第2456話 魔術の王国 ――購入――
数年後に行われる可能性のある交換留学の事前調査として魔術都市『サンドラ』に招かれ体験授業を受けていたカイト。そんな彼であったが、もう一つの目的である冒険部や天桜学園で使える教本を手に入れるべく『サンドラ』でも有数の書店を訪れていた。
そこで灯里らと共に無数の本の中から比較的新し目、もしくは有用と思われる教本の古本を探していたわけであるが、彼はその最中。案内してくれたシレーナの指摘により他の星に存在するかもしれない生命体の痕跡を如何に探すか、という議論を交わすことになっていた。
「ふむ……なるほど。確かにそれであれば中々に興味深い話であるが……ふむ……」
カイトの要請を受けやってきたティナであるが、やはり彼女もここは盲点だった、と話を聞くなり興味深い様子を示していた。
「難しい話……ではあるのう。そもカイト。お主であればわかろうが、見えておる星と実際の時間軸が異なるのは良いな?」
「あ……そうか。確かにそうだな……」
「どういうこと?」
そこは見落としていた。そんな様子で納得し顔をしかめたカイトに、シレーナが問いかける。これに、ティナが教えた。
「簡単よ。光とは確かに一瞬で届いておるように見えるが、所詮は有限の速度を持つ。具体的にはおよそ毎秒30万キロじゃな」
「ま、毎秒30万……」
あまりに途方も無い数字。それを出されたシレーナが思わず驚愕で言葉を失う。
「うむ。が、宇宙の距離はそんなものが霞むほどに広大じゃ……それこそ何光年という単位が使われるぐらいにはの」
「……こうねん?」
「光が一年で進む距離じゃ。例えば一光年じゃと光が一年間に進む距離離れておる、というわけじゃ」
「……」
もう何がなんだか。シレーナは唐突なマクロの話に若干混乱を来しつつあった。が、これはそもそも本題ではなかった為、ティナもこれ以上の言及は避けた。
「ま、そりゃよかろう。兎にも角にも夜に見える星々はそれぐらいの距離が離れておる。例えば夜に見える月でさえ、実は数秒前の月が見えておるわけじゃ」
「そ、そうなのね……で、それがどうしたの?」
「とどのつまり、今余らが見ておる夜の星々はどれもこれも数年前……下手すると数千年数万年前の光景が見えておることもあるわけじゃ」
「……すうまんねん」
色々とおかしくなりそうだ。おそらく教導院の生徒達には見せられないような顔を浮かべ、シレーナは目を瞬かせる。が、ここが前提にないと、ここからの話は出来なかったのでティナは諦めてもらうことにしていた。
「天文学において数千年数万年前というのはザラじゃ……それはそれとして。それを前提として考えれば、魔術でもし生命探知を行うのであればそこらも勘案せねばなるまいて。とどのつまり問題点としては二つ。まずその魔術を如何にして数万光年先の星に届けるか。もう一つはどのようにしてその時間差を無くすかが問題であろうな。光より速く、が重要になろう……手はいくつか思い浮かぶが……どれもこれも現実的とは言い難いのう……」
が、だからこそ楽しい。ティナは久方ぶりに研究者の血が騒ぐのか、荒々しくもどこかマッド・サイエンティストじみた笑みを浮かべる。
「ふむ……実に面白い課題じゃ……安牌なのは世界樹を介することじゃろうが……そんなもんどだい無理な話じゃな……さてさて……」
「おーい。ティナー。戻ってこーい」
「どうやってこの距離を無とするか……そこ次第では道は開けような。が、そうするとまずはあたりを付けておかねばならぬという本末転倒な話が……」
ああでもないこうでもない。ティナは楽しげにあれやこれやと思案する。が、そもそも今はそんな場ではなかった。というわけで、慣れた手付きでカイトは彼女をハリセンで叩く。
「あいたっ!」
「戻ってきたか?」
「む? おぉ、すまん。久方ぶりに面白い課題が生まれたのでそっちに掛かりきりになってしもうた」
「はいはい。それについては戻ってからお好きにどうぞ」
「うむー……ちょいメモに書いておくが故に時間くれ」
「それはどうぞ」
しゅばばばば。そんな擬音でも聞こえてきそうな勢いでティナは取り出したA4サイズのメモ用紙になぐり書きを行う。
「こんなもんじゃな」
「あいあい……おーい。シレーナ。お前も戻ってこーい」
「……え、あ、ごめん……全然わかんなかった……」
カイトの指摘で今までのことを噛み砕いて理解しようとしていたシレーナが恥ずかしげに項垂れる。が、これにカイトは首を振る。
「しゃーない。光速の速度なんて地球の科学技術でもなけりゃわからん」
「地球……やっぱり進んでるのね……」
「さてな。一概には言えんが……ま、そりゃそれとして。そんな感じで難しいんだろう」
「それだけは理解したわ」
兎にも角にも前提時点で理解できなかったのだ。この時点で難しいのだろう、とシレーナも察していた。
「そうか……まだ勉強するか?」
「もうやめておくわ……頭が痛くなりそう」
カイトの問いかけにシレーナは少し疲れた様子で首を振る。そうして彼女は書店の入り口に向かい、カイトとティナは改めて他の面々の手伝いに奔走することにするのだった。
さてシレーナとの一幕から更に三十分ほど。やはり母数が母数だったからか探索も難航し、シレーナが予期した通り門限を超過した時間になんとか購入を終えていた。が、今回カイトが購入した冊数を見てシレーナは思わずという具合で頬を引き攣らせていた。
