第2094話 草原の中で ――雨天延期――
アストール家からの依頼により、アストール伯爵邸に滞在しアストール伯の長男ファブリスのペットであるノイエの調教の手伝いをする事になったカイトとソラ。そんな二人はそれと共に引き受ける事になったファブリスとその姉のリリーの家庭教師を引き受ける事になる。
そうしてノイエの調教師となるハンスから最後の引き継ぎを受けたカイト達はその後、お互いの家庭教師の状況を報告しあって二日目を終える事になっていた。というわけで明けて翌日。三日目であるが、この日は生憎の雨だった。
「流石に、雨じゃ訓練は無理か」
「雨天延期なのか」
「しょうがない。まだノイエは幼いからな。現状だと羽が水気を含んじまって、長時間の飛翔は困難だ。それでも、『ダイヤモンド・ロック鳥』だから水気に対する適正は良い方ではあるが」
土砂降りの雨とまではいかないもののそれなりに降る雨を見ながら、カイトはしょうがない、と首を振る。と、そんな事を話していると部屋の扉がノックされた。
『二人共、ハイネスだ。起きてるか?』
「ええ。どうぞ、今開けました」
「ああ、おはよう、二人共」
ハイネス。そう名乗った青年が開いた扉から入ってくる。彼はハンスの息子で、ハンスが休みの間には基本的に彼に相談する様に、と言われていた人物だった。
「今日は生憎の雨だけど、雨の場合は親父から聞いているか?」
「ええ……この程度の雨の場合はどうした方が良いか、と今丁度話していた所です」
「そうか……まぁ、反抗期が終わった頃なら、この程度の雨でもやって良いんだろうけど……」
ハイネスはそう言うと、客間の窓から外を見る。土砂降りではないが、やはり少し出るのが億劫になるような雨ではあった。少なくとも外に出るなら傘は欲しいだろう。
もしくは、絶対に出なければならないわけではない限り時間をズラして外出したいと思う程度の雨だった。というわけで、そんな雨模様を見たハイネスは改めてカイトとソラの方を向いた。
「少なくとも反抗期の魔物を外に出す必要のある雨じゃないね。今日の午前は休みで良いと思うよ」
「わかりました。ありがとうございます。一応、坊っちゃんにも伝えておきます」
「そうした方が良いだろうね。と言っても、多分坊っちゃんの方がよくわかっていると思うよ」
カイトの返答に、ハイネスは一つ笑う。実際、ノイエの調教はファブリスの方が長いのだ。この数ヶ月の間に一度も雨が無かったとは思えない為、どの程度の雨なら訓練を行うか、と理解している事だろう。
「まぁ、わかっているなら問題はないだろうし、一応午後からは晴れる予定だ。後はその都度、判断してくれ。もし少しわからないかな、という状態になったら、今日の午後は飼育小屋に居るから来てくれよ」
「ありがとうございます」
「ああ。じゃあ、俺はまた訓練に戻るな」
どうやらハイネスは予定になかった雨なのでカイト達がわかっているか気になったらいし。一応の助言を、と思い来てくれたようだ。彼らが大丈夫そうなのを見ると、また足早に戻っていた。
「さて……ソラ。坊っちゃんへの伝達はお前にまかせて良いか?」
「俺? なんでさ」
「オレは空いた時間についてどうするか、という話でアストール伯と話してくる。休憩にするのか、他の仕事があるのか……それ次第で色々とあるからな」
「なるほど」
そう言えば雨の場合にどうするか、というのは話し合っていなかったな。ソラは基本晴れの場合を想定して話をしていた事を思い出す。それに彼としても竜騎士部隊が雨でも訓練をしていた所を見ていた為、雨の場合でも多少であれば訓練はするのだろう、と思っていた事も大きかった。
というわけで、ソラがファブリスの所に向かう一方で、カイトはアストール伯への面会を要請する。そうして、十分ほど。少しなら時間が取れる、との返答があり、アストール伯の執務室へと向かう事になった。
「ああ、なるほど。そう言えば雨の場合どうするか、と話していなかったね」
