第2103話 草原の中で ――草原の戦い――
アストール家からの依頼で一子ファブリスとそのペットである『ダイヤモンド・ロック鳥』の子供ノイエの調教の手伝いを行っていたカイトとソラ。そんな二人がアストール家に来ておおよそ一週間。二人も仕事に大分と慣れてきて、場所を変えての訓練も順調に進んでいた。
「ノイエ! 下だ!」
『っと!』
ファブリスの指示に急降下したノイエを見て、ソラが飛び出そうとしていた訓練用の魔道具を急いで引き戻す。この形での訓練が開始されておよそ一週間。ソラが訓練用の魔道具に慣れてきた様に、ファブリスとノイエも訓練に慣れてきていた。
故にファブリスの指示に迷いがなくなければその分ノイエもすぐに行動に入れていたし、ノイエもファブリスの指示に慣れてきた事で迅速な動きが出来る様になっていた。そうして再び草むらに消えた訓練用の魔道具であったが、流石にもう居場所はバレている。訓練用の魔道具が消えた草むらの上をノイエが飛び回っていた。
「……」
どうするつもりだろうか。カイトは無言で次の一手を考えるファブリスとソラを楽しげに見る。状況はソラが圧倒的に不利に見えて、その実ファブリスに絶対的に有利というわけではない。ここで次の一手を失敗すればその時点でソラがすぐに身を隠せるだろう。
今のソラの腕なら、ファブリスの死角を読む事は造作もない。逃げようとすれば逃げられた。が、流石にそれも現状では無理だ。どうすれば良いか、悩みどころだった。
(さて……坊ちゃんが上手く誘い出したまでは良かったが、そこで決めきれなかったのは痛かったな。現状、あの草むらの中に居る事がわかっているが、どこに居るかまではわからない)
おそらく上手く策にハマったからこその失敗だろう。カイトは敢えてどこに居るか気づきながらも攻撃を仕掛けさせなかったファブリスの失策を若さゆえと判断する。そしてだからこそ、今ファブリスの中には焦れが存在すると読み取っていた。その一方、ソラはソラで若干の焦りがある事も見抜いていた。
(さて……ソラ。お前はどうする? お前に時間は無い。このまま持久戦に持ち込んで焦れからの失敗を誘うのは愚策だ。後一分が限度だぞ)
ソラ自身、時間制限がある事はわかっている。これはファブリスとノイエの為の訓練。彼らには攻撃の失敗しか許されないが、ソラには密かに隠れられる時間制限があった。勿論、それはファブリスには教えていない――待てば良いと思われてしまう為――が。そうして、そんな両者を見比べたカイトは改めてファブリスを見る。
「石を投げ込む……ダメだ。その間に……なら……そうだ。<<ロック・フォール>>を使えば……でもどうやって……」
考えているな。必死で考えるファブリスをカイトは微笑ましげに見る。どうやら少しでも自身で掴める勝利が見えてきたからだろう。彼は待つ事ではなく、自分でどうにかして勝利を掴む方法を考えていたらしい。が、それを見抜けないソラではなかった。故に彼は限度ギリギリまで待つではなく、ファブリスの表情を見て動く事を決めた。
「『!?』」
唐突に草むらから飛び出した訓練用の魔道具に、ファブリスとノイエの主従が同時に気が付いた。そうして、一瞬遅れてファブリスが指示を出す。
「ノイエ!」
『!』
ファブリスの指示で一瞬だけどうするか悩んでいたノイエが一気に急降下する。そうしてノイエは急降下しグライダーの様に滑空し、訓練用の魔道具に並走する。しかしその足が伸びる瞬間を見定めて、ソラは訓練用の魔道具を急停止。急制動を仕掛けてスライディングさせた。が、その瞬間だ。どういうわけか訓練用の魔道具が飛び跳ねた。
「あ!」
「ノイエ!」
ソラの驚きの声が聞こえ、その機を逃さずファブリスがノイエへと指示を出す。それにノイエが急旋回を仕掛け、体勢を立て直そうとした訓練用の魔道具をキャッチした。
『あちゃー……』
「あははは。失敗したな」
『制動は上手くいったと思ったんだけどなー……なんでか跳ねちまった』
楽しげに笑うカイトに、ソラも少し困った様に笑う。それに、カイトが何が起きたか教えてくれた。
「少しだけ盛り上がっていた場所に足を取られたみたいだ。地面の勾配を読み違えたな」
『あー……なるほど……』
