第2099話 草原の中で ――覇気――
アストール伯の一子ファブリス。その相棒にしてペットである『ダイヤモンド・ロック鳥』ノイエの訓練の手伝いを行う事になったカイトとソラであったが、その訓練の最中。ノイエが実は魔術を使えるという事を三人も理解。ひとまずはそれを前提で訓練を行う事になっていた。
そうしてそれも三十分ほど続いた頃。ノイエは連戦連勝をしていた所の敗北の兆しにより、軽い興奮状態からの暴走に近い状態になっていた。
「はぁ……まぁ、こうなるだろうな、とは思ってたよ」
今までは言うなれば調子に乗っていたという所だ。当然だ。主人には絶賛され、事実としてほぼほぼ連戦連勝だ。慣れも出て、驕りもあった。そこに自分では到底手が出せないような領域で動く獲物が来た事により、自身の自尊心に傷が付いたのだ。折しも、主人による絶賛で若干だがファブリスに対する忠誠心も軽減してしまっていた。それらが複雑に折り重なった事で、結果としてファブリスの指示を無視してしまっていた。
「ソラ。少しだけ坊っちゃんの周囲へ障壁を展開してくれ。と言っても、かなり直近で」
『何するんだ?』
「躾け。このままじゃダメだろう」
やれやれ。そんな様子で、カイトは首を鳴らす。このままではノイエは言う事を聞かない。となると、なんとかして落ち着かせる必要があった。
『それは良いけど……どうやって』
「それはまぁ、立場をわからせる必要があるんだが……そのために一旦ファブリス坊っちゃんの所に移動する。坊っちゃんは多分、わかってるはずだから、お前が障壁を展開すれば良い。勿論、ノイエの流れ弾にも気をつけろよ」
『おう、わかった』
カイトの指示に、ソラは一つ頷いた。そうして遠方で彼がファブリスの周辺にうっすらと守護の力を展開するのを確認し、カイトは一瞬で二人の横へと移動する。
「カイトさん」
「はい……大体は、わかっていますね?」
「はい」
カイトの問いかけに、ソラの障壁で守られたファブリスは一つ頷いた。すでに反抗期に入って久しいというのだ。であれば、こうやって暴走した様子を何度も見ていたのだろう。
「では、こっちで威圧します。呼びかけは坊っちゃんが行ってください」
「はい」
逐一何をするか言わなくて良いのは楽で良い。カイトは自身の指示に素直に頷いたファブリスに一つ頷きを返す。
「さて……ソラ。お前も腹に力入れておけ」
「おう……?」
「良し」
良くはわかっていないもののとりあえず自身の指示に従うソラを横目に、カイトは改めてノイエの状況を確認する。一応まだ自身の操る訓練用の魔道具を必死で攻撃しているらしく、こちらには一切注意を向けていない。勿論、ファブリスの呼びかけにも現状では応ずる事はないだろう。故にカイトは少しだけ呼吸を整えて、ファブリスに告げた。
「坊っちゃん。タイミングはそちらに合わせます。そちらの合図の三秒後に、放ちます。合図はどうしますか?」
「袖を引っ張る形で良いですか?」
「わかりました。では、それで」
ファブリスの言葉に、カイトは一つ頷いた。そうして、ファブリスは一度だけ深呼吸をして精神を落ち着かせる。
「……っ」
「はい」
意を決して袖を引っ張ったファブリスに、カイトも一つ頷く。そうして、きっちり三秒。ファブリスが声を発する。
「ノイエ!」
『!?』
ファブリスの掛け声と共に放たれた強大な圧力に、今まで暴れまわっていたノイエが思わず停止してこちらを見る。そうして注意がこちらを向いたと共に、ファブリスが再度声を上げる。
「ノイエ! 戻れ!」
『……』
一瞬の停滞の後。ノイエはファブリスの指示を素直に受け入れる。そうして、今までと同じ様に彼の腕へと着地した。
「良し。良い子だ」
