第3236話 はるかな過去編 ――王家の谷――
『方舟の地』と呼ばれる超古代文明の遺跡に起きた異変を解決したどり着いていたセレスティアの故国レジディア王国の王都レジディア。そこではレックスの結婚式に向けて忙しなく準備が行われていた。
そんな準備の横でレックスの客人として扱われていたソラや瞬達は後にカイトと同じく八英傑と呼ばれる事になる人魚族のアイクやドワーフ族のフラウ。王都レジディアの冒険者を統率するゴルディアスという騎士にして冒険者という稀有な肩書を持つ者たちとの会合を重ねていた。
そうして何日かの時を過ごしていた一同であるが、結婚式まで後数日となったある日。偶然来ていたカイトを目的として現れたレックスに請われ、彼の祖先の墓があるとある谷に居るという聖獣とやらに会いに行く彼に同行する事になっていた。
「ふぅ……ああ、やはり外の風を入れると少しマシになるな。朝はそこまで暑かった印象はなかったんだが……」
「っすね……はぁ。やっぱカイトって色々と改良してんだなー。ティナちゃんかもしれないけど」
「だな……ふぅ。にしても急に蒸したな」
「ここらは水属性の魔力が蓄積しているからな。年がら年中湿度が高いんだ。まぁ、後少しすれば逆に少し肌寒くなる」
「そうなのか?」
自身達のボヤキに応じたカイトの言葉に、瞬は少しだけ驚いたような顔を浮かべる。
「これから向かう『王家の谷』のはかつては幽谷とも呼ばれていた場所だ……なんだが、霧がよく立ち込める場所なんだ」
「なるほど……谷間で湿気が溜まってしまいやすいのか」
「そうだな。割りとジメジメとする事は多い……まぁ、墓のある一帯は魔術でコントロールしているから問題はないんだが」
この湿度の高い気候はその谷に近付いてきたからというわけか。瞬はエドナに跨って移動するカイトの話を聞きながら、そう思う。ちなみに瞬達は馬車。カイトはエドナだ。今回はレックスに請われてヒメアも同行しているそうで、彼女の護衛が主な任務になるらしかった。
なお、その彼女の馬車はレックスの馬車の後ろで、今回レックスの客人扱いの瞬達はその更に後ろだった。瞬達のボヤキが聞こえたのはそのためだ。その三台の馬車の周囲を、レジディア王国の近衛兵団が取り囲むようにして護衛していた。と、そんな彼らが蒸し暑いという以上、他の馬車も似たようなものだったようだ。
「あちぃ……」
「まぁ……お前はな」
「マジで脱ぎてぇ……マジで脱ぎてぇ……」
今回、レックスの服装は王太子としての正式なもので、至る所にゴテゴテとした飾りが取り付けられた挙げ句に布も非常に厚手のものが使われていた。
万が一の場合にはこの服でも戦闘が可能――レックスの戦闘は考えられていないが――という非常に高度かつ様々な魔術が織り込まれたものであるのだが、あくまでも儀式的な用途が主眼だ。快適さは二の次とされており、この通り秋冬以外は非常に普段遣いのし難い物らしかった。というわけでこちらも窓を開けてもたれ掛かるように窓枠に身体を預け乗り出すように顔を出したレックスであるが、その彼の後ろから声が響く。
「王子」
「わーってる。わーってるよ……でも暑いんだわ」
「それは存じ上げております。が、歴史上全ての王族が聖獣様へのお目通りを文句一つ言わず終わらせられていらっしゃいます。レジディアの赤獅子と呼ばれる王子がその有様では合わせる顔がありません」
「言ってないだけだ、それ絶対……」
「言われていらっしゃらない事だけが事実です」
「あいー……はぁ……」
こてん。レックスは中から響いた窘めの声に身体を反転させ、今度は壁に背を預けるような格好で後頭部を窓枠に乗せる。
「カイト、今ここどの辺?」
