第1798話 秋の旅路 ――訓練――
ヴィクトル商会より寄せられた、裏ギルドによる襲撃の本当の目的。それは『導きの天馬』を捕獲するという無謀に思える作戦だった。ヴィクトル商会による情報提供でそれを知ったカイトは、宿屋に戻ると早速資料を読み直していた。
「……なるほど。伊達ではない、か」
「どんな所?」
「そうだな……ざっと見た所だと、上手く行けば捕縛は成功するかもしれない、という所か」
「うそぉ」
カイトからの返答に、ユリィは思わず目を見開いた。ユニオンが当て嵌めている『導きの天馬』の魔物としての危険度は最高位のランクS。並の冒険者であれば、到底敵わない魔物とされている。
現実問題として、もし怒らせた場合にまともに戦えるのは現在のクシポスではカイト達ぐらいなものだろう。その彼らだって、麓町が近い場所で真正面から戦いたくはない。
それが成功するかもしれない、だ。流石に信じられるものではなかった。とはいえ、成功するかもしれない以上、そこには道理があった。というわけで、カイトは資料に添付されていた一枚の写真を提示する。
「これを見てくれ」
「何、これ……一見すると、結界を展開する魔道具に見えるけど……」
「そのまま、その通りだ」
写真に写っていたのは、以前にソラがミナド村において結界を展開するのに使った筒状の魔道具によく似た物体。表面には魔術的な刻印が刻まれている。が、材質は金属の様子で、色々と違いは見て取れた。
「ベースは軍で使われるかなり高度な捕縛用の結界を展開する装置だな。それをシンジゲートが独自に改良した物だと思われる、との事だ。新製品らしいな」
「へー……それを使おうってわけ?」
「ああ……新製品の性能試験も含んでいるらしい。まぁ、他にも色々と面倒な事はありそう、って所か」
「ふーん……前のラグナ連邦での一件で技術者でも流れてきたかな」
「おそらく、そうなんだろう。あのシンジゲートはかなりの規模だったからな。根っこが大きい分、葉っぱは大量だ。全部は刈り取れんさ」
どうせなら自領地でやってくれれば良いものを。カイトは心底そう思う。が、狙われるには狙われるなりの道理があった。
「とはいえ、このシンジゲートも中々に大きな物らしくてな。どうやら他国にも跨って活動している物らしい……具体的には皇国だが」
「はー……そこそこ大きいんだ」
「ああ……で、その支部がウチにもあるそうだ」
「え゛」
カイトの言葉に、ユリィが思わず頬を引き攣らせる。これにはカイトもまた苦々しげだった。
「ちょーっとしたゴミ掃除のつもりが、中々にデカイゴミを掃除をしなければならなくなりそうだ」
「なーる。情報、どこかでストップ掛かっちゃってたわけね」
「そーいうことだそうで……あー……まぁ、わかっちゃいたからしゃーないと諦められるんですがねー」
諦められる。そう言いながらもカイトの顔が若干苛立たしげなのは、やはりこの原因が掴めながらも対処が出来ないからなのだろう。これは常々言われている事であるが、マクダウェル領は若干歪な都市の配置になっている。一番重要な首都とも言える公都マクスウェルが端にあるのだ。
これは時勢の問題として、そして三百年前に想定されていたカイトの役割として仕方がない事で、そこを中心として発展させねばいけなかった以上仕方がない事ではある。が、それ故にこそ遠く離れた所では不正が蔓延しかねないのであった。
「さーて、どうすっかね……」
とりあえず、今回自身に情報を上げていなかった統治者については吊し上げは確定。カイトはそう決定しながらも、次の一手を考える。と、そうして次の一手を考える彼の所へと、声が掛けられた。
「……なぁ、カイト」
「ん?」
「少しだけ、頼みがあるんだ」
カイトに声を掛けたのは、アルヴェンだ。どうやらカイトが資料を読むのを止めたのを見て、声を掛けたのだろう。それに、カイトは上体を起こして話を聞く事にした。
「なんだ?」
「……その、さ。この間の話なんだけど……」
「この間?」
「ほら、朝訓練して、って話」
小首を傾げたカイトに向けて、アルヴェンが数日前の話を口にする。それに、カイトもそう言えばそんな事があったな、と思い出した。
「ああ、あの話か……それがどうかしたか?」
