第2081話 草原の中で ――引き継ぎ――
アストレア家分家アストール家。かつて収穫祭の前にイングヴェイという冒険者が請け負った『ダイヤモンド・ロック鳥』の雛の捕縛の依頼人であった彼らより、『リーナイト』の一件で依頼の遂行が不可能になったイングヴェイ達の代役を引き受ける事になったカイトとソラ。
そんな二人はそれぞれ、自身が元々冒険者でないという所からイングヴェイ達にはなかった別の依頼を受ける事になる。そうして、その依頼の打ち合わせが終わった所で、二人はファブリスに案内されて移動する事になっていた。
「えっと……こちらです。飼育小屋は敷地の離れにあります」
「わかった」
てくてくと歩いてくファブリスの後ろを歩きながら、カイトは彼の言葉に一つ頷いた。案内をファブリスが行っているのは、アストール伯が先の仕事の続きがまだあるとの事だからだ。ファブリスが居なければレイラがしたのだろうが、引き継ぎで必要な事もあるだろう、とファブリスにさせる事にしたのである。というわけで、アストール邸の中を歩く事しばらく。外に出て少し歩いた所にあった飼育小屋が見えてきた。
「おー……ウチの飼育小屋よりデカイな」
「飼育小屋があるんですか?」
「あ、おう。まぁ、ウチも色々とデカイからな」
驚いたようなファブリスの問いかけに、ソラは一つ笑って頷いた。そんな彼に、ファブリスが少し目を輝かせながら問いかける。
「何を飼ってるんですか?」
「ん? えーっと……竜とか馬とか……流石に牛とかは飼ってないな。戦闘で使えないから。あ、でも鷲獅子は飼ってないな」
「へー」
やっぱり冒険者なんだ。ソラの返答にファブリスが興味深げに頷いた。そうして、少しの会話をしながら歩く事更に少し。三人は飼育小屋の前にたどり着いた。が、そこでファブリスが少し首を傾げる。
「あれ……静かだな」
「いつもはもっとうるさいのか?」
「あ、はい。いつもはもっと騒がしいというか……もっと鳴き声が聞こえるんです。ここまで静かだと、ハンスとか他の飼育員が居ない場合が多いんですけど……でもハンス。お父様の指示でこっちに控えている筈なんだけど……」
なんでだろう。ファブリスは訝しげに、扉の横の窓から中を覗き込む。とはいえ、それを横目に、カイトがソラへと小声で告げる。
「ソラ」
「おう」
カイトの言葉に、ソラは馬車の中で言われていた通りに腹に力を込める。馬車でカイトから飼育小屋に入る場合、といくつかのパターンのレクチャーをされており、その中にアストール伯は残りファブリスに案内される場合もあった。その場合には、腹に力を込める様に言い含めていたのである。と、彼が用意を整えた頃合いで、ファブリスが後ろを振り向いた。
「あ……すいません。やっぱり居るみたいです」
「そうか……じゃあ、開けて良いか?」
「はい」
カイトの言葉に、ファブリスが一つ頷いた。そして彼の承諾を得て、カイトが扉を開いた。が、その瞬間だ。ファブリスが思いっきり顔を顰めた。唐突に得も言われぬ力を感じたのだ。
「っ」
「何だ。ファブリスの坊っちゃんも一緒だったか」
「ハンス?」
「ああ。俺ですぜ」
中に居た一人の老年の男性が、ファブリスの問いかけに一つ豪快に笑う。ファブリスが見えていながらも思わず問いかけたのは、ハンスが自分が見た事もないような力を放っていたからだ。と、そんなハンスがカイトとソラを見て笑った。
「にしても……イングヴェイの小僧が代役に小僧を選んだ、って聞いた時はどんな小僧かと思ったが……なるほど。こりゃどえれぇ化け物を連れてきやがったな」
「はじめまして。カイト・天音です」
「ソラ・天城です」
いつも通り泰然とした様子のカイトと、少しだけ腹に力を入れるソラが飼育小屋の最奥。まるで自身がこの飼育小屋の王だとでも言わんばかりに堂々と干し草の椅子に腰掛けたハンスへと頭を下げる。
そんな彼が立ち上がり、三人の所へと歩いていく。立った彼は二メートル近くものある巨体で、鷲獅子やら馬やらを飼育しているからか筋骨隆々だ。そんな彼は身に纏った威圧感も相まって、更に一メートルほども高くファブリスには見えた。
