第2376話 原初の残滓 ――始源の龍――
世界が生まれる前に存在していた原初の世界たる『原初の世界』。クズハの故国であるエルアランに漂着したその残滓の調査を行っていたカイトであったが、シャルロットのふとした発言により残滓の中にある神殿の異変を察知。彼は単独でその調査に乗り出していた。
「……昔のまま、か。っ……」
一切が当時のまま残されていたのを見て、カイトは一瞬だけ顔を顰める。かつての記憶が呼び起こされ、頭痛が走ったのだ。そうして、彼の脳裏にかつての記憶がフラッシュバックする。
『良く来たな、八耀の子よ』
『始源龍様。お久しぶりです……息災変わりなく』
『うむ……おぉ、それは酒か』
『ええ、樽で。先生が行くなら持っていけ、と』
『ははは。旅立ってから定期的に酒を送ってくるのは奴ぐらいなものよな』
始源の時を生きた古龍と言われる始源龍であるが、古龍達との共通点の一つとして無類の酒好きという所があった。
故に手土産に酒を樽で持ってきたカイトに上機嫌だった。と、その記憶を首を振って振り払い、カイトは一度だけ呼吸を整えてしっかりと地面を踏みしめる。
「ふぅ……良し。っ」
『……』
なにかとんでもない存在が居る。神殿に入ったカイトの本能がそれを察知し、わずかに身を固めさせる。そんな彼の脳裏へと、声が響いた。
『……懐かしき匂い持つ子よ。汝が何者であるかは問わぬ。なにゆえにこの地へと踏み入れたのかも問わぬ。その匂いに免じ、何もせぬ。早々に立ち去るが良い』
「……」
何億年何兆年と昔。魂の奥底に刻まれた声が、暗闇の中からカイトの脳裏に響く。しかしその声にはかつてと同じく威厳があり、しかしかつてにはなかった威圧感が存在していた。これに、カイトは頭を垂れる。
「久方ぶりです、始源龍様」
『ほっ……はじめて会うにも関わらず、久方ぶりと言うか』
「はじめて……ではないです。オレですよ、カイトです。八耀の子。御身の弟子が一人の子。蒼のカイトです」
『……これは驚いた。まさか記憶を持つか』
どうやら中に居るのは始源龍そのものらしい。カイトの言葉に大きく驚いた気配が露わとなる。そうして、神殿の奥に黄金の輝きが生まれた。それにカイトもまた自らの証明と成り得るだろう輝きを生む。
「かすか、ではありますが……これでオレの証拠となりますでしょうか」
『……幽世より現世を視し眼……<<第三の眼>>。確かに、蒼のカイトか』
自身の魂に紐付けされている魔眼を確かな証拠とするカイトに、始源龍が喜色を浮かべる。そして神殿の主が意思に呼応するかの様に、暗闇が完全に晴れて神殿がかつての姿を取り戻す。そうして露わになる始源龍の姿に、カイトはわずかに息を呑んだ。
「っ……まさか、本当に貴方でしたか。その御姿をこの眼で視るまで、内心で疑っていましたよ。何者かが貴方を騙っているのでは、と」
『ははは……仕方がない事だろう』
とんでもなく巨大な黄金の体躯を持ち虹色に輝く龍が、カイトの言葉にかつてと同じく横柄に、しかし親しみを込めて笑う。そんな彼に、カイトは問いかける。
「ですが、なぜ貴方はここに? 先生より皆、転生したと聞いています。貴方一人がなぜここに」
『ふむ……なぜと言われると返答に困るが。何か特別な理由があったわけでもない。が、そうだなぁ……』
カイトの問いかけに始源龍は僅かな思考を巡らせる。そうして、数分後。彼が僅かな苦笑と共に答えを出した。
『……うむ。この世界の事を誰もが忘れてしまうのを、恐れたのよ。この世界はもとより消える運命……ここは誰もが忘れ去り、歴史にさえ残らぬのが定められし運命。それはあまりに悲しいではないか。だから我の力を使い、この小さな箱庭だけは残したのだ』
「……」
確かにそこには存在していたのに、誰も知らない。確かにそこにはあったのに、誰もが忘れてしまった。それを、恐れたのだ。始源龍はどこか儚げに、そしてそんな自身の想像に反してかつての記憶をわずかながらも持ち合わせ現れたカイトに少しだけ自嘲するように笑う。
