第2087話 草原の中で ――家庭教師――
アストール家からの依頼でアストール伯の一子ファブリスの飼う『ダイヤモンド・ロック鳥』の雛ノイエの調教に携わる事になったカイトとソラ。そんな彼らが参加しての訓練初日は、ひとまずどの程度の訓練が行われているかを確認する形になっていた。
そうして、かつてカイトが開発した魔道具を使用して行われた二パターンの訓練は、ノイエとファブリスにとって一勝一敗の結果で終わりを迎える事になる。というわけで、ひとまず四足獣を模した形態による陸上型と鳥を模した形態による飛行型の二つのパターンでの訓練を終えて、一旦ハンスがこちらへと戻ってくる。
「さて……これで一旦二つとも終わったわけですが。カイト、ソラ。お前さんらには明日からこれと同じ事をしてもらう。良いな?」
「「はい」」
これについてはそもそもそういう依頼だ。なのでカイトとソラも否やはない。というわけで、そちらの話を終えた後に、改めてハンスが告げる。
「よし……で、坊っちゃん。どうでしたか? 今回の訓練は」
「なんというか……やっぱり難しいね」
「ええ。まぁ、いつまでも同じじゃいられませんし、まだまだこれからもっと難しくなります。最後には、攻撃を掻い潜りながら獲物を狩る事も覚えにゃなりません。勿論、まだずっと先。何年も未来の事ですが」
「……」
ハンスの言葉に、ファブリスはその日を夢見てわずかに拳を握る。とはいえ、それは今は遥か未来だ。今はただ、修練の日々を送るしかない。と言っても、やる気が空回りしない限りはそれを無理に押さえ付ける意味もない。というわけで、ハンスはファブリスを横目にソラに告げる。
「で、ソラ。お前さんも一度練習しておけ……まさかお前さんまで、こいつ使った事あるなんて言わねぇよな?」
「……まぁ、無いっすね」
「だよな」
良かった。ハンスはソラのどこか恥ずかしげな返答に、どこか安堵した様に笑う。彼としても一介の冒険者がそう何人もこの魔道具を使っているとは思いたくなかったようだ。こればかりはカイトがおかしいというか、彼の要望で開発されたのだから仕方がない事だろう。
「後はまぁ、カイト。お前さんも一度やっとけ。さっきの腕を見る限り、ここしばらく使っちゃいたんだろうが……こっちでやって欲しい事とかを指定するから、そこを重点的にな」
「はい」
確かにカイトは遊びとして日向や伊勢にあの訓練用の魔道具を使う事はしたが、同時に専門の調教としてやったわけではない。いや、本来の用途としてはカイトの方が正しいのだろうが、訓練として使うのならそれはそれだ。というわけで、カイトとソラはファブリスの訓練を兼ねて、自身も訓練用の魔道具の練習を少し行う事になるのだった。
さて、ノイエの訓練を経て、更に数時間。昼になり少しした所で、カイトとソラは一度別れてそれぞれの教え子の所へと向かう事になる。
「うし……流石に鎧身に付ける必要は無いよな」
「使うのは木刀だからな」
「木刀ねぇ……木刀って今更なんだけど危険じゃね? 竹刀のが良くね?」
「そりゃ、竹刀がありゃ竹刀を使うさ。が、竹刀より木刀の方が慣れ親しんでる奴が多い」
「ふーん……っと」
ソラはカイトから投げ渡された、特殊な刻印を刻んでいるらしい木刀をキャッチする。
「何だ、これ」
「木刀だ。見たらわかるだろ?」
「いや、これが? 確かに木で出来てるっぽいけど……なんだこれ」
「ほいよ!」
「うぉ!? あれ?」
唐突に木刀で殴り掛かられたソラが大きく目を見開いたが、自身の数センチ手前でどういうわけか刻印が赤く発光――通常時は水色だった――して停止した木刀を見て首を傾げる。それに、カイトは器用に殴りかかった筈の木刀を持ち替えて柄をソラへと差し出す。
「今見た通り人体からある相対距離に到達すると減速し、さっきの距離で停止する様にされた特殊な木刀だ。直撃する事はないが、同時に今見た通り減速時に赤く発光する。」