ノイエがファブリスの腕に着地すると同時に、ファブリスが柔和な顔を浮かべて一つ頷く。それにノイエは若干だが安堵の様子を見せた。
「ふぅ……なんとか、か」
「ありがとうございます」
「いえ……これが、私の仕事ですからね」
ノイエがファブリスの腕に着地すると同時に放出していた圧力を霧散させたカイトは、ファブリスの感謝に一つ首を振る。そうして、当初の予定通り一旦は休憩を取る事にしたのだが、やはりノイエは誰があの圧力の本当の主か理解していたらしい。チラチラとカイトの事を伺い見ていた。そんな様子を見ながら、ソラがなるほどと納得する。
「……ああやって、主人が怒ると怖い事が起きる、と教え込ませるのか」
「そうだ。そうする事で、主人に服従させる。本来なら、主人ができれば良いんだろうが……何分、ああも低年齢だからな」
先程に比べて随分と落ち着いた様子のノイエを見ながら、二人は少しだけ気を休める。結界は解いていないし、ノイエも流石にさっきの今では自由気ままに飛び上がるつもりはないらしい。どこか寄りかかる様に、ファブリスの横で羽を休めていた。
「基本は普通の犬とか猫とかと一緒なんだな」
「そうじゃないと飼えないさ」
「それもそっか」
一応、本来のノイエとファブリスの立ち位置は相棒という立場だ。が、ノイエは魔物だ。真に対等かつ同じ生活ができるわけではない。いや、日向ら三人を鑑みれば出来ないわけではないが、それとて確立された手段があるわけではない。主人とペットという立場で生活するのが、一般的かつ一番良い関係性だろう。と、そんな事を理解したソラが、カイトへとふと思う事を口にする。
「でも結構威圧、弱かったな」
「それはお前が強くなったからだ……前の『ロック鳥』の巣に行った時の倍近くは強くなってる。あの程度の圧力をあの程度と思えるほどには、な」
「そうか……ってことは、あれなら俺でも出来たのか?」
「ああ、できるはできるだろう……できるだろうが……」
「なんだよ」
どこか困ったような顔で笑うカイトに、ソラが不思議そうに小首をかしげる。これに、カイトは道理を問いかけた。
「お前、威圧とか出来るか?」
「まぁ……出来っけど」
「いや、そうじゃなくて」
どこか照れ臭そうにそっぽを向いたソラに、カイトはその勘違いがやっぱりあったか、と笑っていた。というわけで、彼はソラへと勘違いを指摘する。
「お前が考えてるのは、中学時代のあれだろ?」
「おう」
「違う違う。今回の圧力は風格としての圧だ。圧倒的な存在という風格。そうだな……お前が覚えているかはわからんが、バーンタイン・バーンシュタットがギルドホームに『挨拶』に来た事があっただろ? あれだ」
「あー……」
なるほど。確かにそれは勘違いしていたな。ソラは自分が思い描いていたのが、不良が他者に威圧的に出る暴力的な威圧だと理解する。それに対してカイトが述べていた威圧は敢えて言えば大人物が身に纏う覇気のようなものだ。両方とも似た様な形ではあるが、似ているだけで異なるものだった。
「無闇矢鱈に当たり散らすような暴力的な威圧は萎縮を呼ぶ。それに対して格の違う存在による覇気での威圧は自省を生む。格違いの相手から注意を受けた、というわけだ」
「なるほどな……って、んなのやったことねぇよ」
「だから出来るか、って聞いたんだろ」
やった事が無いのに出来るかわかるわけがない。が、あくまでもカイトが出来ると知らないだけで出来るかもしれない、という可能性はあった。なら、一応確認を取っておくのが筋だろう。それにこの覇気による威圧は今後重要になってくる要素でもあった。
「まぁ、そう言ってもな。この覇気による威圧ってのは実は今後重要になってくる」
「どういう事だ?」
「組織の長となるのなら、覇気ってのは重要だ。覇気の有無が組織の秩序を決めると言っても良いぐらいにはな」