「ええ……まぁ、私としてはこの程度の雨なら気にする必要も無いか、とは思うのですが……確かに言われてみれば反抗期の魔物で雨天決行というのも中々に憚られる。ハイネスさんの仰るとおりだな、と」
「それもそうだね。反抗期が終わったあたりでなら、この程度の雨なら雨天での行動を想定して訓練させるのだけれど……というより、天候だけはどうしようもないからね。尚更、このぐらいの天候で訓練もしておきたい」
魔物達は雨だから、と攻めてこないわけではない。雨の中での戦闘は十分に想定しなければならないことだ。なので今後ファブリスも大人になり騎士や貴族になった場合、基本的には雨天での戦闘は当然として習得しておかねばならないことだ。それに向けてノイエも本来は訓練させるべきだが、今はまだ幼く反抗期だという事でしない様にされていただけであった。
「ええ……私もてっきりその方向で進めるか、と思っていました。申し訳ありません」
「いや、これは確認不足だった我々の不手際もある。君だけが責められる事ではないだろう。そしてたしかに、訓練の延期の判断は正しいものだ。ファブリスの午前の訓練は順延で良いだろう」
「わかりました」
兎にも角にも雨が降っていては現状では訓練しない、という点は決定だ。というわけで、アストール伯はそれについては今後もし同様の状況があった場合はそれで進める様に明言する。
「ふむ……そうだね。そうなってくるとファブリスにも君達にも時間が出来る事になる。無駄に余らせる意味もないな……何か君達でしておきたい事などはあるかね?」
「いえ……そこらの予定を立てるにも、確認を取るべきかと思いまして」
「ふむ……」
確かにカイトの言う事は尤もだ。アストール伯は現状カイトもソラも住み込みで働いているに等しい状況を受けて、基本的には自身の指示に従わせるべきだろう、と考えたようだ。というわけで、せっかく時間が空いた事もあって試しに問いかけてみた。
「そうだな。本来こういう場合は特約事項を用いて延期になった回数分で依頼から減額するべきなのだろうが……ふむ。どうだろう。その穴埋め、という形にはなるのだが、ファブリスの方にも基礎的な錬金術の講義をしてやってはくれないか? リリーの話は私も聞いている。ファブリスはまだ錬金術に関しては初歩しか学んでいないが……どうだろうか」
「はぁ……可能は可能ですが。ただその場合、リリーお嬢様側が手習いじみた事になってしまいかねないかと。もしくは、ファブリス坊っちゃん側が高度過ぎてついていけない事になるかと」
二人に教える以上、どちらかにレベルは合わせないと話にならない。が、どちらかに合わせるとどちらかのレベルに合わないのだ。こればかりは物の道理であるので、カイトの指摘にアストール伯もなるほど、と納得を示す。
「それもそうか……ふむ。そうだな。聞いておきたいのだが、リリーの午後の講習はどうする予定だ?」
「一応、今日は昨日までの事を踏まえて実践を交えながら座学を行うつもりです」
ここらはどうやら本当に何も考えていなかった事らしい。カイトはそんな様子のアストール伯の問いかけに、一切隠す必要も無い事なので正直に答える。これに、アストール伯がわずかに悩んだ。
「そうか……ふむ。実践を踏まえながら、という事だがそれはどのような事をするつもりだ?」
「そうですね……基本は分析の高精度化をお話しようかと思っていますので、その分析についての助言を、と」
「なるほど。それなら、ファブリスも聞いておいて損は無いだろう。あの子も一応分析・分解・再構築については理解している。まだまだ精度が甘い上に練度も足りていない。無論、分析を行うのに必要なベースとなる知識も足りていない。が、出来る事は出来る。話を聞かせてやるだけでも良い」
「それでしたら、構わないかと」
基礎を学んでいるレベル、という事でカイトは若干懸念が無いわけではなかったが、少なくともアストール伯は行けると踏んだのならそれに従うまでであった。とはいえ、そうであれば、と彼の方が一つ申し出る。