「へー……って、今のやる意味あったか?」
「論より証拠って言うだろ?」
「まぁ、そうだけど……」
それでもやる意味はあったのだろうか。若干憮然とした様子のソラはカイトから木刀をもう一つ受け取って、二つともを袋に入れておく。兎にも角にもこれがあれば、安全に訓練が出来るだろう。と、そんな訓練道具を受け取って、ふとソラが気が付いた。
「あれ? でもこれ……ならなんで俺知らないんだ?」
「そりゃそうだ。そいつは一般的じゃないんだ」
「なんで? 便利そうじゃん」
「ああ、便利だ……が、量産には向いてない。当然だがな」
「あー……」
確かにこれが量産に向いているか、と言われればソラも首を振るしかなかった。木刀に刻印を刻んで作っているのだ。一つ一つ手作りとまではいかないでも、時間は普通に木刀を作るよりも掛かるだろう。そんな木刀を見ながら、ソラが問いかける。
「なんでお前、こんなの持ってたんだ? 今回の支度に含めてたのか?」
「持ってんだ、と言われりゃ三百年前はこれが主流だったってだけだ。オレは武蔵先生に弟子入りしてからは竹刀が手に入る様になったから、そっち使ってたが……バランのおっさんとルクスが慣れない様子でな。そいつ使う事も多かった」
「へー……ん? ってことは、これ……お前らが使ってたものか?」
「厳密にゃ、そうじゃないが……実際、使い込まれた様子は無いだろ? 予備の予備。使わないから異空間に突っ込んでたままだったが、どうせなら使っても良いだろう、ってな」
「何だ」
それなら使っても良いか。ソラとしてもカイトが旅路に仲間達との訓練で使った物なら若干遠慮しておこうかな、と思わなくもなかったが、そうでもないのなら特別気にする必要も無いだろう、と考えたらしい。有り難く使わせて貰う事にする。
なお、そんな彼が知る由もないのだが、実際にはこの木刀を作ったのはカイト達――当時の時代柄自分たちで作るしかなかった為――なのである意味ではレアリティが高い物なのであった。
「まぁ、それなら有り難く受け取っておくよ」
「ああ、そうしてくれ。使わないより使う方がそいつにとっても良いだろう。もう殆ど使わないがオレ用の物はあるし、予備もあるからな。そいつは誰が使うかも決まってなかった予備の予備だ。貰ってくれた方が良い」
「そか……っと、じゃあ、俺は先に行ってくる。こっち移動時間かかりそうだからな」
「そうか。しっかりな」
カイトは少し急ぎ足に用意を整えたソラの背を見送って、自身の支度を確認する。
「うーむ。にしても、まさか家庭教師とは」
一応、アストール伯からは魔術の調練を見てやって欲しい、と言われている。とはいえ、魔術の調練となると基本的には座学もあるし、実技もある。ソラの様に運動の用意だけではなく、彼の場合は座学の準備も必要だった。
「今日はひとまず、現状の確認だけにしておくか……」
現状のリリーがどの程度出来るか、というのはさすがのカイトにもわからない。そして当然だが、急に言われてすぐに用意が整えられるわけでもない。なので今日は一度現状把握に努めておき、明日から本格的な授業で良いだろう、と判断したようだ。
「授業時間は二時間。13時30分から15時30分と……そこから三十分後にまたファブリス坊っちゃんの訓練と……オレのが忙しいってのがなんか釈然としないが……」
ソラとファブリスの稽古は休憩込みで一時間半となっているらしい。まぁ、こちらは純粋に身体を動かす事を考えると、仕方がないとは言えるだろう。開始時間は一緒なので、終了時間はソラ達の方が三十分早い15時だ。と言っても、これはあくまで座学の場合。こちらも実技に入った場合は同じ時間になる。
「ふむ……」
魔術の教本を読みながら、カイトは現在の皇国の一般的な上流階級の教育程度を把握する。と、そうしていくつかの内容を読み解いて、彼は一つ理解する。
