第1802話 秋の旅路 ――古い記憶――
『導きの天馬』から渡されたカイトへと渡された半分だけのネックレス。それは『もう一人のカイト』の世界で彼が見知った意匠が刻まれたネックレスだった。
そうして、そのネックレスに見覚えがある事に気付いた彼は、自身の魂に刻まれた過去の記憶を垣間見ていた。それは、カイトがかつてウィルとティナに馬を使わない理由を聞くに至った記憶にも関わるものだった。
「カイト……お前もそろそろ馬を持つべきだな」
「馬?」
それはカイトが騎士として、勇者として立つよりも随分と前。まだ齢一桁という頃の事だ。かつての戦友達もまだまだ全員がそれぞれの場所に居て、誰もが平和を謳歌していた頃の事だ。
カイトは騎士団の団長の子として、何時か義理の弟と共に騎士として立つべく訓練を施されていた。訓練を施していたのは、当時の彼の父。マクダウェル卿と呼ばれた騎士だった。
「ああ、馬だ……騎士たるもの、馬の一つも乗りこなせねばならん」
「聞いたよ、何回も……だから、馬だって乗れるだろ」
「あっはははは。そうだな。随分と上手くなった。はじめはおっかなビックリだったのになぁ」
まぁ、馬を持つべき、という発言をしたマクダウェル卿であったが、そんな二人は今馬上で話をしていた。乗馬の腕前がどれほどか、と確認していたのである。どうやらこの発言によると、もう十分に馬を乗りこなせると言って良かったのだろう。
今のカイトとは違ってこの当時のカイトは拾われた時から戦いに関する訓練を施されていた。故に、すでに彼は齢一桁でありながら、馬を乗りこなせていた。
「うるさい!」
「あっはははは!」
「あ、父さん!」
照れた様に父に殴りかかろうとしたカイトに、マクダウェル卿が馬を走らせる。それにカイトが目を見開くも、とどのつまり追いついてこい、という事なのだろう。速度を緩めず、馬に駆け足をさせていた。それに、カイトもまた馬の速度を速めさせる。
「っと」
「ふぅ……どぅどぅ……」
少しだけ親子並んで馬を走らせた二人だが、少しして小高い丘にたどり着いた所で馬を止める。そこから、一つの野営地が見て取れた。マクダウェル卿の指揮する雷迅卿の騎士団。その野営地だった。野外演習を行う為、今は王都から少し離れた所に陣営を設営していたのである。
「見えるか、カイト」
「何が?」
「我らの陣地だ……何が見える?」
「何がって……見たままだろ」
父の側近の騎士達に、自分にまるで兄貴の様に振る舞う騎士。そんな男性騎士達に対して呆れながらもこちらも面倒見良く手助けしてくれる女性騎士達。全て、父の騎士団の団員だ。数こそ少ないが、栄誉ある騎士団の誉高き騎士達だった。
「ああ、そうだな……あっちは分かるな?」
「馬小屋……だな」
「ああ。人馬一体。戦場で騎馬兵は少ないが、それでも我ら騎士は馬と共にある」
馬小屋を見ながら、マクダウェル卿はカイトへと馬についてを語る。これについてはカイトも何度見ても聞いていた。
馬に乗って戦場に出る、という事はこの世界でもエネフィアと同じように無い。馬上では戦い難いし、戦闘中の戦士達の速度には並大抵の馬では追い付けないからだ。
が、それでも超長距離の移動では多くの騎士達は馬を使っていた。遠い未来でウィルの述べた通り、体力を温存する為だ。そして飼育や捕縛が楽な事もある。地竜や天竜より、馬が好まれたのは当然だった。
「……お前にも何度も語っただろうが、初代様にも愛馬がいらっしゃった。それになぞらえて、マクダウェル家では一人一頭、馬を育てる。お前も来年には十歳だ。そろそろ一頭持っても良い頃だろう」
「育てる……」
「あっははは。安心しろ。俺や皆が手助けするさ。生き物の命を預かるっていうのは難しくて、そして重たい事だ。子供のお前一人に任せやしないさ」
僅かな不安を見てとったマクダウェル卿は、かつて自身が父にされた様に、息子にまた手伝いを申し出る。そうして、そんな彼に、カイトが問いかけた。
「でも、馬を自分で見付けてこないとダメなんだろ?」
「そうだな。それが、マクダウェル家での習わしだ」
十歳となると同時に、マクダウェル家では馬の群れが住う草原に入って馬を一頭持ち帰る事になっている。これも初代に倣っての事だ。
