第2911話 闇の中で蠢く者編 ――2戦目?――
冒険部に持ち込まれた冬前最後となりそうな大きな依頼。それはミナド村を含めたマクダウェル領北部の穀倉地帯などから食料を確保し、皇都に輸送するというものであった。
これを逃すと下手をすると年明けまで顔を見せる事が出来ないかもしれない、とソラに気を利かせたカイトは彼を中心として遠征隊を組織させる事にすると、自身はいつもの様に空いた時間を利用して受け手の居ない依頼の攻略に乗り出していた。
というわけで、今回はマクシミリアン領から流れてきた依頼を中心に請け負う事になった彼は一路マクシミリアン領へ渡ったわけであるが、そこで彼は今まで喧嘩を売りまくった事があり殺し屋ギルドから刺客を差し向けられる事になってしまう。
そうして刺客の第一弾となる少年と若い男を難なく捕縛した彼は、次なる依頼の攻略のため彼は薬草の群生地に野営地を設営して一泊する事になっていた。
「ふぃー……あー……やっぱ風呂は気持ち良いなぁ……特に今の時期は寒いからなぁ」
腕利きの殺し屋に狙われている最中にも関わらず、カイトはまるでいつもの様にお風呂に入ってのんびりとしていた。というより、彼にとって狙われている状況というのは冒険者時代から日常茶飯事だったのだ。
何だったら大国――具体的には王国時代のラエリア――から高額の指名手配をされていた事さえある彼にとって、たかだか殺し屋ギルドに狙われている状況なぞ殊更の警戒に値しなかった。
「にしても……ユリィのメモにあった『紅水仙』をお風呂に浮かべると良いよ、というメモ……これ、確かに良いな。思った以上に良い匂いがするし、身体も温まってる感じがする。簡易な薬草風呂、って所か……いや、簡易って言ったら豪華だろ、ってツッコミ入れられそうだけど」
『紅水仙』は珍しくはないが、群生地が危険地帯にある事からあまり確保されない薬草だ。なのでカイトが今やっている事は見様によってはかなりの贅沢と言えるだろう。
が、彼が今居る場所はそんな『紅水仙』の群生地だ。依頼の分は確保したし、それを含めても植生に影響が出るほどは風呂に浮かべていない。贅沢にはならないギリギリな範囲だろう。
「それに……うん。『紅水仙』の色味がお湯に染み出して、若干赤み掛かるのは洒落てて良いな。そういや最近薬草風呂はあまりやってないな……なんでだっけ……あ」
なぜ薬草風呂はあまりやってなかったんだっけ。それを思い出そうとしたカイトは三百年前にあった騒動を思い出し、大慌てで首を振る。
「はぁ……要らん事思い出したわ……あー……」
せっかくのんびり出来てたのに、一気にやる気なくなった。カイトはどこか胡乱げな様子で湯船に喉元あたりまで身体を沈める。
「……はぁ……あー……良い星空だ……」
気怠げに湯船に浸かるカイトであったが、ぼけっと星空を見上げる。今更言うまでもないが、彼が居る場所は危険地帯。魔物の巣窟のど真ん中だ。
なので周囲を照らすのは月明かりと星明かり。そして彼が一応置いているLEDのランタン――魔物を触発しない様に魔道具ではなく地球製のランタンを使用している――だけだ。そのランタンも光量は最小限に抑えているため、満天の星空を拝む事が出来ていた。
「ふぅ……で、どうすんのかねぇ、あれ……」
気付かれていないと思ってるのだろうか。カイトは自身を見る殺し屋の刺客の影に、ぼけっとそんな事を呟いた。湯船に浸かっているからか、相当どうでも良さげな様子だった。そして事実、どうでも良くなっていた。
「はぁ……」
こいつは相当な臆病者だが、それ故にこそ刺客として選ばれるほどの達成率の高さなのだろうな。カイトは今回の殺し屋ギルドからの刺客の中でもある意味では相当に異質な刺客なのだろうとこの刺客に対して思う。
(相当昔からオレを張ってたのはこいつか……オレを甘く見て……は居ないんだろう。流石にオレが勇者カイトだとまでは思ってないか。いや、当然か)
多分今回の刺客の中で一番自身を警戒しているのはこいつだろう。カイトは自身を見る刺客の視線を完全に無視しながら、そう思う。
(ある意味では真っ当な殺し屋だ。ターゲットの情報を集めに集め、それで暗殺に臨む。昼前の二人とは真逆だな)
先に襲撃を仕掛けてきた二人組はターゲットの情報なぞどうでも良く、特に若い男に関しては殺せるなら誰でも、それこそ老若男女関係無いというような手合だった。
が、そんなものは気が狂っているからこそ出来る事だ。こちらの刺客は相当昔からカイトが狙われる事を理解し、情報収集していた事が察せられた。
(さて……そうなると仕掛けてくるのは風呂に入ってる最中と思うが……いや、オレを見ていればこそ仕掛けては来ないな)
これはなかなかに面白い展開になりそうかもしれんな。カイトは湯船に口元まで浸かって、その中で楽しげにほくそ笑む。その様子はどこからどう見ても風呂好きが珍しい風呂を楽しんでいる様子でしかなく、気にもされないだろう。
(どのタイミングで来るかなー……オレに仕掛けるのは相当難儀だぞ?)