「そう……ですね。オレも、かなり長い間忘れてしまっていた。あれからどれだけの月日が経過したのか……わからない。無量大数の時間よりも長いかもしれない。にも関わらず思い出しつつあるのは奇跡……なのかもしれません」
『それでも、お前はここに戻ってきた。我の想像に反してな……我も人の力を侮った。奇跡を起こした弟子を信じなかったのだ』
「仕方がない事かと……」
当時はまだ未来の事なんてわからない事だらけだったし、何十と転生を繰り返してどうなるかは世界達にさえわからない事だった。過去世を取り戻したり目覚めさせる力は世界達さえほとんど未知の力だった。世界のシステムが近くにありながらも、死後が誰にもわからなかった時代だ。信じられないでも仕方がなかった。そうしてわずかに流れる沈黙だったが、しばらくして始源龍が口を開いた。
『……まぁ、それは良いわ。兎にも角にも、どうした。なぜここに来た』
「っと……そうでしたね。色々とあってあまり長くは話せませんが、ざっと話をしておきましょう」
現状、外ではティナらが警戒態勢のまま待機してくれているのだ。あまり長々と昔話に興じているわけにもいかなかった。というわけで、カイトは手早く始源龍が残した『原初の世界』の残滓がエネフィアと言う世界に漂着した事。その漂着した国の女王が自分の義理の妹であり、代理で統治している叔父から調査依頼を受けやってきた事等を語る。
『ふむ……なるほど。神獣達の推測は正しいやもしれん。我もそこは考えてはいなかったが……確かにお前という存在と原初の世界の残滓の二つがある事により、この箱庭が引き寄せられた可能性はある』
「ええ……それなら地球も有り得そうなものではあったのですが……」
『地球……あれも無事か。あれの根性だけは本当に見上げたものだ。それも随分と懐かしい』
「先生も、始源龍様の無事を聞けばそう仰ると思います」
かつての弟子が健在で、今もまたカイトと共に行動している。そう聞いた始源龍は顔に懐かしみと共に嬉しそうな色を浮かべる。
『そうか……だが、それであればもはや我が役目も終わったも同然だ』
そもそも始源龍は原初の古龍として、誰も知られる事なく葬られる世界を記憶し続ける事を選んだのだ。が、その役目はカイトや彼を筆頭にした者たちが記憶を取り戻しつつある事により、意味をなくしつつあると言ってよかった。というわけで、彼は意を決したように身体を起こした。
『カイトよ。最古にして最後の古龍として、我も世界の海へと足を踏み入れよう』
「来て、くださいますか」
『無論よ……我が司るは須らく。我が同胞達の補佐も出来よう』
カイトの問いかけに対して、始源龍は横柄ながらもはっきりと頷いた。彼は原初の世界において全ての調律を行っていた。その彼の検証を行い力を分割し更に専門化したのが、グライアやミスティアら今の古龍達だった。
そういう意味では、今の古龍達は同胞というよりも彼の子であるとも言えた。が、専門化しているだけで彼は全ての調律が可能なのだ。一時的な代役や逆に補佐する事で処理の高速化も可能だった。無論、少しずつ肩代わりして負担軽減も可能だろう。
「そうですね……貴方が世界に出る事について、世界達の誰も異論は無いでしょう。その分、世界達にとっては安全マージンが生まれるのですから」
『だろう……さて、外に出るのは何時ぶりであったか』
もう数えられないほどの月日が経過していたような気もするし、一瞬だったような気もする。始源龍はそう笑いながら、外に出られる程度の大きさへと変貌する。そんな彼と共に、カイトは神殿から外に出た。
「ティナ。オレだ」
『聞こえとるぞ……念話、という事は大凡の状況は解決か?』
「ああ……とんでもない状況にはなったがな」
