第1976話 七つの大罪 ――対等なる者――
『暴食の罪』との戦いの最中に現れた真紅の青年。それはセレスティアによってエネフィアに顕現した、彼女のご先祖様にしてカイトが唯一自身と対等と考えるレックスという英雄だった。
そんな彼は自身が『暴食の罪』との戦場に呼び出されたのを知るや、かつてカイトを支えられなかった悔恨を晴らすかの様に他の追随を許さない活躍を見せ、遂には『暴食の罪』さえ気圧される事になっていた。そうして、そんな『暴食の罪』が彼とカイトが合流されるのを警戒して生み出したのは、一体の合成獣だった。
「……はっ」
ずるりと生まれ落ちる合成獣を見ながら、レックスは楽しげに笑う。が、その笑いはどちらかといえば、鼻で笑うというような感じが強かった。
「厄災種の合成獣か。さしずめ、『厄災の獣』か? 良いぜ。来いよ。素手で相手してやる」
厄災種の合成獣。素体はおそらくかつてカイトが戦った『禍津日神』。それに更に『八岐大蛇』の複数の首に、瞬は知らないが『堕落せし者』やら複数の厄災種の因子が掛け合わされていた。
星さえ取り込んだ『暴食の罪』だからこそ、その体内には無数の厄災種の因子があったのである。当然、合成獣なので普通の厄災種なぞ目でもないぐらいの戦闘力だ。普通に戦えば一体で星さえ破壊出来る化け物。それに対して、レックスはただただ余裕を見せていた。
そんな彼に対して『厄災の獣』は右手に『禍津日神』の剣を。左手にはなにか得体の知れない盃に似た錫杖を取り出した。
「……はっ」
『厄災の獣』に対して、レックスが先手を打つ。そうして、もはや誰にも見えない速度で振るわれた拳が『厄災の獣』の障壁を一撃で粉砕し、八個ある顔面の一つを吹き飛ばした。
が、『八岐大蛇』がそうである様に、『厄災の獣』もまた首を一つ吹き飛ばされた所で一切ひるまない。故に砕けた障壁は一瞬で再生し、『厄災の獣』が錫杖を振るう。そうして、黒い煙に似た炎が放たれる。
「おぉおおおおおおおおお!」
放たれた漆黒の炎に対して、レックスが雄叫びを上げる。それだけで、黒い炎が消し飛んだ。単なる気迫。それだけで、厄災種の炎をかき消したのである。そうして、雄叫びを上げた彼が一瞬で肉薄する。
「おらおらおらおらおら!」
どどどどどどどどど、と無数の拳が『厄災の獣』へと襲いかかる。が、やはり流石は厄災種をかけ合わせた魔物という所なのだろう。
障壁は砕け散り直撃を受けている筈なのに、堅牢な鱗の鎧が打撃を一切通さない。そうして、『厄災の獣』はレックスの拳を無視し『禍津日神』の巨大な大剣を振るった。
「……」
振るわれた黒い大剣に対して、レックスは即座にバックステップで距離を取る。そうして距離を取った彼に向けて、『厄災の獣』は八個の首から彼目掛けて光条を放った。
「はぁー……」
殺到する八個の光条に対して、レックスは一瞬だけ目を閉じて呼吸を整える。そうして、彼は八個の光条が一点に集中する瞬間を見定めて、右拳による正拳突きを放った。
「はっ!」
鋭い突きと八個の光条が衝突し、一瞬の停滞が生まれる。そうして勝ったのは、レックスの拳だった。そうして八個の光条が弾け飛び、拳圧が『厄災の獣』へと襲いかかる。
「……」
吹き飛んだ『厄災の獣』を見て、しかしレックスは追撃はしなかった。その彼の視線は『厄災の獣』の左手にある錫杖に向けられており、なにかを警戒している様子だった。そうして、彼はわずかに残る黒煙の炎の残り香に対して鼻を鳴らした。
「……くせぇ」
すんっ、と鼻を鳴らし残り香を嗅いだレックスはしかめっ面で吐いて捨てる。そうして、彼が神々しい闘気を身にまとった。
「はぁ!」
気合一閃、レックスが闘気を周囲に撒き散らし、残る黒煙の炎の残り香を吹き飛ばす。そうして黒煙の炎の残り香を吹き飛ばし、彼は改めて追撃に移った。が、そんな彼に向けて、『厄災の獣』は左手の錫杖から再度黒煙の炎を撒き散らした。
