第2110話 草原の中で ――未来を――
アストール伯からの要請によりアストレア家のパーティに参加する事になったカイトとソラ。そんな二人はそれまでの間引き続きファブリスとリリーへの家庭教師を行いながら過ごしていた。そうして最後の訓練の日から明けて翌日。二人は一週間ぶりにハンスと再会していた。
「よぉ、二人共。ハイネスから話は聞いてる。ご苦労だったな」
「いえ……それが仕事ですからね。それに、色々と発見があって楽しかったですよ」
「そうか」
楽しげなカイトの返答に、ハンスは一つ頷いた。そんな彼はやはり一週間の休養を得たからかかなり覇気に溢れており、ここからの仕事に十分な英気を養う事が出来たのだろうと察せられた。
「で、一週間ぶりなんだが……まぁ、ざっと報告頼むわ」
「「はい」」
ハンスの要請を受けて、カイトとソラはこの一週間の報告を行っていく。と言っても基本的に目新しい事や特異な事――魔術を行使しだした事など――はハイネスが前もって伝えており、ハンスも聞いている様子ではあった。とはいえ、使った魔術の系統などについてはカイト達しか把握していないので、主にはそこが報告事項だった。
「そうか。ってことは、今後はそこらにも注意して訓練しないとな」
「ええ……まぁ、まだ並の戦士に怪我を負わせられる領域ではないでしょうが……ああ、そうだ。一応アストール伯にも報告と提案はしてありますが、一度鳥かごの改修をしておいた方が良いかと」
「っと、そりゃそうだな。ああ、それについちゃ、俺からも言っておこう。まぁ、伯爵もわかっちゃいるだろう。そこについちゃ、心配するな」
やはりノイエの新たな力が発覚したのだ。となると、そこを勘案して鳥かごなどをきっちり作り直す事も必要だった。これについては戦う力を持たない従者達の為でもある。主人としての必要な事だった。
「はい。その他は……」
他に何かあったか。カイトはソラと共に他に必要な事が無いかを思い出し、一通り伝えられている事を確認する。そうして、およそ三十分ほどの時間を掛けて報告を終えて、二人は最後の仕事を終わらせる事になるのだった。
さて、ハンスへと報告を行って数時間。カイトとソラは改めてファブリスとノイエの訓練に参加していた。最後なので本職のやり方を見せてもらい、次回の依頼の参考にさせて貰うつもりだった。とはいえ、それももう終わりを迎え、後片付けに入っていた。が、そこでソラは疑問を得ていた。
「今日はこれだけなんですか?」
「ああ。明日にゃ移動だ。だからなるべく休ませておかないと、ストレスで身体を壊しちまう奴も居るからな。移動の前日は基本は過度の訓練はしないんだ」
カイトとは違い、やはりハンスは魔糸を自由自在に操れるわけではない。なので彼の場合は手作業で使った資材を片付けていた。
「なるほど……そういや、同じ便で移動するんですか?」
「ああ。まぁ、分けて移動する意味もねぇだろ。それに今回は領内の移動だしな。飛空艇も一隻で十分だろ」
「へ? アストール領でやるんっすか?」
確かアストレアでやる、って聞いた気が。ソラはハンスの返答に思わず目を見開いた。が、これにハンスが笑った。
「あっははは。まさか……って、そりゃそうか。マクダウェル領に居るお前さんはしゃーないか。一応、ここもアストレア領だぜ?」
「あ……そ、そういやそうっすね」
完全に失念していた。ハンスの指摘にソラが思わず照れ臭そうに笑う。基本分家の領地というのは本家から管理を任される形で与えられている。
なのでアストール領というのはアストレア領の中にあるアストール領というわけだ。言ってしまえば、アストレア国アストール領の方がわかりやすいだろう。これについては広大な土地を有する皇国独自の風習にも近く、その中でも特に五人の公爵と二人の大公のみが使う言い方だった。
「まー、そういう意味で言えば、本来はマクダウェル家の方が正しいんだろうがな。あそこは主家だけって話だからな。全部マクダウェル領で統一してるからな」
「まぁ……結局、勇者カイトが子供居ないって話っすからね」
「隠し子騒動は割と頻繁に起きてたらしいけどな」
「す、すねー……」
