第2175話 二つの槍 ――二人の酒呑童子――
中津国は鬼達が治める『幻燈の里』。そこで鬼達の長にして、もう一人の酒呑童子とでも言うべき鬼の長である大輝と会合を果たす事になったカイトと瞬。そんな二人であったが、少しの話の後に大輝の申し出と瞬の許諾もあり酒呑童子が表に出て来る事になる。そうして、そんな二人とカイトの三人による酒盛りが行われていた。
「はー……美味い。あっはははは! いやぁ、良いもんだ。今まで歴代の酒呑童子と酒盛りしたが、まさか異世界の酒呑童子と酒盛りが出来るたぁなぁ」
「……」
やはり酒呑童子、と一言に言えど別の人物である以上は性格の差は存在する。故に鬼らしい豪快さの滲んだ大輝に対して、酒呑童子は物静かに飲んでいた。とはいえ、決して大輝の事を不快に思うわけでもなく、それどころか心地よさげでさえあった。というわけで、そんな彼を横目に大輝がカイトへと水を向ける。
「お前と居ると本当に飽きないなぁ。これからは、こういう事が何度も起きるんだろうなぁ」
「あっはははは。さて、どうだろうな。オレも未来はよくわからん。予言が出来るわけでもないからな」
「いや、今日の客だってそうだろ? 面白いわ、やっぱ」
カイトの返答に対して、大輝は楽しげに笑う。そうしてひとしきり話した後に、酒呑童子がふと盃の酒がなくなったカイトへと徳利を向ける。
「……一献、注がせてくれ」
「ああ」
「……」
カイトの返答に、酒呑童子が静かに酒を注ぐ。それに、カイトも返杯と彼の盃へと酒を注ぐ。そうして、お互いに注ぎあった後に酒呑童子が深く頭を下げた。
「妻と義弟……それと一族が世話になった。すでに死した俺故になにか礼物を渡せるわけではない。この頭一つで、許してくれ」
「……それについては、オレがオレの事情でやっている事だ。そこまで気にしないでも良い。それに、あんたほどの大人物の頭だ。ありとあらゆる宝物にも勝る。十分過ぎる」
「恩に着る」
やはり酒呑童子は鬼の長としては真っ当な人物と言って良いのだろう。カイトはかつての自身の見立てが正確であると理解する。と、そんな彼が顔を上げて、カイトへと少しだけ子供っぽい色を覗かせながら問いかけた。
「……それで、一つだけ聞いておきたい事がある」
「なんだ?」
「……頼光の奴は、息災変わりないか? 瞬を通して聞いていたが、直に改めて聞かせて欲しい」
「ああ、彼か」
酒呑童子と源頼光。この二人は共に瞬の祖先であるが、同時に終生のライバルでもあった。故に彼の去就と現状は酒呑童子にとってどうしても聞いておきたい事だったのだろう。
「ああ。いつかあんたが帰ってきた時、不甲斐ない姿だけは見せられぬと毎日迷宮に潜っているみたいだぞ」
「……そうか。奴らしい」
一瞬、酒呑童子の風格が変わった。カイトも大輝もそう理解する。やはり彼にとっても源頼光が元気である、というのは力になったらしい。そうして一つ笑った酒呑童子は、遠く異郷の地の酒を再度舐める。
「……はぁ。不思議な、気分だ」
通り過ぎるのは、かつての自分。本来の自分と言い換えても良い。それが死んだ後、酒呑童子は長い眠りの中でもはや目覚める事が無いと思っていた。
それが一千年の時を経て、そしてこの遠い異世界で目を覚まし、こうして異世界の酒呑童子と酒を飲むのだ。こればかりは酒呑童子をしてわずかばかりも想像した事がなく、ただただ奇妙奇天烈な事態に笑うしかなかった。そうして、再度舐める様に酒を口にする酒呑童子に、大輝が問いかける。
「どんな気分なんだい? 死んだ後に飲む酒は」
「味なぞ変わらん……無論、技術の収斂に伴い味は格段に向上しているが。酒の味はそういうものではないだろう?」
「違いねぇ」
酒呑童子と違い、大輝は呷る様に酒を飲む。酒呑童子、というぐらいなのだから酒呑童子はやはり酒とは不可分の存在だ。なので酒呑童子は酒を好んでおり、自分なりの飲み方を心得ていた。
「はぁ……そうだ。カイト。一つ、良いか?」
「うん?」