「よく来たな。俺はアストール家専属の飼育員の統率役をやってるハンスだ。ファブリス坊っちゃんの相棒のノイエの調教師も務めている」
「ありがとうございます」
「おう。そっちの小僧もよく来たな」
「ありがとうございます」
自分達を歓迎してくれたハンスと、二人が握手を交わし合う。そうしてそこで、ハンスも威圧感を解いた。
「すんませんね、坊っちゃん。威圧しちまって」
「い、いや……良いんだけど……ハンス、すごかったんだね」
「ははははは。すいやせん。常日頃はこいつらを怯えさせちまいますんで、抑えてるんですが……ちょっと今回ばかりは理由があるんですよ」
驚いた様子で冷や汗を拭うファブリスに向けて、ハンスは一つ謝罪して入り口から入ってすぐの所にあった事務所へと一同を案内する。
カイトがソラへと腹に力を込める様に言っていたのは、飼育小屋では必ずハンスが威圧してくるとわかっていたからだ。そしてそれは功を奏して、ソラは一切気圧される事なくハンスと相対出来ていた。そうして移動して一息吐いた所で、ハンスが再度ファブリスへと謝罪した。
「それで、改めてすいやせん。さっきは坊っちゃんが一緒ながら威圧しちまいまして」
「あれは結局何の意味があったの?」
「へい……こいつらが舐められないかどうか、確かめてたんです」
ファブリスの問いかけに、ハンスが先程の意味を説明する。それに、ファブリスが首を傾げた。
「どういうこと?」
「へい……馬達はともかく、鷲獅子なんかの奴らは本来は魔物。幻獣とも言われますが、大別すりゃ魔物なんです。なんで、並大抵の奴より遥かに腕っぷしが立つ。それこそ、冒険者なんかより上の奴もザラだ。坊っちゃんの『ダイヤモンド・ロック鳥』とてもし幻獣ともなれば並の冒険者どころか、ランクSの冒険者だって追い払っちまうでしょう」
流石にあれが成長したらどうなるかは俺にもわかりませんがね。ファブリスの疑問に答えるハンスは、そう口にする。元々が珍しい亜種の更に亜種だ。
カイトさえ雛を見た事がない、というほどのレアリティを誇る魔物が進化するとどうなるか、というのは完全に未知数の所が多く、アストール家にはこの一件で学会から定期的な調査を依頼されていたりもした。
「それは僕も聞いているよ。それが、どうしたんだ?」
「へい……今、ノイエの奴は周囲の環境に馴染んで、少し調子に乗ってるってのは前にお話しましたね?」
「うん。それで、ハンスや彼らが居るって」
「へい……それで、そうなるとどうしても腕っぷしが必要なんですよ。あいつらが舐める奴ってのは自分より下と思った奴。そして舐められちまうと、こっちの言う事は聞かない。それは困る。なら、今のタイミングで奴にはどっちが主人か理解させておく必要があるんですよ」
「なるほど……」
確かにハンスの言う事は筋が通っているな。ファブリスはハンスの言葉に納得し、一つ頷いた。そうしてそんな彼の納得を受けて、ハンスが話を進める。
「それで、そうなってくると奴が調子乗った所で、強引に制止出来るような腕っぷしがどうしても求められるんですよ。けど、ノイエの奴も当然自分の好きにしたいってんで暴れる。暴れてもこっちが上って教え込めないと、ダメなんです」
「……少し可愛そうと思うけれど……」
「へい。ここできちんと上下関係を叩き込まないと、後で泣きを見るのは坊っちゃんとノイエの奴です。時には、心を鬼にしてやるのも共に生きる為には必要なんでさぁ」
「そっか……」
少しだけ悲しげで心苦しげに、ファブリスはハンスの言葉に項垂れる。どうやらアストレア公フィリップが聡くはあると言うだけの事はあり、ここらの話も筋が通っていると理解したようだ。
元来、魔物との共存は非常に難しいものだ。実際、一部の知性の高い魔物でなければ共生なぞ成り立たない。が、その知性の高い魔物とて時に魔物として討伐される。それを考えれば、周囲に不要な被害を与えない様にするのも飼い主のマナーだった。
