第1810話 秋の旅路 ――アーベント王国――
『導きの天馬』を巡る戦いを終わらせた直後。カイトはその余勢を駆って一気にシンジゲートとそれを操るアーベント王国のさる伯爵に喧嘩を売りに行く事にする。そうしてかつての愛馬の背に跨りコロナを乗せた彼は、かつてそうした様に愛馬に指示を出す。
「……」
『……』
幾星霜を経て再び揃った主従が、何を思うのか。それは二人にしか分からない。が、かつての様に下された指示に、エドナは力強く地面を蹴って翼を広げる。そうして、たった数歩で助走を終わらせ瞬く間に天高くへと舞い上がった。
『……』
舞い上がったエドナはどこかかつてを懐かしむ様に、しかし一見すれば単にカイトの指示を待つだけの様にその場で立ち止まる。それに、カイトも僅かな感傷を得た。
「……懐かしいな」
かつてはこうやって幾千もの月日を駆け抜けたのだ。こうやって愛馬の背に跨り目を閉じるだけで、それを思い出せた。
とはいえ、いつまでも懐かしんではいられない。故に彼は即座に感傷を振り払うと、月を目印にして方角を割り出す。
「月があそこだから……アーベント王国はあっちか。あっちへ二千キロ……ぐらいか。頼めるか?」
『……』
お安い御用だ。カイトの求めに、エドナはまるでその程度が苦にもならないとばかりに虚空を蹴る。
そうして一歩。遮るものと遠慮の要らない虚空を、彼女は全力で蹴る。それだけで、彼女は音を置き去りにした。
「……すごいな」
変わるものもあれば、変わらぬものもある。そう思ったカイトであるが、明らかに力強さを増したエドナの踏み込みに思わず目を見開いた。彼の知っている彼女より遥かに力強く、そして何より速かった。そうして、更に一歩。彼女が虚空を蹴る。するとそれだけで神々しい光が放たれた。
「……」
次の一歩で跳躍する。カイトは無言で、かつて何度となく救われたエドナの跳躍を待ちわびる。そうして、三歩目。音も光も置き去りに、彼女は次元の壁を突き破った。
「……え?」
「すごっ……」
「……」
コロナとユリィの呆気に取られた声が、カイトの耳朶を打つ。が、これにカイトはただただ感極まるだけだ。いや、後の彼は言う。もし今この場に自分一人だったなら、大喜びしてはしゃぎ回っていただろう、と。その感情の揺れ動きを堪えるのに精一杯だったのである。
「アーベント王国……の丁度真ん中ぐらいか。ここらはまだ夕暮れだな」
暮れなずむ景色を見て、カイトはどこか哀愁を持って覚える。丁度そんな光景が、そこにはあった。
「さて……伯爵閣下のお屋敷はどこだったかな……」
「それは?」
「地図だ。殴り込むと思ってたか……あたりだがな」
コロナの問い掛けに、カイトは一つ笑って地図を広げる。そうして上空からの光景で現在位置をすぐに割り出した。
「湖がここだから……もうちょい西か。頼んだ」
カイトの指示を受けて、エドナが再度次元を跳躍する。とはいえ、今度はさほどの距離はなかった。と、そうして眼下に広がった森に、コロナが目を見開いた。
「あ……私達、この森の中で生まれたんです」
「ってことは、間違いなく二人の故郷か」
混血とはいえエルフ種の血を引いているのだ。森に生きる者や森そのものの声が聞こえるのだろう。そしてであれば、もう伯爵領に入っているのだろう。
「どっちか分かるか?」
「はい….…あっちです」
「よし……頼む」
カイトはコロナが指差した方向へとエドナを走らせる。そうして数分。夕暮れを飛翔した三人と一頭であったが、そこで異変に気が付いた。
「なんだ……?」
「騒動……かな」
「……」
聞こえてきたのは、人々の怒鳴り声だ。何かが起きている。それを察するには十分だった。そしてそれと同時だ。爆音が鳴り響き、黒煙が上がる。
「……どうやら……」
「先客……だね」
僅かな警戒をカイトとユリィの二人がにじませる。襲われているのは伯爵邸。これから殴り込もうとしていた屋敷だった。それもかなり派手に立ち回っているらしい。屋敷の破壊に一切の斟酌をしている様子がなかった。と、そんな警戒しているカイトのところに、唐突に通信が入り込んだ。
