第2088話 草原の中で ――家庭教師――
アストール家からの依頼により、アストール伯の長男ファブリスの飼う『ダイヤモンド・ロック鳥』の調練に携わる事になったカイトとソラ。そんな二人は一度目の訓練への参加を終えると、昼を過ぎた所でもう一つの依頼となるファブリスと彼の姉リリーへの家庭教師を行う事となっていた。そうして、ソラがファブリスへの剣の稽古に向かった一方で、カイトはリリーへの魔術の訓練を行う事になる。
「さて……まず教本は一通り拝見させて頂きました」
「もうですか?」
「ええ。速読は、ギルドマスターの必須技能ですからね。勿論、読み終えたからと習得したというのはまた別の話ですが」
驚いた様子のリリーに対して、カイトは一つ笑ってあくまでも読了しただけだ、と明言する。そうして、そんな彼はまず最初に問いかけるべき事を問いかける。
「まず、今どの程度まで進んでいますか?」
「あ、はい。えっと……五十七ページの第四章まで進んでいます」
「なるほど。錬金術の活用法について、ですね」
「……覚えたんですか?」
ページを開くまでもなく完全に言い当てたカイトに、リリーが思わず頬を引き攣らせる。これに、カイトは笑って頷いた。
「ええ。職務上、ななめ読みは必須ですし、魔術で記憶を補助するのもしますからね」
「はぁ……」
それも必要なんですか。リリーはカイトの返答にどこか驚きながらも、そんなものなのかと受け入れる。ここら、よくも悪くも彼女はまだ冒険者というものを知らなかった。
特にその中でもギルドマスターについては未知と言ってもよく、これが普通と言われれば普通と納得するしかなかったのである。なお、カイトは普通とは言っていないので、単に彼女がこれが普通なのだと考えただけである。
「さて……では、このお話を始める前にいくつか確認しておきたい事があります。錬金術について、どこまでご存知ですか?」
「錬金術について、ですか?」
「ええ。まず授業を始めるにあたり、現状を把握しておく必要があります。なので、錬金術のまずは基礎をお願いします」
確かに言う事は尤もだ。カイトの言葉を聞いて、リリーは一つ納得した様に頷いた。というわけで、彼女は一度教本を見ない様に閉じて錬金術の基礎を諳んずる。
「錬金術とは、ある物質を錬成陣を用いて錬成し、別種の物質を作り出す術の事を言います。最終的な目標は純金の錬成なので、一般的に錬金術と呼ばれます」
「はい。そのとおりです……では、その手順は?」
「素となる素材の解析。その後構築する要素毎に分解。そして最後に再構築……この際、無駄が少なければ少ないほど、腕の良い錬金術師と呼ばれます」
「はい。それで間違いありません」
リリーの解説を聞いて、カイトは一つはっきりと頷いた。そうして、彼は午前中のノイエの訓練の間に手に入れておいた透明な小石をポケットから取り出した。
「さて……では今の基礎に従って、ゆっくりとまずは流れの再確認から行いましょう。まず、この小石の解析……」
「あ、あの……何をされているのですか?」
「え? あぁ、これは錬成陣を私なりに改良したものです。解析結果を可視化させている、という所でしょうか。いつもはしないのですが……今回は講義という事もあり、この形式を使いました」
あれ。もしかしないでもこの人。自分より遥かに上の腕を持っているのでは。リリーは父が家庭教師に、と言っていた裏を悟っていたのだが、それ故にこそカイトを家庭教師にしたのは単なる口実と思っていたようだ。内心若干見くびっていた感はあり、カイトが平然と錬成陣を改良していたのを見て内心大いに驚いていた。そんな彼は自身が編み出した錬成陣を見ながら、一つ笑う。
「と言っても、この錬成陣に書かれている内容は見ても意味がありませんよ」
「そうなのですか?」
「ええ。ケイ素や炭素など、地球の物質に当てはめて出させていますので……元素周期表やらを理解しないとわからないでしょう。私が使いやすい錬成陣ですからね。ん。それで解析の結果、これはガラスという事がわかりました。おそらく何らかの事情で角が取れたんでしょうね」
