第2119話 草原の中で ――勇者と令嬢――
幻獣達からの助言により、今何をするべきかを理解したソラ。そんな彼はファブリスと共に幻獣達の集まりの場から離れていく事になる。そうしてそれを横目に確認――常にそちらを見れる様にはしておいた――したカイトが、今話していた相手に一つ断りを入れる。
「っと……失礼。どうやら、次の所の客が戻った様です」
「待ち人?」
「ええ……」
今しがた話していた商人が首を傾げたのを受けて、カイトはわずかに視線を動かす。その先に居るのは、圧倒的な圧を有する幻獣達だ。
「まさか……彼らと?」
「ええ。筋として、ね」
しー。驚いた様子の商人に、カイトは少しだけいたずらっぽく唇に指を当てた。これで大凡は理解出来るだろうし、実際理解していた。故に、商人は止める道理が無く頷くしかなかった。
「流石、と言わせて頂きますよ。まさか自ら進んであちらに進むとは。私には到底出来ません」
「まさか。幻獣達とて、皇帝陛下や公爵閣下達には及びませんよ」
「そう言えるのは、貴方のような方ぐらいなものです」
カイトの言葉に、商人は一つ笑ってわずかに上体を捻る。カイトが去るのなら、この場でそのまま立ち止まっている意味はない。そう判断したのである。そうして商人と別れ、カイトはリリーと二人幻獣達の所へと向かう事にする。
「お嬢様。申し訳ありません、お付き合いくださって……」
「いえ……アストール家とて幻獣を何体も排出した家。あちらに居る幻獣達の中には、かつて祖先が世話になった方もいらっしゃいます。幻獣達とつながりを持つのは、家として当然の事です」
「ありがとうございます」
それに、お父様よりも行く様に言われてますし。そんなリリーの言葉にカイトは一つ礼を言うと、先にソラが去った幻獣達の集会所へと向かう事にする。
『む?』
『これは……』
どうやら、幻獣達もカイトが来るとは思っていなかったらしい。唐突に姿を見せたカイトに、幻獣達が揃って僅かな驚きを露わにする。が、そんな彼らもカイトの性格から彼が来ても不思議でないだろう事、横に緊張を隠せぬ――更にはファブリスと似た雰囲気がある――少女を見て、大凡の状況は察したらしい。
「少々、良いか?」
『構わん』
「ありがとう」
幻獣の最長老の許可を受けて、カイトはその場に腰を下ろす。
『まさか、もう一人来るとは思っていなかったぞ』
「私の事を聞いて?」
『いや? 何も言っていなかった。が、気配でわかる……少しな。違うのだ』
最長老は敢えて主語を抜いて、カイトの問いかけに嘯いた。気配でわかる、というのはカイトの事だ。いくら彼らとて、異世界人で気配が異なるとわかるわけがない。が、それでもリリーはカイトが勇者カイトと知らないからこそ、驚いた様にこう問いかけた。
「異世界人だと気配が違うのですか?」
『アストール家の小娘だな? お主は気配ではなく匂いでわかる。さて……そこらは我らにもわからん。なにせ例が足りない。が、これの気配が違う事はわかった。故に、日本人がもう一人居るのだろうと思ったのよ』
「なるほど……失礼致しました。名も名乗らぬ無礼をお許しください。リリー・アストール。どうか、お見知りおきを」
『構わん構わん。そなたらが名を名乗るよりも前に、言の葉を紡いだのは我よ。それに目くじらを立てては、度量が知れよう』
リリーの謝罪に対して、最長老は楽しげに笑う。そうしてそれが終わった所で、カイトが口を開いた。
「では、改めて……カイト・天音です」
『うむ……して、如何な用か』
「まずは、礼を。サブマスターのソラが世話になりました。ありがとうございます」
『なるほど。礼儀正しい在り方、良い事だ』
変わらぬな、この男は。最長老は立場が変われど変わらぬカイトの姿勢に、一つ上機嫌に笑い頷いた。昔から、彼は誰か知り合いが世話になればこうやって自分で頭を下げに来るのだ。
勇者カイトの表面しか知らない、伝承しか知らない者が驚く点の一つで、幻獣達がイクスフォスよりカイトを評価しているのにはこの礼儀正しさがあった。無論、イクスフォスが礼を尽くさないという意味ではない。ただそこに所作が整っているのはカイトだ、というだけである。
「ありがとうございます」
『良い。その姿勢、ゆめ失わぬ様にせよ』
「はい」
だから、お前は手助けしてやろうと思うのだ。最長老はおそらく言わずとも変わらないだろうカイトに、内心でそう思う。こうやって礼を尽くされれば、感謝してくれれば幻獣達は次もカイトを助けようとしてくれる。そこに、幻獣も人も精神に大差はなかった。
『して、用はそれだけか』
「ええ……今、お力添え頂くべき事は私には。敢えて言うのであれば、ソラの手助けをしてくださった方が良かったのです。それが、ひいては私の助けになる」
『そうか……なら、もし困り事があれば我らを頼るが良い』
「ありがとうございます。その時は是非」
いつかの様に。最長老の言葉に、カイトは素直に一つ頭を下げる。その一方、そんなやり取りを交わしたカイトに、リリーは内心で驚愕を得ていた。
(幻獣から、しかも最長老からほぼほぼ一瞬で言質を取った!? なんなの、こいつ!)
