第2465話 魔術の王国 ――折返し――
魔術都市『サンドラ』。エネフィアでも有数の魔術師達が集まっている都市国家である『サンドラ』に招かれて教導院の体験授業を受けることになったカイト達であるが、そんな彼らは黒衣の集団による襲撃等のトラブルに見舞われながらも、授業に勤しむ事になっていた。
そんな中、第八等に編入される事になった瞬は卒業生達に混じり魔術の勉強をしていたわけであるが、そんな彼は世話役であるルークとの話し合いでソシエール家の有する『神の書』である『心眼の定義』についての話を聞き、また別にクトゥルフ神話についての話をしなどして過ごしていた。
そうして、ルークから『神の書』についての話を聞いて数時間後。その日の放課後、彼は今回の使節団に与えられた部屋にて人がほとんどいなかった事もありティナに問いかける。
「という事があったんだが……ユスティーナ。どんな感じなんだ?」
「ほぅ……真言か。また珍しい魔術を語ったもんじゃな」
話が出たのはソシエール家が家として研究しているという真言だ。ルークの言葉では実践的にはティナしか使えないだろう、という見込みだったのだが、実際のところはどうなのだろうかと気になったらしい。これに、ティナはさも平然と答えた。
「ま、使えるぞ……なんならやってみせようか?」
「出来るのか?」
「余を誰と心得る。天才と呼ばれる者じゃぞ……あまりに難しい改変であれば支度は居るが、さほどでないのなら普通に出来る」
流石は魔帝ユスティーナというところだったらしい。どこか鼻高々という塩梅でティナははっきりと出来ると明言する。これに、瞬は興味があった事もあり見せて貰う事にする。
「頼んで良いか?」
「良かろう……そうじゃのう。何か出して欲しい物はあるか?」
「そうだな……りんごで頼む。丁度ルークとの話で出たんだ」
「良かろう……」
ふぅ。瞬の求めに応じ真言を披露する事になったティナであるが、彼女は一度だけ呼吸を整え意識を集中させる。そうして、数瞬。沈黙が舞い降りたわけであるが、すぐに彼女が口を開いた。
『りんごが机にある』
「っ」
『りんごの銘柄は紅緋玉』
ことん。完全に何も無い空間から唐突にりんごが現れ、更に続くティナの言葉で色味が変化。赤みが増したりんごへと早変わりする。紅緋玉というのはエネフィアで作られているりんごの品種の一つだ。特にマクスウェルの北部でよく作られており、それ故にティナはこれを選んだのだ。
その色は丁度、今改変されたりんごの色とよく似ていた。そうして二言の真言で紅緋玉と呼ばれるりんごを生み出したティナが再度目を閉じて、再び口を開いた。
「……こんなもんじゃな。カイト、剥いとくれー」
「あいあい……うさぎにしとくか?」
「食いにくいから普通で良い……あむ」
しゃくしゃく。カイトが切り分けてくれたりんごを食べさせて貰い、ティナは一つ満足げに頷いた。
「うむ。久方ぶりにやったが、存外上手く出来ておるな。ほれ、食べてみよ」
「ほらよ」
「あ、ああ……む」
完全に紅緋玉だ。瞬はカイトから差し出された爪楊枝に刺さったりんごを食べて驚いた様に目を見開く。色味、食感、味。その全てが完全にマクスウェルで食べたりんごだった。そうして驚きに包まれる彼に、ティナは語る。
「ま、こんな感じで現実を改変してしまうのが真言じゃ。『心眼の定義』はその真言についてを語る魔導書じゃな。真言は神の言葉とも言われる。『神』について記されておっても不思議はないよ」
「見た事があるのか?」
「いや、流石に中身は無い。が、時の当主とは話をした事がある。故に若干じゃが知ってはおるのよ」
そもそもティナはまだ魔王だった時代にこの『サンドラ』に招かれた事があったのだ。なのでその頃にルークの祖先である当代のソシエール家の当主と談義をした事があったらしい。そうしてそれを思い出したのか、少しだけ彼女が教えてくれた。
