちょうど最下層に降りた。これから非常階段から最下層のエリアに入るところだ」
『おう……十分に注意してくれよ。いや、問題ないんだろうけどさ』
「あはは……それでも油断はしないさ」
ここで死にはしない、というのはセレスティア達が居ることからはっきりとカイトも認識している。だがだからといって怪我を負わないかどうかはまた別問題だ。ヒメアに不要な心配をさせぬ様に注意する必要があった。というわけでソラの言葉に笑ったカイトは一度だけ深呼吸して全員に一度だけ頷いた。
「ふぅ……良し。行くぞ。何もないとしてもここまで。ここから先がどうなっているかは未知数だ」
「「「……」」」
ここから先は最下層の実験室が立ち並ぶエリア。何が起きても不思議はないのだ。最悪は貴族派が密かに作り上げた実験生物のようなものとの交戦も予想されている。というわけでカイトの言葉に一同改めて気を引き締めて、最下層へと突入する。
「……なにもない、か」
「そうだが……これを何も無い、とは言い難いな」
「なにもないはなにもないだろう……おそらくだが」
自身の言葉に苦笑を浮かべたカイトに、瞬もまた苦笑いを浮かべる。
「壊されまくっているな」
「だな……そして破壊の痕跡が向かう先は……」
「……おそらく、というわけか」
「だろうな」
おそらく実験動物だかなにかが居たことは間違いないのだろうが、その実験動物は実験室を内側から破壊するとそのまま通路を荒らしに荒らして立ち去ったらしい。
一同は内側から破壊された扉と破壊活動を繰り返しながら何処かへ向かっている様子を目の当たりにする。その破壊の程度は非常階段側ではなく更に奥へ向かう方に酷くなっており、実験動物達がある特定の意図を有していることを如実に示していた。
「……これは一戦確定か」
「確定だな……が、音がしないことを考えると、全ての実験動物達はすでにバトルフィールドにたどり着いてお待ちかね、という所か」
「戦いやすくて助かる」
少なくともこんな狭い通路で戦わないで良いのだ。相手がなにかはまだわからないが、少なくとも瞬としては大助かりであった。というわけで一同は破壊の痕跡が残る通路を進み、最深部の大実験室へ続く扉の前にたどり着く。
「……この奥か。えらく重厚だな」
「吸魔石の扉だ。実験の遮蔽を考えるとこうなったそうだ。一応、取っ手は普通の金属だから開けるのに不足はないそうだが」
「そうか……上の守衛室と同じで大丈夫か?」
「ああ……頼む」
守衛室と同じ。それは瞬が扉を開いて、カイトが中からの奇襲を警戒する隊列だ。特に今回は中が見えていないので、その隊列が有用だった。そうして一同は隊列を整えると、瞬が重苦しい吸魔石の大扉を開くのだった。
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