第2150話 馬車での旅路 ――森の中で――
<<腐敗する竜>>の毒に汚染された地帯の調査を請け負ったカイト達。そんな彼らは調査隊に参加して、馬車で調査の旅を続けていた。
そうして調査も二日目。汚染が中々回復しない原因と思われる森へとたどり着いた一同は、<<森の厄介者>>というチンパンジーに似た魔物による手荒い歓迎を受ける事になっていた。とはいえ、その襲撃も十分ほどすると、停止していた。
「ふぅ……もう、大丈夫か?」
「ああ……周囲に気配は無い。もう安全だ」
「そうか……ふぅ」
カイトの返答に瞬は再度ため息を吐いて、天井の縁に腰を下ろす。ひとまず襲撃は終わったらしく、先程はずっと聞こえていた猿の鳴き声に似た声が止んでいた。勿論、視線も感じない。
「なんとか、か……魔物に毒の影響はさほどなさそうだったか」
「ああ……やはりこの毒の影響が出て、さほど時間が経っていないんだろう」
「そうなのか?」
「もし<<森の厄介者>>に毒の影響が出たら、厄介な亜種になっちゃうからねー。それが見えてない時点で、あんまり時間は経ってないと思うよ」
瞬の問いかけに対して、ソレイユが弓の調整を行いながら告げる。どうやら少し弦の張りが気になったらしい。それに、瞬が問いかける。
「奴らに毒は効かないのか?」
「んー……効くは効くよー。でも、毒に耐性つけちゃう奴が居て、そーなると<<毒手の猿>>っていう亜種に変貌するねー」
「何か違いが分かるのか?」
「んー……体毛が若干紫色になるぐらいかなー。後、爪から黒い液体が滴り落ちてたりして、案外わかりやすいぐらい」
そういえば確かに紫色の体毛を持つ個体は居なかったな。瞬はソレイユからの情報に自分の記憶を思い出し、そんな個体が居なかった事を思い出す。そうして、そんな彼にカイトが教えてくれた。
「亜種の発生率は、その原因の発生時期からの経過時間と相関関係にある。亜種の個体数がほぼゼロである事を鑑みれば、まだ原因が発生してさほど時間が経過していない、という事だろう」
「ということは、まだこの毒の原因もさほど育っていない……もしくは環境に適応していない可能性もあるのか」
「ああ……その点はこちらに有利だな。まぁ、それでも毒を持つ事には変わりがないから、油断が出来ない事は出来ないだろうが」
育っていないか適応していないのどちらでも良いが、少なくとも地の利を完全に手に入れているわけではないのであればこちらにも有利。カイトはそう判断する。と、そうして一休みした所で、ゲンティフが天井に現れた。
「見張り、代わるぜ。戦闘任せっきりにしちまったからな。それぐらいはやっとくわ……最悪、逃げるのにもお前らにゃ頑張ってもらわないと駄目かもしれんしな」
「……そうですね。お願いします」
もし逃げる場合、カイト達が万全の方がゲンティフ自身が逃げ切れる可能性が高くなるのだ。であれば、これは正しい判断だっただろう。そうして、カイト達はゲンティフに見張りを任せると、ひとまず馬車の中に戻って休憩を取る事にするのだった。
さて、それからしばらく。カイト達は一旦は馬車の中に戻って休息を取ったものの、その後は輪番制で再び天井の上に登って警戒を行っていた。そうして瞬が戻った後、カイトは入れ替わりに天井へ戻っていた。
「ふむ……」
ガラガラガラ、と動く馬車の音と蹄鉄の音を聞きながら、カイトは森の状態に意識を向ける。
(……森の生き物は……殆どが逃げた……んだと良いんだが)
この森は殆どが魔物の毒に汚染されてしまっている。故に、残っていた場合待つのは死だけだろう。先にユーラはまだ致命的にはならない、といったがそれはあくまでも人の場合は即座に、というだけだ。動物達であれば、致死量はより少ない。
(いや……とりあえずは今はオレに出来る事をしておくか)