「当時は……ああ、物静かというか理知的な女性じゃったのう。才覚としてはおそらく今代のソシエール家の当主を上回っておろうて。彼女もこの程度なら容易く出来ておったじゃろ」
「そうだったのか……昔は出来た人は多かったのか?」
「まさか。今も昔も真言は難しい魔術として有名じゃ。当代の当主は一際真言に長けた方じゃった。余も彼女との語らいがあればこそ、ここまで容易く真言を使える様になったと言ってよかろう」
どうやらティナが敬意を表する程度には当時のソシエール家の当主は凄い人物だったらしい。後にルークが語るにもその当時の当主は歴代の当主の中でも相当な才能を有していたとの事であった。
「ま、それは良かろうな。で、『心眼の定義』の『神』は<<人造の神>>か、か。うむ。それについては余が見ておるのではっきりそうじゃと言っておこう」
「というより、あれがソシエールの『心眼の定義』でない事は明白だった」
「そうなのか?」
「おいおい……オレは勇者カイトだぞ? 『サンドラ』に招かれた事もある。ティナが言う女性とはまた別だが、当時のソシエール家の当主とも話をした。そこで『心眼の定義』も見てるんだよ」
驚いた様子の瞬に、カイトは笑って改めて自身が勇者カイトである事を明言する。そしてそれを言われてみれば、瞬としても納得出来た。
「ああ、そうか……じゃあ、他のマグナス六賢人の末裔が持つ魔導書は?」
「どれも違う。あれなら見たらすぐに分かる。あれはそのどれでもなかったから、問題なんだ」
「後は評議会の御老公方の魔導書も見ておるから、余とカイトであればあれがそうならすぐにわかった。他にも余の場合は無主の『神の書』の封印にも協力しておるから、それでも無い事ははっきり断じよう……具体的には先にこれが読んでおった図鑑。あれの『神の書』の内、三百年前時点で『サンドラ』にあった『神の書』は全て違う」
どうやらそれ故に現状完全に手がかりが無い状態になってしまっていたらしい。カイトとティナの言葉に瞬はそれを理解する。
「そうだったのか……ということは、本当に『サンドラ』も把握していない『神の書』が『サンドラ』にある可能性が高いのか」
「それか、この百年で新しく『サンドラ』に持ち込まれたかだな」
瞬の言葉にカイトはまた別の可能性を論ずる。これに瞬は疑問を呈した。
「百年? 三百年じゃなく?」
「図鑑があるだろ? 勿論、それが全てとも言わんがな。が、ドンピシャで語られていない『神の書』があって、それが盗まれてるってんならもう諦めるさ」
「なるほどな」
カイトの言葉に瞬は納得を示す。と、そうこうしている間に気付けば他の面々もやってくる事になり、この話題はそこで終わりとなるのだった。
さて黒衣の集団による襲撃から二日。基本的な話として、『サンドラ』の教導院に限らずエネフィアでも一週間は7日で土日は休みだ。なので『神の書』に関する話をした翌日はようやくの折返しとなる週末だった。
「はぁ……とりあえずこれで折返しか」
とりあえず一週間で色々とあった事はあったのだが、休日は休日。なにもない一日だ。好きに動く事が出来るし、他の生徒達もそうなのか寮のある一角はいつも以上に人気が多かった。というわけで、カイトはどうするか少しだけ考えていた。
「とりあえず外に出て魔道具を見て回りたい所だが……出発までまだしばらくあるか」
先のコンベンションでも言われていたが、この『サンドラ』は魔道具の開発が盛んな場所でもある。なのでそれを見て回らない道理はなく、土日の内片方をそれに充てる事にしていた。
こちらは冒険部以外の面々も同行する予定になっており、故に出発の時間も合わせていたのである。と、いうわけで朝食からしばらくは時間があったので暇をしていたわけであるが、そんな彼の所に内線が鳴った。
「うん? ティナかアリスあたり……か?」
カイトに連絡を取るとなってくると、基本は冒険部の誰かが多い。が、休日になるとほぼ掛けてくる事がない。というわけであり得るのは公私に渡って面倒を見ているアリスか色々とあるティナぐらいだと思ったようだ。