「小賢しい真似してんじゃねぇ!」
撒き散らかされる黒煙の炎に向けて、レックスはまるで炎を掴む様に拳を開いて黒煙の炎を右手に収束させる。そうして、彼はそのまま八個の首の一つに黒い玉になった黒炎を叩き込んだ。
「美味いか? てめぇの毒は」
黒炎を叩き込まれるや身体中から血を吹き出した『厄災の獣』に向けて、レックスはどこか挑発する様に告げる。黒煙の炎は毒の炎だったのだ。
それを全て凝縮した塊だ。如何に『厄災の獣』だろうと、流石に堪えきれなかったらしい。そうして、彼は悶絶するような様子を見せる『厄災の獣』に向けて、おもむろに蹴りを叩き込んだ。
「はぁ!」
猛烈な速度で吹き飛んでいく『厄災の獣』に向けて、レックスは虚空を蹴って追撃する。それに、『厄災の獣』は悶絶しながらも八個の首からシッチャカメッチャカに光条を放ち、左手の錫杖から毒の炎を撒き散らした。
「<<旋風拳>>」
撒き散らかされる毒の炎に対して、レックスは拳に竜巻を纏わせて解き放つ。そうして放たれた竜巻により、毒の炎は幾百幾千の塊になり溶ける様に跡形もなく消え去った。そしてそんな竜巻は『厄災の獣』をも飲み込んで、更に彼方にまで吹き飛ばす。
「おぉおおおおおおお!」
雄叫びを上げ真紅の閃光となり、レックスは猛烈な勢いで吹き飛んでいく『厄災の獣』を追撃する。そうして、レックスが渾身の拳を『厄災の獣』の胴体へと叩き込んだ。
「ぶっとべ! 遥か彼方まで!」
レックスの拳に宿る真紅の極光が、『厄災の獣』の胴体を押していく。そうして、一度押したのをきっかけとしたかの様に莫大な力を宿した真紅の極光が『厄災の獣』を『暴食の罪』へと押し付けた。
「……はぁ……」
『暴食の罪』へと押し付けられた『厄災の獣』を見ながら、レックスは真紅の極光に向けて更に力を込める。すると、ゆっくりと『暴食の罪』の巨体が動き出した。そうして、一つ息を吸い込んだレックスが雄叫びを上げる。
「おぉおおおおおおおおおお!」
雄叫びと共に、真紅の極光に込められる力が更に増大。もはや夕暮の太陽よりも強い輝きを放ち、もう一つの太陽となる。そして太陽が生まれた瞬間、どんっ、という音と共に『暴食の罪』の巨体を一気にエネフィアから遠ざけた。
その距離、およそ一キロ。三十キロを超えるこの巨体を、彼はたったの一撃で一キロも遠ざけたのである。そしてもちろん、この攻撃により『暴食の罪』の肥大化を促進する、というヘマはしていない。そのための緩衝材だった。とはいえ、それ故にこそこの一撃で『厄災の獣』は消し飛ばなかった。
「さ……落ちてこいよ」
『暴食の罪』に大きくめり込んだ『厄災の獣』が、ずるりと落下する。緩衝材の役目にするべく、破壊力はほぼ皆無に等しかった。実際、障壁は傷一つ入っていない。
が、それでも。あれだけの質量が一キロも動くほどの衝撃を受けたのである。そして放ったのはレックス。カイトが対等と認める英雄だ。障壁を超えてさえダメージを与える技を有しており、『厄災の獣』の本体にも多大なダメージが入っていた。
「っとっとっと……ふっ!」
レックスは虚空をとんとん、とジャンプして準備運動をした後、一瞬で消えて『厄災の獣』へと肉薄。再度拳を叩き込む。そうして殴り飛ばされた『厄災の獣』は、今度は大きく地面へとめり込んだ。
「ふっ」
地面にめり込んだ『厄災の獣』に向けて、レックスが急降下して襲いかかる。が、その次の瞬間、土煙の中から八個の光条が螺旋を描いて飛翔する。
「っ」
飛来する八個の光条に、レックスは一瞬だけ消える。位相をずらしたのだ。そうして一瞬の位相転移により『厄災の獣』の<<竜の伊吹>>を回避したレックスは、そのまま一気に真正面に躍り出てボディブローを『厄災の獣』に叩き込んだ。
「はっ!」
