第2417話 魔術の王国 ――ある日の午後――
『子鬼の王国』の崩壊を受けてマクダウェル領へと帰還して、それぞれが骨を休め傷を癒やし、と次に向けての準備を開始していた頃。カイトを筆頭にした上層部も久方ぶりに戻ってきたマクスウェルでそれぞれの活動を再開させ、次に備えて動いていた。
そんな中、カイトは午前中は書類仕事の片付けを行うと久方ぶりに受けるべき依頼もなかった事で暦やアリスの鍛錬に付き合っていたわけであるが、それと共に灯里が一緒だった。
「ほいよっ!」
「っ」
唐突に生まれた鉄の拳に、暦は咄嗟の判断で地面を蹴って後ろへ跳ぶ。そこに、アリスが切り込んだ。
「はぁ!」
「ほいっ!」
だんっ。地面を強く踏みしめると、そこを基点として灯里の錬金術が発動。もう一つ鉄の拳が生まれてアリスを迎撃する。そうして左から飛来する鉄の拳に、アリスは剣を引いてバックラーで受け流す。そうして火花を散らして自身の上を通り過ぎる鉄の拳をしっかりと受け止めたアリスへ、暦が告げた。
「上、ごめん!」
「大丈夫です!」
アリスが支える鉄の拳の更に上。暦がそれを蹴って灯里へと肉薄する。が、そこにもう一つの鉄の拳が真正面から襲いかかった。
「……」
動体視力を底上げし、反射神経を加速。暦はコマ送りのように緩やかに迫りくる鉄の拳を正面に見据え、一瞬で納刀。虚空を踏みしめて居合斬りの姿勢で待ち構える。
「はっ」
「おぉ! お見事! でぇも、まだまだぁ! オラオラオラオラオラオラオラオラァ!」
「えぇ!?」
すぱっ。敢えて擬音を付けるのであればそんな見事な居合斬りにより、鉄の拳は上下に両断される。が、この瞬間に灯里は錬金術を使って地面を動かし、その場を離れていた。
しかもその際におまけとばかりに両断された鉄の拳を分解して無数の小さな拳へと再錬成。暦に向けて――彼女の悲鳴はそのため――連打していた。
「うーん……やっぱ灯里さん。ド天才じゃね?」
「お、俺もあそこまで見事に錬金術を使う方は初めて見た……」
錬金術はやろうとすればかなり色々な事が出来てしまう。が、その流れは先にカイトがアストール家で語った通り解析・分解・錬成という三つの流れになる事からどうしても手間は掛かる。
なのでこれで戦闘を行おうとする者はかなり限られるわけであるが、灯里はその不利を無いが如くに近接主体の二人とまともに渡り合えていた。正しく天才の所業。そう言って良い腕前だった。
「カイト殿。あの高速移動はどうやっているんだ? 如何せん俺は錬金術に詳しくなくて皆目検討が付かない」
「あれは地面を、というより重力を解析して移動してるな。自身に掛かる重力を解析し、分解。横向きにベクトルを変化させたんだ。とどのつまり、横に落下してる。それに加えて足元の地面を再錬成。摩擦係数を制御して、速度を調整か。離れる際には元に戻るようにもしてるな」
「……は?」
それを本当にやっているのか。ルーファスはまるで信じられない、とばかりに灯里を凝視する。元々彼女が錬金術師としては史上類を見ない天才である可能性は聞いていてわかっていたが、これほどとは思ってもいなかったようだ。
「確かに、錬金術も極めりゃ物理現象を分解し再構築する事は不可能じゃないが……おいおい。まさかそれをやるのか」
『いやー、<<偽りの書>>の補佐なきゃ出来ないわよ?』
「それ、元に戻る方だけだよな……」
地面を滑るように移動する灯里の念話に対して、カイトは盛大に呆れ返るように深くため息を吐いた。が、これに灯里はあっけらかんと告げる。
『だってそれ結構難しいのよ。改変後を逆巻きにしないといけないから。それ、普通に錬成するよりずっと難しいし』
「出来たら怖いわ……」
もうヤダ、この人。カイトは改めて明らかになる灯里の天才っぷりに嘆くように肩を落とす。一応元々彼女が天才である事はわかっていたが、それにしたって限度があった。
「てか、灯里さん。その様子だとあんた飛空術使えんだろ」
『出来るわよ?』
