第2817話 黄昏の森編 ――狙撃――
賢者ブロンザイトの葬儀を取り仕切ったことを受け、彼の実弟にしてラリマー王国なる中小国の重鎮であるクロサイトの訪問を受けたカイト。そんな彼はサリアの思惑を受けて、ラリマー王国のお家騒動に巻き込まれることになってしまう。
それは王位継承に纏わる騒動で、犯罪組織をバックに付けた第二王子がクロサイトを狙うというものであった。というわけで、犯罪組織の財源の一つである魔道具の違法製造を行う『工場』の壊滅のためカイトはマクダウェル領からラリマー王国の帰り道の護衛としてソラとトリンを送り込んだわけであるが、そんなソラは要所要所で警戒を繰り広げながら、空いた時間では魔術の勉強を進めていた。
「うーん……」
やはり入門者向けの教本だ。魔術の基本のきの字さえなかったソラでもわかるように非常に親切に記載されており、しかも厚みもそれほどではないのだ。これを執筆した執筆者の腕がわかろうものであった。
(複数の魔術を同時に使う場合、思考回路を如何に分割するかに掛かっているか……ぶっちゃけ、そんなのして大丈夫なのかよ、って思うけど……)
実際大丈夫じゃないんだろうけど、それを如何に上手く、そして効率的に成功させるかってのが魔術師の腕の見せ所みたいな所なんだろうな。ソラは教本に掛かれている内容を咀嚼しながら、そんなことを思う。
わかろうものであるが、人間に限らず生命体は複数のことをそう幾つも同時にこなせるようには出来ていない。それは魔術でも変わらない。一つの思考で同時に構築出来る魔術の数はせいぜい一つか二つ。並外れた才能を持つ者でも三つ四つが限度だ。それ以上をやろうとすると、思考回路を幾つも増殖して処理出来る数を何倍にも増やすしかなかった。
(てか今更だけどティナちゃんが天才天才って言われるの、わかる気がするなぁ……)
エネフィア最高の魔術師の一角であるティナはこの思考回路を増やすことに対しても並外れた才覚を有していた。ソラは魔術の基礎を見直すことで改めてそれを認識したようだ。というわけで感心したように教本を読み込んでいく彼であるが、最終的にはこの結論に到達する。
(……流石に今の俺に何個も何個も思考回路を分割するってのは無理だよな。てかその必要は……無いよなぁ)
思考回路の分割・増殖はあくまでも複数の魔術を使うためのものだ。なので何個も何個も魔術を使わないのであれば、やる必要はなかった。その点前線で敵の注目を集めて味方を守る役目であるソラは現状攻撃に主軸を置くつもりはなく、あくまでもどうすればそれが出来ているか、の理解にとどめたらしい。
(ってことは……やっぱ暫くは地脈と龍脈やらの効率的な利用を考えるべきだな。そこを効率的に使えるようになれば、攻撃力と持久力の増大が望める。俺の場合は上手くやれば防御力も……あれ? そういえば……『地母儀典』って攻撃しかないのか……?)
色々と考えている内に、ソラは今まで自分が『地母儀典』の攻撃面にばかり目を取られ、防御面に対して何が出来るか知ろうともしていなかったことに気が付いた。
まぁ、そもそも彼が『地母儀典』を手にしたのは自身の攻撃面での手数の薄さを感じてのことなので仕方がないことではあっただろう。とはいえ、気づいた以上は調べるのが今の彼の仕事のようなものだ。なので彼は『地母儀典』を手に取った。
「えっと……」
魔導書の解析というのは一筋縄ではいかない。先にソラが見た時もそうだったが、魔導書は誰でも読めるようには作られていない。それこそ魔導書が持ち主を認めたなら全てを最初から読めるようにしてくれるが、ソラのように未熟者だと思われると読むにも一苦労だった。
(えっと……防御用の魔術に関する記載は……どうやって調べれば良いんだ? 未だにわかんねぇ……)
前のページから順繰りに読み進めていたソラであったが、どうすれば特定の用途の魔術を探せるかはまだわかっていなかった。
「とりあえず目次の解読進めた方が良いか……はぁ。結局それなんだよなぁ……」
魔導書の解読はどうやるかというと、文字化けさせている魔術を解読して元の記載を復元するという作業をひたすらに繰り返すのだ。が、ここで魔導書の意地の悪さが出てくるという所であるが、その魔術は一つとは限らない。
『地母儀典』のように1ページだけでも何個も別の魔術が使われていることもあり、『地母儀典』は目次に関してはまるでそう簡単には教えないぞ、とばかりに何十もの別種の魔術を使っていたのである。というわけで今まで目を逸していた目次の解読を始めようとしたちょうどその時。トリンが彼へと声をかける。
「ソラ。勉強中の所悪いけど、そろそろ時間だよ」
「っと……今どのあたりだ?」
「今はちょうどこのあたりを通過した所かな……これからおよそ十分後に警戒区域に入る」
ソラの問いかけにトリンは地図を使って説明する。この地図はカイトが用意したもので、ラリマー王国までの航路とその間に存在する狙撃ポイントが描かれていた。
「今回のはあんまり優先度高くないやつ……なんだよな?」
「そうだね。狙撃は可能だけど、街が比較的近いからね」
「そっか」
となるとやっぱりここでは狙撃されそうにないかな。ソラは警戒区域からほど近い所にあるという街を見ながら、少しだけ安堵する。これは当たり前だが、街の近くで巨大な魔力を感じれば街に滞在している冒険者がそれに気付かないはずがない。そしてソラ達がそれを利用しないわけもない。彼らが介入してくるのは当然だが犯罪組織の者たちも面倒この上ないだろう。それを考慮して、優先順位はかなり下の方とされていた。
