第2176話 二つの槍 ――地球――
中津国は鬼達が治める『幻燈の里』。そこで鬼達の長にして、もう一人の酒呑童子とでも言うべき鬼の長である大輝と会合を果たす事になったカイトと瞬。そんな二人であったが、大輝の要望により酒呑童子との間で僅かな酒盛りが行われる事となる。
が、それもしばらくした頃に姿を現したのは、地球においてケルト神話最大の英雄と言われ、不思議な縁で瞬の師となっていたクー・フーリンであった。彼は瞬に起きた異変を聞いて、彼の力となるべく更に師であるスカサハに頼んでエネフィアへと来てくれたのである。というわけで、そんな彼とその道案内を務めた共にカイトと酒呑童子から身体を返却してもらった瞬は酒盛りを行っていた。
「そう言えばコーチ。地球は今どうなんですか? あまりカイトが語らないものですから……」
「うん? 地球ねぇ……若干、面倒な事にはなってるみたいだがな」
「面倒?」
少し苦い顔で告げたクー・フーリンに、瞬が首をかしげる。そんな彼に、クー・フーリンが問いかける。
「聖杯……って、知ってるか?」
「聖杯? それはあの……確かキリスト教で語られる聖杯ですか? イエス・キリストの血を受けたという……」
「まぁ、それで良い。その聖杯だ……実際は、そんな生易しい物じゃないがな」
聖杯。聖人の血を受けたとされる杯。伝説でしか語られないそれである事を、クー・フーリンがはっきりと断言する。そうして、彼は一度だけカイトを見る。
「……カイト。こいつら、間に合いそうか?」
「終わった方が、不思議だろうさ。第何次かは知らんが、聖杯戦争が勃発しつつあるんだろう?」
「ああ……とまぁ、そういうわけで。聖杯戦争が起きる様子なんだよなー、これが」
「わ、笑い事ですか?」
ケタケタと楽しげに笑うクー・フーリンに、瞬が思わずツッコんだ。これに、クー・フーリンは唐突に真顔になった。
「笑うしかねーんだわ、これが」
「は、はぁ……ですが、その聖杯がどうしたんですか?」
「それ巡って大戦争起きそうなんだわ……こいつから、今地球が二分されつつある、ってのは聞いてるか?」
「ええ。それは勿論……」
第二次世界大戦が終わり、およそ百年。長く続いた平和な時代であったが、やはり百年も続けば色々と限界が来たようだ。本来それでも軟着陸の手があったかもしれなかったが、最後はカイトという異物が戻った事により大爆発、即ち第三次世界大戦が確定していた。これについては瞬も聞き及んでおり、どうするかは考えていた。
「そうか……ま、それについちゃお前の決断だ。俺は何も言わねぇさ。悔いさえ無いのならな」
「はい」
「……うし。良い目だ」
まっすぐに自分を見るその目に、クー・フーリンは上機嫌に頷いた。少なくともこの目が見られただけで、今回の旅に収穫があった。そう言えるだけではあった。そうしてそんな彼は上機嫌なまま酒で口を潤して、気を取り直す。
「ま、それはさておき……聖杯なんて聖遺物、どの陣営も見過ごす筈の無いものだ。で、それ巡って世界中が大騒動。表に裏に意思が入り乱れて、両陣営に取り入ろうとする勢力やら第三勢力として上に立とうとする奴らやらが西へ東への大騒ぎだ」
「は、はぁ……ですが、あの……それはおかしくないですか?」
「うん?」
瞬の指摘に対して、クー・フーリンはわずかに楽しげに顔で先を促す。どうやら、この指摘に対してクー・フーリンは明確な答えを持っているのだろう。そしてであれば、彼は問いかけも先読み出来ているわけで、瞬のお手並み拝見という所であった。
「いえ、その……何故今更? 今まで第一次世界大戦、第二次世界大戦と二回も大戦があり、聖杯を求める勢力は幾つもあった筈です。それなのに何故、今更」
「んー……まぁ、七十点ぐらいの問いかけか。可能なら、交通手段と情報網の発達も勘案に入れるべきだったな」
「は、はぁ……」
自身の問いかけに対する採点がされて、瞬は困惑気味ながらも一応は頭を下げる。そんな彼に、クー・フーリンは答えを教えてくれた。
「答えは簡単だ。聖杯なんてものが実在する、なんて今の今まで誰もが信じてなかったんだよ。表の連中はな……そして表と裏で分離しちまってた地球の事情もある。魔術を兵器にしよう、なんて誰も考えてなかったんだよ。今になって、兵器としての聖杯の価値が見出されるぐらいには、魔術に価値を見出してなかった」
「兵器としての聖杯?」
「ああ……俺は実物を見た事がないからなんとも言えんが、とんでもない魔力を持ってるそうだ。それこそ、俺達英雄を殺せるぐらいには、な」
「っ……」
ぞわり。瞬は一瞬、背筋が凍る思いがした。すでに条件が整えばランクSの猛者とさえ互角以上に戦える瞬であるが、だからこそクー・フーリンの遠さが、英雄達の遠さがわかっていた。それを、殺せるのだ。その意味の大きさが理解出来ないわけがなかった。が、これにクー・フーリンは大きく笑った。
「あっははははは! 勘違いすんな。俺や赤枝の連中があんな杯で殺されるなんて思うなよ? あれで死ぬ英雄はその程度の英雄ってだけだ……ま、それでも裏世界の核兵器ってぐらいは呼んでやれるけどな」
「……いえ、それは十分危険な気が……」
「ま、それは認めるぜ……それが、この地球のどこかにある。な? 探すだろう?」
「……」
