第1939話 ユニオン総会 ――気――
ユニオン総会三日目。延長戦へと突入することが決まった総会の傍らで、カイトは自身に関係があるエネシア大陸関連の議題が行われるのを待つ間を利用して暦とアリスの鍛錬の監督を行っていた。
そうして鍛錬を行っていたわけであるが、武蔵の来訪により一旦そちらとの話し合いを行う事となっていた。そんな彼であるが、武蔵との話し合いもそこそこに現れたアイゼンの申し出により、エルーシャと模擬戦を行う事になっていた。
「ったく……面倒クセェなぁ、おい……」
そもそもの話として、数多の武器を使いこなすと言われるカイトの最も苦手な武器は妙な言い方だが素手だ。数多の武器を使いこなせるからこそ、武器を使わない戦いは苦手らしかった。
そして同時にそれ故にこそ習熟度は低く、そしてそれ故にこそ尚更に素手では戦わず、という悪循環があった。結果、今回ばかりは何時になく乗り気でない様子だった。
「うっし……」
その一方のエルーシャはというと、そんなカイトの内心を理解しながらも改めて本気でカイトと戦えるからとやる気に満ちあふれていて、入念な屈伸を行っていた。
「ふぅ……」
屈伸を行うエルーシャを前に、カイトは呼吸を整える。今回、気だけで戦う事になっている。ならばそれに合わせて魔力を切り、体内の気の循環を活性化させる。
(気は体内の力の活性化……ま、ぶっちゃければ<<炎武>>と原理は同じだ)
ここら、瞬が気付いているか気付いていないかは不明だ。が、体内の活力の活性化には当然、気の力が大きく関わっている。故にカイトとしては気の活性化による身体能力の増強は慣れ親しんだ動きと言い切れた。
(案外……皇国も中津国と同じく内在的に気への適性は高いんだろう)
その中でも中津国に最も近く移民も多いマクダウェル領は特に、なのかもしれない。カイトはエルーシャを見ながら、そう思う。と、そうしてそんな事を考えながら呼吸を整える事少し。一礼を交わした二人へと、アイゼンが開始を告げた。
「では、はじめ」
「はぁ!」
アイゼンが開始を告げると同時。エルーシャが地面を蹴ってカイトへと肉薄する。魔力は一切感じない。本当に気を使って身体能力を増強したのだ。それに、カイトもまた気を活性化させてしっかりと腰を落とす。
「ふぅ……」
一瞬で肉薄したエルーシャの一挙手一投足を見ながら、カイトは体内の気を循環。更には彼女の気の流れをしっかりと見定めて、その拳に蓄積される烈火の迸りへと注意を向ける。
(気の炎に本来熱は無い。単なる生命力の活性化で生まれる熱気。それが炎となっただけ)
ならば、それを沈静化するにはいくつかの方法がある。カイトは久方ぶりの気での戦いとあって、改めて基礎を見直す。
「はぁ……」
息を吐く様に、カイトは気を抜く。そうして僅かに弛緩した彼へと、炎の拳が襲いかかった。それに対してカイトはまるで添える様に、エルーシャの拳を受け止める。
「っ」
「……」
「やっば……嘘でしょ。<<気力吸収>>人間で使う奴初めて見た」
楽しげに、エルーシャが笑う。所詮は気。生命力だ。故に淫魔達の様に生命力を吸収してやる事が出来るのなら、その全てを打ち消す事が出来た。
そうして楽しげな彼女は、そのまま後ろ回し蹴りでカイトの側面へと蹴りを叩き込む。それは風の力が乗った蹴り。故にその蹴り込みはまさにかまいたちの如くの鋭さだった。
活性化ではないのなら、<<気力吸収>>で吸収されてもダメージはある。今の防御は使えない。それに対して、カイトは先の攻撃で抜いた全身の力を更に抜いて崩れ落ちる様に回避する。と、そんな彼が地面へと手を着いた瞬間。轟音が鳴り響いた。
「はぁ!」
「っ!?」
全身の力を抜くと同時に生まれた全ての力を、カイトは全て拳へと移動させて地面へと叩きつける。その衝撃が、轟音を生み出したのだ。が、これは轟音だけ。一切の攻撃力は無い。
だがそれでも、大きな音が鳴り響いたのだ。エルーシャが一瞬だけ警戒し身を固くしたのは、当然だった。故にカイトはその瞬間に抜いた力を全て元通りにして、一気にアッパーカットの様にエルーシャへと襲い掛かる。
「うっと!」