『あー、あー……はい、何時もご利用ありがとうございます。貴方の取り立て人ですわ』
「……まさかヴィクトルか? 商会らしくないスマートさに欠ける襲撃だな」
『まさか。どちらかと言えば、ダーリンのご友人ですわね。私がやる場合はもっとスマートに。暴力的なのは趣味じゃありませんの』
「あっははは。だろうな……にしても、オレの友人ねぇ……」
今回の一件はあくまでも冒険部とマクダウェル家関連であるので、自身の率いる『無冠の部隊』は動かしていない。なので荒事と見るや楽しげに関わってくる馬鹿共は揃ってお留守番だ。そんな自身の友人とは一体、とカイトが首を傾げていた。
『いえ、おそらくダーリンの直接的なご友人ではありま……いえ、お一方ご友人もいらっしゃいますが。大半は直接的なご友人ではありませんわね』
「ふーん……で、何用でオレに?」
『いえ、殺される前に介入して頂ければ、後できっちり型にはめますので。可能なら証拠も入手して頂ければ、と』
「オレは別に殺されてても構いやしねぇがね」
所詮悪徳貴族だ。カイトとしては死んでくれても一切構わない。とはいえ、ここでサリアが連絡を入れてくるとなると、それ相応には生きておいてくれた方が得な事情があるのだろう。
『そうですわねぇ……私も別に彼の去就や殺された所で問題はありませんわ。ただ、彼の失態によりプラータ公にご迷惑が掛かるのが困るのですわ』
「まぁ、迷惑が掛かるのは事実だろうが……商会が気にするほどか?」
『実はプラータ公とそのご夫人には我社も懇意にさせて頂いておりまして。特にご夫人にはかなり昔から世話になっているのですわ。その縁もあり、新製品に使われている魔法銀はプラータ産の最高級の物。この程度の小物で彼らが困らされる様な事があっては……申し訳が立ちませんの』
「なるほどね。まぁ、プラータ公に恩を売るのも、悪くない判断か」
やはり貴族となると大半は内在的に、大なり小なり罷免への恐怖が存在する。それは大貴族であるプラータ公でも変わらない。そしてプラータ公の権勢に影響が出るのはカイトとしてもあまりよくない。
先にも彼が述べていたが、プラータ公とマクダウェル家は比較的懇意にしている。ここで一つ恩を売っておくのは、悪くない判断だった。何より元々フルス伯爵を潰すつもりはなかった。下手に暴れられすぎてもカイトも困るといえば困るのであった。
「しゃーない。本末転倒な状況だが……」
これ以上暴れられると事の隠蔽が面倒になりかねない。そうなるとプラータ公にも面倒事に巻き込んでしまう可能性があった。それはサリアの望みではないという。ここは一つ、婚約者の為に骨を折るべきだろう。
幸い、目的は図らずも達せられてしまっている。後は少し脅すだけで十分、と踏んだ事も大きかった。というわけで、渡りをつけられそうな相手を探す事にしたカイトであるが、そんな彼の裾をコロナが引っ張った。
「さて……オレのダチねぇ……ん?」
「あ、あの……あれ……」
「暴れまわってる奴らか? それが……お?」
どこか驚いた様子で屋敷で暴れまわる冒険者達らしき姿を見たカイトであるが、一人見知った姿を見て思わず目を瞬かせる。何度か依頼の関係で共闘した事があった相手が居たのである。
「あれは……ヘクターのおっさんか。なんでこんな所に……」
「知ってるんですか!?」
「? お前も知ってるのか? ヘクターのおっさん。ここしばらくこっちを離れてたんだが……」
「ん?」
コロナの驚きの声を聞きつけたからなのだろう。ヘクター。そう呼ばれた冒険者が顔を上げ、そこに居たカイト達に気が付いた。そんな彼は何時もの飄々とした笑顔でありながら、どこか恥ずかしげにカイトへと手を挙げた。
「ありゃりゃ……こりゃ、恥ずかしい所見られちまったかねぇ」
「お久しぶりだ、ヘクターさん……それでなにやってるんだ、こんな所で。確か先にユニオン本部行ってるわー、とか言ってたんじゃなかったっけ? というか、ここはまがりなりにもフルス伯爵の屋敷だろうに」
「あっはははは。いやぁ、ちょーっと野暮用でさー。お友達と一緒に殴り込みに来てたのよ」