代々の伝統である以上、彼もまたそうするだけだし、この時のマクダウェル卿はいつかカイトもまたその子にそうするのだろう、と内心で僅かな感慨を得ていた。
「……お前はどんな馬を連れ帰って来るか、楽しみにしてるぞ」
「でっかいの連れて来てやるよ。父さんのより、爺さんのより」
「おぉ、そうか。頑張れよ」
やる気を漲らせるカイトの返答に、マクダウェル卿は内心の僅かな危惧を隠しながら、父として笑う。この当時の時点で、彼はカイトが実の子でない事を気にしている事を気づいていた。
それ故に、カイトがマクダウェル家にふさわしい騎士になると気負っている事を危惧していたのである。そして、数ヶ月。カイトは十歳の誕生日に、一族の習わし通り初代が馬を捕らえた草原に入り、一頭の馬と出会う事になった。
「……」
ああ、こいつは自分と一緒だ。カイトは一目見て、その馬を愛馬とする事を決めた。
「お前だけ、白いのな」
茶色や黒の馬に混じって、一頭だけ居た白い子馬。周囲の馬は全て茶色と黒なのに、この子馬だけこの群れの中で純白だった。カイトはそれを見て、どうしてか直感で理解した。
この馬もまた、自分と同じ様に群れの中に親が居ないのだ、と。そしてそれ故なのだろう。この子馬と同じ匂いがしたからか、本来なら子馬に近付く不審な存在であるにも関わらず、カイトに対して群れは警戒を見せなかった。
「……オレと一緒に……来るか?」
『……』
カイトの問いかけに、白い子馬は何も言わない。当然だ。が、群れの長らしき雄々しい馬を僅かに伺うように見たのを、カイトは確かに見た。そうしてまるでその許可を得たように、群れから離れてカイトへと近付いていく。
「……ありがとう」
自らに顔を寄せた白い子馬に、カイトはその頬を撫ぜるように触れながら礼を言う。そうして白い子馬を自らの愛馬としたカイトは雄々しき黒馬へと頭を下げて、白い子馬と共に群れを離れていった。
「「「……」」」
白い子馬を連れ戻ったカイトを見て、騎士団の面々は揃って目を丸くした。あれだけ大きな馬を連れ帰る、と息巻いていたのだ。どれだけボロボロになって帰ってくるか、とある種楽しみにさえしていた。
それが怪我一つ負わず早々に帰ってきて、しかも連れ帰ったのは――確かに見事な白馬ではあるが――子馬だ。何があったのだ、と揃って仰天したのも無理はなかった。そしてそれは、彼の父マクダウェル卿も一緒だった。
「ど、どうした? それで良いのか? というか、群れから子馬なんてよく連れ帰れたな……」
「ああ……オレはこいつが良いんだ。こいつも、オレを選んでくれた」
「……」
ぽかん。マクダウェル卿はあれだけ息巻いて出ていったのにも関わらず、この小さな子馬で満足したカイトに呆気に取られた。とはいえ、確かに似合いといえば似合いだろう。
なにせカイトもまだ子供。騎士としてみればまだ准騎士でさえない。いや、それどころか兵士でさえないのだ。そこらを考え、マクダウェル卿は気を取り直して一つ微笑んで頷いた。
「……そうか。お前が良いなら良いだろう。それで、名前はなんていうんだ?」
「……名前?」
「なんだ。考えてなかったのか。お前、出ていくまでは色々と考えてたじゃないか」
今度は逆にぽかん、と呆気に取られたカイトに、マクダウェル卿は笑いながら指摘する。何があったかは定かではないが、それを忘れさせるぐらいの事はあったのだ、と理解出来た。
「あ、あー……えっと……お前、何にしようかな……」
カイトは自身とそう変わらない大きさの子馬を撫ぜながら、子馬の名を考える。
「エポナ……は流石にマクダウェル家としてマズイ……よな。黒馬云々より、初代様の馬神様の名だし……ファルシオン……は何か違う……というか、お前。オスとメスどっちだろ……」
ああでもない、こうでもない。カイトは白馬を撫ぜながら、この白馬の名を考える。そうして、少しの後。彼はこの白馬の名を決めた。
「エドナ……お前はエドナだ」
「エドナ……初代様を支えた神官の名に、その名があったな」
「ああ」
マクダウェル卿の言葉に、カイトははっきりとその神官が由来だと頷いた。やはり彼はマクダウェル家。由来は一族に縁のある存在となったようだ。
「何時か英雄となる時に支えてくれるように、か?」
「そんなとこ」
「違うのか?」
「あってるよ」