力を抜いたかと思えば力を込めたカイトに、エルーシャは笑いながらバク宙で回避。そのまま身体を捩って地面へ一気に急降下すると、その勢いで地面を蹴って一気にカイトへと追撃する。これに、カイトは腹に力を込める。
「はっ!」
「いっつぅ!」
どんっ、という衝撃音と共にカイトは吹き飛んだものの、殴り付けたエルーシャが顔を顰める。あの瞬間、カイトは気を腹に溜めて鋼の様に強靭にしたのである。
それに対してエルーシャはカイトの<<気力吸収>>と状況を鑑みて、威力より速度を重要視。即座の切り返しを得た対価として疾風の如き突きは放てたが、それ故にこそ威力と反動は殺しきれなかった。結果、腕に負担が掛かってしまった、というわけである。
「ふぅ……っ」
流石に痛めた腕での追撃はしなかったエルーシャに対して、吹き飛ばされたカイトは地面へと着地。僅かに地面を滑ったものの、逆にそれさえ利用して足に力を込める。
「こぉー……」
来る。カイトの突進を理解したエルーシャは、大気中に満ちる気の力を吸収。カイトの突進に備える。どうやら、真正面から迎え討つらしい。彼女らしい選択だろう。そうして、轟音と共にカイトが地面を蹴った。
「来いっ!」
そう来るだろうと思っていた。轟音と共に地面を蹴ったカイトは一歩でエルーシャへの道を詰めるつもりを見せながら、その直前で強引な停止を見せる。そうして、彼は轟音と共に急停止。が、やはり物理的な制約から完全な停止は望めない。故に、彼はその勢いを敢えて利用して回し蹴りを放つ。
「そう来ると思ってた!」
が、これに。エルーシャは逆に笑みを深めた。すでにカイトとも数ヶ月以上付き合っている。そして彼女の性質から強者を好む。以前のセレスティアの一件から彼女と共にカイトとは良く関わっており、カイトの性格もそれなりには理解していたのである。故に、彼がこのまま一直線に来るわけがない、と思っていたのだ。
「はぁ!」
「っ! やりやがる!」
「どー、もっ!」
がんっ、という轟音と共に、カイトの回し蹴りとエルーシャのミドルキックが衝突する。どうやら勢いは腕と才能、事前準備で埋められる程度だったらしい。そうして激突した両者の足であるが、エルーシャは器用に足を操って僅かに前に出ると共にカイトの足を地面へと下ろす。
「っ」
この間合いはやばい。カイトは少し首を動かすだけでキスさえ出来るほどに近づいたエルーシャの顔を見て、思わずその場から離れようとする。が、これを読めないエルーシャではなかった。カイトがその場から離れようとする事がわかっていればこそ、彼女はカイトへと更に近づいて足を絡めその姿勢を崩す。
「逃がすかっ!」
「ぐっ!」
エルーシャがそのまま頭突きを叩き込み、カイトは鼻の頭を強打する。そうして意識が点滅し衝撃で倒れ込もうとした彼へと、支えとなっていたエルーシャが足を離す。そうして支えを失った事で吹き飛んだ彼を、エルーシャが捕まえて馬乗りになる。
「きっついの行くから!」
「っ」
地面に組み伏せたエルーシャは一切の容赦無く、拳を振り上げる。それに、カイトが腕を前に出して防御の姿勢を見せ僅かに顔を顰めた。流石に彼もマウントを取られては厳しいものがあるらしい。そうして、エルーシャの連打がカイトへと叩き込まれる。
「……さて、どうするつもりかのう」
「武蔵殿は先の一瞬、見ていなかったのか?」
「くくく」
マウントを取られ連打を食らうしかないカイトと、そんな彼に一切の容赦無く連打を叩き込むエルーシャ。そんな二人を見ながら、アイゼンと武蔵は笑っていた。あの一瞬。防御の下に隠れたカイトの顔が笑っていたのを二人は確かに見たのである。そうして、数十度殴られた後。唐突にエルーシャが止まる。
「ぐっ!」
「甘いな」
「ぬぐぐぐぐっ!」
何かに堪える様に、エルーシャが必死の形相を浮かべる。そうして、数秒。笑った筈のカイトが驚きを浮かべた。
「マジかよ!? お前、これ堪えるの!?」
「なんのぉ! おりゃぁ!」
何が起きたかはさっぱりだが、玉のような汗を掻きながら再度エルーシャがカイトを殴り付ける。彼はエルーシャの動きを阻害すると、自身は悠々とマウントから脱出しようと思ったのである。が、それが出来ず地面に組み伏せられたままで、驚きのあまり思いっきりその一撃を受ける事になった。
「ぐっ! いってぇなぁ!」