ソラは若干頬を引きつらせながら、自分の事が話されているとはつゆ知らず遠くで資材の確認を行っているカイトを少しだけ見る。どうやらネタになるほどには彼の隠し子騒動は起きているらしい。
「まー、実際、数々の浮名を流した勇者様だ。一人二人居ても不思議はねぇだろ」
「ど、どっすかねー」
あいつが聞いたら事実無根だ、と言いそうだなー。ソラは当人を知ればこそ、楽しげに笑うハンスの言葉に曖昧に笑うくらいしか出来なかった。
「ん? なんか知ってんのか?」
「まさか。クズハさんから聞いてるぐらいっすよ。お兄様は結構な浮名は流していましたが、子供は一人も居なかった事は事実ですし、お兄様も子供は一人も作ってない、と言っていたって」
「そうなのか」
ハンスはてっきりそう言われている程度だと思っていたらしい。ソラから聞いた話にへー、と頷いていた。そうして、ソラはこれ以上突っつかれてもボロしか出ないので、話の話題転換を図る事にした。
「ま、まぁそりゃ良いっしょ。どうせそんなの有名人にゃいつもある話でしょうし」
「それもそうだな」
「うっす……そういやカイトから聞いたんっすけど、アストール伯の相棒も明日は来るんですか?」
「ああ、ルフか」
「ルフ?」
「ああ。それがあれの名だ……正確にはルフトゥだ。昔は小さい奴だったんだが……教国との戦線でめっきり成長しやがってな。昔知ってる分、どうにもなぁ」
どうやらアストール伯のペットの名はルフトゥと言うらしい。首を傾げたソラに、ハンスは一つはっきりと頷いた。そうして、そんな彼が名前の由来を教えてくれた。
「意味は大空という意味だそうだ」
「へー……そう言えば、ノイエはなんて意味なんすか?」
「ん? そういや、俺も聞いた事がねぇな。まぁ、大事な相棒だ。意味の無い名前は付けねぇだろう」
多分何かの意味がある名前なんだろうな。そんな事をハンスは語る。が、それはファブリスにでも聞かねばわからない事だ。というわけで、ソラはそれについては後で聞いてみれば良いかな、と考える事にする。そうして、そんな彼が問いかける。
「で、そのルフトゥは一緒に乗るんすか?」
「んー……どうだろうな? あいつならアストレアまでひとっ飛びだろうし……時々、アストレア家から急ぎで呼ばれた時なんかは伯爵もルフに乗って行ってるから、迷いはしないだろ」
「わかるんっすか?」
「ああ。人語がわかるからな」
やっぱりなのか。ソラは昨日カイトが言っていた事を思い出す。と、そうして思い出してふと気になったので聞いてみる事にした。
「へー……そういや、カイトが昨日言ってたんすけど、幻獣なんすか」
「知ってんのか?」
ソラの問いかけに対して、ハンスがわずかに驚いた様子で問いかける。これに、ソラが首を振った。
「え? あ、いや……昨日かもしれない、ってカイトが話してたんで、気になったんっすよ」
「ああ、なるほどな。まぁ、お前の所のなら不思議もないか」
なにせあのイングヴェイが代役として推薦したのだ。その程度の噂は仕入れていても不思議はないか、とハンスも思ったようだ。というわけで、別に隠している事でもなし、とハンスは普通に明かしてくれた。
「そうだな。ルフトゥは幻獣、なんだろう。まだ若い部類じゃあるんだが……」
「幻獣って結局なんなんっすか?」
「ん? お前、幻獣と会った事はないか?」
「人語を解するほど賢い獣には会った事があるんですけど、その差がよくわかんないんっすよね」
意外だな。ハンスはなんとも言えない神妙な顔のソラにそんな感情を抱く。ソラも中々に高ランクの冒険者で、並の冒険者ではしていない経験をしている部類だ。その彼が幻獣と会った事が無い、というのが彼には不思議に思えたらしい。とはいえ、そんな彼にハンスはうーん、と悩む。
「そうだなぁ……俺もはっきりとした所はわかんねぇが……どうにもこうにも世界の知識を得られる様になった生命体を幻獣って言うらしい」
「へー……」
確かに言われてみれば、前に<<木漏れ日の森>>で出会った巨狼達は森が言っているとは言っていたものの、世界の知識が云々は言っていなかった。実際、人語を理解したのも人の言葉を聞いていると長く自然と覚えたというのが彼らの言葉だ。違うと言われれば違うような気がした。