エドナの影から顔を覗かせたカイトの問いかけに、ヘクターは笑いながら肩を竦める。と、そんな彼に、コロナが声を上げた。
「ヘクターさん!」
「……こりゃ、驚いた。コロナちゃんの声がしたと思いはしたが……まさか本当に居るとはね。確かクシポスに居ただろう?」
「え、ええ……あの、色々とあって……」
「色々ねぇ……」
まぁ、クシポスに居たコロナが遠く離れたアーベントに居る時点で何かしらの事情があるだろうというのはヘクターにも理解は出来た。と、そんな彼の背後から、巨大な拳が打ち上げられる。
「これは……まさか……」
あの馬鹿が来ているのか。カイトは今の一撃で何が起きていたかを察し、思わず頬を引き攣らせる。そして案の定の男が、姿を見せた。それは現ユニオンの総トップ。生ける伝説の一人にして、唯一カイト達と同格のランクEXの称号を持つ男だった。
「あ、バルっち」
「バルフレアさん」
「ん? おお! ダチ公にダチ公の連れに……コロナちゃんか! ひっさしぶりだなぁ! 三年ぶりぐらいか!」
どうやらバルフレアもコロナの事を見知っていたらしい。そしてそれなら、カイトも直接的な友人というのも頷ける。ヘクターも親しくはさせて貰っているが、親しい友人とは言い難い。
それに対して、バルフレアの場合は悪友や友人と言っても過言ではなかった。というわけで、カイトは上機嫌なバルフレアに対して盛大に呆れ返っていた。
「お前……なにやってんだよ……ここ、一応は伯爵家だぞ……」
「お前よりマシだろ……で、何って殴り込みに決まってんだろ」
「見りゃわかるわ。だからなにやってんだよ、なんだろ」
バルフレアはこれでもユニオンの総トップで、なおかつ八大ギルドの一つ<<天翔る冒険者>>のギルドマスターだ。それが事もあろうに貴族の屋敷に討ち入りである。大問題だった。が、こんな事をする以上、そこには彼なりの道理があった。
「いや、ウチのギルドメンバーのガキに手、出された以上黙っちゃいられねぇさ。ウチは売られた喧嘩は全部買うぜ?」
「それで討ち入りすんなよ……」
「お前が言うな」
「いってっ! いってっ!」
カイトとバルフレアが楽しげにじゃれ合う。そも、カイトとてユハラの為に貴族相手に殴り込みを行ったり、他にも裏で殴り込みを行った数は枚挙に暇がないほどだ。誰がどう聞いても自身の事を棚に上げた発言でしかなかった。
「にしても……お前も知り合いだったのか」
「ああ……ちょいちょい」
どうやら何かあるらしい。エドナの背に乗っていたカイトをバルフレアが手招きする。そうして彼はカイトと肩を組むと、ヒソヒソと教えてくれた。
「コロナの親父……実はムンドゥスの親父の子孫だ」
「え? ムンドゥスって……モンドさんか? お前の先代のか?」
「そう。親父だ」
「マジで? てか、あの人に子供居たのか?」
「居たらしい。親父が死んだ後に孫を名乗る奴がひょっこり出て来てな……それが、コロナのご先祖だ」
僅かに顔を上げてコロナの顔を流し見るカイトに、バルフレアは小さく頷いた。モンドというのはこのムンドゥスの愛称だ。当時の彼を知る者は呼びにくいのでモンドと呼んでいたのである。
「マジか……とはいえ、それなら納得だ。それで情報が手に入ってたのか」
「ああ……コロナの親父が所属するユニオンの支部に手を回して、情報は集めさせててな」
「はー……」
やはり何を考えているかわからない者の筆頭の一人という所なのだろう。バルフレアはこう見えて細やかな指示を得意としている。なのでユニオン支部にそれとなく探りを入れたりして常に情報を集めており、コロナの両親の死も即座に掴んだし、コロナが領主に狙われてしまった事も即座に把握したそうだ。その結果、即座の介入が可能だったのである。
「ってことは、今回も?」
「ああ……ヘクターに頼んで、二人を一度遠ざける様に頼んでな。帰る事はないだろうとは思ってたんだが……まさかお前が連れてくるか」
「偶然だ、偶然」
カイトは今度はバルフレアが流し見るエドナを見ながら、そう笑うしかなかった。そうして、両者は少しの間、お互いの状況を把握するべく情報を交換するのだった。
お読み頂きありがとうございました。




