第2096話 草原の中で ――訓練の日――
アストール家からの依頼によりアストール伯爵邸に滞在しアストール伯の一子ファブリスのペットのノイエの調教の手伝いを行う事になっていたカイトとソラ。そんな二人はノイエの調教師であるハンスから引き継ぎを受け仕事に取り掛かっていた。
そんな仕事も三日目となりこの日から本格的な業務が開始される事になったのであるが、三日目の午前は生憎の雨で訓練は延期となってしまう。そこで雨天の場合の対応をアストール伯へと相談したカイトであったが、そこでアストール伯からの要請によりリリーとファブリスへの錬金術の講習を請け負う事になっていた。
「「……」」
リリーとファブリスの二人は、カイトから教わった通りに小石に分析の魔術を展開する。錬金術を行使する上で分析は必須だ。それがどういう素材で構築されているのか。それを知らねば分解は出来ない。
そうして、二人は小石をわずかにだが浮かび上がらせた。浮かび上がらせて回転させる事で、全周囲の解析を行うのである。
「「……」」
目を開いて擬似的な魔眼を展開するリリーに対して、ファブリスは目を閉じて分析を行っていた。このどちらが正しいか、というのはその人によりけりとなるので一言では言えない。所詮、分析は分析の魔術で行っているものだ。故に結果さえ受け取れてしまえば問題はない。そうしてしばらく。分析を行っていたリリーが口を開いた。
「いけます」
「はい……では、こちらへ」
リリーの言葉に、カイトは天桜学園で使っていた――物をカイトが錬金術で複製した――プラスチックのシャーレを指差した。それを受けて、リリーが次に分解の魔術を展開する。すると、小石が粉々に砕け散る。
「……」
粉々にした小石を一つ一つ別のシャーレへと分けて置いていく。今回、カイトが教えていたのは分析から分解まで。再構築については目的の物があって初めてできるものだし、何よりここについては地球の知識はほとんど必要ない。今回の講習では時間も無いし、アストール伯も必要無いだろうと教えない事になっていた。
「……こんな所……でしょうか」
「はい……坊ちゃんの方は……」
「こっちもなんとか……終わりました」
カイトの問いかけを受けて、同じくソラが補佐していたファブリスが一つ頷いて目を開く。こちらも同じ様にカイトが用意しておいたシャーレに小石を分解した物を入れていた。
ただし、やはり腕の問題からかファブリスの方がかなり大きく、リリーが砂の様に粉微塵であるのならファブリスはハンマーで砕いた程度の大きさと言っても良いかもしれない程度の差が見受けられた。そんな自分と姉の差を見て、ファブリスが少しだけ照れくさそうに笑う。
「あはは……やっぱりまだ姉さんには敵わないか」
「それはそうよ」
どこか鼻高々に、リリーは自分の分解した結果を確認する。当然だが一言に分解と言ってもどの程度まで細かく分解できるかは当人の腕に依存する。その点、リリーはたしかに上手い様子はあった。そうして、そんな彼女が少しだけ得意げに、カイトへと問いかけた。
「それで、どうでしょうか。一応、いつもより細かく分解は出来たと思います」
「そうですね……少し、失礼して」
リリーの問いかけに、カイトは自身の分解用の魔術を展開する。そうして、わずかに目を見開いた。
「ほぅ……なるほど。ある程度の規則性は見出しましたか」
「ええ……これが何なのか、まではわからないけれど、ある程度の規則性はあると思われました。それで分けています」
「なるほど……」
カイトはリリーの返答になるほど、と一つ頷いた。勿論、いくらなんでも炭素だのシリコンだのがわからないリリーでは限界があるし、当然そんな状態では化合物もわかろうはずがない。
それでもそういう物がある、とわかった上で分析を行えばやはり見えてくる物も違う。故に例えば炭素が多量に含有されている部位、シリコンが多量に含有されている部位、などという形である程度の法則性で分けられていた。ファブリスも似たような事は出来ていたが、それでも結果であればリリーの方が格段に上だった。
