第1770話 ルクセリオン教国 ――故郷――
ルクセリオン教国は枢機卿アユルの依頼を受けて彼女とその父教皇ユナルの故郷トレーフルと言う街を訪れる事になったカイト。そんな彼は主治医となるリーシャ、ユリィの二人のみを連れて教皇ユナルと共に飛空挺に乗り込んでいた。
「これは……すごいな」
カイトが飛空挺に乗り込んでから、およそ一日。丁度朝日が照り込んで来た頃の事だ。今日も今日とて朝の鍛錬のため目を覚ました彼であるが、それ故に外の光景にいち早く気が付いた。
「辺り一面花畑か……」
「すごいね……下手すると数キロ単位で広がってるかも」
「ああ……こんな光景が広がるのなら、人は戦争なんてしないかもな」
一部は野生化している様子だったが、それ故にこそトレーフルという街の周辺は広大な花園となっていた。そんな光景に、カイトもユリィも圧倒される。
『元々は母が育てていたのですが……疫病で一度村が滅びた際、母が育てていた花々が野生化してしまいまして』
アユルが若干苦笑気味にそう語っていたのを、カイトは覚えていた。が、今ではその後二十年近くに渡って整備されたおかげで野ざらしという感はなかった。
『十五年程前……でしょうか。トレーフルへの再入植が始まった際、その花畑をそのままにして、活用する事を考えたらしいのです』
『考えたらしい、ですか』
『あはは。父が、そう提案なさったそうです。私も詳しくは知らないのですが……そうだ、と』
どうやらこの時点の父は誇らしいらしい。いつもは僅かな疑念を得ている様子のアユルの顔はどこか恥ずかしげながらも誇らしげで、はっきりとした敬意が見え隠れしていた。そんな花々を、カイトは飛空挺の甲板から見下ろす。と、そんな事を思い出している所に声が響いた。
「おや……これは先客が居たとは」
「猊下」
「あぁ、良い良い。君は鍛錬かね?」
「はい。と言っても軽く、感覚を鈍らせぬ様に主治医と話し合った上ですが」
カイトは持ってきていた竹刀を少しだけ掲げる。やって来たのは教皇ユナルだ。彼が数人の供回りだけを連れて甲板に出ていたのである。それは騎士達にしても驚きの様子で、大慌てで敬礼していたりした。
「そうか……私は、数十年ぶりの故郷を上から見たくてね」
「……素晴らしい光景だと思います。花園が有名と聞きましたが、まさかここまでとは……」
「そうか……ありがとう。私が育てたわけでもないし、管理しているわけでもないが……この花々の祖を育てたのは妻でね。これだけは、失わせたくなかった」
強い力の籠もった言葉に、カイトは思わず呆気にとられる。その言葉は教皇としてのものではなく、間違いなく一人の父として、夫としての言葉だった。これが演技とはカイトには決して言えなかった。と、そんな彼に教皇ユナルは笑った。
「と言っても、一番凄いのはここではないぞ? より素晴らしい光景がある……私も写真でしか見ていないがね。間違いなく、ここより素晴らしい光景だ」
「それは……楽しみです。これより凄いとは」
「うむ、楽しみにしてくれ」
カイトの言葉に、教皇ユナルが笑う。と、そんな彼に供回りの一人が告げる。
「猊下。あまりお外に出ますと、御身体に障ります。ここしばらくお忙しかったのですから、今日はこの辺で」
「むぅ……はぁ、わかった。そうしよう。すまないね。何分私も若くはなくてね。朝早くに起きて外に出るとすぐにこれだ」
「いえ、こちらこそお話が出来て嬉しかったです」
「ああ、私もだ。では、また後でね。あまり外に出て、風邪を引かない様にね。小さいお嬢さんも、また」
一度は不満げな顔をした教皇ユナルであったが、結局は供回りの言葉を受け入れたらしい。一つ頷くと、再び艦内に戻っていった。正味で十分足らず、という所だろう。
「うーん」
「どうした?」
「嘘吐いてる、って感じはなかったなぁ……って」
「ふむ……確かにな」
カイトも見た限りでは、教皇ユナルの言葉には真実味があった。更に言うと真心の様な物も感じられた。それ故に時折感じるアユルの不信感が何なのだろうか、と疑問に思う程だ。
「アユルさんが疑ってるから何か腹に一物を抱えてるかな、って思ったんだけど……これは外れ、かなぁ……」
「むぅ……面倒というか厄介というか……彼が敵か味方かで色々と話が分かれるんだが」