なにせ魔力で武器を編めるんだから。カイトはおそらくこの刺客にとって今までで一番の難敵となっているだろう事を想像し、自分ならどのタイミングで仕掛けるだろうかとシミュレーションしてみる。
存外カイトもこういう事でもなければ自分自身をターゲットとして仕掛ける想定はしない。なのでその意味でも楽しんでいた。
(オレならどうするかな……食う、寝る、ヤる……殺し屋が仕掛けてきている事がわかっているならこの三つのタイミングが警戒されるのは常識。なら本来は風呂場を狙うのが一番だが)
当たり前だが、風呂場では素っ裸になる。本気で警戒している貴族などは風呂場でも防具を身に着けていたり、そもそも風呂に入らないという手を取ったりする。
が、流石にそれは相当に防具に負担が掛かるし、勿論風呂に入っても気分転換にはまずならない。カイトはしないし、事実今していない。なら狙うべきは今だが、ここで問題となるのは彼が魔力で武器を編めてしまうという点だった。
(下手に姿を現せば、もしくは攻撃の兆候を出してしまえば即座に迎撃される。オレは素っ裸でさえ完全武装のようなもの……いや、今更だが本当にこの力チートじみてるな……)
何百万人に、下手をすると何千万人に一人の確率でしか持ち得ない才能。かつてティナが自身に語ったありとあらゆる物を魔力で編めてしまう力を思い返し、彼女が是が非でも鍛えさせた事に改めて感服する。
(こんな力、常日頃狙われる為政者からしてみれば喉から手が出るほど欲しい力だ。そりゃ鍛えさせるわな……で、マジでどうやって攻めよう)
これが武芸者や先の様に気が狂っている連中なら真正面から切り込むんだが。カイトは今回の想定ではそれは無しとしているため、ならばどうするべきだろうかと改めて考える。
だが考えれば考えるほど、この魔力で武器を編めるという手段はチートじみていた。カイトほどの猛者から武器を奪えないのだ。これほどまでに怖い相手は居なかった。
(……いや、マジで正面からしかないか……? 魔術による遠距離攻撃……魔導書で防がれるし、何よりチャージしてる間に気付かれておしまい。なら近接戦……風呂に入って様が近付いて気付かれないほど近接主体の戦士は甘くはない。そして気付かれた時点で魔術で武器防具を整えられて真正面から……いや、マジでどうやったらオレを暗殺出来るんだ? 寝てる所を……つってもオレ今回飛空艇だしなぁ……)
今回カイトが飛空艇を持ち出したのはそもそも野営の必要があるからだ。なので寝る時には一通り外に出した道具を引っ込めて飛空艇を上に移動させる。
こうなると飛空術に長けていないとそもそも手は出せないだろうし、よしんば飛空術が使えてもカイトが個人で保有する飛空艇の来歴などはこの刺客もわかっているだろう。忍び込む事が難しいと判断するのは容易だ。というわけで、カイトは自分自身で自分自身の攻略方法を考えて、最終的な結論を出した・
(……詰んでね、これ。やるんなら一番手を取るしかないが……もう馬鹿が暴走した後だしなぁ)
この刺客の大前提はすでに襲撃をウケているカイトは警戒態勢にあるという状況だ。その状況でどう足掻いても武器は奪えず、遠近両方に対応可能な戦士に暗殺を試みなければならないのだ。
しかも寝込みを襲う事も不可能。食事は彼自身が用意するので、毒物の混入も不可能と来る。そもそもソロで旅をしている状況の食事に毒を混入させる事が不可能だ。考えれば考えるほど、暗殺は不可能にしか思えなかった。
と、そんな結論を下した事でカイトは思考を切り替え再び刺客について注目する事にするのであるが、そこで彼は何故か視線が感じられない事に気がついた。
「……あれ?」
「……閣下。おくつろぎの所、申し訳ありません。少々よろしいですか?」
「おう。どうした?」
「……外で女が気絶しておりましたが……如何いたしますか?」
「……え?」
なんで。カイトは刺客達には気付かれない様に自身に付き従う従者の言葉に困惑を露わにする。これに、思考の海に沈んでいて気付かなかったカイトに対して常時刺客を監視していた従者が報告した。
