第2143話 馬車での旅 ――土地調査――
『何やってるんだ、こんな所で』
カイトは草木の一本、それこそ雑草一本さえ生えない大地をじっと見詰める少女へと問いかける。それに、少女は悲しげに微笑んだ。
『ここなー……ちょっと前までは結構良い土地だったんだー……たくさんの作物が育ってなー……』
土を掬い、少女は死んだ土地に首を振る。何があったかは定かではないが、少なくともよほどの事がなければここまで不毛の地になる事はない。それほどの様相だった。
『……駄目だなー……完全に死んじまってる。ここまで死ぬと、もう駄目かもなー……』
『……』
少女の横で、カイトもまた屈んで地面の土を掬い上げる。すくい上げた土はパサパサで、水気は一切無い。無論、すくい上げた下にミミズやダンゴムシなどの生き物の気配も一切無かった。
『雨が降ってない……ってわけじゃないよな?』
『雨なら定期的に降ってるぞー……最近は降ってないけどなー。最後は二週間ぐらい前かなー』
『だよな。二週間ぐらいじゃ流石にここまではならんだろうからなー』
この荒れ方は明らかに水が与えられていないなどが理由で起きているわけではない。そうして、彼はこの頃になりティナから学んでいた錬金術の基礎。分析の魔術を起動させる。これに、少女が問いかける。
『……何やってんだー?』
『錬金術の基礎……すっげ。何だこりゃ……これが炭素だから……こっちは多分リン……だよな。窒素……うっわー……なにこれ。めちゃくちゃ少な……なんだろ……死んだ土地ってのはこうなっちまうのか……』
これはひどすぎやしないか。カイトは自身の知識があればこそ分かる現実を見ながら、思わず顔を顰めるしか出来なかった。流石に肥沃な大地にどれだけの成分が含有されているかはわからないが、練習で見てきたいろいろな土地より遥かにひどい状況が見て取れたらしかった。
『見れんのかー?』
『流石に詳しくはわかんね……単なる見習い小僧だからな』
『そっかー……』
おそらく人間種で自分と同年代だろう少年が詳しく分かるほど、世の中甘くはない。少女は困った様に笑って首を振ったカイトに、少しだけ残念そうながらも頷いた。土地が死んでいるのは見れば分かる。見れば分かる物に多少学術的な話が付随しただけだった。そうして、少女が問いかける。
『あっち、何があるか知ってるかー?』
『この国の王都の事か? 結構遠いけどな』
『そだなー……どんぐらい前だったかなー……移動要塞が王都目指して進んだ事あってなー』
移動要塞。それは三百年前の大戦において猛威を振るった移動拠点だ。当時は一隻につき中小国の一国分の総戦力にも匹敵する戦闘力を有しているとさえ言われており、戦争終盤の各国が疲弊した状態では大国でさえ攻め落とされかねない驚異となっていた。そんな移動拠点が通り過ぎた後を遠くに見ながら、少女はどこか怒りを滲ませながら語る。
『そいつ食い止める為に、ここにでかい魔導砲を王都の奴らがぶち立てやがったんだ……で、ご覧の有様さー』
『で……結果はお察し、と』
『そんなとこだなー……無茶苦茶しやがって。私達にゃ、どっちが悪魔なんだか……』
死んだ土地。遠くに見える削られた山。その横に見える何かが荒らして過ぎ去った後。そしてその先にある廃墟。これが意味する所なぞ、察するにあまりあった。と、そうして少しだけやるせなさを滲ませた少女が笑った。そこは先程までの怒りも嘆きも薄れており、若干の柔らかさがあった。
『……悪いなー。愚痴聞いてもらってー』
『良いって。そもそも声を掛けたのはこっちだからな』
『そだなー……で、どしたー?』
『ああ。こっちに誰かが向かった、って聞いてな。確かめに来た』
『そかー。それは悪い事しちまったなー』
なるほど。少年は自分を呼びに来てくれたらしい。少女はカイトの言葉に勝手をしてしまったか、と僅かに恥ずかしげに反省する。
感傷に駆られて勝手に足が動いてしまったが、思い返せば誰にも何も言っていなかった。最悪、このまま置いていかれてここで野垂れ死にだ。些か、向こう見ずな行動だったと言わざるを得ないだろう。
