第2792話 黄昏の森編 ――見直し――
賢者ブロンザイトの葬儀を手配した事を受けて、ラリマー王国の重鎮にしてブロンザイトの実弟であるクロサイトからの訪問を受けていたカイト。そんな彼はクロサイトと共にブロンザイトの昔話や様々な事を話し合っていたのであるが、それもある程度の所で切り上げる事になっていた。というわけで、カイトの傍で給仕を取り仕切っていた椿がカイトに声を掛けた。
「御主人様……そろそろお時間の方が」
「あっと……クロサイト殿。改めて、本日はよくお越し下さいました。数日の間、ゆっくりお休み下さい。申し訳ないのですが、私は仕事の関係でこちらに居る事が少ないのですが……何か御用がありましたら、何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます」
一応公的な話としてはクロサイトはマクダウェル家に実兄であるブロンザイトの葬儀の手配に対する礼をすると共に、ここ暫く立て続けに起きていたゴタゴタや今回の長旅で蓄積された疲れを癒やす事になっていた。
ブロンザイトの娘であるマリンとはここで偶然――マリン自身は財界のパーティに出席するためマクスウェル入した体――出会った形にしていた。彼女がブロンザイトの娘であると知られると何が起きるかわからなかったため、一旦はこの形で落ち着いたそうだ。
「椿。カルサさんは? メリアとメルアはそもそも来るも何も無いだろうが……」
「お三方共、すでに応接室に」
「と、いう事だそうですが……」
「重ね重ね、申し訳ありません。姪だけでなく弟まで世話になり……」
「いえ、世話になっているのは我々の方です。お気になさらず」
実兄に加えて実弟までカイトの世話になっていた事に頭を下げたクロサイトに、カイトが笑って首を振る。そうして首を振った彼はすぐに気を取り直す。
「まぁ、カルサさんとも久しくお会いになられていなかったでしょう。前の時はそのような時間もなかったでしょうし……マリンさんが来られるにはまだ暫く時間があります。積もる話もあるでしょうから、彼に会ってあげてください」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせて頂きます」
カイトの促しにクロサイトは素直に従う事にしたらしい。応接室を後にして、クロサイトの待つまた別の応接室に向かう事にする。そうしてクロサイトが去った後、カイトは一つため息を吐いた。
「ふぅ……」
「お疲れ様です」
「ああ、ありがとう……もうそろそろ空港にマリンさんが来られるはずだ。馬車の手配等は?」
「すでに到着しているとの事です。また先程ソラさん達もご到着されたそうです」
「そうか」
それなら取り敢えず問題なさそうかな。カイトは少し先に現地入りしていたソラとトリンについてそう判断して頷くと、そのまますぐに気を取り直して立ち上がる。
「面倒だが……着替える。流石にこの礼服で会食の場に出るわけにもいかんからな」
「着替えはすでに部屋の方にご用意しております」
「助かる……じゃあ、着替えるとしますかね」
カイトもまた言っているが、彼の着ている服はマクダウェル公爵としての礼服だ。当然何も知らないマリンの前に着ていくわけにはいかなかった。というわけで、彼はこれからの会食に備えて一旦着替えるべくマクダウェル公爵邸にある自室に戻る事にするのだった。
さてマリンを含めての会食となるので自室で着替えに入ったカイトであったが、そんな彼は部屋に入るなり早々に小首を傾げる事になる。
「……ん? この匂いは……ハーブの香り……んー……アルミナさん?」
『上出来よ』
「叩き込まれたんで……」
アルミナの言葉にカイトは僅かに肩を竦める。暗殺者や殺し屋は血の匂いを消すために様々なニオイ消しを使っている。その多くは無香料と言えるほどに薄い匂いしか残らないのであるが、それでも匂いを完全に消す事はできない。なので違和感が無い程度には匂いを付けられていたのである。
「でもどうしたんだ? これ、何時ものフレグランスじゃないよな? まさか仕事?」
「ああ、ごめんなさいね。そういうわけじゃないわ。単に試しただけ」
訝しげなカイトの問いかけにアルミナは彼の背後に姿を現して笑う。どうやら単純にこの極微量なハーブの香りに気付かないならちょっとしたいたずらでもしてやろう、という魂胆だったようだ。そんな彼女は一転して小瓶を弄びながらカイトに問いかける。
「でもよく気付いたわね。ちょっと今回の配合は少し自信があったのだけど」