あり得ない。リリーは幻獣達が、しかもその最長老とでも言うべき格を持つ幻獣が一切の迷いなく上機嫌にカイトへの助力を明言した事にただただ驚くしか出来なかった。とはいえ、それで終わるのも少し味気ないと思ったのか、最長老はリリーへと問いかける。
『して、小娘。そなたはどうか』
「私……ですか?」
『うむ。ルフトゥからそなたの話は聞いている。が、その程度といえばその程度。何か困り事でも無いか、とな』
「は、はぁ……」
そもそもリリーとしては父の要望に沿って動いたカイトと、同じく父の言外の要望に沿って一緒に来ただけだ。質問も困り事も何も考えていなかった。
『無いか?』
「……はい。私は彼と共に居る様に父に言われましたので、共に来ただけですので……申し訳ありません」
『言われただけで来たのか』
「はい」
一切の迷いなく、リリーは最長老の確認にはっきりと頷いた。それに、幻獣達が笑い出した。
『『『ははははは』』』
『これは面白い小娘だ』
『ええ……久しぶりです、この様に何も物怖じしない娘は』
「え?」
私何かやっちゃったの。楽しげに笑う幻獣達に、リリーは先程のカイト以上の驚きと困惑、そして焦りを得る。が、これに先にソラに問いかけをしていた女性的な幻獣が教えてくれた。
『ああ、そういう事ではありませんよ。別に怯える必要も無い事です』
『うむ……なるほど。カイト……連れの女は面白いな』
「でしょう?」
「え? え? え?」
どうやらカイトには幻獣達の笑いのツボがわかっていたらしい。最長老の言葉に同じく肩を震わせて同意した事を受けて、リリーは驚きより困惑が勝ったらしい。視線を幻獣達とカイトで何度も往復させていた。そんな彼女に、最長老が教えてくれた。
『普通は、我らの前に来るとなるともっと緊張するものなのだ。先のお主の弟の様にな。その点で言えば、お主は先の小僧以上の胆力を有しているのであろう』
「はぁ……」
こう言われてもさっきの一幕を見ていない以上、リリーにはわかりようもない。故に彼女は最長老の言葉に困惑気味に頷くしか出来なかった。これに、先の女性的な幻獣が語る。
『普通は言われただけで来て、そうも平然とはしていられませんよ。用があって我らの前に来た者たちでさえ、腹に力を込めねばまともに話せもしない事も少なくない』
『ルフトゥ。中々面白い、というお前の言葉。正しかったようだな』
『ええ……中々、面白い娘でしょう?』
幻獣達の問いかけに、ルフトゥが楽しげに笑う。どうやら先にルフトゥが語っていた、という所の主な部分はこの物怖じしない様子にあったらしい。
『うむ……こうも物怖じしなかったのは、何時以来だったか』
『長らく……勇者を知らぬ若い者であれば初ではないでしょうか。私は何人か見てきていますが……』
「あの……それで言えばカイトさんも物怖じされていないような……」
『む? ああ、これは道理であろう』
リリーの指摘に対して、最長老は何を驚く必要が、とばかりに首を振る。そうして、彼が告げた。
『明らかにな。覇気が違うのよ。ここまでの覇気を有するのであれば、我らを前にしても物怖じする事はあるまい』
「覇気?」
『そんなものだ。詳しくは感覚的であるが故に、説明は難しい……敢えて言えば、存在感とでも言えば良い。無論、お主は違うがな。流石にカイトとお主を同格とは思わぬ』
最長老はどう説明したものか、と思いながら、リリーにはその覇気は無い事を明言する。言うまでもないが、カイトの覇気は彼の才覚と経歴によって磨かれたものだ。それをリリーが持ち合わせている事はあり得なかった。
『ふむ……お主はおそらく、自我がよほど確かなのであろう。我らの圧を前にしても確固たる自我があればこそ、自分を保っていられる。無論、今は我らも圧を放ちはしないので耐えられているだけの事でもあるが』
「はぁ……」
幻獣の、それも最長老が言うのであればこれは確かなのだろう。リリーもその点については納得出来たが、同時にいまいち理解出来なかったようだ。そうしてひとしきり楽しげに笑った後、最長老は一つ上機嫌に告げた。
『まぁ、無いのであればそれで良い。困り事なぞ無い方が良いのだ』
「それは私もそう思います」
『うむ』
そうやって普通に返せているのが、実は凄い事なのだと理解していないのだろう。幻獣達は平然と相槌を打ったリリーにそう思う。が、こればかりは他者と比較しなければわからない事だし、今回は比較対象となり得る相手がカイト一人だという厄介な点があった。カイトもそうなので、これが普通と思ってしまっていたのである。
『ま、お主の場合はルフトゥが近くに居るのであろう。お主の求めであれば、ルフトゥも拒みはするまい?』
『無論、そのつもりです。もとよりルフレオは我が盟友。盟友の娘の頼みであれば、聞くのはやぶさかではない』
「ありがとうございます」
『良い。我にとって、お前もまた我の娘のようなものだ』
長く、それこそ生まれた時から見守ってきたのだ。故にルフトゥはリリーは勿論の事、ファブリスの求めにも二つ返事で応ずるつもりはあった。そうしてどちらも質問や困り事は無い、という事でパーティの場であまり長話をするわけにもいかない、と二人はその場を離れ、再度パーティ会場へと戻る事にするのだった。
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