「綱の事だ。奴はおそらく、長くはあるまい」
自身もまた半ば死人のようなものだからだろう。酒呑童子には、渡辺綱の危うさが見て取れていた。そしてそれ故にこそ、彼は告げる。
「……奴は、俺が片を付ける。奴は死んでも止まるまい。ならば、殺すしかない。それは他の誰でもなく、俺の役目だ……この役目は俺の物であり、誰にも奪わせんよ。手出し無用で頼む」
「殺すなよ?」
「……心得ている。まだ、奪ったわけではないのでな」
カイトの言葉の意味を理解していた酒呑童子は、くすりと笑って頷いた。当然だが、カイトとて敵である渡辺綱を殺すな、なぞ言うわけがない。それが主命や師の名分などがあるならまだしも、何もないのだ。なのでこれはやりすぎたりして瞬を殺す事になってしまうな、という意味であった。と、そんな彼へと、カイトが一つ問いかけた。
「そうだ……何か伝えたい事はあるか?」
「ふむ……特には無いが。あれはもうわかっているだろうしな」
自分が、鬼の棟梁が吼えたのだ。その雄叫びは世界の壁だろうと突き抜けて、鬼の戦士達に届いただろう。酒呑童子は鬼の棟梁として、そう確信していた。ならば、言うべき事なぞ何もなかった。
「そうか。ま、そこらはそっちで折り合いを付けてくれ。オレは知らん」
「そうするつもりだ」
まるで投げ捨てるようなカイトの返答に、酒呑童子が楽しげに笑う。酒呑童子の関係は酒呑童子やその転生である瞬が片付けるべき内容だ。カイトが手出しする問題ではなかった。と、そうして一通りの話に区切りを付けた所で、酒呑童子がふと笑った。
「それで……もう一人の客人とやらは姿を見せないのか? 来ているのも見ているのもわかっている。姿を隠すような者ではあるまい」
「だってよ。どうするよ」
酒呑童子の言葉に、カイトが楽しげにふすまの先へと声を掛ける。当然、彼もまた自分達に先駆けてやってきていたというもう一人の客人がこの場に潜んでいる事に気付いていた。
というよりも、実のところその客人はカイトが瞬の事を相談した一人で、ここで合流する事になっていたのである。そうしてふすまが開いて、一人の偉丈夫が入ってきた。彼は美青年と言って良い風貌だったが、何より特徴的なのは黒髪の中に一房の、まるで赤い枝のようなメッシュを入れていた事だろう。そんな彼はカイトに対して気軽に手を挙げた。
「よぉ」
「おう……とりま、駆けつけ三杯」
「っと。わりぃな」
少年の様に楽しげに、偉丈夫がカイトから投げつけられた盃を片手にどかりと腰掛ける。そんな彼を見て仰天していたのは、酒呑童子に場を譲った瞬であった。
『コーチ!?』
「……」
仰天した瞬の声を聞いて、酒呑童子はこれ以上は自分の出る幕ではない、と目を閉ざす。そうして淡い光に包まれた瞬間、瞬の姿へと様変わりしていた。そんな彼に、クー・フーリンは昔からの知り合いとして気さくに笑う。
「よ、瞬。元気にしてたか?」
「お久しぶりです、コーチ! どうされたんですか?」
「こいつから、お前の件で相談を受けてな」
「流石に槍に関してと先輩の戦闘面に関して、オレが助言するわけにもいかんさ」
前に『大地の賢人』との話でカイト自身が言っていた事であるが、瞬はカイトにとって兄弟子の直弟子になる。そしてカイトは免許皆伝が与えられた兄弟子とは異なり、まだその領域には至っていない。
なので筋として、彼が自発的に瞬に武術の面で指南する事は出来ないのだ。となると、筋の関係から兄弟子であるクー・フーリンに話をするのが当然であり、カイトから話を聞いたクー・フーリンが師であるスカサハに頼んでこちらに連れて来て貰ったのであった。と、そんな彼にどこか驚いた様に瞬が問いかける。
「それで、わざわざこちらまで?」
「まー、こういう時ぐらい師匠の顔させろよ」
「実際にゃ、姉貴に頼んで連れて来て貰った、って所だろうがよ」
「あっはははは。流石にあの化け物には届かねぇって。準備無しでこっちにゃ来れん」
「あっはははは……」
「「はぁ……」」