「はい、成功です。この程度であれば、即座にできる領域としては十分過ぎるでしょう」
「ありがとうございます」
「ファブリス坊っちゃんも、まずはこの程度で十分です。今はこういうものなのだ、という事をご理解された上で、今後も日々の鍛錬を行うだけかと」
「はい」
どこか得意げに礼を述べたリリーに対して、ファブリスも自身の腕が単純に今回の講習を実演するには足りていないのだと理解していたようだ。故に今はそういう理論があるのだ、とのみ理解しておいて、何時かできる様になれば、と素直に受け入れるだけであった。
「にしても……驚いたわ。小石にこんなにも金が含有されているなんて……」
「ああ、それですか。失礼しました。この小石は私が用意したものですよ。これは自然に存在したものではありません」
「「え?」」
カイトの返答に、リリーもファブリスも思わず目を丸くする。そんな二人に、カイトが白状した。
「これは私が外に出て、草木やら何やらを分解。一度素材に変換して再合成した人工的な小石です。なので色々な性質を持つ物質が含まれています。金は砂金……アステールの南に流れる川で取った物ですよ」
「わざわざこのために用意してくれたんですか?」
「ええ」
「いつの間に……」
驚いた様子のファブリスに対して、リリーは若干だが呆れを露わにする。いつの間に、と彼女がなるのも無理はない。そもそもカイトへとファブリスの講義が言い渡されたのは朝の事だ。そこからリリーの家庭教師の時間もあり、とほとんど時間は無かった筈である。どこでそんな用意をしている暇があったのか、と思いたくなるのも無理はなかった。
「それは企業秘密です。まぁ、実際には分身を構築して回収させただけですよ。回収だけなら、そこまで難しい事じゃない」
「それを、私の講習を行いながらね……」
流石はやり手と知られているギルドマスターという所か。リリーはカイトの評価を若干上方修正しておく。そんな彼女の称賛とも呆れとも取れる言葉を聞きながら、カイトは姉弟の分解した小石へと再構築の魔術を展開する。
「では、次の講習の準備を行います。それが終われば、次の練習です」
「「はい」」
カイトの言葉に、リリーとファブリスの二人も同意して頷いた。そうして、それからしばらくの間四人は錬金術の授業を行う事になるのだった。
錬金術の授業からしばらく。カイトとソラ、ファブリスの三人は午後から晴れた事を受けて、外に出て改めてノイエの訓練を行う事になっていた。なお、午前中は訓練していないからと午後からの訓練が二時間になる事はない。なので一時間だけである事に変わりはなかった。
「良し……じゃあ、行け!」
ファブリスの号令に、ノイエは空中へと飛翔する。すると、すぐに彼女は風にのって大空へと飛び出した。
「さて……ソラ。こっちは準備オッケーだ。そっちは?」
『こっちも、問題無い。何時でもいける。もう草むらに潜めてるよ』
「良し……坊ちゃん。では何時でも大丈夫ですよ」
「はい」
良し、やろう。ここしばらくどうやらファブリスは最初は四足獣型で訓練を開始して準備運動を行い、ノイエにも自信をやる気を出させた後にカイトの操る鳥型で訓練を行う方が良いと考えたらしい。おおよそソラで二回、カイトで一回の形で訓練を行っていた。
「良し……」
舞い上がり、風に乗って飛翔するノイエを見ながら、ファブリスは一つ頷いた。どうやら午前中に訓練をしていなかったからか、ノイエのやる気は十分らしい。力強く羽ばたいていた。なら、それに答えてやるのが主人の務め。ファブリスは自身もまたやる気を漲らせる。
「……」
どこに居るだろうか。ファブリスは一切の物音が無い草原の中で、意識を集中させて草木の音に耳を澄ませる。この数日ソラと共に訓練して、彼が居場所を自分に知らせたい時はかすかにだが動いて草木の音を鳴らしていた。それを察知する事が、ファブリスのなすべき事だった。
(右……無し。左……も無し)
ということは、今はまだ音を出すタイミングじゃないのか。ファブリスは集音マイクの様に特定方向への聴力を増大させる魔術を展開し、まだソラが動いてくれない事を理解する。
