第2005話 新たな旅 ――最後の一夜――
『リーナイト』壊滅と遠征隊派遣の延期に伴って行われた、シャリクやバルフレアを交えて行われた今後の相談。それに参加したカイトであったが、帝都ラエリアでの行程はそれを最後にすべて終了。残すは、マクスウェルへの帰還を残すのみとなっていた。そんな彼であったが、その日の夜はラエリア城の一室にて過ごしていた。
「……」
「……どうですか? 久方ぶりのここからの眺めは」
カイトは自身と並んで何時もより少し近い距離でバルコニーから外を眺めるシャーナへと、少しだけ微笑む様に問いかける。彼の泊まる部屋はここではないが、少し気になってこちらに来たのだ。
なお、彼の泊まる部屋は彼の望みもあって何時ものあの部屋だった。一晩だけなので大きすぎても困るし、と彼はあの部屋を気に入っているらしかった。
「良いものです……と、思う様になったのは、遠くに離れたからなのでしょう」
「昔は、そうではなかったと」
「窓に良い思い出はなかった、と言いますか……あまり近付く事がなかったですから」
カイトの問いかけに、シャーナは僅かな苦笑を浮かべる。この理由を察する事はカイトは容易かった。それは言うまでもなく、彼女の立場上の事だった。というわけで、カイトがはっきりと明言する。
「今は、問題ありませんよ」
「兄上のおかげで、と言うべきなのでしょうか」
「それもありますが……何より、私が居ます。私が横に居るのに、暗殺なぞ警戒する必要はありません。よしんばしようとしても、それが貴方への殺気である限り一キロ圏内はまず気付きます。そして二キロ圏内であれば、ティナの防衛網がありますしね」
「……ふふ。相変わらず、とんでもないお方ですね」
これが冗談ではないのだから、笑うしかない。シャーナはカイトの笑いながらの事実への言及に、思わず楽しげに笑う。これが、現実だ。しかもこの上に大精霊達による監視網まで備わっている。かつては最も暗殺に近い王族の一人だったにも関わらず、今では最も暗殺に遠い者の一人だった。
「ふふ……シャーナ様。一つ、伺って良いですか?」
「なんでしょう」
「英雄と勇者の違い、ってなんだと思いますか?」
「英雄と勇者の違い、ですか……そんなもの、あるのでしょうか」
カイトの問いかけに、シャーナは少し考えながらもしかし違いは考え付かず首を振る。これに、カイトは自らの考えを語った。
「英雄とは種に奉仕する者。勇者とは個に奉仕する者……私はそう考えています。勇者はどこまでも浅ましいものなのですよ。似て非なるもの。決して、同じではない。喩え、結果が同じになろうとも、です」
「はぁ……」
そんなものなのだろうか。シャーナはカイトの言葉にそう思う。が、これはカイト自身、心底そう思っていた。
「英雄はね。相手が悪人であれ誰であれ、困っている人、助けを求める人を助けるのがお仕事なのです。それに対して勇者は救うと決めた者しか救わない。気に入らないなら、救わない」
「貴方は、その勇者だと」
「ええ……その代わり、守ると決めた宝は何があっても守り抜きます」
「あ……」
カイトから抱き寄せられ、シャーナが僅かに恥ずかしげに声をこぼす。何度もこうやって抱きすくめられはしたが、未だに慣れなかった。そうして、そんな恥ずかしげな彼女にカイトは囁く様に告げた。
「だから、安心してください……ハンナ殿から託されもしていますしね。暗殺なぞさせません。だから、好きなだけ窓の外を眺めてください。そして、外に出ましょう。好きなだけ」
「あ……」
「行きますか?」
「……いえ。今回は、やめておきます」
カイトの問いかけに対して、シャーナは一度だけシェリアを見て、しかし一転首を振る。シェリアは頷き送り出す姿勢を見せたものの、シャーナは自身の意思で断ったのだ。そうして、彼女はその考えを語る。
「あまり、この街の夜を眺めた事は無かった。ですから、今はこれを目に留めたいのです」