ひとしきり笑ったカイトとクー・フーリンの二人が、揃って己が師を思い出して盛大にため息を吐く。かつてカイトの要望を受けて石舟斎を連れて帰るべくエネフィアへとやってきたスカサハであったが、その実彼女は魔術師だ。
故にクー・フーリンでは現状厳しい――厳しいであって出来ないわけではない――世界間転移も普通に使えるし、なんだったらまるで片手間にやってのける。
が、それでいて彼女は武術の面においてもカイトやクー・フーリンと互角に戦える正真正銘の化け物なのであった。というわけで、図らずもそんな化け物の事を思い出したカイトは首を振って気を取り直す。
「やめよやめよ。姉貴思い出したらため息しか出ん……一応、聞いておくけど。今、居る?」
「こっちに居る……が、お前の嫁さんの所に顔出してくるって。安心しろ」
「ほっ……」
こんな事聞かれたら嬉々として喧嘩を売られるに決まっている。それがわかっているからこそ、カイトはスカサハが居ない事にほっと胸をなでおろしていた。が、その次の瞬間。そう告げたクー・フーリンの胸元から、真紅の槍が飛び出してきた。
「んぎゃぁ!?」
『なんぞ、悪口が聞こえた気がしたが……気の所為だったか?』
「い、いいいや、まっさかー! あ、姉貴元気!? それと石舟斎さん、サンキューな!」
『ふむ。気の所為なら、良い。ああ、石舟斎殿は気にするな。かよう優れた御仁が失われんで、儂としても幸いなのでな』
大慌てで冷や汗を拭うカイトの言葉に、ティナの所に居るというスカサハが笑って首を振る。なお、どうやらあの『リーナイト』の一件の後、石舟斎はカイトが地球で保有している異族達の怪我に対応出来る病院に担ぎ込まれたらしい。そこで専門の医療を受けて、今も入院中だそうだ。
が、もう命に別状はない領域には持ち直しており、後はゆっくり怪我を治すだけとの事であった。とまぁ、それはさておき。そんな彼女の槍が消えた後に、カイトはクー・フーリンを睨み付ける。
「つつつつ、筒抜けじゃねーかよ!? 何連れて来てんの!?」
「おおおお、俺も知らねーよ! び、びびったぁ!」
当然であるが、クー・フーリンとていきなり自分の胸から槍が生えたのだ。いきなりの事態にさすがの彼も心底仰天しており、もはやただただ言葉なく停止するしかなかった。と、そんな二人に、大輝が大笑いする。
「あっははははは! お前相変わらずどえらい女に好かれてるなー!」
「うるせぇよ……はぁ。まぁ、そういうわけで。オレは別に来てくれ、とは言わなかったんだが……こいつが行くつったからな。ここで合流する事にさせて貰ったんだよ」
「で、私が案内したってわけ」
ぽすん。カイトの肩にユリィが舞い降りて腰掛ける。そんな彼女に、瞬が目を見開いた。
「ユリシア。来ていたのか? ここ数日見なかったから、学園に戻っていたのかと思っていたんだが」
「ああ、うん。私が今回同行しなかったのって、学園の仕事があるわけでもなんでもなく。単に彼の道案内をしてただけー」
「流石に俺も長く旅しちゃいるし、西へ東へと旅してる徐福やらと情報交換もしてるがな。流石に異世界の情報はねぇわ。で、今回は状況が状況ってのもあって、な」
ユリィの言葉に続けて、クー・フーリンが事の次第を瞬へと説明する。と、そんな彼が今度はカイトへと笑いかける。
「てかお前、相棒に妖精多すぎね? 後、かなり小さいの。お前、実はロリコンか?」
「う」
「うぉ!?」
「なんか言ったー?」
うぉい。そうツッコもうとしたカイトより早く、ユリィが雷撃を放って笑顔でクー・フーリンへと問いかける。
「なんでもねなんでもね」
「はぁ……ま、これで今回の役者は揃った、って所か。まぁ、とりあえず飲むか」
冷や汗を垂らすクー・フーリンに呆れながら、カイトは気を取り直して改めて盃に酒を注ぎ、合わせてユリィにも酒を注ぐ。そうして、一同は改めて酒盛りを再開するのだった。
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