歴史や全てが変わってしまう出来事が起きた。カイトは笑いながらも、幾星霜ぶりに外へと出た始源龍を横目に見る。
『ふむ……匂いがする。原初の世界の匂いではない世界の匂いが』
「今、オレが居る世界です」
『あれ? にぃー。そのお隣誰ー?』
「ああ、彼か……彼がこの神殿の主。始源龍様だ」
『よろしく頼む、おチビさん』
『……ちょい待ちー!』
言うまでも無い事であるが、ユリィはもともと王城勤めの文官だ。なので当然始源龍の事は知っている。というわけで、まさか出てきた最古の古龍にストップを掛けた。というわけで、彼女は流石に信じられず問いかける。
『え、カイト。マジ? 始源龍様いらっしゃるの?』
「ああ……ああ、そうか。お前は一度お目にかかってるか」
『ほぅ……これまたおチビさんだが……いや、その匂い……確かに一度見た覚えがある』
始源龍は鼻を鳴らし、ユリィの魂の奥底に宿る匂いを嗅ぎ分ける。王城に勤める者は始源龍に挨拶に向かうのが習わしとなっており、ヘッドハントされた立場だが彼女もその例に漏れず、というわけであった。
なお、当時の彼女は本当に一介の文官――しかも前職は編集者――だったため、この山の登山はかなり堪えて息も絶え絶えでの挨拶だったそうだ。というわけで、かなり反応に困ったユリィは当たり障りのない挨拶に留めておく。
『え、えーっと……お久しぶり、です』
『うむ……なるほどなるほど。これはいよいよ黄昏の子には一つ頭を下げねばならんな』
自分が思った以上に、『原初の世界』の事を覚えている者がいたようだ。始源龍は上機嫌に笑いながらも、少しだけ照れくさそうにしていた。と、そんな彼の様子に対して、ティナが問いかける。
『高名な龍とお見受けする。どうか名を知らぬ不明をお許し願いたい……余はユスティーナ・エンテシア・ミストルティン。かつて外の世界にて魔族の王の一人であった者』
『ほぅ……蒼の巫女か。まさか外に出ていたとは。白の聖女がよく許したものだ……あの子も成長した、というわけか』
当たり前であるが、始源龍は大精霊達と同じシステムが意思を持った存在だ。なのでティナの由来である蒼の巫女の名を知っていたし、彼女がそうだと即座に理解したようだ。そうして自らの言葉を遮りどこか感慨深げな様子を見せた始源龍に、ティナが問いかける。
『蒼の巫女……それは如何なる者なのでしょう。時に余は蒼の巫女と呼ばれる事は存じております。が、その意味は杳としてわかっていないのです』
『む……ふぅむ……確かに語れる言葉は持つが……』
おそらくカイトは全てを知った上で語らずに動いているのだろう。始源龍はそれを即座に察する。故に彼は横柄ながらも、一つ謝罪する。
『語る言葉を持つが、語れぬ。許せ。我はまだ現状を正確には把握していない。お主が外に出ている事さえ知らなんだ。何を語るべきで、何を語るべきではないか。それを知らねば正しく物を語る事は出来ぬ。今のは我の失言と捉えよ』
『なるほど……かしこまりました。忘れましょう』
下手に言葉を紡いでややこしい事になるのはよくある話なのだ。だからこそ状況が見えぬ内はいたずらに語らない。その選択を行った始源龍に、ティナは彼が賢者やそれに類する者なのだろうと理解する。
『うむ……では遅れたが、名乗ろう。我は始源龍。お主ほどの器量を持つ者たれば、古き龍の事は知ろう。その一体にして最古の者。全ての大本となりし始源の名を与えられし者なり』
『『『なっ……』』』
ユリィを除く全員が、思わず絶句した。当たり前だろう。常識が書き換わるのだ。しかもカイトさえ語らなかった存在である。ティナさえ想像さえしていなかったし、それどころか考えもしなかった事だった。そうして、最古にして全ての大本である始源龍が表舞台に登場する事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