「ま、でもだからといって油断するわけにもいかないよな」
「そうだね。警戒にこしたことはないし、こっちの油断を逆手に取られると厄介だ。十分に警戒しておこう」
一瞬だけ肩の力を抜きかけたソラが改めて気を引き締めたのを見て、トリンもまた一つ頷いて気を引き締める。そうして、それから十数分の間二人は狙撃が可能なエリアを抜けるまでの間クロサイトの護衛に務めることになるのだった。
さてそんなこんなでソラは空いた時間で『地母儀典』の解読や魔術の基礎の復習、魔術の応用の勉強とひたすらに繰り返していたわけであるが、そんなことをしていればあっという間に時間は過ぎ去っていった。というわけでマクスウェルを出発して二日と数時間。昼を回った頃のことだ。最も狙撃が警戒される区域に近付いていて、二人もそれに向けて入念に準備を進めていた。
「うっし。飯しっかり食った。魔力も十分……トリン。速度は?」
「今のところは、規定通りの速度だよ。ただここから、だろうね」
おそらくこの飛空艇にも何人も敵側のスパイが潜り込んでいるだろう。ソラもトリンもそう考えており、今はまだ何もされていないだけでここから先がどうかは未知数と踏んでいた。
「とりあえず速度は上げられそうだけど……どれぐらいから上げると思う?」
「多分十分ぐらい前……僕らが気付くか気付かないか微妙なラインからだろうね。後、初日に教えたと思うけど、魔導炉の出力はかなり高めにされると思う。その点にはしっかり注意して」
「おう……確か魔導炉を餌にするつもり、なんだったよな?」
「うん。魔物に襲わせるためにね」
先にトリンから語られていたが、今回差し掛かる警戒区域は強大な魔物が周囲を徘徊している。なので魔導炉の出力を下げる必要があり、必然的に高度と速度を落とす必要があった。
が、魔導炉の出力を上げてしまえばそれを餌として使えるのであった。とはいえ、そうなると当然だがランクA冒険者であるソラにもわかるはずで、それを目印に警戒に移ることは不可能ではなかった。
「とりあえずこれから一時間。君は僕と一緒に行動すること……もし妨害が入っても僕が間に入れるからね」
「おう……そういえばカイトから渡された物資の中に高度計あったよな?」
「あるね。それも要注意だ。もし狙撃より魔物に襲わせる方に力点を置く場合は高度を下げないという択もある。狙撃はその分難しくなっちゃうけどね」
ソラの問いかけを受けて、トリンはカイトが密かに用意させていた速度計と高度計を見せる。このどちらも先の改修時に密かに艦橋のシステムとリンクするように改造させていたのだ。
「そっちは頼む。俺は魔力とか肌身に感じる方を警戒する」
「うん」
それで良いと思う。ソラの提案にトリンは一つ頷いた。そうして暫く。二人はクロサイトの近辺で待機しながら、警戒区域が近付くのを待つ。そしてどうやら、ここが一番狙撃が警戒される区域であることはクロサイトもわかっていたらしい。
「やはり、ここかのう」
「あ……すいません。わかりました?」
「ははは。何、兄とは違い儂は要人として遇されることが多かった。警戒が強まればわかる程度にはのう」
やはり賢者と呼ばれながらも各地を放浪していたブロンザイトとは違い、クロサイトはラリマー王国の重鎮として常に要人警護をされていた。なのでソラ達が強く警戒していることが見て取れたようだ。この点はやはり要人警護の経験値がソラには足りていなかった、という所であった。というわけで、ソラはバレてしまっては仕方がないと告げる。
「そうですか……ええ。やっぱりカイトもトリンもこっから先が一番危険って思ってるみたいで」
「あはは……」
「そうじゃな。この先が一番危険じゃろう。うむ。お主らにすべて任せるが故、しっかり頼む」
「「はい」」
クロサイトの言葉に、ソラもトリンも改めて気を引き締める。そうして更に過ぎること数分。ソラがわずかにはっとなる。
「っ……トリン」
「了解……クロサイトさん」
「やはりか」
敵が仕掛けてきた。三人は想定された事態と気を引き締める。どうやら敵側もこちらが気付いてくるだろう。警戒しているだろうとわかっていたようだ。無意味な妨害はせず、戦力を集中することにしたらしい。喋りかけたりして意識を逸らすなどの妨害行為は一切なかった。
「クロサイトさん。何かにしっかり掴まっていてください。トリン、速度は?」
「変わらない。多分向こうもこっちが警戒してくることを理解して、やる意味はないと思ってる……もしくは餌はゆっくりになった方がやりやすいと考えてるのかも」
「ご尤もで」
もう数分も余裕はないだろう。そんな僅かな時間でソラは少しだけ獰猛に笑った。そうして、更に数分。警戒区域に差し掛かると同時に、ソラは強大な魔力がほとばしるのを感じ取る。
「来るぞ!」
「「っ」」
ソラの声掛けと同時に、トリンとクロサイトは固定されている机をしっかりと掴む。そうして、その直後。飛空艇目掛けて遥か彼方から一条の巨大な光条が迸り、ソラ達の乗る飛空艇は飛翔機をやられて一気に高度を下げていくのだった。
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