「なるほど……」
そういや、お師匠さんも似た様な事言ってたな。ソラはカイトの言葉に道理を見て、それなら覚えねばならないかもしれないな、と考える。まだ彼の今後の道筋は決まっていないが、分隊のような形で組織を作るのであれば、この覇気は覚えねばならない必須スキルだった。と、それに気が付いて、ふとソラは気が付いた。
「……あれ? もしかして俺が選ばれたのって……」
「それも理由にある。その点、実は先輩はこっちの覇気はかなり上手い」
「できんの?」
初耳だ。ソラはカイトから聞かされた瞬の覇気について、驚きを露わにする。これに、カイトは首を振った。
「いや、見た事があるわけじゃない。が……先輩の場合はこれが長けているとわかる要因がある」
「どういう事だ?」
「先輩の場合、部活連合をまとめ上げている。お前も知っているだろうが、エネフィアに来てからの部活連合は武闘派集団だ。それは言うなれば先のノイエと同じく、反抗期というかそんな感じだと思えば良い。聞き分けの良い武闘派ってのは、中々に想像が出来ないだろう? 忠誠と従順ってのは別物だからな」
「まぁな」
どこか楽しげなカイトの問いかけに対して、ソラもまたどこか楽しげに笑って同意する。実際、武闘派になればなるほどどこか一癖も二癖もある人物は多くなる。冒険者という職業なぞその好例と言っても良いだろう。
「ま、そういうわけで基本自分で考える奴らを統率しようとすると、そいつらがこいつの指示に従っても良い、と思わせるだけの覇気が必要だ。組織の長にとって、覇気という要素は何より重要な要素の一つなんだ」
「なるほど……で、それどうやって身に付ければ良いんだ?」
「さぁ……」
「おい……」
ここまで語っておいてそれか。ソラはカイトの言葉に思わずたたらを踏む。とはいえ、これは本当にそうとしか言い様がない事だった。
「覇気ってのは気づけば自然と身に付いているものだ。本当にこればっかりは組織のあらくれ達をまとめ上げていって身に付けるしかない」
「つまり……重要だけどやっていって慣らすしかない、って事か」
「そういう事だな」
「そっか……」
ってことは、やっぱり後は組織を実際に率いてみてやるしかないのか。そう理解したソラに、カイトは一つ告げる。
「まぁ、今回はそういうわけだから、オレの放つ覇気による覇気とお前の考えていた暴力による威圧の差がどんなものか、というのを学んでおけ。それで十分だろう」
「おう」
兎にも角にも、学ばなければ何もならない。そしてせっかくカイトが教えてくれるというのだ。有り難く学ばせてもらうだけであった。そうしてそこらの会話をしながら待つ事少し。十分ほどの小休止を入れた所で、カイトが立ち上がった。
「ファブリス坊っちゃん。ノイエはどうですか?」
「……はい。随分落ち着きました」
「訓練は続けられそうですか?」
「はい」
カイトの問いかけにファブリスははっきりと頷いた。今の今までカイトが彼から離れていたのは、ノイエを威圧したばかりだからだ。威圧した後なので下手をするとパニックになる事もある。なので基本は威圧した人物はなるべく近寄らず、ファブリスが宥めてやるのであった。
「わかりました。じゃあ、また訓練を再開しましょう。どちらからやりますか?」
「……カイトさんからでお願いします。今度は暴走せずに、しっかり出来ると思います」
「わかりました」
少しだけ考えた末に答えたファブリスの申し出に、カイトは先程までと同じく訓練用の魔道具を片手にその場を離れる。そうして、この日はまたノイエが暴走する事はなく、そのままいつも通りの訓練を行って一日を終える事になるのだった。
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