「あー……っと。まだ半分過ぎてちょっとって所かな。一応野鳥の目を借りて見える限りだと……あの大椿があるから……後3分の1ぐらいって所か」
「ああ、あのデカい椿のあたりか……このまま魔物に出くわさなけりゃ、なんとか夕方になる前には着けるか……明日の朝には帰れりゃ良いなぁ……」
「明日の朝が分かれば、だな」
「それな」
どうやら『王家の谷』とやらは特殊な空間でもあるらしい。カイトの指摘にレックスは困り顔で笑う。と、そんな彼に今度はソラが問いかける。
「まだ時間はかかりそうなのか?」
「まだもうちょっと、だな」
「そか……」
ってことはもう暫くは暇をしないといけないということか。ソラは案外馬車に乗っているだけというのも暇なんだがと思いながらも、今回は殊更規律に厳しいらしい――護衛よりレックスを掣肘する目的――近衛兵団との事で身動きが取れずにいた。と、そんな所に。今度は一体の妖精に似た使い魔が現れる。
「ん? ああ、分かった」
「どうした?」
「姫様のお呼びだ。ちょっと馬車に移る」
レックスの問いかけにカイトは右腕の甲で輝く紋様を見せる。そうしてそれと共に彼の姿が消える事になる。
「忙しいねぇ……忙しいのが良いのか、楽なのが良いのか」
どっちとも言えそうにないわ。レックスは自身を睨み付けるお目付け役の視線に、やれやれと肩を竦める。そうして馬車の一団はレジディア王国の近衛兵団に守られながら、更に数時間進み続けるのだった。
さて朝一番に馬車が王都レジディアを出発してからおよそ半日と少し。一同を乗せた馬車は道中の魔物の大半を近衛兵達により討伐されていた結果、本当にほぼ何もする事がなく無事『王家の谷』にたどり着いていた。というわけで馬車を降りたソラであるが、周囲の光景を見て目を丸くする。
「うわ……本当に霧に包まれてるんだな」
「まだここはマシな方だ。ギリギリ境目だよ。護衛の近衛兵達と馬車はここで待機だ」
「……ここからどうするんっすか?」
自分達が降りると同様に馬車を降りたレックスに、ソラが問いかける。一応地面は舗装されているし周囲にはこの谷を守る近衛兵達の基地がありおそらく手入れもされているのだろうが、レックスはまだしも普通の王族が動きにくい服を来てかなりの距離を歩けるとは思わない。ソラの疑問はもっともだろう。
「いや、普通に歩きだ」
「大丈夫なんすか、その服で」
「まぁ……俺は最悪飛空術あるし」
「……あ、そうっした」
動きにくそうな王太子の服であるが、別に動かずとも飛空術を使いこなせば問題なく移動出来る。それどころか地面に服が擦らない分、衣服にも良いだろう。
「まー、普通のヤツは大変らしいぞ? 俺関係ないけど……後、ごめん。俺は歩きでもないしな」
「え?」
「すぅ……」
ぴぃー。小首を傾げるソラを横目に、レックスが指笛を鳴らす。するとどこからとも無く業風を纏って漆黒の駿馬が現れる。そんな漆黒の駿馬の背に、レックスは慣れた動きで跨った。
「よいしょっと! 別に良いよな? 聖獣様からはこいつも連れてこい、っていつも言われてるから」
「はぁ……まぁ、王子に限ってはそう聖獣様が仰られている以上は仕方がありません」
レックスの乗っていた馬車から降りてきたのは、彼よりも少し年上の女性だ。彼女はレックスの教育係かつお目付け役の一人で、王族や為政者としての彼に対してのお目付け役という所だった。というわけで彼女の許可を得たレックスがソラ達に笑う。
「てなわけで、俺とカイトに限ってはここから先も馬だ……馬?」
「天馬も馬だろ」
「エドナ、天馬でもない気が最近しまくってんだよなぁ……」
カイトが幼き頃から共にいたエドナであるが、最初は純白の駿馬かと思えばある時唐突に翼を生やしたのだ。そして今では遂に次元の壁さえ突き破るという天馬でも不可能な芸当をし始めており、一同内心幻獣や天馬でもないのだろうなと思い始めていたらしかった。