「そうですか……わかりました。それなら、問題ありません」
シャーナの言葉に対して、カイトは一つ頷いた。別に怖い、とかで断っているわけではないのだ。ならば、彼としても何かを言うつもりはない。
無理に出る必要はないのだ。数多くの選択肢の中で、出ないという選択肢を選ぶのもまた選択の一つだった。そうして、再度二人は並んで帝都ラエリアの夜の街を上から眺める。そうして口を開いたのは、今度はシャーナだった。
「……ありがとうございます」
「なんのことですか?」
「気にしてくださったのでしょう?」
「当たり前でしょう?」
「ふふ」
敢えてわかっていながら嘯いたカイトに、シャーナが笑う。確かに、これをそのまま取ればそのままの意味だ。カイトにとってシャーナは自身の婚約者の一人となる。そして公爵として見た場合、他国の超重要人物だ。気にしない方が可怪しい。
が、これはそうではない。長らく離れていた故国に帰った事で、シャーナが郷愁の念のようなものに駆られていないか、と確認する意味もあったのである。というわけで、笑ったシャーナははっきりと明言した。
「ここは、私の故郷。それに違いはありません……でも、もう私にとってあちらの家の方が家です」
「それは、どういう意味でです?」
「そのままです……あちらの方が遥かに住み慣れました。ここは、やはり私にとって安住の地ではない。そう、改めて認識しました」
やはり生まれてこの方延々と生命を狙われ続けたからだろう。シャーナはこの部屋に染み付いている自身の恐怖を思い起こし、僅かな苦笑を浮かべるしかなかった。
「確かに、この部屋に愛着はあります。何十年と慣れ親しんだ私の部屋……でもそれでも、窓一つにせよ棚一つにせよ、何かが仕掛けられているのでは、と心のどこかで思ってしまうのです」
「……」
僅かに自身に近寄るシャーナに、カイトはそれで何時もより僅かにだが距離が近いのか、と理解する。本当に無意識レベルだが、彼女はこの部屋そのものに恐怖を感じていたのだ。
それを彼女自身も理解していたのだろう。ここは自分の部屋であるが、自分の居れる場所ではない、と悟ってしまったのである。というわけで、彼女はどこか明るい顔ではっきりと明言した。
「……帰ってこれてよかった。おかげで、はっきり踏ん切りを付ける事が出来ました」
「踏ん切り、ですか」
「ええ……これからも、末永くお願いします。私は、私の意思で貴方の妻になります。貴方の子を生み、貴方の子を育て……それ以外には今はまだ何も思いつきませんが。それでも、貴方と共に生きていきます」
「……はい。これからも、よろしくお願いします」
思わず、カイトはシャーナの笑顔に見惚れてしまった。ラエリアから去った後の彼女の顔には明るい色も増えてきたが、それでも今のこの笑顔は彼女のすべてを内包するような、儚さや強さなどすべてが内包された宝石のような輝きを持つ笑顔だったのだ。
「それで、カイト。とりあえず、何をしましょうか」
「そうですね……今は、何も思いつきません」
というより、今のシャーナの顔でそういった物がまっさらになってしまった。カイトは夜空を眺めながら、そう思う。そうして、彼はその後暫くの間シャーナと共にそこで過ごし、一度自室に戻る事にするのだった。
さて、カイトがシャーナからの告白を受けて暫く。彼はある意味自室である従者達用の部屋に戻っていた。
「……あー……」
今のはヤバかった。カイトは久方ぶりに思わず押し倒しそうになっていた自身を思い出し、思わず楽しげに笑っていた。おそらくあの場でシェリア達が居なければ、獣欲に身を任せシャーナを抱いていただろう。流石の彼もあの場は避けたらしい。
いや、別にシェリアとシェルクだけなら良かったが、それ以外が居たので、という所だろう。というわけで、彼は先の笑顔を酒の肴に琥珀色の液体を傾ける。