どうやら油断した所に一撃を貰った事で、意図しない痛みを受けカイトも僅かに激高したらしい。彼本来の荒々しい気が迸る。それに、僅かにエルーシャが気圧される。
気は男女によって性質が僅かに異なる。こればかりは生命力が根本にある以上、当然の事だ。そして男性の気というのは、基本は荒々しく暴力的な物となる。故にこそ間近で受けた雄の暴力的な気は、女性であるエルーシャを本能的に怯ませられるものだった。
「っ! でもっ!」
一瞬でも気を抜けばか弱い少女の様に怯えそうになる自身を必死に食い止め、エルーシャはなんとかカイトをそのまま地面へと組み伏せる。が、流石に先程までの様に殴り付けるのは無理な状態で、カイトと手を組み合わせ押し合う形となっていた。
「ぐっ……ぐぐぐぐっぐ……」
「つっ…………」
ぐぐぐぐぐ、とカイトとエルーシャが手を組み合わせて押し合う。本来この状況下でなら体格差などからエルーシャがカイトに勝てる道理はなかったが、最初からマウントが取れていた事で全体重を一方的に使えていた上、才能の差も大きかった。気の扱いならエルーシャの方が上手なのだ。なんとか互角の勝負に持ち込めていた。そうして千日手に陥った現状を受けて、カイトが裏技を使った。
「こう……なりゃ! 裏技だ!」
「っ! ぐぬぬぬぬぬ!」
「うぅぅぅぅううう!」
組み合わせた手を通してカイトの<<気力吸収>>を食らうエルーシャと、カイトが必死で根比べを行う。と、そんな根比べは、長くは続かなかった。
「うぅうううう! あ」
「何!?」
「オレの……勝ち! 見えた!」
「抜かせっ! このまま一気に頭かち割る!」
「ぐぅ!」
どんっ、という音と共に、カイトが地面へと頭を打ち付ける。再びエルーシャの頭突きを食らったのだ。しかもそのまま頭蓋骨を砕かんばかりに彼女が頭を押し付ける。
が、一方のカイトの顔は楽しげに笑っていた。そうして僅かに揺れた彼は、そのまま一気に<<気力吸収>>を全身で展開した。そもそも別に手のひらからでなければ<<気力吸収>>が出来ないわけではないのだ。
「ぐっ! ぐぐぐぐぐ……」
一瞬、エルーシャは必死で堪らえようと全身に力を漲らせる。が、流石に準備出来ていたのならまだしも、唐突に吸収量が増したのだ。如何に彼女でも堪らえようがなかった。そうして、まるで緊張した糸が切れる様に、身体の力が抜けた。
「あ……」
だめだ。一瞬でも諦めが出た瞬間が、勝負の分かれ目だった。エルーシャの身体の力が弛緩し、カイトへと倒れ込む。と、その次の瞬間だ。誰もが、それこそエルーシャの力を奪ったカイトさえ想定していなかった事態が起きた。
「「んぅ!?」」
「「「あ」」」
カイトの<<気力吸収>>に負けて弛緩したエルーシャと、勝利により力を抜いたカイトの両者が再び身を強張らせる。そして起きた現象を見て、周囲の者たちもまた目を瞬かせる。
「「「……」」」
たっぷり数秒。沈黙が舞い降りる。さて。何があったかなのであるが、端的に言えばカイトとエルーシャがキスをしていた。エルーシャが弛緩する直前、彼女はカイトへと額を押し当ててその行動を阻害せんとしていた。その時点で両者の顔は非常に近いのだ。単に倒れ込んだだけでも、キスしてしまえたのである。
「ひゃぁああああああああああ!」
いくら男女の感が薄いエルーシャと言えども、キスをすれば流石に顔も真っ赤になる。というわけで、疲労や戦闘の高揚とは別に真っ赤になった彼女がカイトを突き飛ばした。
「きききききききき、キス!? 今、キスしちゃった!? 私、今キスした!?」
「ご、ごめん! 避けらんなかった!」
「したの!? ふぇ!?」
「いくらなんでも、先輩……それは無いでしょ」
「ちょっと、暦さん!? オレも流石に悪気無いですよ!? 戦闘中にそんな事考えらんないし!」
どうやら思わずキスしてしまった事で、エルーシャは混乱の極みにあるらしい。当然だろう。その一方、暦は暦で半眼になっていた。
というわけで暫くの間混乱の極みに達した彼女を宥めるのにカイトは暫くの時間を費やし、半眼になった暦と同じく真っ赤になったアリスへの弁明を含め、何故か戦闘の倍の労力をその後に費やす事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




