第2008話 大陸会議 ――医務室――
転移術の理論を求めて大陸を渡ったカイト達。そんな彼らは幾度かのトラブルに見舞われながらも、何とか『大地の賢人』から転移術の理論の提供を受ける事に成功する。そして、数日。彼らはおよそ一ヶ月ぶりとなる皇国はマクスウェルに帰還していた。
というわけで、帰還後。カイトの号令により、全員が行動を開始する事になったわけであるが、そんな彼は灯里と共に研究室に行く前に、二人揃ってとある人物により笑顔で睨まれていた。
「ねぇねぇ、にぃー。ちょい良い?」
「どうした?」
「……後ろ」
「ん?」
つんつん、と自身をつつくソレイユの言葉に、カイトは怪訝な顔で後ろを振り向く。そうして、思わず彼は固まる事になった。
「……じー」
「……何か御用でしょうか?」
「じー……」
ジト目で自身を見るリーシャに、カイトは思わず敬語で問いかける。が、これにリーシャはジト目の圧を強めるだけであった。そうして、暫くの後。彼女がようように口を開いた。
「お・わ・か・り・で・す・よ・ね?」
「……はい」
一言一句丁寧に、しっかり区切って告げられた言葉に、カイトは素直に頭を下げるしか出来なかった。基本彼女との関係はカイトが上でリーシャが下になるのであるが、医者と患者という立場になるとたちまち完全に逆転してしまうのであった。というわけで、一瞬で上下関係を叩き込んだ彼女が、ため息を吐いた。
「はぁ……こうなるとわかってました。というわけで出向いてみたのですが。案の定で良かったです」
「はいはい……はーい、皆さん。とりあえずさっきの通り、各々各所に報告とこちらからの連絡を待って行動に入れる様に準備だけはお願いしまー」
「「「お、おぅ……」」」
そういえば本来はこいつが真っ先にマクスウェルに搬送されなければならないほどの大怪我なんだったっけ。どこか気勢を削がれた様子のカイトに、全員がそれを思い出す。
一見すると完全に復活しているような感じだが、実際には彼こそが今回の旅路で一番大怪我を負った身だ。本来は彼が帰ってきて一番にする事は転移術の解析の準備ではなく、医務室に直行なのであった。
「で、灯里様。灯里様も医務室へお願い致します」
「はーい……と言っても私、もう回復してる気」
「それを判断するのは、医者の役目です」
「……ごめんなさい」
どうやらカイトも灯里もリーシャには勝てないらしい。特に灯里は今まで裏方仕事という事でこの状態のリーシャを見た事が無いらしく、思わぬ圧にたじろいでいた。
「はい……では、三人とも医務室へこのままお願いします」
「「「はい」」」
カイト以下、瞬と灯里――更にカイトの背におぶさるソレイユと肩の上のユリィ――は揃ってリーシャの背に従って移動する事になる。そうして移動した医務室のリーシャ専用の診断室に入るなり、彼女が即座に指示を出した。
「まず、灯里様はそちらへ。脳の検査を行いますので、暫くは寝たままで居てください」
「はーい……ここで良いの? 何か着けなくて良い?」
「そのままで構いません。なんだったら、寝ても大丈夫です」
「マジか」
異世界すげー。灯里はリーシャの言葉に遠慮なくベッドに横になり、目を閉じる。長旅は長旅だったので、少しの間休憩するつもりなのだろう。というわけで、脳の検査を開始した灯里の横で、リーシャは次に瞬への指示を出す。
「それで、瞬さん」
「は、はい」
「貴方はまず、こちらの専門機関に向かって血液検査を。カイト様からお話は伺っていますので、血中に含まれる因子などに何か異常が出ていないか診断してもらえます」
「あ、ありがとうございます」
どうやら以前リーシャが『リーナイト』に来た時点でカイトの方が手配を整えてくれていたらしい。紹介状はすでに出来上がっており、後はこれを持っていくだけだった。というわけで早速と向かう事にした瞬を見送った後、カイトは改めてリーシャからため息を吐かれる事になった。
「それで、はぁ……カイト様。いい加減に覚えてください。まず、何よりも優先されるべきは御身なのです。その御身が怪我を放置されるなぞ、本来は何よりあってはならない事なのです」
「わかってるよ」