「……凄い買ったのね」
「ギルドで使う物だからな。広い分野で欲しかった」
「そんなに必要なの? というか……読むの?」
「読む読まないは個人の自由だ。が、選択肢を広げておくのはギルドマスターの仕事だ」
訝しげなシレーナの問いかけに対して、カイトは職務上必要としているだけであることを語る。
「が……冒険者も上に行けば行くほど一つの手札だけじゃ詰むことが多くなってくるのが事実だ。いつかは読む必要が出て来る。その時、手札を用意しておくのが仕事ってわけだ」
「なるほど……属性無効や物理的な攻撃に耐性を持つ魔物なんて珍しくもないものね」
「そういうことだな。どこかで必ず詰む……そこで死ぬか生還出来るかは、手札の多さが重要になってくる。その後もな」
百冊は優に下るまい教本や専門書の数々を袋詰しながら、カイトは改めてその重要性を語る。そうして一頻り詰め込んだ所で、カイトは次にティナを見る。
「……あいつは別だがな。ありゃコレクターだ」
「……ごめん。私も結構本を読むと思うし、結構まとめ買いするけど……あれには負けたわ。あれ、読めるの?」
「……知らん」
カイトが買ったのはあくまでもギルド全体で使う為の物だ。故に冊数が数百冊だろうと組織として使うなら、とシレーナも納得出来た。実際、教導院の図書室には彼が今回買った本の数十倍どころか数百倍の冊数が収められている。それに対してティナは個人でカイトと同等の本を買っていた。と、そんな視線を受けてティナが不貞腐れたように告げる。
「……これでも減らしたぞ?」
「わーっとるわ……ったく……そんな必要なのか?」
「必要になるかならぬかはわからぬ。が、良書はとりあえず一冊は持っておくのが良い」
「それで読まないまま積んでる本をオレは数百冊知ってるんだがね……」
「必要かどうか、ではない。知識なんぞ持っておくことが重要なんじゃ……ネットなんぞ無いし、どのみち魔導書の電子化は難しいからのう」
ティナは深い溜息を吐く。先に瞬にも言われていたことであるが、魔導書を大量生産することは不可能だ。なのでこういった魔術の教本等についてはどうしても物理的な媒体で有しておかねばならないことが多かった。
「ま、そりゃそうなんだがね……そのうちお前の本だけで書庫が出来そうな勢いなん……いや、あるか」
「まー……まー……」
カイトの指摘にティナはゆっくりと視線を逸していく。当然であるが、こんな彼女である。マクダウェル公爵邸にも当然専用の書庫があるし、それ以外にも魔王城の彼女の私室の一つは書庫だ。他にも研究所にも専用書庫があるし、とすでに複数の書庫があった。
「い、いや! 整理はする予定じゃぞ! 丁度良い所が見付かったからの!」
「そうしてくれ。そのうちウチがお前の本で溢れかえりそうだ」
「うむ」
なるべく早めにエンテシアの書庫に移動させていこう。ティナは色々とそのままにし過ぎている自身の現状を鑑み、そう決める。というわけでこちらはこちらで袋詰をしている横で、カイトはその他の面々に問いかける。
「良し。こんなものかな。全員、買い忘れとかは無いか?」
「特になーし。とりあえず忘れても今日で全部買う必要ないんじゃない?」
「ま、それもそうか……とりあえず今回はこれで十分か」
「まだ買うのね……」
「書庫を一つ新設予定でな。どれだけ有っても足りない」
呆れるシレーナにカイトは笑う。というわけで袋詰した一同は書店を後にして、外に出る。そうして出た外ではすでに日はとっぷりと沈んでおり、街灯が夜道を照らしていた。
「まだ18時を過ぎた所だったんだが……もうこんなに暗いのか」
「冬も近いからのう……随分と寒くなってきおった。もうすぐにコートも必要になってくるじゃろうて」
まだここらでは降雪こそ無いが、北国であれば積雪も観測されている時期だ。日が落ちると肌寒く、コートが欲しい時期になっていた。と、その一方でシレーナは時計を見て少しだけ考えていた。
「うーん……」
「どうした?」
「いえ……少しだけ時間があるから、これなら教導院まで歩いて向かった方が良さそうと思って」
「ああ、そういえば丁度教導院は中間地点あたりにあるのか」
先に老執事ももし教導院に戻るというのなら連絡を、と言っていたように、この書店とヘクセレイ邸を結んだ中間地点あたりに教導院がある。なのでこれから連絡して車を回してもらえば丁度教導院に到着する頃に合流出来る可能性はあった。というわけで、シレーナが申し出た。
「ごめん。少しだけ待ってもらえる?」
「了解」
「ありがとう」
シレーナはカイトの返答に礼を述べると、少し離れてかばんの中から小型の通信機を取り出して自宅へと連絡を入れる。そうして数分。了解が得られたのか、こちらに戻ってきた。
「ありがとう。私も一旦教導院に戻るわ」
「わかった……じゃあ、歩いて戻るか」
シレーナも教導院に戻るというのなら、別に書店の前で突っ立っている意味はない。更に言えばカイト達もまだ地理には明るくない。シレーナの案内があるのは有り難かった。というわけで一同は揃って教導院を目指して移動することにするのだった。
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