どうにせよ、すでに汚染されてしまった動物達を今この場でなんとかしてやる事は出来ない。せいぜい獣医達も動員し、早急な救援を行うだけだ。が、そのためにもまずは、元凶を何とかする必要があった。
「……」
意識を集中し、カイトは世界の流れに身を任せる。そうして、大きな流れの中。この森の中心に居る巨大な気配を探り当てる。
(……ランクは……A相当。詳細は不明……まだ<<腐敗する竜>>よりは楽な相手か……水中でなければ、だが。最悪は……まぁ、幾つか手を考えておくか)
伊達にこちらで十何年も公爵としての裏で冒険者として活動していない。カイトはこういった正体を隠さねばならない場合で、同格と言える相手と戦って勝つ方法を幾つも学んでいた。と、そんな所にソレイユが天井に登ってきた。
「にぃー」
「ん? ソレイユか。どした?」
「お仕事でーす。今回私のお仕事は森の調査ですのでー」
「そういや、そうだったな」
まぁ、見るまでも無いだろうが。カイトは枯れつつある木々を見ながら、僅かな苦笑を浮かべる。この森は常緑樹の森ではなく、落葉樹の森だ。なので冬になれば必然落葉が見られ木々も若干はやせ細り殺風景になるが、今は例年に増して殺風景だった。
「で、にぃー……それ何?」
「ん? ああ、これか……ナイフだが」
「木で出来てない?」
「出来てるな。後々自然に還って欲しいんでな」
カイトは自身の周囲に置いておいた木製のナイフを一本手に取ると、馬車の上から放り投げて魔力で操作して近くの木の根っこへと突き立てる。
「ナイフの刃の部分に、浄化のルーンを刻んでおいた。これである程度は、か」
「この道沿いで良いの?」
「きちんとバラバラになるようにはしてる……こんな風に、な」
先程と同じく軽い感じで投げられた木製のナイフであったが、それはわずかに浮かび上がるとほぼ同時にまるで弾かれたかの様に急加速。遥か彼方にまで飛んでいった。
「おー……すごい勢いで飛んでいった……」
「あれには加速のルーンやら何やらを刻んでおいた。この森の全域を覆う様にやってる。それで、樹木医やら獣医が来るまで保つだろう」
「へー……」
彼方へと飛んでいったナイフを見送って、ソレイユが感心した様に頷いた。と、そんな彼女であったが、すぐに気を取り直す。
「あっと……仕事仕事ー。んー」
「……お前、良く考えれば他が割と真面目に資料取ってるのに、結構適当にやるよな」
「私は私が出来る事をするのです」
まー、多分アンブラ以外だとお前が一番感覚は鋭敏なんだろうけど。カイトは笑うソレイユを横目に、そう思う。そんな二人であったが、同時に右に向けて矢とナイフ――本物のナイフ――を投げ放つ。そうして、迫りくる鳥型の魔物が消し飛んだ。
「んー……やっぱ葉が落ちちまってるから、見付かりやすいかー」
「こればっかりはねー……んー……」
「何かあったか?」
「ほら、これ」
カイトの問いかけを受けて、ソレイユは風を操って地面に落ちていた葉っぱを一枚回収する。そうして差し出された落ち葉を受け取り、カイトは首を傾げた。
「落ち葉がどうした?」
「毒含んでるよ」
「んなもんほいっと渡すなや!」
あっぶねーな。カイトは慌てて落ち葉を投げ捨てる。これにソレイユが笑った。
「あはは。これじゃないよー」
「あ……そりゃそうか」
慌てて投げ捨ててしまったが、よくよく考えればソレイユもまた素手で触っていたのだ。となるとつまり、これに毒は含まれていないのだろう。
「じゃあ、何が毒を含んでるんだ?」
「この木だけど、特定の形状の葉っぱに毒素を蓄積するの」
「つまり、これは含んでいない葉っぱと」
「そだね。でも……」
カイトの言葉に頷いたソレイユであったが、彼から視線を離して改めて木々に視線を向ける。そうして見えた木々は、殆ど葉っぱが落ちてしまっていた。
「今もまだ残っているのは、これと同じ形状の葉っぱしかないでしょ? こっちの……この長細くてちょっと太い葉っぱは無い」
「ああ……」