「……その……訓練を……教えて下さい」
「……オレに?」
「……うん」
恥ずかしげながら、アルヴェンはカイトの問いかけにはっきりと頷いた。言い方そのものは変であるが、それでも敬語というか丁寧語を頑張って使おうとしているあたり、彼も真剣は真剣なのだろう。それに、カイトも真面目に答える事にする。
「まぁ、別に構わんっちゃ構わんが……教えられる事なんて殆ど無いぞ? 教える、となると師範代とかじゃないとダメだからな」
「そうなのか?」
「そりゃそうだ。下手に習えば下手が伝染る……だから教えて良いのは師範か師範代……師範代理のどちらかだけ。それ故の師範代、という名だ」
やはりここら、コロナが頭を痛めていた様に学がないという所なのだろう。師範代が存在する意味を理解出来ていない様子だった。なお、段位などで当て嵌めればカイトはまだ見習い止まりの神陰流は教えられない――自分の訓練を一緒にするぐらいは出来る――が、武蔵と旭姫の流派であれば免許皆伝でどちらも師範代に位置する。
なので剣技を教える事そのものは不可能ではない。とはいえ、それはあくまで『勇者カイト』としてであって、ここに居る『天音カイト』としてではない。なので彼はそれを語った。
「オレは一応、武蔵先生の所で習っているが……それでも同じギルドの弟弟子の教練を見て良い、というぐらい。剣技は教えられない」
「……それならそれで別に良いよ。勝手に盗むから」
「……」
アルヴェンの返答に、カイトは思わず目を瞬かせる。そうして少しして、彼は僅かに肩を震わせた。
「くっ……」
「なんだよ! 笑うなよ!」
「いや、良い心掛けだと思ってな。そうだ。それが一番良い」
技とは習う物ではない。師の動きを見て学び、盗むものじゃ。カイトはかつて武蔵がそう言っていた事を思い出した。そしてそれについては、誰も止めない。そして止められない。もし盗まれたくなければ誰も居ない所で一人で訓練しろ、としか言えないのだ。
「良いぞ。朝訓練を一緒にするぐらいなら、別にオレも止めない。その時に少し口出しするぐらいなら、先生にも怒られないしな」
「……ありがと」
「ああ」
恥ずかしげに礼を述べたアルヴェンに、カイトが笑って頷いた。そうして、彼はその後資料を読み終わった後とは違い少しだけ上機嫌に、それからの事を考える事にするのだった。
さて、明けて翌日の朝。カイトはアルヴェンを伴って宿屋の屋上に居た。宿屋の屋上は開放されているわけではないが、時にカイト達の様に訓練する冒険者が登っている事がある。なので宿屋の従業員達も半ば黙認という所で、使えるのであった。
「……」
「……」
朝一番はまず精神統一から。神陰流の訓練としてそれを心がけるカイトは、正座で目を閉じて世界の流れを読むべく意識を研ぎ澄ませる。そうして、世界の流れが彼の視界に擬似的に可視化する。
「……」
風の流れ。人の流れ。気配の流れ。全ての流れを、カイトの感覚は捉えた。そうして彼は昨日の件もあり、一度妙な流れが無いか確認してみる。
(……妙な流れは……無い、か……相当な大規模という事だったから、近くに居るのなら捉えられると思ったんだが……)
世界の流れを読む限り、どうやら裏ギルドの増援はこちらに来ていない様子らしい。どうしても裏ギルドの増援は規模が規模と想定されていて、現在声を掛けている裏ギルドの数もそこそこに多い。もしこの麓町に来ていたなら、確実にその流れが出来ていると思われた。
(とはいえ……何人か先遣隊が来ている様子だな。それにこれは……)
どうやら、先の裏ギルドとの戦いでカイト達は警戒されているらしい。あの戦いが見られていた様子はなかったが、おそらく軍内部かここら一帯の統治機構に居る内通者が冒険部と『草原の旅人』の二つのギルドにより裏ギルドが捉えられた事を伝えたのだろう。
そこそこ腕利きの密偵がカイトを監視している様子があった。他にも、タウリ達が宿泊する宿屋を見張っている様子もあった。襲撃は近いと見て良いのだろう。と、そんな訓練の傍らで精神統一を終えたカイトは、一つ息を吐いた。
「……ふぅ」
「……ふぅ」
「……そこまで真似せんで良いぞ。後、精神統一でオレに意識を集中してちゃ、意味がないだろう」