「まぁ、良いや。そんな感じで俺とこいつは馬だ。一応歩速は合わせるから」
「あー……うっす。まぁ、了解っす」
「ま、オレもそこらはな……姫様!」
「はーい……よっと」
「おいしょっと」
馬車のタラップから飛空術で飛び上がったヒメアがカイトにお姫様だっこの要領で抱き抱えられる。そうしてここから先に進む者と残る者に分かれて支度が整えられていくわけであるが、暇になったソラ達は先に立ち込める霧を見る。
「先凄いっすね。ほとんど何も見えない……」
「ああ……先に手を突っ込んでみな。面白いものが見れるぞ」
「はぁ……」
なんだろうか。ソラはレックスの言われるがまま、境目らしい門扉――レックス達が進むからか今は開かれている――の先へと手を伸ばしてみる。するとひんやりとした空気が彼の手を包み込んで、しかしすぐに霧に包まれて彼の手は見えなくなった。そしてそれと同時に、瞬の驚きの声が響く。
「うおっ!?」
「なんすか?」
「え、いや……今、手が……霧から……こうずぼっと……」
「え?」
目を見開いた瞬の言葉とそれに同意するかのように驚きの顔を浮かべるセレスティアとイミナを除く一同に、ソラが周囲を見回す。が、何も見えず、これはと彼も察したらしい。今度は恐る恐る腕を突っ込む。
「うわ……なにこれ。キモチワル」
「あははは……それが入っても出されるという事です。この霧から先に進もうとするとこうして外に出てしまう事になるのです」
「なるほど……これは普通は無理だな……」
ということは、とセレスティアの言葉でおおよそを理解したソラが一歩を踏み出してみる。すると案の定、入ったはずの彼がそのまま霧から出てきた。というわけで、興味深い様子で瞬が彼に問いかける。
「どんな感じなんだ?」
「いや……不思議な感じっすね。一瞬霧で視界が覆われたかと思ったら、抜けたらこっちが見えたって感じっす」
「へー……どうやって入るんですか? これ」
「ちょっと待ってろ……」
瞬の問いかけに、レックスは右手を突き出して意識を集中させる。すると彼の手のひらから赤い力が迸り、一同の立ち入りを拒むように立ち込める純白の霧をキレイな赤色に染め上げる。そうして真紅に染まった赤い霧が晴れて、更に先の舗装された道が姿を露わにする。
「よし。じゃあ、行こうか」
「あ、うっす」
正しく霧が晴れたというわけか。ソラはレックスの言葉に従って動き出した彼と共に先に進む。そしてどうやら、あの霧はこの『王家の谷』への立ち入りを拒むいくつかの結界の一つだったらしい。
「わっ……これは……」
「ここが『王家の谷』だ」
「なんか妖精達の住処みたいに幻想的な所っすね」
「ああ、それは時々言われるらしいな」
ソラの言葉にレックスが笑う。結界を抜けた先は闇夜にも似た月明かりに照らされた空間で、先程外から見えていた光景で一緒なのは石畳で舗装された道だけだった。というわけでそんな空間に続々と入ってくるわけであるが、そんな光景はやはり見られていたらしい。
『これはこれは……またなんとも大勢で来たものじゃ』
「聖獣様。申し訳ありません、大勢でお仕掛けまして」
『良い良い。この地に客がぎょうさん来るのは妾も嬉しい。あれらも喜ぶじゃろう。早う来い。いつもの場所で待っておるぞ』
道の先から響いたのは、女性の声だ。そしてその声に頭を下げたレックスに対して、女性の声は続けて上機嫌に来客を歓迎している様子だった。そうして、一同はそんな声のする方へ向けて再び出発するのだった。
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