カイトは錬金術における解析用の部分を抽出して出させた結果を観察し、そう結論を下す。ここらは彼にやりやすい形で構築している為、リリーにはリリーの使いやすい錬成陣があった。
なお、カイトの場合はやはり地球出身という事もあり、近未来的なAR技術を用いたパソコンに似た形になっていた。これは彼が錬金術を学んだ時からの基本形であり、他にもティナと灯里は真剣に錬金術を使う際にはこれと同様の錬成陣を使っている。
「さて。そうなってくると、これがガラスとわかった事により、まずはこれを分解します」
カイトがそう言うと、彼の錬成陣が包み込んでいたガラス片が光り輝いていくつかの粉末に変貌する。今回彼の場合は地球の化学技術を基に錬金術を行使しているので、分解は元素毎に行った。
なのでケイ素やら周囲に付着していた炭素やら目に見える大きさの物から、術者でなければわからないような大きさまで様々だった。そうして、彼は分解段階で一時停止していた状態から、再度ガラス片へと再構築する。ただし、この際に周囲に付着していた土の成分を一部ガラスに混ぜ込んで、色付きガラスへと錬成していた。
「はい。これで先のガラスは色付きガラスへと再構築されました。これが、錬金術の基本的な流れですね」
「は、はぁ……」
それはそうだが、ここまでゆっくり丁寧に出来る人は初めて見た。リリーは改めてカイトの腕の凄さを実感する。というより、ここまで丁寧に見せてくれる人はほとんど居ないのだ。
「さて。そう言ってもこれはあくまでも錬成陣をきちんと構築して、一番丁寧に錬金術を行う場合に行うべき事です。これについては基礎である為、逐一教えなくても良いでしょう」
「はい」
そうだ。これは所詮、基礎の基礎を再確認した程度。ここまで見たことが無い錬成陣にあっけにとられたが、考えてみれば驚くほどでもない。リリーはそう判断し、カイトの言葉にはっきりと頷いた。そんな彼女に、カイトもまた一つ頷く。
「ええ。では、今日の講習に入りましょう。錬成陣の活用法……これにはいくつかの指針が立てられます。現在、担当の教師の方とはどの様にお話されていますか?」
「現状はバランス型で良いだろう、と」
「なるほど……」
よく言えばバランス型。悪く言ってしまえば先延ばしして定まっていない。カイトはリリーの指針を決めたらしい教師の方針に対して、そう内心で若干の悪態をつく。錬金術をどう活用するか、というのは今後に関わる重要な事だ。それはカイトには決められないので出来れば決めておいてほしかった。
(まぁ、そんな事を言ってしまえば、そもそも突発で休みを取らされたようなものか。しゃーないか)
本来なら、もう少し適性などを考えて決めるつもりだったんだろうな。カイトはある意味その彼なのか彼女なのかもアストール家のわがままの犠牲者とも言える、と考える事にする。そうして、彼はそれなら、とリリーに告げた。
「そうですね。それでしたら、今回は全体的に基礎を学ぶ事にしましょう。今後どの方向に進むにせよ、その基礎は他の分野にも応用が効く。学んでおいて損はない」
「はい、よろしくお願いします」
「ええ」
リリーの返答に、カイトは一つ頷いた。そうして、カイトはしばらくの間、リリーに向けて錬金術の講義を行う事になるのだった。
さて、カイトがリリーに向けて錬金術の講習を行っていた一方、その頃。ソラはというと、改めてファブリスと合流。彼へと剣の稽古を付けていた。
「はぁ!」
「っと」
ぶぅん、と大ぶりに振るわれた木刀に向けて、ソラは軽い感じで木刀を合わせて勢いを殺させる。こればかりはやはり常日頃から実戦で訓練を積み続けたソラと、幼少期から学んでいたとはいえ実戦経験は無いファブリスの剣だ。しかもソラとて幼少期から剣は習っており、その点でも差はほとんどない。
結果、子供相手であればソラでも遊べたらしかった。そうして自身の攻撃が止められたのを見るや、ファブリスが再度振り上げて逆から剣戟を放つ。