やはり色々と訝しむべき事実があり、しかし一方で勘案するべき事実もある。制式採用の剣についてはいっそその当時に採用した物なのでただ今も使い続けているだけ、と言われた方が楽だと言える。なら、信じても良いのか。それだけが掴めなかった。と、そんな事を考えるカイトが唐突にクシャミをした。
「……へぷしゅ!」
「風邪?」
「いや、冷えて少し寒くなっただけだ……戻ろう。よく考えりゃ、外で考えることでもない。シャワー浴びて今日に備えないとな」
教皇ユナルも言っていたが、風邪をひいては元も子もない。飛空挺の甲板は障壁のあって特別寒いというわけではなかったが、やはり秋の空だ。決して暑いとも言い難い。訓練をしたので火照っている身体には丁度良かったが、動かなくなって少し冷えた様だ。
「じゃ、戻ろっか」
「そうしよう」
流石にこれ以上外に出ていると、リーシャを怒らせる事になる。なんだかんだ医者には勝てないカイトは素直に戻る事にする。そうして、二人は一度シャワーを浴びて、今日の活動に備えるのだった。
さて、それから一時間ほど。飛空挺は目的地が近いとあって速度を落として進んでいたのだが、朝一番に到着する。まぁ、あまり早い時間に到着する事にない様に、若干何時もより速度は落としたらしい。早過ぎても失礼になる、というわけだ。というわけで、定刻通りに飛空挺はトレーフル近郊の飛空挺の発着場に到着する。
「おぉ……教皇猊下。よくお戻りになられました」
「あぁ、サルマン。随分と久しぶりだ。息災、変わりないかね?」
「ありがとうございます。この通り、今も元気に毎朝花壇に水やりをしておりますよ」
「それは良かった」
教皇ユナルを出迎えたのは、トレーフルの村長だ。と言っても彼がいた頃の村長ではなく、再入植の際に教皇ユナル自身が彼と見込んで依頼した人物らしい。
故にかなり長い付き合いで、村長が何かしらの用事でルクセリオに来た際には必ず自分で出迎えるとの事だ。なので故郷に来るのは数十年ぶりでも、会うのはそこまで久しぶりというわけでもないそうだ。
「いや、すまないね。管理を任せておきながら結局、来れたのは今になってしまった」
「いえ……それで、ルクセリオの状況はどうでしょうか。ひどい事になっていなければ良いのですが……」
「ああ、それならまだ最悪は免れた、という所だろう。幸いな事に、若い芽が幾つも芽吹き、民草は守られた。被害は最小限に留められたと言って良いだろう。何より、そうで無ければ私が来るわけもないだろう?」
「確かに、そうですね」
教皇ユナルの指摘に村長も一つ頷いた。これには勿論、政治的な色々があった。当初教皇ユナルはこの状況下でのトレーフル行きへは難色を示したものの、人的被害が最小限に抑えられた事で逆に被害の小ささをアピールするべく、いつも通りを演出する事にしたのである。無論、数十年ぶりの故郷への訪問とあって周囲が配慮した事も大きい。
「とはいえ、それでもいつも通りとはいかなくてね。当初の予定ならこちらで一泊する予定だったが……写真を撮るだけ撮って、とんぼ返りだ」
「そうでしたか……では、あまり長々とお話しするわけにも参りませんね。さぁ、こちらへ。猊下の家は当時のままにさせて頂いております」
「ありがとう。カイトくん。こっちへ」
「はい」
教皇ユナルの要望を受け、カイトが歩を進める。そうして進むトレーフルの町並みであるが、そこは花が咲き乱れるのどかな風景だった。
「わー……花だらけ。というか、どこもかしこも花花花……」
「これは……すごいですね」
流石の光景にカイトもユリィも呆気にとられるしかなかったようだ。やはり元々が教皇の生まれ故郷になるからだろう。治安はかなり良い様子だし、子供達はそこらをのびのびと走り回っている様子だった。まさに平和。そんな様子だった。
「ああ……まさかここまで復興していたとは。サルマン。よく頑張ってくれた」
「いえ……私なぞはただ皆をまとめていただけです。全ては、私と共に復興に携わってくれた者たちの功績です」
教皇ユナルの感謝に対して、村長が頭を下げる。そうして、そんな彼に案内されて進み続けることしばらく。木造の質素な教会へとたどり着いた。
「おぉ……」