どこかバツの悪いような顔で、カイトはリーシャから視線を逸らす。改めて言うまでもない事なのであるが、カイトは本来は公爵であり勇者であるのだ。政治的にも軍事的にも彼以上の重要人物と言えるのは国の統治者たる皇帝レオンハルトぐらいなものだろう。その彼の身体は何よりも優先される物だ、と言うリーシャの指摘は至極当然なものであった。
「わかっているのであれば、何故治してくださらないのやら」
「むぅ……」
そう言われれば、返す言葉がない。それ故にカイトはリーシャの言葉に只々拗ねる様に口を尖らせるだけだ。そんな彼らに、ソレイユが笑った。
「無理だってー。リーシャも知ってるでしょ? にぃは何言ったって聞かないって。自分のやりたい様にやって、って人だから」
「それが、カイトだもんねー……付き合わされる身にもなれ、って話だけど」
ソレイユの言葉に、ユリィもまた同意しながらも、かなりどんよりとした様子で呟いた。と、そんな二人にカイトは一応、という形で告げた。
「とはいえ、あの状況じゃあオレが動かないとしゃーなかった、ってのも事実だったろ。『大地の賢人』との謁見は本来、オレか桜田校長のどちらかが立ち合わなければならないものだ。今回の一件がオレの功績により行われるものである以上、オレが会わないととしゃーないんだよ」
「それは存じ上げております。が、それでも戻られた後にはこちらに来る事を優先してください」
「……はい」
少しだけ不貞腐れた様子で、カイトはリーシャの言葉に頷いた。まぁ、これについては彼自身が若干自らの身を気にしないところがある、というのが悪いところだろう。良くも悪くも彼は怪我を負う事に慣れ過ぎている。故に多少の無茶なら気合と根性で乗り切ろうとしてしまうのであった。というわけで、ここからは素直に彼もリーシャの指示に従う事になる。
「さて……まず体組織の癒着ですが」
ぽぅ、と診断用の魔術を起動させて手に青白い光を纏い、リーシャは診断を開始する。
「……相変わらずの再生力です。ひとまず、癒着が剥がれる事は無いでしょう」
「途中、ティナが体組織の穴埋めと軟膏を塗ってくれたらしいからな」
「なるほど……」
それならここまで治癒が早いのも納得だ。カイトからの報告に、リーシャは一つ頷いた。これはカイトが気絶している最中での事だったが、どうやらカイトが大怪我をした事を受けてバーンタインの指示でレヴィへ報告が上がったらしい。
そして彼という巨大戦力の戦線離脱だ。こちらの方が全体の不利益になってしまう為、ティナへと即座に連絡が行ったらしい。彼が二時間で復帰出来たのには、そんな裏事情があったのであった。そうして、暫く。リーシャが手を退けた。
「……ふぅ。ひとまず、癒着状態に問題はありません。異物混入も無いでしょう」
「魔術は混入してたがな」
「それは取り除かれたのでしょう?」
「ああ……まぁ、何か異常が無いならそれで良い」
リーシャの問いかけに一つ頷きながら、カイトは何時ものインナーに手を伸ばす。が、その手をリーシャが押し留めた。
「ん?」
「まだ、終わっていません。今のは腹の癒着を確認するだけ。教国で負った怪我の状況が、まだ残っています」
「……あー……」
そういえばオレ、教国でも大怪我を負ったんだっけ。カイトは教国の地下で宗矩に負けた事を思い出し、一つ頷いた。あちらは一応完治したはずだが、ついでなので経過観察をしておこう、というところなのだろう。あちらも大怪我だ。
定期的に検査はしていたし、カイトの回復力なので問題は無いだろうが、それでも今回の一件で何か影響が出ていないか確認しておきたかった。とはいえ、すぐに結果は出る事になる。
「……こちらは問題なさそうですね」
「まぁ、こっちは定期的に診て貰ってたし、怪我にしても即座に応急処置をしてたからな」
「そうですね」
こちらについてはそもそもティナが応急処置をした後に、リーシャが処置をしていたのだ。そして今回の『リーナイト』の一件の様に怪我を負って応急処置のまま長時間戦闘を繰り返してはいない。なので問題は無さそうだった。
「……はい、良いでしょう。さて、それで今度は……」
カイトの怪我の状態を確認し脳内で彼の怪我に対応する為の薬の調合を考えながら、リーシャは次いで横で寝ている灯里へと向き直る。
