第2030話 大陸会議 ――湖上の猟犬――
ラグナ連邦副大統領ムルシア。彼の要請を受けて開かれていたカイト達との会食は、基本的には日本や地球の事を話しながら行われていた。そうして、暫くの会話の後。ムルシアがカイトの視線に気付いて――正確には気付いてはいたが――問いかける。
「気になるかね?」
「気にならない、と言えば嘘になる……でしょうね」
ムルシアの問いかけに対して、カイトは困った様に笑う。そんな彼が見ていたのは、<<湖上の猟犬>>の隊員。ムルシアの護衛だった。とはいえ、これはムルシアも意図的に見せていた。カイトがどの程度この世界の情報を収集しているか、と測る為だ。ある種の試金石でもあった。そうして、そんな彼が告げる。
「彼の腕にある犬の紋様……それを知らないとは、流石に言えませんよ」
「冒険者と言えども、知らない方が多いと思うがね」
「それは知らなくてもやっていける程度の冒険者でしかないですね」
僅かに政治家としての笑みを覗かせたムルシアの言葉に対して、カイトは一切表情を崩さず優雅に、しかしある種の侮蔑を伴って告げる。それに、ソラが口を開く。
「犬の紋様……ムルシアさん。前、お師匠さんから聞いたんですけど、もしかして……彼は<<湖上の猟犬>>?」
「……ああ、そうだとも。彼は<<湖上の猟犬>>の隊員だ」
「……」
<<湖上の猟犬>>の隊員。そう言われた男はただ無言を貫く。そこには一切の動揺も恥ずかしげも誇りも何もなく、ただそこにあるだけと言っても間違いではないほどだった。そんな二人に、カイトははっきりと明言する。
「<<湖上の猟犬>>……ラグナ連邦が誇る特殊部隊。アルを知っていて、そしてルーファウスを知っていて、私はその名を知らないとは言えません。二つのヴァイスリッター家とバーンシュタット家。その三家を知る以上、必然として<<湖上の猟犬>>は聞きますから」
「そうかね……いや、そうだな。そうだろうとも」
今更思えば、おかしな状況になっているものだ。ムルシアはカイトの言葉に若干だが苦笑混じりに笑う。どちらも同じくラグナ連邦と比肩する大国が誇る自慢の騎士団だ。その二つと比肩される<<湖上の猟犬>>を知らないとは、確かにムルシアをして思えなかった。と、そんなムルシアに、ソラが問いかける。
「そう言えば少し興味があるんですけど……なんで湖上なんですか?」
「む? あぁ、<<湖上の猟犬>>のラーゴか。そうか。そう言えば君は首都まで来た事がなかったね」
ソラの問いかけに、ムルシアは再度笑う。とはいえ、今度は先のような苦笑の色はなく、ただ穏やかな笑みだった。
「我がラグナ連邦の首都の近郊には大きな湖があってね。元々そこで訓練をしていた事から、<<湖上の猟犬>>と呼ばれる様になったのだ」
「ラグナ連邦の最初期から国家を支え続けた、まさしくラグナ連邦の誇りだ。八百年もの間受け継がれてきた隊服と紋章だ。それに袖を通すのは、決して軽い事ではない。間違いなく、国家の誇りと言えるだけの猛者だろうな」
「……」
カイトの称賛に対して、若干だが<<湖上の猟犬>>の隊員が僅かに気を緩めた。どうやら国家の誇りと称賛されては、流石に嬉しかったらしい。あくまでも職務に忠実なだけで、人間味はあるのだろう。とはいえ、それでも表情が変わらないあたり、見事なものではあった。と、そんなカイトにムルシアは若干だが驚きを覗かせる。
「<<湖上の猟犬>>の歴史も知っているのかね」
「これでも、歴史は調べていますので。神話時代からマルス王国時代、マルス帝国時代は範疇ですよ」
「ほぉ……」
さすがは、というべきなのだろう。ムルシアは内心でそう呟いた。とはいえ、言うだけなら口でなんとでも言える。なので彼は自身が興味があった事もあって、試しに聞いてみる事にした。
「どの程度、知っているかね?」
「どの程度、と言われましても……答えにくい所がありますが」
「それもそうか……では、我が国の歴史は知っているかね?」
「ええ。独立戦争の経緯も把握しているつもりです」
「なるほど。その答えが出せるのであれば、間違いなく君はきちんと知識を自分の物にしていそうだ」
カイトの返答にムルシアは若干だが苦笑を滲ませる。普通はこの答えは出せない。そんな答えだったらしい。そしてこの意図は流石にソラにはわからなかった様子で、一人怪訝な顔をしていた。そんな彼を見て、ムルシアはそのままカイトへと告げる。
「ソラくんに語ってあげてくれ。私も君の知識がどの程度正確か知りたい」
「まぁ、そういう事なら……ソラ。ラグナ連邦の歴史をブロンザイト殿からどの程度聞いてる?」
「ラグナ連邦の歴史……そうだな。まず建国から八百年で、元々は未開の地だった西部をマルス帝国末期の圧政から逃れてきた人々が開拓した事から始まった、って聞いてる。と言っても、お師匠さんもほとんど語ってないから、後は大まかな歴史ぐらいかな」
「そうだな。それで間違い無い」
ソラの言葉にカイトは一つ頷く。一応、歴史で言えばエネシア大陸で現在まで連続性がある国の中では最古の国と言っても間違いではない。その理由がこれだった。マルス帝国としても無理な拡張が祟って首都から遠く離れた西の地は東の地同様に攻めあぐね、各地の反乱も相まって最後まで攻めきれなかったのである。