『ああ、私はアンブラ。一応、地質学者やってんだー』
『あっと……オレはカイト。カイト・フロイライン』
『そかー……戻るかー』
『かー……ん?』
アンブラ。そう名乗った少女と共に死んだ土地に背を向けたカイトであったが、その寸前で足を止める。が、すぐに笑って首を振った。
『……そか』
『どしたー?』
『なんでもない』
全く。流石は大精霊という所か。物理法則も何もあったもんじゃねぇな。カイトは脳裏に響いたノームののんびりとした声を聞いて、もはや呆れた様に笑う。そうして、この翌日。何かしらの魔術の影響により完全に死に絶えた土地は、カイトとノームの力により奇跡的な復活を遂げる事になるのだった。
時は流れ、三百年後。戦争を終わらせ公爵となったカイトと、土地の復活の奇跡を経てカイトと共に歩む者の一人となったアンブラは<<腐敗する竜>>という魔物の出現により汚染された土地の調査を行う任務を請け負っていた。そんな二人は、たどり着いた第一の調査地点にて調査を開始していた。
「さー、ちゃっちゃと調査やっちまうかー」
「いや、待て。なんでオレまでこっちに参加させられてる」
「あんたが居ると楽だからなー。荷物持ち一人に雑用係が一人居ると本当に楽だぞー」
「すいません……本当にすいません……」
ぺこぺこ。アンブラの傍若無人な態度に対して、助手はカイトへと何度と無く頭を下げる。一応言うが、本来カイトがマクダウェル公カイトである事をアンブラも知っている。が、それ以前からの付き合いであるアンブラもカイトに対してはそれまでと変わらない対応をしているのであった。
「ああ、良いですよ良いですよ。別に……いつもの事ですから」
「はぁ……」
「まー、それはさておいて。とりあえずあんたの方はさっさと保管用のケースの準備しちまえー。そいつ終わんないと、何時まで経っても調査はじめらんないんだからなー」
「あ、すいません! すぐやります!」
アンブラの指摘に対して、助手は大慌てで作業を開始する。一応まだ汚染地域には入っていないが、魔物は出没する地域だ。いつまでも止まっていると魔物が来て戦闘になりかねない。
なるべく早めに作業を終わらせ移動したい所だった。というわけで、その作業を横目にアンブラはカイトと共に土の回収を行う事にする。
「さーて。じゃ、さっさとやっちまうかー……んー」
「どんぐらいディグる?」
「そだなー……とりあえず50メートルぐらい下まで掘ってみとくかー。後は地表とだなー」
カイトの問いかけに対して、アンブラは地面をペタペタと触ってみてそう告げる。そうして、彼女は杖の形状の魔道具を取り出した。それを、彼女はカイトへと手渡す。
「さーて……カイト。こいつの使い方はわかってんなー」
「何度もやったからな。学園の農地設営にも使ったし」
「だなー……まぁ、あそこらの土地は肥沃だから問題はなかっただろうけどなー」
「まな……さて」
アンブラと話しながら、カイトは杖の先端を地面に突き立てる。これは謂わばボーリング調査用の魔道具で、指定した範囲まで土を垂直に掘り起こす事が出来るのであった。
というわけで、カイトは杖を引き抜く様にして地面を持ち上げ、杖を指揮棒の様に操っておよそ20センチ四方で地面を10メートルほど引き抜く。
「こんなもんか?」
「だなー……良し。これで一個目」
「あいよー」
引っこ抜いた地面の一番下。丁度地下10メートル程度の深さの部分にあった土を回収し、アンブラが一つ頷いた。それを受けて、カイトは再度杖を操って地面を元通りに埋めてしまう。そうして再度地面に杖を突き刺して、今度は20メートルほどの長さで地面を引っこ抜いた。
「次」
「良し……二つ目確保ー」
「あいよー」
再度アンブラが20メートル地点の地面を回収したのを受けて、再度カイトが引き抜いた地面を埋める。これを繰り返す事数度。六つのサンプルの回収に成功する。
「ま、こんなもんかー」
「で、地質学者としてどうよ」