マクダウェル卿の問いかけに、カイトは僅かに笑う。それにマクダウェル卿は何かがあるな、と勘付いたものの、何も指摘せずにその代わり、告げるべき事と渡すべき物を渡す。
「……カイト。これをエドナに着けてやれ」
「これは……」
「マクダウェル家の馬である事を示す紋章だ」
カイトに渡されたのは、遠い未来で彼が見たネックレスの完全な姿。四つの剣の紋様が描かれたネックレスだった。それは王国が誇る四つの騎士団を統括する四つの家にのみ許された紋様だ。
そうして、カイトが渡されたそれを取り付けるべく馬を管理する所へ向かう一方、マクダウェル卿はどこか嘆かわしげに小さく呟いた。
「大方、自分の素を晒せる相手とでも考えたか。いや、考えてはいないだろうが……」
「……確か、エドナ様は一説には初代マクダウェル卿の奥方とも言われているのでしたか」
「ああ……あいつは初代様とエドナ様の話が好きだった。初代様が近くに感じられる、とな」
一説には。初代マクダウェル卿の伝説は古い話故、子孫であるマクダウェル家にさえ正確な所は伝わっていないらしい。とはいえ、様々な話や逸話はマクダウェル家には伝わっている。故にこれは側近達も知らない事だった。
「初代マクダウェル卿とエドナ様の話……ですか」
「ああ……エドナ様と初代様は喧嘩友達の様な関係だった、とのことだ」
「そうなのですか?」
「らしい……さらには幼馴染だった、とも」
やはり子孫だからなのだろう。マクダウェル卿は一般には知られていない色々な事を知っていた。そんな彼の言葉を聞いて、側近達もカイトの心根に思う所があったようだ。
「……やはり、気にしているのでしょうね」
「ああ……気にしなくて良いんだが……」
それがわかるには、まだ早いか。マクダウェル卿は実子でない事を気にするカイトの心根に、僅かなため息を吐いた。彼は一度たりともカイトを実子と分け隔てた事はない。カイトも自らの子と接している。
が、カイトの方が遠慮しているのだ。それ故にこそ、心のどこかで素を晒せる相手を欲しているのだと気付いたのである。とはいえ、だからこそカイトはエドナと名付けられた白馬を大切に扱った。そしてエドナもまた、彼の想いに答えた。
「……お前……馬じゃなかったのか……」
「「「そこ!? というか、気付いてなかったの!?」」」
カイトが白馬をエドナと名付けてから、およそ五年。父の死を乗り越え新たなる戦いに臨んでいた彼であったが、ある時絶体絶命のピンチに陥った。そこで、エドナは遂に真の力を発揮したのである。
それは、次元を越える力。エネフィアにおいて『導きの天馬』と呼ばれる魔物が持つ最高位の力だった。それを、エドナは発揮して死地に陥った主人を助け出したのである。
「……え? マジ? 皆気付いてたわけ……?」
「いや、お前……普通に考えて俺のこいつに並走できる時点で、普通の馬じゃないだろ」
もはや仰天を通り越して愕然にも近い顔をしていたカイトに、レックスは盛大にため息を吐いた。俺のこいつ。それは彼が相棒とする愛馬。カイトの白馬に対になるような、漆黒の駿馬だった。
こちらもまた単なる馬ではなく、神域で生まれ育った神々の育てた神馬の一頭だった。それを、大いなる英雄への贈り物として与えられていたのである。
それと並走出来るのだから、これは馬じゃないだろう。全員そう思っていたらしいが、カイトはずっと愛馬として接していたので馬だと思いこんでいたらしい。
「というか、普通の馬は障壁張ってタックルとか出来ねぇよ……」
「そうなのか……」
どこか残念そうなのは気の所為なのだろうか。どこか悲しげな顔でぽんぽん、と愛馬――ではなかったが――背を撫ぜるカイトに、一同はそう思う。そうしてカイトにとっては驚愕の真実を知った日から、数百年。地獄の日々を越えて帰ってきた彼は、自らの愛馬もまた消えた事実を知る事となる。
「お前の愛馬……エドナ。あいつもまた、どこかへ行った」
「……そうか」
仕方がない事だろう。カイトはレックスの言葉に、そう思うだけだった。あれだけ大切にした家族の記憶は、もはや無い。故に、思い出も何もなかった。そうして、彼は自らの愛馬と出会う事の無いまま、今のカイトへとたどり着く事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