「灯里様。実感として、脳に違和感は?」
「んー……無いと思うなー」
「思考回路にバグは出まくってるがな」
「なんか言った?」
「何も?」
ぼそり、とした自身の一言に対する灯里の言葉に、カイトは楽しげに笑って首を振る。彼女の思考回路が読めない、というのは彼が何時も言っている事だ。なのでこちらについてはそのままその通りと言うしか無かった。
「ま、今回ばかりはオレも灯里さんに甘い事は抜き。徹底的に検査してやってくれ」
「カイトも、お願いしますねー」
「どちらも、勿論請け負わせて頂きます」
「しまった。やぶ蛇だった……」
灯里の返答に、カイトは思わず自身の迂闊さを呪う。とはいえ、もう言ってしまったものは仕方がない。というわけで、カイトは灯里の検査結果が出るのを待つ間、リーシャから現状の報告を受ける事にした。
「で、リーシャ。悪いが、現状の報告を頼む。そもそも、お前とてわかってるだろ?」
「ええ……少々、お待ち下さい。灯里様はそのままそこで寝ておいてください。検査結果が出るのにまだもう暫く掛かります。あ、測定装置はもう外していただいて結構です」
「りょーかい」
どうやら計測そのものはもう終わっているらしい。リーシャの指示に灯里はヘッドセットのような計測器を横にあった小机に置いておく。が、彼女はリーシャの指示によりこのままだ。というわけで横になる灯里の一方、リーシャはカイトがこういうだろう、という展開を見越して作成しておいた資料を取り出した。
「まず、冒険部側の被害ですが……ぎりぎり、ギリギリセーフです」
「お前が強調するほどか」
「本当にギリギリセーフと言うしかありませんでした。預言者様の手腕が確かなればこそ、この結末は得られたのだと明言致します」
「お前の頑張りも大きいだろう。助かったよ」
「……それが、私の務めですから」
カイトの言葉に、リーシャはどこか照れくさそうにそう告げるだけだ。これにカイトは後でしっかりご褒美を上げる事にして、今はひとまず先を促す事にした。
「そうか……まぁ、今はそこらについては横に置いておこう。報告の続きを」
「はい……先に述べた通り、ギリギリセーフ、タッチの差で死者はゼロ。ただし、長期での戦線離脱は避けられません。また、タッチの差で生還している方については全員ミースのお香により強制的に睡眠措置を取っています」
「冒険者である以上、そこはもとより承知だ。そいつらについては可能な限りで万全の医療体制を整えているつもりだ」
「それについては同意しますが……専用の回復薬の作成を提案します」
「検討しよう」
検討する、と言いながらもカイトはこれについては急場を要すると判断していた。なのであくまでもこの検討はどういう形で、そしてどういう面子で行くのか、というところだった。
本来なら彼が行くのが一番良いのだろうが、流石にそれは組織としてあまり良く無い。こういう急場かつ本来ギルドマスターが動いてはならない時に動けば、組織の人員不足に捉えられてしまいかねないからだ。
「ありがとうございます」
「いや、良い……それで、他には?」
「はい。まず先の私とミースが手ずから治療を行っている者を除く重傷者数名については、こちらの判断で近隣の病院に運び込んでいます。こちらについてはすでに峠を越えている為、通常の治療で問題はありません」
「構わん。手が足りない事はわかっている。元来、お前は数を診るのに向かんからな」
「はい……また、現状を鑑みお祖母様が動いてくれています」
「そうか……そちらについては別途、オレが礼を出す。お前は気にしなくて良い」
「かしこまりました」
カイトの返答に、リーシャは思考を切り替え、こちらについては他の医者に任せる事にする。彼女は優れた医者だ。それ故にこそ、自分が出来る事、出来ない事をしっかりと理解出来ていた。
故に自分が救うべき生命、自分でしか救えない生命をしっかりと切り分けており、自分が救うべき生命を優先して治療していたのである。そうして、カイトはそんな彼女から灯里の検査結果が出るまでの間、報告を受けそれに対する指示を出していく事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。