どうやら件の長細い葉は本当に毒を含んでいるらしい。ソレイユも魔糸で絡め取って触らない様にしていた。後に植物の専門家からカイトが受けた報告によると、この葉っぱは落ちた数枚で致死量の毒を有するらしい。その分他の葉には毒は行かないが、という事だそうだ。そうしてそんな葉っぱを専用のケースにそっと保管し、ソレイユが続ける。
「毒を受け入れる受け皿がなくなっちゃってるの。後はじわじわ、毒が溜まっていく」
「つまり、この森が死ぬのも時間の問題、と」
「うん」
伊達や酔狂で専門家として参加しているわけではない、か。カイトはソレイユの解説になるほど、と納得する。
「どれぐらい保ちそうだ?」
「一ヶ月……ぐらいかなー。それも全体で見て、だけど。勿論、にぃの浄化抜きだけど」
「なるべく早い内になんとかするしかないか」
「そだねー……そろそろ中心部の木は死んじゃってそう。早めに、した方が良いよ」
カイトの言葉にソレイユもまた即座に同意する。彼女としてもハーフリングとして、森が死ぬのはあまり良い気分ではないらしい。早めの対処をカイトへと進言する。
「わかってる……ま、ちょっと持ってる所はある。手を貸してもらう事になると思うけどな」
「りょうかいでーす」
カイトの言葉にソレイユは楽しげに笑って敬礼を行う。そしてどうやら、真面目な会話はこれで終わりだったらしい。ソレイユは再び馬車の中へと戻っていく。その一方、カイトは再び一人となり木製のナイフを投げながら、見張りを行う事にする。
「ふむ……」
『何か、見付かりますか?』
「ヴァルトさん……今の所、こちらは特に。そっちはどうですか? 馬達に影響は」
『ああ、それなら大丈夫です。定期的に休息も取らせていますし……首の所に毒を防ぐ『防毒のネックレス』を装着させています。足からの影響は無いでしょう』
「なるほど……良くも悪くも、<<腐敗する竜>>の影響を防ぐ為の対策が役に立ちましたか」
一応、馬車に関する手配や用意はヴァルトとゲンティフが行っており、カイトも詳しい所は知らなかった。が、元々<<腐敗する竜>>という毒を持つ魔物が居た以上、その対策の一環で毒対策をしていたのは言われるまでもなかった。
『ええ。今日明日、ここを抜けるには十分でしょう』
「そうですか……それなら、大丈夫でしょう。一応、野営地は結界と土地の整理で念の為浄化はしておきますし……」
『そうですね……浄化出来る程度であれば、良いのですが』
野営地を設営する上で、土地の浄化を行うのは絶対だ。今回の様に土地が汚染されている可能性は無いではないし、誰でも彼でもアンブラの様に土地が汚染されている事が分かるわけではない。
なら、冒険者達は自衛の為にまず土地に対して浄化を行うのであった。が、これも限度がある。出来る範囲を超えてしまっていないか、ヴァルトは気になったらしい。
「それは祈るしかないかと……まぁ、別の手も考えてはいるので問題はないでしょうが」
『何かあるのかな?』
「ええ……要は、地面に直接触れなければ良いだけかと。昨日荷物を見たら、天井が壊れた場合に使う為の幌の予備がありました。それにちょっと手を施せば、即席のシートになってくれるかと。寝るには狭いですが焚き火などを作る分には、問題無いでしょう」
『なるほど……確かにそれが一番かもしれないね』
カイトの返答に、ヴァルトが感心した様に一つ頷いた。そうしてカイトはヴァルトと共に話しながら進む事少し。馬車がゆっくりとだが速度を落としていく。
『カイト。一度戻ってこい……ヴァルト、悪いが見張りはそのまま頼む。カイトに少し知恵を借りたい』
『はい』
「はい」
どうやらここまでの情報を一旦集約し、次の一手を考える事にしたようだ。そうして、カイトは馬車の中に入って少しの間ミーティングを行う事になるのだった。
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