「んー……まぁ、悪くないんじゃないかー? 多分なー」
少しだけ楽しげに、そして茶化すような様子でアンブラが告げる。これにカイトも笑った。
「そか。それなら幸いだ」
「だなー……三百年前を思い出したぞー」
「……」
楽しげなアンブラの言葉に、カイトもまたわずかに笑う。実際、やった事は同じといえば同じだ。ノームの力で汚染された土地をある程度浄化しておいたのであった。討伐された時期と浄化の度合いを鑑みて、アンブラはそれに気が付いたのだ。と、そんな事を話しながら馬車へと戻る事にした二人に、助手が声を掛けた。
「先輩。サンプルの保管完了です」
「そかー。きちんと一回目って書いたかー?」
「はい。勿論です」
アンブラの問いかけに、助手は一つ頷いて保管用のケースの側面を見せる。そこには確かに数字の1が記されていた。
「そかー。ま、流石にそこらでミスるとは思わんから、別に良いかー……」
「おーい! お前ら! サンプルの確保は終わったのかー!?」
作業を終えて撤収の用意を進める三人の所に、馬車の中からゲンティフが顔を覗かせて問いかける。調査がある程度終わったと見た頃合いで再出発の為に彼は一足先に戻っており、そちらの用意を整えてくれていた。
「終わったぞー」
「そうか! なら、急いでくれ! どうにも魔物の一団が近付いてそうでな! 瞬の奴にはすでに準備させてるが、さっさとズラかるぞ!」
「おっと……カイト」
「あいよ」
アンブラの要請を受けて、カイトは彼女を抱えて一気に駆け抜ける。それに、助手が慌てて走り出した。
「ちょっ! 待ってくださいよー!」
「悪いなー。これは一人乗りなんだー」
「オレは乗り物じゃねぇよ! ユリィ!!」
「あいさ!」
馬車の昇降口の先から、ユリィが顔を出してアンブラと入れ替わりにカイトの肩に乗る。そうして更に日向と伊勢を回収し、カイトは一気に馬車の天井の上に飛び上がった。そこではすでに瞬が待機しており、万が一に備えて戦闘態勢を整えていた。
「どんなもんだ?」
「まだ二キロ程度先だ……が、見れば分かるという所か」
「ま、そうだわな」
現在一同が止まっているのは草原地帯だ。しかもここから更に進むと<<腐敗する竜>>による土壌汚染の影響で枯れた土地しかなく、遮蔽物が無い状況だ。
速度の速い魔物に追われれば逃げ切れる可能性はかなり低かった。そして現状はというと、相手に発見されている状況だった。そうして瞬の指し示した方向を見たカイトが大凡の状態を把握する。
「まだ、こっちを確認出来ているわけじゃない感じか」
「巨人種……か。ランクはCも上位か……はぐれ、か?」
「だろうな……ゲンティフさん、ヴァルトさん……速度ゆっくり目で。幻影の魔術で姿を隠せば、今ならなんとか出来るかと」
『了解……ヴァルト、良いか?』
『はい。では、だく足で進みます』
カイトの報告にゲンティフとヴァルトが一つ頷いた。どうやら、異論は無かったらしい。そうしてなるべく物音を立てない様に動き出した馬車の上で、カイトはユリィへと頷いた。
「いえっさー……はい、これで完了」
「よし」
展開された簡単な幻術に、カイトは一つ頷いて肩の力を抜く。これは幻術としてはかなり低級で、単に光を屈折させているだけのものだった。が、二キロも離れていればこれで大丈夫だろう、と判断したのである。そうして、唐突に消えた馬車に魔物が困惑を示す。
「「「……」」」
困惑を示す魔物を見ながら、カイト達は息を潜める。そうして、数分。魔物は気にする必要もないと判断したのか、馬車に背を向けて去っていった。
「……こちら天井。問題無し。去っていきました」
『そうか……念の為にもう少しの間幻術を展開しておいてくれ。ヴァルト、速度は戻して良いぞ』
『はい』
カイトの報告にゲンティフが一つ頷いた。そうして再び速度を上げ始めた馬車に揺られ、一同はそこから幾つかの調査ポイントを経由して進む事になるのだった。
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