第1769話 ルクセリオン教国 ――故郷へ――
教皇ユナルよりの呼び出しを受けて聖堂教会を訪れていたカイトであるが、そんな彼へと告げられたのは今回の一件に対する礼としては改めてアリスとルーファウスの二人を派遣したいという旨と、ホタルというかマルス帝国中央研究所で研究されていたゴーレムの情報を提供するという申し出だった。
それを受け入れたカイトはその後少しの雑談を交わし、トレーフル行きの支度を行なっていた。というわけで、明けて翌日。カイトはひとまず後事を冒険部上層部に任せ、出立の用意を整えていた。
「あー……うん。ティナは現状、色々とあって本調子じゃない。なんでもし何かあれば、椿を頼れ」
「はぁ……」
カイトの伝言に、桜が不思議そうな顔をする。そんな彼女が見るティナは至っていつも通りという所で、本調子じゃないとはとても信じられなかった。が、これはやはり何年も一緒にいるカイトだからこそわかる事だろう。
「内緒、だぞ? 今あいつの思考回路を統率してるのはサブの思考回路だ。メインが上手く働いてないんだよ。それでも、あいつだからいつも通りに見えるけどな」
「そうなんですか?」
「ああ……まぁ、本当は桜達にも詳しい話をしてやりたいんだが……」
流石にこれに関しては出来ない。故にカイトは非常に苦い顔だった。
「ちょっと色々とあってな。おおよそ、あいつは今不機嫌だ」
「ふ、不機嫌……ですか?」
ティナが不機嫌な事は別に珍しい事ではない。基本子供っぽく気分屋にも近い彼女は時に拗ねる様にへそを曲げる事がある。なので桜としても珍しくはないとは思ったが、それは本当に子供が拗ねるような感じで拗ねていると言える。それが見えない形での不機嫌になると、今まで一度も見た事がないと言い切れた。
「まぁ、ちょっとな。はぁ……ああ、そういうわけだから、敵襲……オレの敵からの敵襲は無い。普通に撤収の用意を進めておいてくれ」
「はい?」
まるで脈絡のないカイトの言葉に、桜は困惑の色を強める。
「原因は敵なのよ。ったく……今来たら流石に全滅級の被害被るぐらいわかってるだろうからな。まず攻めてこんよ。ヨンイチでやるならまだしも、ってかヨンイチでやってもオレが来た時点で敗北だ。ただでさえ時間稼ぎやりまくってるのに、ここでガチンコやる意味が理解できんな」
「もし攻めてきたら?」
「あっはははは。笑えねぇな。あいつのブチギレなぞ、オレは御免こうむる。この間の『狭間の魔物』がおもちゃに見えるレベルで破壊が撒き散らされるね」
「……」
どうやら、ティナの不機嫌さのレベルは相当なものらしい。盛大に呆れながら笑うカイトに、桜はそれを理解する。
「まぁ、あいつのご機嫌取りはオレがやるから、気にしないでくれ。今回ばかりは、オレにも責任があるしな……色々と政治的な話まで絡んであいつも理性じゃわかってるんだが……感情がな」
「尚更、珍しいですね……何時もなら感情より理性、のティナちゃんが……」
「そうだ。が、逆説的に言えばあいつにとってもそれだけの事態だ、ってわけなんだ。ひとまず宥めちゃいるが……感情の落とし所が見えんのだろうさ」
カイトとしてもなんとかしてやれれば、と思わなくはない。が、色々と説明するにしても彼自身が脇役に近い。そもそも彼はイクスフォスやハイゼンベルグ公ジェイクらからティナを任された際におおよその事情を聞いただけだ。
ティナもそれは理解したらしくカイトに当たることはなかった。というより、常識的に考えればカイトが知ったのは後からだ、というのはわかった話だ。だが、それ故にこそ今は感情の落とし所が無く、不機嫌さに輪をかける事になってしまっていたのである。
「いや、すまん。今は本当に語れない。これはあいつにとって大切な話だから、尚更だ」
「いえ、わかってます」
カイトが自分達を想うぐらいティナを大切にしている事は、桜もわかっていた。だからカイトの謝罪に桜は一つ笑うだけだ。彼女とてカイトとティナが伝説の勇者や伝説の魔王である事はわかっている。故に色々と語れない事があるぐらいはわかっていた。
「なら、補佐してあげた方が」
「いや、やめてやれ。桜達にへそは曲げんが、オレへの風当たりが強くなる」
「あはは……」
やはりティナも子供っぽかろうと大人は大人だ。いや、子供っぽいという言葉を子供には使わない。そもそも大人相手だからこそ、子供っぽいという言葉があるのだ。
故に自身に気を遣う桜に不機嫌さを見せてしまえば子供相手に大人気ない、とティナは捉えるだろう。しかしだからこそ、唯一自身が素直になれるカイトに強く出てしまう。
が、それはまた彼女自身を傷付ける。なら、知らぬ存ぜぬを通すのが一番良かった。彼女の為にも、である。難儀な性格とは思うが、難儀な性格だからこそカイトは惚れたのだ。仕方がない、と補佐するだけであった。
「ま、後は任せる。撤収の用意だけで良い。後は何も起きん」