「……これ、多分ウチの馬鹿の誰かが作った奴だろうな。まぁ、ウチの馬鹿の場合馬鹿でもピンきりだしなー。真面目組の誰かかね」
文体というかそういうのに、見慣れた癖がある。カイトは教本を閉じてそう結論を下す。実際、彼の所の技術班も性格はピンきり。オーアのような豪快な性格もいれば、真逆の性格も居る。
一千人も居たのだから、当然である。その中には真面目な学者肌の者も居たりして、そういう奴らなら教本の一つや二つ作れていても不思議はなかった。そしてそれなら、カイトとしてもおおよそどういう流れで持っていこうとしているか掴む事は出来た。
「最終的には中級上位の魔術まで使える様にする、という所か。難易度はかなり高めだが……」
どうやらリリーも魔術師としては中々の素養を持ち合わせているらしい。カイトはこの教本を買い与えられたぐらいなのだから、とそう判断する。とはいえ、それならそれで思う所もあった。
「それなら、いっそどこかの学園にあずけても良いのかもしれんがな……まぁ、そこらは各家の判断に任せる所か。それに、それが全てにおいて正しいというわけでもないしな」
基本的な皇国の教育制度はアメリカの教育制度に近い。ある程度の学力の習得は必須としているが、その方法については各家庭や各村に任せている。なので寺小屋のような形で教育を行っている所もあれば、貴族達の中には家庭教師を招いて教育を受けさせている所もあった。
アストール家がどういう方針を行っているかはわからないが、教本から考えて少なくとも魔導学園に居るわけではないらしかった。と、そんな事を考えていると、部屋の扉がノックされた。
『天音様。よろしいでしょうか』
「どうぞ」
「しつれ……失礼致します」
扉が開いて中に入るなり、少し離れた所の椅子に腰掛けていたカイトを見てレイラが一瞬困惑を浮かべる。一瞬何が起きたかわからなかったようだ。とはいえ、実際には魔糸を使って扉を開けただけだ。動くのが面倒だったらしい。
「お嬢様のご支度が整いました。部屋までご案内致します」
「わかりました。こちらも、おおよその支度は整いました」
「かしこまりました」
カイトの返答を受けて、レイラが一つ頭を下げて案内を開始する。そんな彼女に案内されて、カイトはリリーの部屋へと向かう事にする。その道中、カイトはふと気になって問いかけてみた。
「そう言えば……リリーお嬢様は学園などには?」
「通っております」
「では、今は休暇中で?」
「そうなります」
若干突き放すような言い方のレイラに対して、カイトは特段気にする事はない。なんだかんだカイトは冒険者である事に違いない。何を考えているか、というのはわからないのだ。
主人が良いと言ってもそれだけで従者から認められるか、というと話は違う。何でもかんでも教えてくれるとは、思うべきではないだろう。無論、主人が教えて良い、教えろと命ずる場合は話が別だろうが。そうしてわずかばかりのリリーの情報を聞き取りながら歩く事五分ほど。カイトはリリーの部屋へと案内される。
「お嬢様。レイラです。天音様をお連れ致しました」
『入ってください』
「失礼致します……どうぞ」
扉を開いたレイラに促されて、カイトはリリーの部屋へと入る。そこは一般的な貴族の少女の部屋と言ってよく、奇を衒ったり独特の色があるわけでもなかった。
地球で例えれば、ゴシック調の部屋と言う所だろう。と言っても実用性も兼ね備えているからか、メルヘンチックというよりもどちらかと言うとシックな感じが色濃かった。カイトの好みに近いといえば、近いだろう。
「失礼します」
「よろしくお願いします」
「はい。こちらこそよろしくお願い致します」
ここからが本番だな。カイトは貴族としての柔和な笑みを浮かべながら、リリーの挨拶に頭を下げる。そうして、彼はもう一つの仕事に取り掛かる事にするのだった。
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