「「ふぇ!?」」
カイトの言葉に論より証拠とふわりと飛翔する灯里に、アリスと暦が仰天したように素っ頓狂な声を上げる。いきなり灯里が飛んだのだ。当然である。これに、カイトは盛大に頭を抱えた。
「第三だな……はぁ」
「第三……というと重力系での飛空術か」
「ああ。より詳細に言うのなら、あれは錬金術によって自身に掛かる重力の解析。それを分解し、ベクトル操作。加速は……」
『加速は重力の加重によって、ね。減速する場合はマイナスに加算する形かな』
「ご説明どーも……」
自身が解析する前に出た答えに、カイトは呆れ返るように首を振る。とはいえ、これが出来ないとは彼も思ってはいなかった。
「まぁ、灯里さんの場合は地球の時点で重力に関する研究者だった。それも地球で言えば第一人者とかそういう領域だ。そこから考えれば錬金術が出来るようになった時点で、こうなるのは時間の問題だったんだろう」
「そ、そうか……」
おそらくカイトがこうも呆れ返りながら言うのだからそうなのだろうが、それ故にこそルーファスにも灯里の才覚が並々ならぬと理解出来たようだ。ただただ頬を引き攣らせるしか出来なかった。そんな彼に対して、カイトは灯里に声を張り上げた。
「灯里さん! いい加減降りろ! 訓練にならん!」
「はーい!」
カイトに応じて飛んだは良いが、暦は勿論のことアリスも飛空術は夢のまた夢だ。これで遠距離攻撃も標準搭載している灯里に飛ばれては圧倒的に不利と言わざるを得なかった。というわけで着地した彼女であるが、一つ呼吸を整えて距離を取った所で改めてカイトが合図を下す。
「では、再開!」
「「……」」
「どしよっかなー」
やはり飛空術さえ使えるようになっている灯里だ。生半可な魔術であれば簡単にディスペルされるし、攻略の糸口を見つけ出すのであればやはり近接戦闘になってくるだろう。
故にどう攻略するかアリスと暦は魔糸――暦の物――で念話を交わして戦略を練り、一方の灯里は一見するとのんきに見えても、洞察力はいつもの通りだ。油断出来る相手ではなかった。
「はぁ……まさか錬金術を使わせるだけでここまで戦闘力が上がるとはなぁ……」
「ランク……Bはあるか?」
「あるだろう。暦もアリスも現状の腕ならランクBには匹敵する腕だ。特にアリスなら経験もある。十分、ランクBと見積もって良い……その二人を相手に遊べるんだ。戦闘力としてはランクB……その上であの洞察力があれば、二対一でもああなる。一番厄介な手合だな」
おおよそを見積もったルーファスの言葉に対して、カイトは首を振りながらもその言葉を認める。そしてその上で、と彼は告げた。
「その上で言えば灯里さんで一番厄介なのはあの洞察力と……いや、こっちは良いが洞察力の高さがヤバすぎる。洞察力が高いから、錬金術師としての腕に優れてるんだが……」
「聞いた事はある。錬金術師として大成した者は須らく洞察力に優れていた、と」
「後は観察力だな。世界の真実を見極める力と、そこから先を推察する力。この二つが錬金術師として必須スキルだ」
このどちらも、灯里は天賦の才能があった。これが、彼女を今の力量にまで押し上げたのである。
「さて……どうしたものかな。今の灯里さんは攻略するには難しい相手だが……」
同格の近接主体の戦士の魔術はまず通用しない。カイトは灯里の腕を再認識すると、はっきりとそう断ずる。錬金術の解析は戦闘であれば相手の放つ魔術を解析する事に使われ、分解は相手の放った魔術を解除する事に使う事が出来る。熟達の錬金術師であれば、大半の魔術を解体してみせる。
そこまでは至らずとも、灯里の天才的な技量であれば今の暦とアリスが使う程度であれば十分に解呪可能だった。そしてそれ故に考える二人に対して、先手を打ったのはなんと灯里であった。
「お二人さーん! 教師が黙って返答を待ってくれると思っちゃ駄目よー!?」
「「っ」」
「そしてここで急停止!」
