第2782話 黄昏の森編 ――公爵邸――
老紳士クラルテの墓参りを終えてマクスウェルに戻ってきたカイト。彼を待っていたのは何時も通りのギルドマスターとして、冒険者としての日々であった。
そんな中で彼はサリアからの情報でクロサイトが仕えるラリマー王国の現状とそこから来るクロサイトの思惑を察知。利用されている事に些か癪に障る様子ではあったものの、それ以上に彼の手腕の見事さに感服。その思惑に沿って動く事を決める。そうして、明けて翌日。クロサイトの件はあくまでも暗躍なので彼は表向き何時も通りの姿を見せる事になっていた。
「はぁー……」
「こぉー……」
暗躍を開始したは良いが、さりとて戦士としての腕を落とすわけにもいかない。というわけでカイトは今日も今日とて朝からエルーシャと共に気の訓練を行っていた。なお、勿論今日はセレスティアは居ない。
「「良し」」
まるで鏡合わせの様に動きをリンクさせながら、二人は一つ頷く。そうして昨日とは違って練り合わせた気をカイトは右手。エルーシャは左手を掲げる様にして上へと飛ばして、そこで一つの球体を作り上げた。
「「はぁ!」」
二人が同時に挙げた手を振り下ろす。そしてその動きに合わせたかの様に巨大な球体もまた落下していって、大爆発を引き起こした。そうして爆発が収まった後。カイトは一つ息を吐いた。
「ふぅ……」
「はぁ……あー……ほんと私にも良い訓練になるわ」
やはりエルーシャ側もまた自身の技量に合わせられる戦士が居ない事が大きいのだろう。こういった二人居ないと出来ない訓練は彼女自身も出来ていなかったらしく、充実した訓練を行えている様子だった。と、そんな訓練の様子を見ていた瞬が感心したように頷いた。
「ふむ……気か。やはり使えると便利そうだな」
「便利は便利だ。体力回復に役に立つし、持久力の向上にも有益だ」
「ふむ……」
カイトの返答に瞬は意識を集中し、気の流れを掴めないかやってみる。が、当然いくら彼でもそう簡単に出来るものでもないし、それは彼もまたわかっていた。
「やはりわからんな」
「そりゃそうだ。こっちは魔力とは違ってエネフィアでさえ使える者は限られてくる。どっちかっていうと武芸者としての技量が要求されるものでもあるしな」
「そうか……こればかりは一朝一夕に身に付くものでもないか」
いや、何事もそうなのだろうが。瞬はカイトの返答にそう思う。とはいえ、これでも彼が冒険部側では一番筋が良い。後は本当に修練だけだった。というわけでそれからも暫くの間訓練を続けるわけであるが、やはり滅多に無い気の訓練だろう。カイトとしてもそれなりに熱が入っていた。
「ふぅ……良し」
先にエルーシャがした様に気を残存させて分身を編み出し、カイトは自らでそれと戦う。そうして、この日の朝は一日気の修行に費やすのだった。
さて朝の訓練を終えてから少し。カイトはというと当然、執務室に顔を出して書類仕事に精を出していた。と、そんな所に今日も今日とて魔術の勉強をしていたソラが問いかける。
『カイト。今大丈夫か?』
「ん? あ、あぁ……大丈夫だが。通信機使わなくても良いだろうに」
なぜこの距離で通信機。しかもルーファウス達も居ない状況で。そんな困惑を浮かべながら、カイトはソラに応ずる。
『いや……話の内容からこっちのが良いかなって』
「ふーん……クロサイトさんの話か?」
『そう』
こういう場合どういうのがあり得るだろうか。そう考えたカイトの問いかけにソラは一つ頷いた。というわけでそのまま通信機で話をする事にする。
『結局何がどうなってるんだ?』
「どうやらラリマー王国の王位継承問題の絡みらしいな。詳しくは現在調査中だが」
『ラリマー王国の?』
「ああ」
ソラの問いかけに、カイトは先にサリアから提供された情報を掻い摘んで説明する。これに、ソラは神妙な面持ちで頷いた。
『なるほど……それは結構厄介だな』
「ああ……まぁ、人の領地を利用しないで欲しいんだが。そうも言ってられん状況、ってわけなんだろう」
『あはは……あれ?』
「どうした?」
カイトの苦言にも似た言葉に一つ笑ったソラであったが、なにかに気が付いたのか表情が停止する。そうして、そんな彼が問いかける。
『……そういや、クロサイトさんが狙われる道理ってのはわかった。わかったんだけど……何時どのタイミングで狙うんだ? ここ、マクスウェルだろ? 無理じゃね?』
今更言うまでもないが、ここはカイトが治めるマクダウェル領の中でも最も警備が厳重なマクスウェルだ。どうやって襲撃を仕掛けるというのか、素直に興味があったらしい。そしてこれはカイトも正直な所、疑問ではあったようだ。
「それな……確かに少し疑問ではあるんだが……」
『なにかあるのか?』
「まぁ、正直な所を明かすが、絶対に不可能かと言われりゃそうじゃあないんだ。もしそうなら、って所だが」
『お前とティナちゃんでもか?』
カイトは言うまでもなく単体戦闘能力としては最強。ティナは技術力であれば数世代上を行くという大天才だ。そこに人材の豊富さから来る各種の水際対策が行われている。
ここに加えカイトの異世界人だからこその発想の違い等も加わって、マクダウェル領への潜入は一筋縄ではいかないのだ。が、それは決して絶対視して良いものではなかった。
「オレもティナも所詮は人。出来る範囲は限定されるさ……実際、殺し屋ギルドの連中なら入り込む事は不可能ではない、とは聞いてる」
『マジで?』