魔力で視力を底上げして、ソラも丁度訓練用の魔道具が跳ね上げたあたりを見て納得する。確かにそこらでわずかだが地面が盛り上がっており、人間ならなんともなくても、小さな訓練用の魔道具が急制動を掛けた状態でならそういう事も起こり得ただろう。
『ちっ……残念。今のタイミングなら、二回逃げ切れたと思ったんだけどな』
「読み間違えたお前のミスだ。諦めろ」
『わーってる』
カイトの指摘に対して、ソラも楽しげに笑う。今回はどう考えても、彼が地面の勾配を読み損ねてコケたのが敗因だ。
「で、坊っちゃん。坊っちゃんは幸運勝ちした事はわかっていますか?」
「はい……今のは流石に幸運だったかな、と」
「ええ……ですが、一度気付いた後に敢えて泳がせて動きを待ったのは見事でした。後一瞬遅ければ、ノイエは見事一発で捉えられていたでしょう」
最後の最後は失敗した。そう理解していたファブリスに対して、カイトは最初の手腕を称賛する。あそこで失敗しなければ、彼の方の勝利で確定していた。それが出来なかった時点で本来は彼の敗北もあり得た――特に精神状態も相まって――が、今回はソラの失敗に救われたという所だっただろう。
「はい……少し焦れたんだと思います」
「でしょう。その後、考え込んでしまって草むらから意識が離れてしまったのも、よくなかった。もし考え込みたい場合は、サブの思考回路を作るべきでしょう」
「サブの思考回路……魔術師の方がよくやっているというあれですね」
「ええ。そうすれば、敵に意識を集中しながら考える事も出来ます。もし坊っちゃんが魔物使い側に進まれる場合、覚えておいて損のないスキルでしょう」
「はい」
魔物使いは基本的には魔物を操って戦う者だ。なので基本は後衛職と言われる事が多く、魔術師と同じ運用をするのが基本とされていた。
そして魔物を複数扱う魔物使いも少なくなく、そうなると軍や部隊の運用と同じ動きを求められる事も多い。そうなってくると、魔術師と同じくサブの思考回路を設けている者は少なくなかった。
「ええ……ん?」
「どうしました?」
「いえ……カイト・天音です」
カイトは不思議がるファブリスを手で制すると、ヘッドセットに手を当てて通信を接続する。遠方ではソラもまた同じ様に手をヘッドセットに当てており、何かの通信が入っていた事がファブリスにも察せられた。
『ああ、私だ。聞こえているな?』
「ファルザーさん、聞こえています」
ファルザー。それはファブリスの訓練の間、展開された結界の外側で外とのやり取りを行ってくれている兵士の隊長の名だ。そんな隊長は手早くカイトとソラに状況を伝えた。
『遠方で訓練を行っていた軍からの連絡だ。訓練に触発された魔物の群れが軍へと襲撃。一部の魔物が周囲に散っていて、こちらにも来る可能性が高いとの事だ。また、それに伴い山から魔物が動く可能性もある。十分に気を付けてくれ』
「了解しました。そちらは訓練場側から流れてくる魔物の警戒を。こちらは山側の警戒を行います」
『大丈夫か?』
「問題ありません……伊達でランクAの冒険者をやっているわけではないですよ」
『そうか』
冒険者のランクはよほどの特例がなければ、戦闘力の評価でしか決定されない事は周知の事実だ。そしてカイトは皇国が鳴り物入りで宣伝している冒険者の一人でもある。ならその戦闘力は皇国が認めているという事にほかならず、ファルザーとしてもそちらの方が良いと考えていた。
「坊っちゃん。ノイエをすぐに戻してください」
「何があったんですか?」
「どうやら軍の訓練で魔物の襲撃を受けている様子です。こちらにも魔物が来る可能性がある。結界はありますが……結界への攻撃があったとてそれは避けられない。ノイエが興奮したり、怖がったりする恐れがあります」
「わかりました……ノイエ! 戻れ!」
幸いまだノイエも何が起きているか気付いていないらしい。ファブリスの指示に素直に従ってこちらまで降りてくる。そしてノイエが舞い降りたとほぼ同時に、ソラもまたこちらへと戻ってきた。
「カイト」
「ああ。打ち合わせ通りに頼む」
「りょーかい……ファブリス」
「はい」
元々訓練が外で行われると聞いた時点で、この可能性は想定されていた事だ。なのでソラもファブリスも予めこうなった場合にどうするか、と打ち合わせを行っており、ソラの言葉にファブリスはすぐに頷いてノイエをしっかりと掴む。
「良し……<<球状盾>>展開良し。カイト。こっちは準備完了だ」