まさかの接近戦を仕掛けてくるとは思わず一瞬だけ反応が遅れた暦とアリスに対して、滑るように地面を移動した灯里が急停止。くるりとその場で一回転すると、最後にその場に手を着いた。足で魔法陣のベースを構築。手でそこに術式を刻んだのだ。
「「……え」」
「お、出来た出来た! やれば出来るもんねー!」
仰天する二人に対して、灯里が生み出したのは五つの巨大な大砲だ。といっても炸薬は作れなかったのか、爆発音は無く発射されたのも単なる球状の鉄の塊だった。
「アリス!」
「あ、はい!」
「ほらほら! 千本ノック行くわよー!」
ドンドンドン。そんな音と共に立て続けに発射される弾丸に対して、暦は刀を振るって切り捨てて、アリスはバックラーで受け流す。そうして大砲に向けて進行する二人であったが、その刃が届くという所で唐突に大砲の群れが遠ざかった。
「えぇ!?」
「え?」
片や困惑で声を大にして。片や困惑で目を丸くし。ぬるりと動く大砲の群れに困惑を隠せない。まぁ、流石に地面から生える大砲がこんな風に動けば困惑もするだろう。一概には責められなかった。が、それでも身体はしっかり反応してくれた。
「っと!」
「っ」
離れてくれたおかげで、不意打ちに近い形の砲撃でも二人は反応出来たようだ。と、言うわけで再度距離を詰めるべく刀と盾で身を守るながら進む二人であったが、これにカイトはため息を吐いた。灯里の目的が何かわかっていたからだ。
「はぁ……まだ経験値が足りんか」
『決めて良いー?』
「もう少し手加減してやって欲しいが……どうしたものかね」
灯里の問いかけに対して、カイトはどうするか少しだけ考える。このままバカ正直に進んだ所で結末は見えている。言うまでもなく灯里の勝ちだ。こればかりは発想力がどれだけあるか。
どれだけ奇特な経験を得たかという所が重要になる。というわけで、ここでカイトは二人には一度敗北を経験しておいて貰う事にした。
「拘束にしといてくれ。やり方は任せる」
『はいさ』
「「きゃぁ!」」
ぱんっ。柏手を打つような音が響いて、少女らの悲鳴が響く。二人が立っていた地面が唐突にぐにゃりと歪んだのだ。そうして足を取られ姿勢を崩した二人の身体を、盛り上がってきた地面が包み込む。
「はーい、そこまで。錬金術師がその場すべてを利用出来る事をわかっていなかった二人の負けだな」
「「……」」
カイトの指摘に、暦もアリスも硬化した地面に包まれ顔だけを出しながら真っ赤になる。流石にこの状況は恥ずかしかったようだ。
「今回の敗因は大砲に気を取られ、足元の変化への注意がおろそかになってしまった事だな。前半の連携は悪くはなかったんだが……敢えて言えばもう少し動きながら攻撃をいなすやり方を練習するか。いや、ぶっちゃけると灯里さんが大人げなさ過ぎだったが」
「一応教師ですのでー」
「まぁ、そうだわな。それに二人もまだ錬金術師との戦いの経験は不足している。その点を考えれば、今回の敗北は致し方がない事ではあった。気落ちする必要はないだろう」
「「はい」」
カイトの指南に、暦もアリスも声を揃えて応ずる。今回の灯里との模擬戦は今回が初めてとなるもので、灯里の腕を見たかった事もありカイトが突発的に企画した事だ。なので二人も準備不足は否めず、カイトもそれ故に厳しく言うつもりはなかった。そうして一通りの助言が終わった所で灯里が二人の拘束を解いた。
「ふぅ……三柴先生。本当に錬金術師だったんですね」
「これでも天才だそうねー。そんな実感まーったくないんだけど」
「いえ……」
「いや……」
そうなんですかー、と軽く応ずる暦に対して、アリスもルーファスもエネフィアの民だからだろう。天才の所業を見せ付けられた形となり視線を逸していた。と、そんな所に拍手の音が響き渡る。
「お見事です。お噂は常々伺っておりましたが……まさかこれほどとは」
響いた男性の声に、一同が僅かな警戒を浮かべる。この場の誰も見た事がない人物だった。そうして、唐突に現れた男性が一同の方へと歩み寄るのだった。
お読み頂きありがとうございました。