ソラに負けじと少しは軍略や政治の勉強を始めた今だからこそ、瞬にはクー・フーリンの言葉の意味が理解できた。第三次世界大戦における両陣営に属する国家は、そちら側に最大の利益を供与出来る。次の百年の安泰は約束されるだろう。属さない陣営とて、その利益は計り知れない。上手くやれば、漁夫の利だって考えられる。求めない道理がなかった。というわけで、そこに想像の至った瞬が、クー・フーリンへと問いかける。
「ですが、どうして実在する、とわかったんですか?」
「教会の奴らが隠していた聖杯の管理人が見付かって、襲撃された」
「聖杯の管理人……ですか?」
「ああ。お前も知ってるだろ。ルイス・フロイスってのは」
「それは……勿論です。彼が?」
「そういうわけだ……どっから漏れたかはわからんがな」
やれやれ。クー・フーリンは瞬の問いかけに肩を竦めて首を振る。そうして、彼はカイトを見る。が、そこに多大な呆れがあったのは、瞬の気の所為ではなかっただろう。
「お前の失策だぞ」
「わーってるよ。しゃーないだろ、あの時はこんな事になるなんて思ってなかったんだから」
「大抵、歴史に残る大失態をやらかす奴は後々そういうんだよ。あの時はこんな事になるなんて思わなかった、ってな」
「数年先まで見通せるかよ」
クー・フーリンの指摘に対して、カイトはどこか不貞腐れた様に口を尖らせる。とはいえ、これは正真正銘の事実でしかなかった為、カイトは不貞腐れるしか出来なかった。そんな彼に、瞬が問いかける。
「……何があったんだ?」
「ルイス・フロイスな。森蘭丸」
「はぁ?」
意味がわからない。カイトの返答に、瞬は首を傾げるしかなかった。というわけで、カイトはざっくりと説明を行う事になった。
「だから、ルイス・フロイスが森蘭丸なんだってば。あいつがウチに家臣入りしたい、っていうから森家に養子として入ってたの……で、本能寺の変の時に探しに来いって言ったっぽいんだわ、信長様。一応、オレが近く行った事あったんだけど……まー、言った以上? あいつが頑張って探すのが筋でしょ、って事で放置した」
「……ま、まぁ……一応……筋は通っているの……か?」
確かに、カイトの行動は部下の頑張りを信じて手を出さずにおいた形だ。なので彼の行動は決して間違いではないだろう。が、その相手が聖杯の管理人であり、存在が露呈すれば聖杯の実在の証明にも成りかねない存在だ。さっさと保護してしまうのが最善ではあるといえば、最善ではあっただろう。そこが分かればこそ、瞬はどう答えれば良いか、と困惑気味だった。
「で、そこから色々とあって、襲撃されたそーだぞ」
「へいへい……なんとかしまー。帰ってからな」
良い塩梅に酒が入ってきたからか若干なげやりなクー・フーリンに対して、カイトもまた若干なげやりだった。というわけで、彼は胡乱げに会話を切る。
「まー、良いんだよ、これはどうでも……今はそんなの話した所でどうでも良いし、それ以外の地球の事は通信機で聞ける。問題はない」
「ま、まぁ、そうなんだろうが……少しは語ってくれると有り難いんだが」
「むぅ……まぁ、そうっちゃそうなんだろうが……んぁー……どうすっかなー……」
少し不満げな瞬の言葉に対して、カイトは珍しく悩みを見せる。どうやらクー・フーリンという色々な意味で気のおけない友人がいる事で、何時もは見せない姿が見えているようだった。瞬にとってはかなり新鮮だった。
「過保護かね、オレ」
「過保護だろ」
「過保護だねー」
「過保護だな」
苦笑混じりのカイトの問いかけに対して、クー・フーリンもユリィも大輝も揃って過保護を明言する。これに、カイトはしかめっ面で頭を掻いた。
「だよなー……まぁ、先輩やソラあたりなら良いかなー、とも思うんだが。が、今教えてどうすんのさ、ってツッコミも」
「……それもそうか」
確かに、カイトの言う事は尤もであった。ここで地球の裏の話をされた所で、瞬達には何も影響はない。しかも帰るまでには状況は更に二転三転している事だろう。語った所で、という彼の言葉は正しい事ではあった。
「ま、これについちゃ必要に応じて、としておいてくれ。必要じゃないのに教えた所で、意味がないからな」
「そうか……じゃあ、俺達が知らない、という事は基本的には問題が無いから知らない、と考えておくべきなんだろうな」
「そうだな。そう考えてくれ」
どうやらこれで瞬としてもカイトが言わないでいる意味は納得出来たらしい。先ほどまでより随分と不満は解消出来ていたようだ。というわけで、この話に区切りを付けた瞬が、クー・フーリンへと問いかける。
「そう言えば、コーチ」
「ん?」
「何をしに来られたんですか? 俺が不調だから、という事でしたが……まさか本当にそれだけの為に?」
「おう」
まるで何を当たり前な。そんな様子で、クー・フーリンは瞬の問いかけに頷いた。事実、彼は今回瞬の為だけにこちらに来ていた。というわけで、彼は頃合いか、と今回の自分の来訪の本題に入る事にした。
「ま、そのためにも……大輝さん。一つ、良いか?」
「何だ?」
「先の修練場、お借りしたい。一手、弟子の成長を確かめたいと」
「ああ、勿論良いぞ。それに、こっからの鬼の話をするのなら今の瞬の実力は見なければならない事でもある。俺からすれば渡りに船って申し出だ」
頭を下げて申し出たクー・フーリンに、大輝も快諾を示す。
「良し……瞬。ついて来い。何をするにしても、まずはお前の成長を見ておかないとな」
「あ、はい!」
クー・フーリンの師事に、瞬は勢いよく頭を下げて了承を示す。そうして、一同は酒を持ってその場を改める事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。