とはいえ、何時動いても良い様に、魔術は切らない。そして当然、そのままでもダメだ。故に、彼は全周囲への警戒が行える様に別の魔術を展開しておく。
(ノイエは……大丈夫。まだまだ行ける)
草原を確認し、大空を確認し。ファブリスは草原の中ですべてを知覚する。そうして、しばらく。底上げされた彼の聴覚になにかが引っかかった。
「っ」
かさっ。そんな音が鳴ったのだ。それに、彼は咄嗟に振り向いて、そちらを見る。
「ノイエ!」
『っ』
主人の指示を聞いて、ノイエが指示された方向へと急降下する。そうして地面スレスレを飛翔し、しかし何も無く再度上昇する。
「え?」
確かに音がしたのに。ファブリスは何も捕まえられなかったノイエに思わず目を見開く。とはいえ、結果がすべて。何も居なかったのだ。故に彼は再度周囲に意識を集中する。その一方、カイトは若干だがほくそ笑んでいた。
(考えたな……なるほど。この数日で慣れたのは、坊っちゃんとノイエだけじゃなかった、って事か)
当然だがスペックであればこの場の誰よりも上のカイトだ。故に彼の感覚には今ソラが操る訓練用の魔道具がどこに居るか、そして先程何をしてファブリスを騙したのかがわかっていた。
(居る場所から意識が離れた瞬間、小石を投げさせたのか。囮かもしれない、と考えていれば目視で可能だったんだろうが……)
投げる瞬間音を鳴らさない様に、ソラは草むらから訓練用の魔道具は出していた。故に投げる瞬間は音が鳴らなかったが、同時に姿を晒してもいたのだ。故にしっかり周囲さえ見れていれば、ノイエが降下すると同時に死角に逃れる様に動く訓練用の魔道具の姿が視界の端には捉えられた筈だった。
『ソラ。わかってると思うが、あれはやっても一度きりだぞ。連発はするな。流石に今の坊っちゃんには酷だ』
『わかってる』
流石にこれを何度もやるのは卑怯だろう。ソラもカイトの言葉に素直に同意する。やはりまだまだファブリスは年若い。奇策を弄されて対応できるほど、練習を積んでいるわけではなかった。というわけで、ソラは若干焦り気味に周囲の探索を行うファブリスを遠目に見て、敢えて大きく動く事にした。
「っ! ノイエ! そっちだ!」
『っ!』
ガサガサガサ、と音を立てて高速で移動する訓練用の魔道具を見付けて、ノイエが一気に急降下する。そうして僅かな間両者が並走し、数秒後にはノイエが見事訓練用の魔道具を捕獲した。
『……』
「よくやった」
自身の下へと飛翔して訓練用の魔道具を持ってきたノイエに、ファブリスはご褒美を与えて労をねぎらう。そうして一つねぎらった後、彼はソラへと礼を述べた。
「ソラさんもありがとうございます。次、お願いします」
『ああ……カイト。頼む』
「ああ」
ファブリスから球体化した訓練用の魔道具を受け取って、カイトは魔糸を巻き付けてソラへと渡す。逐一取りに行くのも面倒なので、魔糸を使ってカイトが運搬していたのであった。なお、カイトが操作を担当する場合は魔糸を最初から巻き付けてあるので、何もしないでも戻っていく。
「良し……じゃあ、次は少し難易度を上げてください」
『え? 大丈夫か?』
「はい……と言っても、さっきみたいに何をしてきたかわからない、って意味じゃなくて動きの方ですけど」
『ああ、そういう事か』
確かに先程の様に一直線に逃げるのであれば、もうノイエも十分に追いつけて捕獲可能の様子だった。であれば、動きにもう少し特色を付けて動かしても良いだろう。ソラもそう思ったらしい。
『カイト。次だけだけど、三回で失敗じゃなくて五回でも良いか?』
「まぁ……次だけな」
確かに動きを複雑化する以上、ソラとしてもノイエとしてもファブリスとしても慣れていない。ならば失敗が続く可能性は大いにあり得た。それに今のノイエの体力なら五回ぐらいまでなら許容範囲内だった。そうして、カイトの許可を得た事によりソラは再度訓練用の魔道具を起動させて、草原へと走らせるのだった。
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