「それでその際に出来た部隊の一つが、<<湖上の猟犬>>。それがラグナ・ラエリア海上戦争を経て、最大の特殊部隊になったわけだ」
「海上戦争……そういや、独立戦争ってラエリアからの独立戦争なんだよな? 今思えば、他大陸のか?」
「ああ。元々マルス帝国の拡大に時のラエリア王国の大老達は危機感を抱いていた。このまま拡大し続ければ他大陸にも手を伸ばすのは自明の理。なら、防波堤としてラグナ連邦を利用しよう、という腹だな」
「なるほど……」
確かに、言われれば納得だ。ソラはカイトの解説に一つ頷いた。そしてその結果、ラグナ連邦はバックにマルス帝国と真正面から戦えるラエリア王国というバックボーンを得る事に成功。結果的に最後まで支配を逃れたのであった。が、ここまではあくまで両者の利益が一致していればこそ、ラグナ連邦も手を取れただけの話だ。その後は、話が変わる。
「とはいえ、それもマルス帝国が存在している間の事だ。当然だがラグナ連邦とてマルス帝国が崩壊したのに、何時までも自分達を頭ごなしに命令するラエリア王国の事が好ましいわけがない。そこで起きたのが、お前が言った通称独立戦争というわけだ」
「通称、というわけなら何か意味があるのか?」
「ああ。一応、ラグナ連邦としては独立国としての体裁はあった、というのが公的な立場だ。だから正式にはまた別の名前になる」
「え゛」
少し楽しげなカイトに、ソラは慌ててムルシアと<<湖上の猟犬>>の隊員を伺い見る。これに、ムルシアは笑った。
「気にしないで良い。国外ならそちらの方が通りが良いというのは我が国としても十分に把握している」
把握しているで承知しているわけじゃないんっすね。ソラはムルシアの言葉をしっかりと理解していた。まぁ、これについては知らない以上仕方がなかった――カイトが知っているのがおかしいとムルシアは認識した――のだから、笑って流すのが大人としての度量という所なのだろう。ムルシアはそれを示していたのである。それに、ソラは僅かに胸を撫で下ろす。
「す、すいません……」
「ま、流石にブロンザイト殿もそこまで詳しくは話してる余裕がなかったんだろう。実際、ラグナ連邦以外の諸国ならラグナ連邦の独立戦争で通用する……で、その戦争の際に首都近郊のアートルム湖にて訓練をしていた<<湖上の猟犬>>が活躍。最終的にはラグナ連邦の勝利となるわけだ」
「それが、今から六百五十年ほど前だね」
大凡マルス帝国の崩壊から独立した各国々の政治が安定し始め、ラグナ連邦も落ち着きを取り戻した頃合いだった。そうして、そんな歴史を語ったムルシアにカイトが続ける。
「ちょうどその頃になるとエネシア大陸で叛逆戦争に参加した者たちは隠居したり去ったり、とした結果、その反動で和解が進んだ。そうなると今度は逆に恩着せがましいラエリアが疎ましくなった。丁度、皇国とは和解が進んで背後を気にしなくて良くなった事も大きかった。自主独立を進めた事に対してラエリア王国が派兵して、戦争となったわけだ」
「無茶するな……当時だろ? ほとんど大陸を渡るのは無茶だったんじゃないか?」
「無茶は無茶さ。それでも、皇国からラエリアへ渡るほどの無茶じゃあないがな」
ソラの指摘に、カイトは一つ頷いた。ここで彼がこれを言ったのは、やはり自身の過去があればこそだろう。距離的にはラグナ連邦とラエリア、ラエリアと皇国、皇国とラグナ連邦の三つを比べるとラグナ連邦とラエリアが一番近い。なので当時のラエリアの余力などを鑑みればまだギリギリ侵攻可能だったそうである。無論、それでもかなりの無茶は無茶と言えるらしいが。
「ま、それはともかく……そんな経緯があるから、三つの特殊部隊の中でもラグナ連邦の<<湖上の猟犬>>は最も海上戦闘に優れている。他にも船の操艦や砲雷撃戦など、艦隊戦なども得意だな」
「ほ、本当に君は調べまくったみたいだね……」
流石にここまで詳しく知っていれば、問いかけたムルシアも呆れるしかなかったらしい。下手をすると歴史に関してであれば自分よりも詳しいかもしれない。彼はそう思ったほどであった。そんな彼に、カイトは僅かな恥ずかしさを見せる。
「あはは……歴史は嫌いじゃないので……つい調べすぎた様子です」
「そうか……まぁ、そういうわけでね。君達に勝てなくとも、少なくとも負けないだけの腕を彼は持っているよ」
とりあえず<<湖上の猟犬>>の歴史や背景についてはこの程度で良いか。ムルシアはカイトがかなり詳しく自分達の事を調べている事を把握した事もあり、この話題はこれで終わりとしておく。時間は限られているのだ。この話題にばかり時間を費やすわけにはいかなかった。
「どうでしょう……それについては、やってみなければなんとも。何事にも相性はありますから」
「そうか……ああ、ありがとう。そうだ、少尉。水でも一杯飲むかね?」
「頂きます」
確かに居る以上、何も飲まず食わずというのはカイト達としても居心地が悪い。そしてそれは<<湖上の猟犬>>の隊員としても読み取ったらしい。
空気を読んだのか、水を手配するムルシアの言葉に感謝を示す。そうして、その後は暫くカイト達の今までの活動についてと今後の活動についての話を行う事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