「……これで久方ぶりのラエリアも終わりか……見送り? それとも同行?」
『あら……気付いていたのね』
「まぁな」
闇の中から響いた声は、アルミナのものだ。どうやら彼女が来ていたらしい。とはいえ、今回は仕事とは思えなかった。仕事にしてはペースが早すぎるからだ。というわけで、彼は異空間からグラスを一つ取り出した。
「ほら」
「ありがと……ふぅ。相変わらず、良いお酒を飲むわね」
「趣味だからな。惜しむらくは、肌に合う酒が滅多に手に入らない事だが」
やはり異世界で過ごした時間が長かろうと、日本人だからという事はあるらしい。特にお酒に水は重要だ。日本の水で作られた日本酒が一番彼の肌に合うらしかった。
それでも水という意味で言えばマクダウェル領には良質な水源があり、米もジャポニカ米に似た品種はある。他にも品種改良の結果、酒造りに適した米もある。特にカイトが酒好きだからだろう。マクスウェルでは酒蔵はかなり多い方だった。なので彼が好む日本酒に似た酒は手に入るのであった。
「で、暇なのか? ありがたい事だが」
「暇……ではないけれど。長からの命令で貴方を少しの間支えろ、と。その許可を得に来た、という所かしら」
「……本当に、それだけか?」
「……ふふ。さて、どうかしら」
僅かに目を細めるカイトの問いかけに、アルミナは妖艶に微笑んだ。これが真実か嘘かは、彼にもわからない。が、少なくとも一つ事実はある。
「ま、アルミナさんがウチに来る、というのなら別に良いさ。あんたはオレにとって姉も同然。喜んで迎え入れよう」
「ありがとう。長にもそう言ってあげてね」
「無論だ……ああ、そうだ。今回は流石に事態が事態だったから、シャルとは話出来ていないみたいだ」
「しょうがないでしょう。今回はあまりに大騒動過ぎた」
カイトの言葉に、アルミナは僅かに残念そうに首を振る。先に言われていたが、シャヘルとシャルロットは旧知の仲だ。なので積もる話もあるだろう、と会える機会を設けてやりたい所であったが、今回ばかりはそれも叶わなかった。と、そんな事を思ったからだろう。
「ああ、そうだ……まぁ、裏があろうと無かろうとどっちでも良いが。どうせなら、こっちに来て話すと良い。シャルも今はウチの住人だからな」
「そうなの? 貴方達のホテルじゃなくて?」
「下僕の部屋ならまだしも、とは言ったがね。下僕の部屋なら下僕の部屋でうるさそうだからやっぱり嫌、だそうだ。ウチの一室を占領してるよ」
少しだけ楽しげに、カイトはシャルロットの現在寝泊まりしている部屋を告げる。そういうわけなので基本的にシャルロットは公爵邸に控えている様子だった。だんだん公爵邸がかつての様にとんでもない存在達が屯する家になりつつあるが、それもまたカイトが帰ってきた証のようなものなのだろう。そんな彼の提案に、アルミナは一つ頷いた。
「そう……それについては長に提案してみるわ。最近は忙しくなりそうにないし」
「ま、状況が状況だからな」
あれだけの大騒動の後だ。流石に悪い事をしている貴族達もそこまでおおっぴらに動けないらしい。というより、自分達のルートが<<死魔将>>に繋がっていないか、繋がっていた場合にも気付けなかった、と言い切れるだけの手札があるか、と確認するのに忙しく、そこまで悪事に手を出せないのであった。と、そうして数杯琥珀色の液体をカイトと共に傾けたアルミナが立ち上がる。
「何だ。帰るのか」
「許可を取りに来ただけだから……それに、泊まるなら表からの方が良いでしょう? お着替え、色々と用意しないとだし」
「あいよ。楽しみに待ってるよ」
アルミナは自身の家族だ。その家族が来てくれるのであれば、カイトとしても否やはなかった。というわけで、その後は一人琥珀色の液体を傾けながら、カイトは最後の一夜を過ごす事になるのだった。
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