「どうやら閣下の暗殺の方法を考えていた様子ですが……その、無理だと理解した様子で。おそらく何十何百何千とシミュレーションを行っていたのでしょうが……その。どのパターンでも無理となりプレッシャーに耐えかねたのではと」
「えー……」
いや、オレ自身がオレ自身の暗殺は不可能じゃないかと結論付けた所だったんだが。カイトはそれでもその結論に到達した事により自滅した暗殺者に、思わず唖然となる。が、これには従者は少しだけ哀れみの様子――勿論刺客に対して――を浮かべていた。
「いえ……失礼ですが、閣下。流石に閣下の暗殺を行えというのはその……我らからも無理としか。職務上、我らも閣下の暗殺に関しては何百のパターンを想定し対策を構築しております。ですが、その……どれもこれも最終的には閣下をそれで殺せるのか、という疑問が出てしまいますので」
「いや、まぁ……お前らはそれはそうだろうけどさ」
もし勇者カイトを前提として暗殺計画を構築する場合、もうそれは考えるだけ無駄というしかない。大精霊達の庇護に加えて、一対一であればぶっちぎりで世界最強の存在。しかも武器を魔力で編めるため武器を奪う事も出来ないという条件までつきまとう。一対一でまずこの有様だ。
それに加えて最高級の『エリクシル』や『霊薬』まで常備するため、毒殺は通用しない。リーシャにミースの存在もある。これで暗殺者ギルドまで密かに彼を守るため、人質を取る作戦も現実的ではない。
勿論、三百年前ならルクスら最強クラスの戦士達と飛空艇船団。今なら大陸どころかエネフィア最強と名高いマクダウェル家の武力・技術力共に抜かり無い陣営だ。何をどうしても暗殺なぞ不可能なのだ。
「でもそいつ……そこまで情報は無いだろ」
「それはそうですが……ですが我らも想定する場合、一旦閣下が閣下であるという前提を抜いて作戦を構築します。そうせねば先の通り、どのパターンも閣下である時点で不可能と結論が出てしまいますので。閣下が戻られてからはランクSの冒険者として想定も行いましたが……その、まぁ」
「あ、そう……」
とどのつまりその想定にしても暗殺は無理と結論付けられたらしい。かなり言い難い様子の従者に、カイトは呆気にとられながらもそれを受け入れるしか出来なかった。とはいえ、ただ受け入れるのではおべんちゃらに付き合っている可能性もある。一応聞いておく事にする。
「一応聞いておくけど、どうして無理と判断されたんだ?」
「遠距離は魔導書の自動防御で防がれて、即座に迎撃態勢を整えられます。では近接戦はというと、<<転>>なる不可思議な技がある。閣下を仕留められる距離にたどり着くまでに閣下の対応が間に合わないとは到底考えられません」
「あ……そういえばそれもあったか」
カイトはあまりに自然にしていたので完全に失念していたが、実は彼はある程度<<転>>を使って生活している。これは一つには鍛錬の意味があるが、もう一つにはこういった暗殺を警戒しての事もあった。
無論<<転>>の常時使用は彼をして耐えられないので完全に常時というわけではないが、こういった暗殺が警戒される状況では常時使っている事は事実だった。というわけで、カイトは改めて自身の暗殺は無理と納得。ため息を吐いて苦笑する。
「なるほど……<<転>>まで含めれば考えれば考えるほどオレの暗殺は無理か」
「は……見た所この女。正面からでも悪くない腕でしょうが……自身に自信が無い様子でした」
「で、自滅したと」
「かと」
「やれやれ……戦わずして勝利するのが本当の強者というと聞くが。これはそう言えるのかねぇ……」
戦っていたとて勝った事は間違いなかったのだろうが、カイトはあまりの事態に首を振るしか出来なかった。というわけで、殺し屋ギルドの刺客の第二弾は戦う事さえなく終わりを迎える事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