「……わかった。ありがとう」
「いえ……で、それで言えばお前ら二人は合格だ。どっちがメインでやるんだ?」
「それは私が」
ハンスの問いかけに、カイトは自分が主に調練を行う事を明言する。これに、ハンスはやっぱりか、と納得した様に頷いた。
「ま、そうだろう。明らかにお前さんの方が化け物じみてたからな」
「あははは……とはいえ、腕っぷしだけでなく私自身が仔竜と仔狼を飼育しておりまして、それもあり反抗期には対応出来るかと」
「なるほど。まぁ、そりゃそうか。そうでもないと伯爵様も指定しねぇか」
カイトの返答に、ハンスはそれなら問題無いだろうと受け入れる。そうしてそこらで一つ納得が得られた所で、改めてハンスから引き継ぎを受ける事になった。
「それで現状だがまぁ、一番むずかしい時期はもう終わって、後は身知らずの奴の前で調子こく事が無い様に、って段階だな。丁度お前さんらのような奴に来て貰いたかった所でもある」
「丁度楽になり始めたタイミング、と」
「そうだな。まぁ、反抗期の最初だけは俺も休み無しで動くが……流石に休み無しで最初から最後まで全部自分でやっちまうと、反抗期が終わる前に俺が参っちまうからな。かといって、他の奴も他の奴でそれぞれが飼育してる奴が居る。基本冒険者に頼む事になってる。このタイミングで、休みもらえる様に手配してもらってんのさ」
カイトの言葉に一つ笑ったハンスは、これが元々決まっていた事である事を明言する。実際、こちらについてはアストレア家もアストール家も何ら一切の思惑が絡んでおらず、単に通常の流れで依頼が出ただけだ。そこにカイト達が、となった事で両家がそれぞれの思惑を絡めただけだ。
「聞いています。実際、私も自分一人でやってると痛い目に遭いましたよ」
「はははは。ま、それでも反抗期終わりまで面倒みてんだから、お前さんは頑張ってるさ。飼育員の俺が太鼓判押してやんぜ」
「ありがとうございます」
ハンスの称賛にも似た言葉に対して、カイトは一つ笑って頭を下げる。実際の所は日向には反抗期のようなものはほとんど無かった――これは非常に稀な事らしい――が、ああ見えて伊勢にはあったらしい。
そしてその頃は基本カイトが調教をしていた為、基本伊勢はカイトを主人として考えているのであった。とまぁ、それはさておき。なので反抗期の魔物の大変さはカイトも身に沁みて理解していた。
「さて……ま、そういう事なら詳しい話は言うまでもないだろうが。ああ、そうだ。飛行型の魔物の調教で使うロープは覚えてるか?」
「はい。私もソラも共に習得しています。が、少し不安が残ったので、ソラにも補佐をと」
「なるほど。イングヴェイの小僧が推挙しただけの事はあったか」
カイトの返答に対して、ハンスは一つ頷いた。ロープというのは物理的なロープではなく、魔術や魔糸で編まれたリードのような物と考えて良い。遠くへと行きやすい飛行型の魔物を掴まえておく為には必須の物だった。そんな彼の返答に、ハンスが一つ告げた。
「見せてくれ」
「すでに見せていますよ」
「ん? ほぉ……」
笑って告げたカイトに対して、ハンスはふわりとマグカップが浮かび上がったのを見て目を見開く。そして彼の視線を受けて、カイトが魔糸を可視化させた。
「これで、ご納得頂けましたか?」
「勿論だ。ははははは。下手するとイングヴェイの奴よりとんでもねぇ化け物じゃねぇか」
「ありがとうございます。まぁ、自分は魔糸ですが、万が一それに対応された場合に備えてソラには魔術式のロープを習得させています」
「どっちにも対応してるってわけか。なるほど。上策だ。俺達もそうしてる」
ハンスはカイトの返答に納得する。これなら実力も考えも信頼出来る。問題無く任せられる、と判断したようだ。そうして、その後もしばらくの間ハンスとの間で引き継ぎに必要な諸々を確認する事になるのだった。
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