「はっ!」
「おっと」
かぁん、と大きな音が鳴り響き、再度ソラが剣戟を防ぐ。そうしてほとんど一方的に遊んでいる様子のソラを見て、ファブリスの剣の稽古を付けているという壮年の男性が問いかけた。
「はははは。坊っちゃん。一方的に遊ばれておりますぞ」
「っ! はぁあああああ!」
「ほっ」
壮年の男性のやっかみを受けて、どうやらファブリスの頭に血が上ったらしい。気勢を上げて、思いっきり木刀を振り下ろす。が、これにソラは軽く地面を蹴って距離を取り、木刀は地面に打ち据えられる事になった。
「っぅ!」
地面に木刀が衝突した衝撃で、ファブリスが盛大にしかめっ面をする。そうしてそれとほぼ同時にソラが地面に着地して、即座に地面を蹴って前に出る。
「これで、二本目」
「っ……参りました」
喉元に突きつけられた木刀の切っ先を見て、ファブリスが無念そうに降参を明言する。そうしてそれと同時に、彼は疲れた様にその場に尻もちをついた。
「はぁ……はぁ……ソラさん。物凄い強いんですね……」
「あ、あははは……まぁ、流石にまだ子供には負けられないさ」
自身に向けた称賛と尊敬の念を感じ取り、ソラが少し恥ずかしげにそっぽを向く。元々彼としても子供好きではあるので、悪い気はしないらしい。と、そんな二人へ壮年の男性が問いかけた。
「坊っちゃん。どうでした? 本職の冒険者と手合わせしてみて」
「ダメだ。勝ち目は全然無いや」
「はい……では、何故勝てなかったかわかりますか?」
「……全然。遊ばれてたな、というのはわかるけど……」
「そうですか……では、ソラくん。君は実際に戦ってみて、どう見た?」
ファブリスの返答を聞いた壮年の男性が、ソラへと改めて問いかける。それに、ソラは感じたままを告げた。
「そうですね……なんというか、直情的だったかな、と。後は型稽古に似てたような気もします」
「そうだな。その通りだと私も思う……坊ちゃん。剣はただ型通りに振るえば良いものではないのです。勿論、一手一手考えて攻撃するものでもない」
「……」
壮年の男性の言葉に、ファブリスは無言でその言葉を胸に刻む。言われてなにか思う所もあったらしい。
「実戦では常に先を読む事が重要ですが、今さっきの坊っちゃんは一戦目で先を読まれた事から自分も相手の先を読んで攻撃しよう、という気概が先行しすぎていました。それでは次の一手によどみが生じ、動きに遅滞が生ずる事になる」
「じゃあ、どうすれば?」
「さて……これはなんとも言い難い所。ただ言える事は、さっきの坊っちゃんの動きでは自分の考える時間を得ると言う事は逆説的に相手にも考える時間を与えてしまうという事です。それは相手が気力や体力を回復する時間にも使われてしまうし、もしその一瞬の思考の合間に攻撃を放たれたらどうします?」
「え……っと……」
どうする。そう言われたファブリスだが、答えは見えたものだ。なので彼がなにか答えを出す前に、壮年の男性が告げた。
「無理でしょう? 考えて戦う事はたしかに重要です。が、今の坊っちゃんは流石に長過ぎた。それと、型に嵌りすぎている点も見過ごせない」
「でも型で攻撃するのは当然じゃないの?」
「勿論、型に合わせて攻撃するのは重要です。が、型とはある程度固定されているものです。故に、先程はソラくんが一戦目でいくつかの型を見切り、それを逆手に取られたのですよ」
「え?」
「あ、あははは」
驚いた様子のファブリスの視線に、ソラが恥ずかしげに視線を逸らす。事実、彼は一戦目でファブリスの型をいくつか見抜くと、それが放たれる動作の流れを覚えておいた。
それを逆手に取って、ファブリスの攻撃の先を予想。常に数手先を読んで動けたのであった。そうして、ソラもまたそれから一時間程度の間、ファブリスから敬意を受けながら彼の剣の稽古へと付き合う事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




