第2861話 企業暗闘編 ――その後――
かつて天桜学園として開発に協力したヘッドセット型通信機とスマホ型通信機。この二つの開発により天桜学園では強固な地盤を手に入れる事に成功するも、その代償として幾らかの企業からの恨みを買う事となる。
その企業の一つにして皇国でも有数の大企業である皇都通信との間で諍いが起きてしまっていたのであるが、カイトの尽力により天桜学園という組織を逆恨みしていた経営者は逮捕。それに協力していた皇都のギルドは手を引く結果となっていた。
というわけで皇都通信と皇都のギルドという後ろ盾を失ったマクダウェル領内の敵対者達は軒並み勢いを失い、ある者は捕らえられある者は処分が言い渡されとしていた。そして今もまた、グリント商会内部での内通者に対して処分が言い渡されていた。
「以上が結論となります。異論は?」
「っ……」
この状況で異論を挟むという事は即ち自殺行為にも等しい。ダビドの冷酷さを伴う声音を聞きながら、グリント商会で内通していた30代の男は顔を顰める。そして言い返せぬ彼に、他の経営者達が口を挟む。
「ふむ……ご当主。甘いのではないか? ここまでの事をしでかし、マクダウェル家まで動いていたというのだ。まぁ、責任を取らせるのは当然だが、損害賠償請求の一つでもせねば我々としても立場がある」
「そうでなくてもこの噂を沈静化させるのに費やした費用は決して安くはない。最低限それは負担させるべきだろう」
「無論、それについては負担させるつもりです。が、それにしたって大した額にはならない」
誰もがわかっていた流れだし、こうなるだろうという結論に関しては事前におおよそ通達が流れていた。なのでこの一族の会合はあくまでも見せかけ。きちんと会議の上で処分をしたぞ、というポーズだ。
今しがた出された通告は当主としてのもの。一族としての決定はまた別にあった。それをこれから決めるのであった。というわけでグリント商会のやり取りを見ていたカイトであるが、そんな彼に唐突に水が向けられる。
「天音さん。貴方はこれで良いのですか?」
「異論……ですか。損害賠償云々に関しては私が関与するべき事ではないので横にしてですが……その上で言えば野放しにされる方が困りますが」
「ふむ……」
「確かに野放しというのも申し訳が立たんか」
ここでのカイトの役割はあくまでもマクダウェル家への報告役と、この会合における飼い殺しのダメ押しを行う事だ。甘いではなく飼い殺しという屈辱的な立場を受け入れさせる。そして認めさせる事が彼の役割だった。
というわけで、彼の提案を受ける形でグリント商会の経営者達が意見を交わし合うわけであるが、その一方のカイトはこれでお役御免だった。
「ふぅ……」
『暇そうね』
『暇は暇だ。オレの役目は終わったからな』
今回の当事者の一人として場に同席する事になったエルーシャの念話――ただし魔糸を使ってだが――に、カイトは内心で肩を竦める。このためだけに数日掛けてはるばるやってきたのだ。たった数分で終わればこうもなる。
『そういえば……少し気になってたのだけど。少し良い?』
『なんだ?』
『お祖父様……あぁ、この場だとグランお祖父様と貴方って知り合いなの? なんか妙に親しげだったけど』
『ダグラス家の先代か……いや、知らないはずなんだがなぁ……』
確かにそれはオレも少し気になっていた。カイトは挨拶の瞬間少しだけ緩んだ頬に僅かな訝しみを感じていたようだ。とはいえ、思い当たる節がないわけではなかったらしい。
『とはいえ……ダグラス家だ。オレもどこかの夜会で会っていても不思議はない。無いが……うーん……』
『どうしたの?』
『流石にダグラス家の先代と会っていたら覚えてると思うんだ。ダグラス家はマクダウェル領でも有数のホテル会社だ。他領地も含めれば支店の数は十や二十じゃない』
『そうね』
それでも忘れている可能性は記憶を補助する魔術を使っているカイトにとってよほどどうでも良かったとしか思えないのだが、ダグラス家の先代との会合をそんなどうでも良いと処理するとはとても思えなかった。