「アルミナさんかどうかは若干勘だった。でも部屋の匂いが変わったのは気付いたから、現状で誰が匂いを変えるだろうか、と考えて二択になった。で、結論アルミナさん」
「二択の選択肢の理由は?」
「もう一方は掃除された時に芳香剤が変わったパターン。でもその場合、小瓶が変わってるはずだからな。で、小瓶が変わってたら掃除の子か椿が変えたか、と思ったが……どうにもその様子はなかった」
カイトは目立たない様に置かれている芳香剤を見る。別にカイトとしては部屋に芳香剤を置かなくても良いか、と思っているのであるが色々と人を招く事もある関係で置かざるを得なかったのだ。
「なるほど。違和感を生まない様に小瓶は変えなかったけど、逆にそれが一助になってしまったわけ」
「そういうこと。といっても、もし本気でやるなら部屋の掃除まがいな事をやって小瓶を変えるだろ」
「そうね……まぁ、今回は面倒だからやらなかったのだけど。手を抜いたのが駄目だった、というわけね」
カイトの返答にアルミナは笑いながら、小瓶を何処かへと収納する。そうして、彼女は本題に入った。
「殺し屋の連中の姿を見掛けたけれど……どうする?」
「死体の処理が容易いなら殺しても良いが……ただ数人は生かして捕らえたいところだな」
「あらあら……リトスちゃん手に入れたのに、まだ欲しいの? お盛んねぇ」
「違うわい……」
別に女として欲しい、と言っているわけではない。カイトはあくまでも情報源として欲しいと言っているのだ。それをわかりながらも冗談を言うアルミナにカイトはただただ肩を落とす。とはいえ、時間も無いのですぐに彼は気を取り直した。
「はぁ。取り敢えずは殺し屋ギルドの情報が欲しい。リトスは幹部の一角だが、大幹部ってわけでもない。ついでにラリマー王国の状況も掴んでおきたいしな」
「それはそうね……何人か情報知ってそうなの、捕まえておく?」
「いや、目印付けておいてくれるだけで良いよ。下手に先手打っちまって別の増援が来て、ってのは面倒だしな」
アルミナの問いかけに対して、カイトは一つ首を振る。ここで更に増えられても面倒になるだけだ。そして彼とて現状で殺し屋ギルドの壊滅なぞできるわけがないとわかっている。クロサイトとマリンの安全の確保が最優先だった。
「そう……じゃあ、こっちはそのつもりで動くわね」
「ああ……ああ、そうだ。そういえばなんだが……街で裏ギルドの連中か血の気の多い冒険者の集団とかって見たか?」
「いえ、見てないわね。エルーシャちゃんの件?」
「なんで知ってるんだよ……」
アルミナにエルーシャの話をカイトはしていなかった。それにも関わらず把握していた彼女にカイトはただただ呆れるばかりであった。そんな彼に、アルミナが楽しげにうそぶいた。
「ふふ。なんででしょうね」
「おおよそはわかるから良いよ……」
覗きかサリアさんからの情報提供だな。カイトはアルミナの情報源をそう推察する。実際、基本的にはこの二つのどちらかしかない。そしてカイトとしても問い詰めるつもりはなかったのでそのまま流す事にした。
「まぁ、そういうわけで。何かどこぞの馬鹿に喧嘩を売られそうな話になっているみたいでな」
「うーん……でも少し気になると言えば気になるわね。そんな事を考えるかしら」
「む……そう言われれば確かに……」
ヴァディム商会の次男坊は女癖こそ悪いとは聞いているが、学力としては悪くないらしい。カイトはそれを思い出し、そんな馬鹿な事をするほど暗愚なのだろうかと疑問を得る。
「もう少し情報を集めた方が良いかもしれないわね」
「……だな。少し短絡的だったかもしれん」
よくよく考えればこんな事をしようとしてヴァディム商会が黙っているわけがない。カイトは考えれば考えるほどおかしな所が思い当たり、なにかが裏で動いている可能性を考える様になったらしい。というわけで、そんな彼にアルミナも一つ頷いた。
「そうね……でも今回は二つの事件が並列的に起きていたから、仕方がないのかもしれないわね」
「逆だ。これを隠れ蓑になにかを企まれたら困る。二つの案件を同時にこなすぐらいの知力は欲しい」
「そうね。頑張りなさい……暫くは私達もフォローしてあげるわ」
「助かる」
アルミナの助力への明言に、カイトは一つ頭を下げる。というわけで、彼はエルーシャの一件に関しても片手間仕事ではなくしっかりと取り掛かる事にしながらも、一旦は目の前の仕事に取り掛かるべく手早く着替えを済ませるのだった。
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