「とはいえ、それならソラの方をファブリス坊っちゃんの補佐につけるべきかと。基本、私が行う予定の講習は地球の知識も含みます。リリーお嬢様なら理解可能でも、ファブリス坊っちゃんが理解可能かは話が別。彼のフォローがあれば助かるかと」
「なるほど……それはこちらとしてもありがたい。ぜひ、そうさせてくれ」
どうせ元々は支払う予定の金だ。それでファブリスまで別途鍛えられるのであれば、アストール伯としては安い買い物でしかなかった。なので彼はカイトの申し出に対して二つ返事で快諾を示し、それを受け入れる。こうして、ソラとファブリスもまた臨時で錬金術の講習を受ける事になるのだった。
さて、それから少し。ファブリスも錬金術の講義に加わる事になった為、アストール伯の指示で若干リリーとファブリスの予定を組み直しが行われる事になる。それをリリーもまた聞いていた。
「と、いうわけで旦那様からの指示により、お嬢様の方の予定も変更したいがどうか、と」
「お父様からの指示であれば、異論はありません。あの男の知識に関して役に立つだろう、というのは私も同意する所。ファブリスが聞いておいて損が無い、というのは確かでしょう」
レイラの一応のお伺いに対して、リリーは内心で決定だろうが、と思いながらもそれを受け入れる。一応のお伺いなのはもし拒絶したとてレイラが翻意させる様に動くからだ。
リリーとて貴族の令嬢。そこらの一応の建前として確認するのと、実際に拒絶して意味があるかどうかが別である事を理解していた。無意味な拒絶をするほど、彼女も暇ではなかった。
なお、カイトの知識が役に立つだろう、というのは彼女は本当に最初から持っていた。単に錬金術の薫陶は意味がないものだろう、と考えていただけであった。
「それで、時間は何時から?」
「午後の13時から二時間の予定と。その後、天候次第で16時よりノイエの調教となります。最終的には15時に判断する、と旦那様はおっしゃられておいでです」
「もしその時になり雨天となった場合は?」
「16時より一時間、リリー様にも天音様から剣技の稽古を受けて頂く、と」
「え゛」
流石にリリーも冒険者としてのカイトの噂は聞いていたらしい。飛ぶ鳥を落とす勢いのランクA冒険者から剣の稽古を受けろ、である。嘘だろう、と盛大に顔を顰めていた。
「もしかして、午前中に体術の稽古が無くなった理由は……」
「はい。それに備えて、となります」
「うわぁ……」
冗談キツイ。リリーはレイラの言葉に親しい者にしか見せないしかめっ面をする。どうやらこちらは本音と建前云々も無視したいぐらいには、嫌らしかった。こちらについては彼女もおそらくカイトが十数年、間違いなく自分以上に訓練を積んできていると思っており、まともには相手をしたくなかった。
「天候が回復する事を祈るわ……それで、私の午前中は?」
「はい。この後は天音様から錬金術の講義となります」
「……待って。午後ってさっき言わなかった?」
「午後はあくまでもファブリス坊っちゃんが参加しての講習。午前は当初から予定しておりました午後の分の家庭教師となります」
言っている事がおかしい。そんな様子で問いかけたリリーに対して、レイラは変更後の予定を告げる。別口で受けている家庭教師の依頼は、あくまでもノイエの調教への手伝いとは別口で受けたものだ。なのでそちらについてもファブリスも当然、ソラと剣の稽古をどこかで入れる予定だった。
「そっちに拒否権は……」
「ございません。こちらについては通常の家庭教師と同じく、授業の一環となります」
「はぁ……わかった。受けるわよ。受ければ良いんでしょう」
レイラのけんもほろろな返答に、リリーはため息を吐いて首を振る。そうして、彼女は午前中は午前中で別途カイトから錬金術の講習を受ける事になるのだった。
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