「うーん……それだと日向ちゃんとか伊勢ちゃんってどうなんだろ」
「公爵家の二匹か?」
「うっす。あの二体ってどっちなんっしょ」
「そういや……人語は解してるって話は聞いてるけど、話したって話は聞かねぇなぁ……」
それどころか少女になるんっすけどね。ソラはどうなんだろう、と考えるハンスに内心そう思う。実際、現在カイトの旧知の学者達の間でも現在大紛糾しているそうだ。それこそ、極論では新たな神獣なのではないか、という説さえ提唱されているのだから、相変わらずカイトの凄まじさを如実に示していた。
「幻獣……なんだろうとは俺も思うんだが。流石にそこらは偉い学者さんらが考える事だろう。俺にもわかんね」
「すかね」
「おう」
「すか」
どっちでも良いか。もう考える事を放棄したハンスにソラも同意する。どうせこんなものを考えた所で結論は出ない。どちらも答えは知らないからだ。
「ま、それはそうとして……どうやって幻獣になるとかそんなんもわかんねぇな」
「結局、なんにもわかんねぇって事じゃないっすか」
「あっはははは! 一介の調教師に理論的な事を聞くんじゃねぇよ! 流石に専門じゃねぇわ!」
「そっすかね」
「そんなもんだ」
ソラの言葉にハンスは楽しげに笑う。改めて思い直してみれば、自分は何も知らないと同じだと言う事に今更ながらに気が付いたらしい。が、そんなものと言えばそんなものだ。それを、彼は口にした。
「が……世の中そんなもんだ。しっかりした所は賢い奴が考える。どうなってるか、なんてわからなくても今あるがままは誰でもわかる。そこをしっかり見据えて、そっからどうするか、どうしたいかが重要……なんだろうさ」
「……」
唐突に真面目な話をしたハンスに、ソラが思わず目を見開いた。それは真理といえば真理だ。原理がわからなくても、それがどうなっているかはわかる。そんなハンスの話に、ソラはわずかに考え込んだ。
「……」
「……あー、すまん。なんか勢いで柄にもない事言っちまった」
「あ、いや……そっすね。そこっすよね、重要なのは」
かなり照れ臭そうなハンスに、ソラはその言葉を認め頷いた。そうしてその後はどこか照れ臭そうなハンスと共に後片付けを終えたソラであったが、馬車に揺られながら考えていた。
「どした?」
「ん? ああ、いや……俺、何がしたいんだろうなって。一段落してみて、そう思った」
「うん?」
自身の問いかけに悩んだような様子を見せるソラに、カイトは不思議そうな顔で首を傾げる。が、カイトは敢えて笑った。
「ま、そこはお前が考えろよ。オレが口出し出来る事でもない。何か聞きたけりゃ、聞けば良い。それぐらいはしてやれる」
「あはは……ま、前みたいに考えすぎて迷惑掛けない様にだけは頑張るわ」
「そーしろ。ま、何でもやれる。やりたいようにやれば良いさ。人様に迷惑を掛けない程度にな」
やはりカイトはなんだかんだ大人なのだろう。ソラはカイトの表情にある大人の色に、そう思う。ある意味、それを羨ましくも思った。
(なんてか……羨ましいなぁ、こいつ。大人でもあるし、子供でもあるし……かと思えば、かなり老成したような感じも時々見せるし……)
実のところ、ソラは時々カイトが見せる賢者の表情に気付いていたらしい。それを少しだけ羨ましく思う。
(英雄……ってのは、こんなんなんかね)
思い出せばエルネストもそうだった。ソラは自身の記憶に最期まで力を託してくれた英雄を思い出す。自身に残されたまるでノイズのような彼の日常の一幕。彼もまた、時として若い様子から一転して英雄としての徳が見え隠れする事があった。
(……遠いなぁ……)
当然なんだろうけど。ソラは人間的にも成長すればこそ、遠くに見える事がわかってしまった友やたった一度だけ出会った英雄の背がこれほどまで遠いと理解し、困った様に笑う。そうして、彼はその後もしばらくどうしたいか悩みながら、時を過ごす事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