『ちょっと記憶を辿ってみる。流石にダグラス家の先代との間で会合を得ていて忘れましたは笑い事じゃない』
『そう……まぁ、貴方の仕事はもう終わったようなものだし。私も興味はないし』
どうせこんなものは見せしめ程度の意味しかないのだ。すでに反論の余地もなく、反抗する力も残されていない男を放置して繰り広げられる処罰の議論はあまりにも無情だが、逆に言えばこうなると知らしめる意味では恐ろしいほどに効果的と言えるだろう。誰しも、こうはなりたくないからだ。というわけで、カイトは興味のない議論から思考を切り離し、ダグラス家の先代との会合を思い出す事にするのだった。
さてグリント家の会合が始まってから一時間ほど。結論に関しては今更言うほどの事でもない。そしてカイトとしても先に通知された通りの結論になっていたので、特に驚く必要も異論を挟む必要もなかった。
というわけで、処罰が決定した後。家人達の大半が出ていった後も彼の興味というか意識はもっぱらダグラス家の先代に注がれていた。そんな彼の様子を見て、会合の部屋を後にした所でエルーシャが口を開く。
「……お祖父様。少し良いですか?」
「何かね」
「お祖父様とカイト……天音さんはどこでお会いに?」
カイトほどの人物がこれだけ考えてもわからないのだ。エルーシャとしても少し興味が湧いたらしい。というわけでカイトとしては渡りに船の問いかけに対して、グラントリーは笑った。
「一度だけ、マクダウェル領マクスウェルで会った事がある」
「マクスウェルで?」
「……失礼。ダグラスさん……そう言われていよいよわからなくなった。本当にお会いしましたか?」
それなら私も居たのかもしれない。そんな様子を見せたエルーシャに対して、カイトはいよいよわからなくなってしまったらしい。降参するような様子で問いかける。
「ええ。一度だけ……といってもたったの一分二分でしたが」
「いえ、それだけあれば十分過ぎるでしょう……ん?」
なにかがおかしい。カイトは柔和に笑うグラントリーの様子に違和感を感じ、僅かに動きを止める。そんな彼に、グラントリーが笑った。
「ええ。十分でした。私が覚えているには」
「そ、そういう……」
それはわからない。違和感の原因を理解したカイトはようやく、グラントリーがどこで自分と出会っていたかを理解する。そして同時に浮かんだのは苦笑だった。
「それならそうと仰って頂ければよかったのに」
「そうも言えないでしょう?」
「確かに」
あの場で言われていれば口止めに大変な労力を費やす事になっただろう。カイトはグラントリーの言外の言葉に納得するように同意する。そんなふうに笑い合う二人に、エルーシャが問いかけた。
「どういうことですか?」
「この世にはまだまだ面白い事や想像も出来ない事が溢れている、という事だ。エルーシャ。存分に世界を学びなさい。本当はお説教の一つでもするかとここに来たが……こればかりはその生き方だからこそ得られたものだろう。それを楽しんだ私がここで説教をしてしまっては自分を棚に上げる事になる」
「え、あ、はぁ……」
何故か楽しげに笑う祖父に、エルーシャは多大な困惑を露わにする。とはいえ、彼女としてもこの堅物の祖父がこうして自分の好き勝手を認めてくれるのならこれ以上突っ込むつもりはない。
というより、下手に突っ込んでお説教を食らうのはまっぴらごめんなのだ。そうしてそんな事を語ったグラントリーに、カイトは一つ頭を下げた。
「そうですね……では、また。今度は何時かのタイミングでゆっくりとお話できれば」
「そうですね。ぜひとも、貴方の話をゆっくりと聞いてみたいものだ」
なにせかつて憧れた伝説の勇者の話だ。童心に帰るには良いだろう。グラントリーは僅かに過日のように目を輝かせる。そうしてカイトはこれ以上話して下手にバレる要因を作るわけにも、とその場を後にしてエルーシャも祖父が上機嫌の間にとそれに続くのだった。
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