どんっ、という音と共に『厄災の獣』の身体がくの字に曲がり、わずかにその巨体が跳ね上がる。が、その直後。『厄災の獣』はボディブローの衝撃さえ利用して右手の大剣をレックスの胴体目掛けて一直線に振るった。
「遅いな」
振るわれる大剣を、レックスは『厄災の獣』の背後斜め上から見ていた。あの一瞬で彼はこの場まで超高速で移動していたのである。そうして、彼は一切の容赦なく『厄災の獣』の背に向けて踵落としを叩き込み、再度地面へと叩きつける。
「こいつは壊させてもらうぜ!」
再度地面にめり込んだ『厄災の獣』の錫杖目掛け、レックスは『厄災の獣』の左手ごと思いっきり踏み抜いた。そうして、『厄災の獣』の左手と共にその錫杖が砕け散る。
「これで毒は問題なし、と」
踏み抜いた直後にその場を跳んで距離を取るレックスは、まるでこの程度余裕と言わんばかりの顔で起き上がりざまに大剣による薙ぎ払いを放つ『厄災の獣』を見る事もなく気軽に呟いた。そんな上下逆さまの彼に、『厄災の獣』が一瞬で肉薄して大剣を横に薙ぐ。
「……で? はっ」
山さえ切り裂く『厄災の獣』の一撃を、レックスは親指と人差し指でつまむ様にして食い止める。そうして、指先だけで反転していた彼は指だけで『厄災の獣』の巨体を背負投の様に投げ飛ばした。
「……大分、今のこの身体に馴染んできたな」
吹き飛ばされる『厄災の獣』に対して、レックスはまるで暖機が終わったとばかりに手をぐっぱっと動かす。そんな彼は再度拳を握ると、その場で思いっきり拳を振り抜いた。
「……良し」
拳から迸る無数の拳圧が『厄災の獣』へと襲いかかり、どんどんどんっ、と音を上げて『厄災の獣』の堅牢な鎧を砕いていく。それを見ながら、レックスは再度地面を蹴った。
「はっ」
拳圧により更に加速する『厄災の獣』に向けて、レックスは一方的に拳の連打を叩き込む。
「おらおらおらおらおら! おらぁああああ!」
数百の拳打の後、レックスが一際大きな雄叫びと共に強打を叩き込む。そうして、その一撃で『厄災の獣』の右手が千切れ飛んだ。
『『『ギャアアアアアアアア!』』』
「っ」
八個の首から放たれる八重の苦悶の声と、八重の<<竜の伊吹>>に対してレックスは即座にその場から飛び退いた。そうして、彼が飛び退いた瞬間、右手が再生し左手に錫杖が現れる。
そもそもこの『厄災の獣』は厄災種が複数体合成されて出来た個体だ。この程度でどうにかなるわけがなかった。とはいえ、だ。何も意味もなくレックスが今までの攻撃を叩き込んでいたわけではない。
「……もう、見えてるぜ。お前の弱点が」
完全復活を遂げた様に見える『厄災の獣』に向けて、レックスは楽しげに笑いながら拳を握る。そうして、完全復活を遂げた『厄災の獣』が彼へと肉薄する。
「……ふぅ」
音速を超えた速度で自身に肉薄する『厄災の獣』を、レックスは加速した意識の中でコマ送りの様に認識する。そして、彼は超音速を遥かに超えた速度で、逆に『厄災の獣』の懐に潜り込む。
「ふっ、はっ、たっ、とっ……」
先程までのレックスであれば考えられないような、まるで一つ一つ確かめるような拳が放たれる。それは的確に『厄災の獣』の特定の部位を狙い打ちにしていた。
そうして、次の瞬間。『厄災の獣』の全身十箇所から血が吹き出し、『厄災の獣』が倒れ伏した。
「<<致命打>>……コアのみを的確に砕いたんだ。いくらお前でもどうしようもないぞ」
悶え苦しむ『厄災の獣』に向けてゆっくりと歩きながら、レックスは無慈悲に告げる。彼ほどの技術の持ち主だ。強固な鎧を身に纏うに等しい『厄災の獣』の鎧さえ無視し、内部のコアだけ破壊するような事が出来たのである。そうして、彼は慈悲とばかりに手から真紅の極光を放ち、『厄災の獣』を跡形もなく消し飛ばすのだった。
お読み頂きありがとうございました。