「つい最近まで殺し屋ギルドでそこそこの地位に居た奴から実際に聞いた話だ。そのうち彼女が使ったって言われたルートを確認してはみたが……」
『上手くいった……か?』
少しどころではない苦味の乗った笑みを浮かべるカイトに、ソラはそのおおよそを理解したようだ。まさかという様子を出していた。そしてこれにカイトは頷いた。
「ああ……残念ながらな。流石にそのルートは潰したが、おそらく複数あるルートの内一つだろう。当人も一番安全だが金が掛かるルートとは言ってたからな。実際、本当にそれをやろうとすると相当な……そうだな。下手をするとお前が<<地母儀典>>を買った値段ぐらいはするルートだった」
『それ検証したのかよ……』
「金の大半は書類の偽装だ。ウチがやってる分には金は掛からねぇよ」
『とどのつまりは旅券の偽装とかってわけか』
「そういうことだな。流石に正規で発行されている旅券やら身分証やらを持ってこられるとどうしようもない」
『なるほど……って、えぇ!? 正規!?』
こういう場合は偽造パスポート等偽造されている物を使うんじゃないんだろうか。そんな観念があり一瞬受け入れかけたソラであったが、少し遅れてカイトの言葉の意味を理解して思わず目を見開く。これにカイトはため息を吐いて頷いた。
「そ。正規だ……まぁ、正規の旅券を不正に発行出来るような国はおおよそ分かるから、後でユニオン経由で潰すが……今すぐになんとかなる話でもない。今回は間に合わんな」
『うわぁ……色々とあるんだなぁ……』
「色々とあるんだよ、この世界にも」
正式に国が発行している書類等を不正発行出来るならなんでもありではないか。そんな様子で僅かに頬を引きつらせるソラにカイトは逆にそこまでショックは受けていなかった。
こんな話は地球でもエネフィアでも一緒だからだ。とはいえ、やはりエネフィア側では彼が対応しなければならないので少しだけ面倒そうな様子があった。
「ただ流石にお前が参加する会食の場に問題はないだろう」
『そ、そうなのか?』
「あれウチだぞ? オレの見知らぬ執事やメイドが居れば一発でわかる」
『……そういや、お前家人全員の顔と名前覚えてるんだっけ……』
「おう。ま、夜にウチの邸内に居るのってウチで寝起きしてる身内だけだ。それを忘れるほどオレも人でなしじゃない」
どこか呆れるような様子のソラの問いかけに対して、カイトは楽しげに笑う。そんな彼に、ソラがふと興味を抱いて問いかけた。
『そういやさ、その区分ってどうなってんだ? なんかよく物語とかだとメイドとかも全員貴族の家に住み込んでるみたいなイメージあるけど』
「ん? ああ、そりゃ貴族次第って所だな。ウチはお好きにどーぞパターン。敷地内に寮もあるから、そっちに住みたいならどうぞ、って感じだな……お前がわかる奴で例を出すとコレットは寮生活だな」
『そうなのか?』
彼女らしいといえば彼女らしいのかもしれないが。ソラはそう思って少し楽しげに笑っていた。が、そんな彼に対してカイトは少しだけ苦い顔だった。
「ああ……秘書室の奴は多いらしいな。これはオレも申し訳なく思うんだが……」
『どういうことだ?』
「どうしてもウチの秘書室って激務だからな。疲れて帰るってのも多くなっちまうそうだ。寮の方が通勤の手間が省けるからな」
『なるほど……確かにマクダウェル公爵家、だもんなぁ……』
世界一の大都市であるマクスウェルを有し、エネフィアでも有数の治安の良さと土地の広さを誇るマクダウェル領の中心たるマクダウェル公爵邸だ。忙しさなぞ察するに余りある。寮の方が良いというのはわからないでもなかった。
『そういや、寮ってことは寮母さんとかが居るのか?』
「いや、流石に学生寮みたいな形じゃない。社員寮……というような感じだな。ある程度自分の事は自分でやってね、って感じ。まぁ、それでもウチが用意してる寮だから食堂とかもあるし、時間によっちゃ公爵邸の食堂も利用出来るし。そこらは好きに」
『かなり住心地良さそうだな……』
この男の事だからそういった労働環境には殊更気を使っていそうだけど。ソラはそう思う。なお、後に彼がコレットに尋ねてみた所、衣食住が完全に整いすぎていて一人暮らしに戻れないと半ば笑いながら嘆いていたそうである。それほどだそうであった。
「まぁ、そんな感じで寮生活をしているのはウチの中心に近い奴ら。逆に通勤してるのは一般業務に取り掛かる……そうだな。公的書類とかを出す時に居る受付とか居るだろ? そういうのが多い」
『あー……』
「ん……それはさておき。そういうわけだから基本夜にウチの邸内に居るのはオレが顔を知ってるし、逆にオレの顔も知ってる。オレが知らないって時点でおかしい」
確かにカイトの言う事は尤もだ。ソラは彼の言葉にそう思う。とはいえ、彼がはっきりと言いきれるには他に理由があったようだ。
「後はまぁ……流石にウチの邸内に入り込もうとすると現状大精霊達が何仕出かすかわからん。あ、それに地下研究室の馬鹿共がふらっと上に上がってきただけで終わるってのもある。勿論、そっちに呼ばれたからって戦闘班の奴らが夜でもうろつく可能性も高い」
『……そりゃどうにもなんねぇな』
間違いなく攻め込むだけ無駄だろう。現状マクダウェル公爵邸にはどんな猛者が居ても不思議はないのだ。勿論、カイトは言及していないがクオンが気まぐれに泊まっている事もある。こうなれば打つ手なしだった。というわけで、ソラはマクダウェル公爵邸の警備の厳重さを改めて理解して、ひとまずは安心しておくのだった。
お読み頂きありがとうございました。