自身の吐息を真似する様に息を吐いたアルヴェンに向けて、カイトは若干笑いながらそう明言する。呼吸というのは確かに武術では重要だが、ここでの吐息に意味があるわけではない。敢えて言えば、精神統一で強張った身体を解きほぐす為に過ぎない。なので真似る必要は皆無だった。それより、真似る事に集中して精神統一が出来ていない方が問題だった。
「うっ……」
「あはは……さて」
今回、カイトは技を教えない事を明言している。なので彼は恥ずかしげなアルヴェンに一つ笑いながら、正座を解いて立ち上がる。
「……ふー……」
立ち上がったカイトは息を吐いて、再度精神を集中させる。とはいえ、これは精神統一ではなく、神陰流を使う為の事前準備だ。そしてこの動作そのものは他流派でも普通に行われる。故にカイトは敢えてしっかりとこの動作を行う。
本来、アルヴェンの腕ではカイトの動作を見覚える事なぞ不可能に近い。よほど天性の才能に恵まれているのなら話は別だが、流石にそれは厳しかった。故に、一つ一つ丁寧に行っていたのである。
「……アルヴェン。一つ、聞いておく」
「……何だよ」
「お前、誰かに弟子入りした事はあるか? 剣技を教えてもらった、ってこの間言ってただろ」
「……剣技はおっさんに教わった。一応、型ってのも」
「なるほど……それで……」
技は教えたわけか。カイトは僅かに見え隠れするアルヴェン本来の型を見抜いていた。そしてそれ故に、また中途半端に教えたものだと内心で僅かに憤る。が、その憤りもすぐに消した。理由は理解出来たからだ。
技以外を教えるのなら正式に弟子入りしてからにするべきだろうし、そうなると流派に則った色々な儀式や作法がある所もある。恩人の子供だから、と道理をすっ飛ばして面倒を見るのは筋が違うだろう。
何より、言ってもわからない事だってあるのだ。そしてアルヴェンは頭ごなしに弟子入りしろ、と言っても聞く様な素直な性格ではない。なら、一度壁にぶつからせて、と考えたとて不思議はなかった。そこらを読み取ったカイトは、自身の型を演じながらアルヴェンへと告げた。
「オレの動作は真似しなくて良い。この型はオレが練習するべき型だ。お前はお前が技は教わった物を行え。今更一から剣技を学ぶには、あまりに時間が足りない。ならオレから見覚えるべきは、心……精神だ」
「……それ、見て盗めるのか?」
心は形のない物だ。それを見て覚える、というのはまず不可能と言って良い。型稽古の手を止めてしかめっ面でアルヴェンの指摘は道理であったが、これにカイトは首を振った。
「確かに無理だ。が、どんな気配なのか。それを読み取れ。そこから、オレがどんな精神状態なのかを理解して、自己をそこに近付けろ」
型稽古を行いながら、カイトは口だけでアルヴェンへと指南を与えていく。この時点で、すでに両者の修練の差は如実に現れていた。アルヴェンはカイトとの会話に集中し、すでに手が止まってしまっている。それに対してカイトは話しながらも一切稽古の手が止まる事無く動いており、それどころか表情も殆ど動いていなかった。
「もしお前が本当に強くなりたいのなら、どこかの道場で武術を学べ。それが一番近道といえば近道だ」
「そんな時間ねーよ。生きていく為には金稼がないとダメだろ……ねぇちゃんに頼り切りになりたくないし……」
「……そうだな」
小さく呟いたアルヴェンの吐露に、カイトが僅かに笑った。やはりそんな所か、というのが彼の思う所だ。まだまだどちらも幼いが、コロナはやはり姉として弟を守らねば、と色々と考えて動いている。それに対してアルヴェンは負い目を感じていたのだ。
「……ま、ゆっくりやってくしかないだろ。とりあえずお前は精神面を鍛えないとな。これについては近道は一切無い。大人だって鍛えられていると言える奴は少ない……ほら、今だって手が止まってる。精神が乱れているから、やるべき事に集中出来ていない。話しながらも、鍛錬の手を止めるなよ」
「あ……」
カイトの指摘に、アルヴェンは慌てて練習用の木製の剣を構える。そうして、二人はしばらくの間並んで朝一番の稽古を行う事になるのだった。
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