「はい、天音です」
『お久しぶりですな、マクダウェル公』
「……その声はエデクス・ヴァルド殿ですね」
『ははは。然りよ』
カイトの指摘に対して、エデクスと呼ばれた老男性は笑って認める。それに、カイトはベッドに腰掛けマクダウェル公としての風格を身に纏う。
「やはり黒衣の集団の事は『サンドラ』の最高評議会も把握していましたか」
『この『サンドラ』で好き勝手出来るにも程度があろう……こちらに有益なので目こぼしをしていただけに過ぎんよ』
「それをオレの前で言いますか。相変わらずですね」
エデクスが告げている通りカイトはマクダウェル公カイト、エンテシア皇国の大貴族である。それに対して外交問題にも成りかねない発言だ。カイトも思わず笑っていた。
『ははは……どうせあやつらが襲撃を仕掛けた時点で御身であれば裏を察せよう。ならばさっさと手打ちの算段でも取り付けた方が良いと思うてな』
「ははは……ということは『サンドラ』は手打ちを希望する、と」
『うむ。当然であるが、『サンドラ』の最高評議会はエンテシア皇国との揉め事なぞ望んでおらん。それが御身であれば尚更よ』
「なら、止めてくれても良かったんですがね」
『サンドラ』の最高評議会だ。マグナス六賢人と同等の権限や格を有する魔術師達の集まりだ。なのでやろうとすれば先の黒衣の集団達による襲撃なぞ容易く阻止出来ただろう。それを指摘するカイトに対して、エデクスは笑う。
『ははは……面白い事を言う。せっかくあれが『神の書』を振るうというのだ。見たい、に決まっておろうに』
「ほぅ……これは面白い」
どうやらリーダー格の有していた『神の書』は『サンドラ』の中でも最高位の魔術師達である最高評議会の面々も詳細を知らない物だったらしい。エデクスの発言からそれを察したカイトは僅かな驚きと多大な興味を示していた。故に、彼は問いかける。
「件の『神の書』は本当に最近もたらされた物なのですね?」
『うむ……当人は上手く隠しておろう。親兄弟達も自身が『神の書』を有するなぞ知らぬはず。こちらも、察するのに数年掛かった』
「まぁ……それは気付かないでしょう。あれは普通には気付けない」
『……なんだ。気付いておったのか』
「最初の時点でおおよそは。今しがた確定だな、と思っただけです」
どこか拍子抜けしたエデクスに、カイトは実際の所を明かす。実はなのであるが、彼は襲撃の時点でリーダー格の正体に目星は付けていたのだ。といってもまだあの段階では確証というわけではなく、今回のエデクスが介入した事で確証を得たのである。そしてそれを理解し、エデクスが改めて口にする。
『そうか……であればこそ、『サンドラ』は手打ちを望んでいる。そちらの望む物は提供しよう』
「応じましょう。こちらとしても『サンドラ』から得られる物は多い」
せっかく手打ちにしてくれるというのだ。要らぬ揉め事にならないで済むなら、カイトとしてもそれに越したことはなかった。
『感謝する……今日、来て貰う事は出来るか?』
「良いでしょう……お時間のほどは?」
『夜、会食の場を設けよう。迎えは出すように差配しよう』
「わかりました……バレない様にした方が良いですか?」
『ふむ……あれは儂らが動く事を察しておろうが他はわからぬであろう。好きにされよ。別にあれ以外にさほどの価値は無い。まぁ、数人失うには惜しいが……そこらはあれが差配しておろうて。あれはその面でも優れておる』
「それはそれは」
流石は『サンドラ』。有数の才能に対しては惜しみなく裏取引もしてくれるが、それ以外に対してはあまり価値は見出していないようだ。それにカイトは哀れにも思いもし、流石と感心もした。というわけで、カイトは裏取引の詳細を詰めるべく『サンドラ』の最高評議会との会食を決める事にするのだった。
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