「わかった。後は、何も無いままに終わってくれれば良いんだが……」
ソラによる球体の盾に守られたファブリスとノイエを横目に、カイトは遠くに見える少し小高い山の方を見る。基本的に局所の方が強い魔物が多いのは全世界共通だ。
なので山からもし魔物が降りてきた場合は軍の兵士では手こずる可能性があった。というわけで、こちらをカイトとソラが担当する事にしていたのである。と、そうして弓矢を編み出したカイトに、ファブリスが驚きを露わにする。
「弓矢……使えるんですか?」
「ええ……まぁ、本職ほどの射程距離と威力は出ませんが、牽制程度にはなる……数がいれば、その時はその時で考えます」
カイトとしては可能なら武器の投射による一掃をしたい所であるが、あまり他領地で自身の手札を晒しまくりたくはないらしい。何より隠蔽も面倒なので必要十分な力で片付けたい所だった。と、そんな彼の耳に、響くような動物の鳴き声が聞こえてきた。
「……軍の側か。ソラ、障壁は大丈夫か?」
「おう。これは……ウルフ系っぽいか?」
「ああ。タイガー系じゃないな」
鳴き声はどこか遠吠えに似ており、虎や獅子のようなどこか野太い鳴き声ではなかった。となると軍の戦闘に触発された群れの一つがこちらにやって来たという所なのだろう。そんな遠吠えを聞きながら、ソラがぽつりと呟いた。
「デカイ群れを引き当てたか……?」
「それか、訓練で調子に乗ったかだな」
あの程度であれば、鷲騎士による騎兵隊を有するアストール軍にとっては楽勝だろう。カイトはもしかしたら訓練で偶然に魔物の群れを見付け腕試し的に戦闘を仕掛けたパターンを想定する。
まぁ、どちらが本当かはわからないし、どうでも良い。重要なのは、これに影響されて山から魔物が降りてこないか、という所だった。と、そんな危惧をするカイトへ、ファルザーが再度告げた。
『これより戦闘を開始する。数人、巡視に残す。そちらの報告をしっかり聞いておいてくれ』
「了解。こちらは基本は山側に意識を集中します。それ以外は任せます」
『了解した……では、行くぞ! 応戦を開始しろ!』
カイトの返答を了承したファルザーが、号令を下して他の鷲騎士達に戦闘開始を告げる。そうして一つ角笛が鳴り響いて、鷲獅子に跨った騎士達が一斉に槍の先から様々な色の閃光を放った。
「なるほど……魔力放射による前線への牽制。その後、勢いが緩まった所に突貫を仕掛ける形か」
「アストール家の得意技です」
「なるほど……」
確かにこの動きにはファルザーを筆頭に慣れが見えており、鷲騎士達は一糸乱れぬ様子で突貫を仕掛けていく。相当数の場数を経験しているだろう事は察するに余りあった。
そしてそれ故にファブリスも知っていたのか、どこか得意げだったのは気の所為ではないだろう。と、そうして始まった戦いを見守る事数分。カイトが唐突に山の方を見た。
「……」
「来る……な」
「ああ」
ソラの言葉にカイトも一つ頷いた。やはり戦闘モードになっていたからだろう。ソラも感覚で何かが迫りくる事を察知しており、自分達の交戦が避けられない事を理解している様子だった。
『こちらオリガ。聞こえますか?』
「ええ……おおよそ、察しました。敵影は?」
『オーガが三体。主力はゴブリン種の群れです』
「抑えられそうですか?」
『無理……ですね』
「了解です。こちらから先手を打ちます。そちらはゴブリン種を」
『了解』
カイトの指示に、オリガというらしい女性鷲騎士が了承を示す。そして彼女らが少しだけ散会し、カイトの狙撃の邪魔にならない様に移動する。そうして鷲騎士の一隊が消えた後、カイトがソラへと指示を出す。
「ソラ。わかっていると思うが、お前は決してここから動くな」
「おう」
カイトの言葉に、ソラは一つはっきりと頷いた。今の彼はランクAの冒険者にも匹敵するし、鎧のブーストと<<原初の魂>>も織り交ぜればランクSの冒険者にも匹敵し得る。
もしこの襲撃がファブリスを狙った罠であったとしても、よほどヤバい相手でもなければカイトが帰ってくるまでは余裕で防げるだろう。そう判断し、ソラには襲撃時には喩え楽勝に思えても動かない様に命じていたのである。そうして、カイトは手配が整った事を理解して弓に矢をつがえる事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
 