どこか感極まったような声が、溢れた。それは間違いなく教皇ユナルのものだ。
「……懐かしい。そうだ、ここで私は生まれ育った……」
まるで導かれる様に、教皇ユナルが木造の教会へと歩いていく。そうして入り口の前に立った彼は、どこか感慨深げにその扉に触れる。
「……ああ、懐かしい。この扉の段差でおばさんが躓いて、それに巻き込まれたのだったか……頭を思いっきり打って痛かった」
やはり長い間戻っていなかった故郷の風景だ。思い出すものがあるのだろう。ああでもないこうでもない、と教皇ユナルは時に屈んで、時に伸びて、時に扉の開閉を試してみたり、としていた。
「あぁ、そうだ。そう言えばこの椅子に座ってウトウトとしていたら、アユルが花の冠を掛けてくれたりもしていたなぁ……懐かしい……」
どうやら色々と思い出があるのだろう。懐かしげに教皇ユナルは目を細めていた。と、そんな所に。彼の供回りの一人が声を掛けた。
「猊下。客人の前です。あまり、その……」
「……お、おぉ……そうであったな」
一瞬呆けた教皇ユナルであったが、目を見開いて供回りの言葉に頷いた。それはまるで自分が何をしていたのだろうか、と驚いているかの様でさえあった。そうして彼は一度首を振って、気を取り直す。
「いや、すまないね。少し取り乱してしまった」
「いえ……懐かしい故郷の地。私も故郷と遠く離れればこそ、そのお気持ちはわかります。いえ、私より長く故郷を離れている分、それだけ多くの想いもあるのかと」
「あはは……そう言ってくれれば、有り難い」
自身の醜態といえば醜態に対して理解を示してくれたカイトに、教皇ユナルは礼を述べる。その顔がどこか恥ずかしげだったのは、気の所為ではないだろう。
「さぁ、こっちだ。流石にここまで来れば、私も覚えている……」
まるで今の醜態から逃れる様に、教皇ユナルはいそいそと歩いていく。そうしてそれに慌て気味に、カイト達も続いていく。
「教会の裏に、花壇がある。そこで昔あの子は遊んでいてねぇ……花壇に入ってはダメだ、と良く妻に怒られていたものだ」
教皇ユナルは少し足早に、教会の裏手へと歩いていく。なお、後に聞いた所によると、本来は教会の中から裏手に出られるらしいし、何時もはそうしていたらしい。が、教会に入るとまた時間を食いそうだったので、敢えて外から回ったという事だった。そうして教会を迂回して後ろに回ると、そこは一つの花園という感じだった。
「これは……これを、あの教会で? それとも後から増えたのですか?」
「ははは。すごいだろう? 私の自慢だった。勿論、妻が育てていたものだ。今は管理は他人任せだが……彼女が生きていた頃から、この規模だったとも」
驚愕を得るカイトに、教皇ユナルは僅かに自慢げな風を見せながら、自らの生まれ育った教会の裏手にある花園を示す。そこは数百メートルにも渡って手入れされた花壇が所狭しと並んでおり、いっそ地球なら国立公園などで専門の企業が入って行う領域かもしれなかった。
「これを、個人で……すっご……というか、個人だと私負けたかも」
「あはは。小さなお嬢さんに負けたと言わせたか。それは良い妻への土産になるかな」
これを、個人で作り上げたのだという。いや、個人といえば語弊があるかもしれないが、それでも規模としてはかなりの物だ。故に同じ様に大きな花園を個人で持っているユリィさえ、思わず圧倒されるしかなかった。
いくら魔術があるからといっても、この規模を個人――と言ってもトレーフルの当時の住人達が手伝ってくれていたらしいが――で手入れしているのは、一つの偉業と言っても良かったかもしれなかった。と、そんなユリィに鼻高々な教皇ユナルに、再び供回りの者が声を掛ける。
「猊下……こちらを」
「おぉ、ありがとう……すまないね。アユルの依頼をこなす前に、少しだけ用事を済ませさせてもらいたい」
「……はい」
教皇ユナルの手にあったのは、供回りの者が差し出した手向けの花だ。そしてこの花園の中心には一つの碑があり、その意味は察するに余りあった。そうして、カイト達は教皇ユナルの墓参りに付きそう事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1771話『ルクセリオン教国』