先にカイト自身が語っていたが、現状で攻め込めばティナがこれ幸いとばかりに大暴れするだろう。その後始末は想像を絶する。勿論、正体の露呈の可能性も飛躍的に高くなる。今カイト達の正体がバレてありがたくないのは彼らも一緒だ。ならば、とカイトは安心していた様子である。というわけで、カイトは後の事を桜らに任せ、自身はリーシャ、ユリィと共に飛空艇の発着場に向かう事にするのだった。
さて、桜らに後を託して少し。カイトは飛空艇の発着場に居た。そこはやはり先の事件があった事と、教皇ユナルが来る事からかかなり厳重な警備が敷かれていた。
「カイト・天音です。枢機卿のご依頼により、トレーフルへ向かう便に。同行者は二名です」
「証明書はお持ちですか?」
カイトを出迎えたのは、紋章付きの外套を纏う騎士だ。教皇の懐刀と言われる<<紋章騎士団>>の騎士だった。今回というか、教皇の御幸の際には彼ら<<紋章騎士団>>が護衛を行うのは教国の古くからの伝統だ。
伝統であるが同時に職分故に教国でも有数の騎士達のみで構成されており、彼もまた中々の使い手である事が見て取れた。そんな彼に、カイトはライフより渡されていた証明書を提示する。
「こちらを」
「はい……ありがとうございます。失礼しました。何分、規則ですので……」
「いえ、貴方方は教皇猊下をお守りする責任ある立場。必要な事かと」
騎士の謝罪にカイトが首を振る。そうして、そんな彼は騎士に案内されて一隻の飛空艇へと乗り込んだ。それこそが、教国の旗艦だった。それは白で統一された清潔感と荘厳さが感じられる飛空艇で、攻撃力より防御力にかなりの力点が割かれている様子だった。
「お待ちしておりました。天音様はこちらへ。教皇猊下がお待ちです。お二方はあちらの者に従ってください。部屋までご案内致します」
「はい」
飛空艇に入るなり今度は神官服の男に出迎えられ、そこからは彼に案内されてカイトはリーシャらと別れて飛空艇の中を歩いていく。そうしてしばらく歩いた先に、一つの開けた部屋があった。そこには中央に玉座の様に椅子があり、そこに教皇ユナルが腰掛けていた。
「おぉ、カイトくん。どうかね、怪我の具合は」
「はい。今は問題無く」
「そうか……とはいえ、無理はしない様に。主治医は連れてきているね?」
「はい」
「うむ……まぁ、ここしばらく君も忙しかっただろう。トレーフルは田舎町でね。道中も何かがあるわけでもない。今はゆっくりと休みなさい」
「ありがとうございます」
教皇ユナルの言葉に、カイトは感謝を示す。そうして軽い挨拶だけを済ませたカイトは、先の神官服の案内人に案内されて自室として与えられた部屋に案内される。
「こちらを、お使いください。また何かありましたら外に居る者にお申し付けを」
「ありがとうございます」
「はい……では、失礼します」
カイトの感謝を受け案内人は一つ頷くと、そのまま腰を折って部屋を後にする。そうしてひとまず身内だけになった部屋の中を、カイトは見回す事にする。
「ふむ……客間という所か。教国の旗艦に客間というのも不思議な話……じゃないのか」
「そだね。一応、教国も全ての国と交戦状態にあったわけじゃないし」
カイトの言葉を受けて、ユリィは自身の見てきた事を彼へと語っていく。
「基本多くの国と揉めてはいたけど、いくつかの国とは比較的友好な関係を築いてたよ。勿論、多くはないけどね」
先の和平の時にも言われていたが、ヴェネティスを筆頭にいくつかの国とは皇国との冷戦期でも普通に友好関係を築いていた。皇国では全方位戦争を仕掛けている様に言われていたが、実際にそれは皇国だから言われている事に近かった。
敢えて日本で例えるのであれば、北朝鮮がわかりやすい。全方位に喧嘩を売っていて国交を結んでいる国が無い様に見えて、実はそうではない国というのはあるのだ。教国もまた、それだった。と言ってもやはり皇国と魔族領という二大勢力に喧嘩を売っていた事に間違いはなく、友好国の方が少なかったというのも事実である。
「ま、そこらはどうでも良いだろう」
「はい。ひとまず、怪我の状況を確認します」
ユリィの解説に一つ頷いたカイトであるが、リーシャの指示に衣服を脱いでベッドに横になる。そんな彼の胸に、リーシャは手を乗せた。
「……やはり、この怪我はすごいと言うしかありません。正直、どうやったらこんな怪我を負わせられるのやら、としか……」
「改めて聞きたいんだけど……結局の所、どんな感じなの? カイトでなくても後遺症は残らないし、おそらく普通の人でも死なないだろう、とは聞いてるけど……」
ただただ感嘆するリーシャに対して、ほぼ又聞きでしかないユリィが小首をかしげて問いかける。それに、リーシャがカイトの容態の詳細を語った。
「そう……ですね。はっきりと言ってしまえば、斬れているというより剥がれている。そう言っても良いかもしれません」
「剥がれている?」
リーシャの言う意味がいまいち理解できず、ユリィが小首を傾げる。とはいえ、これは本当にそう言うしかなかったらしい。
「カイト様の怪我の塩梅ですが……まず間違いなく、大怪我に間違いはありません。ですが、その……この傷はあまりにきれいに切り裂かれていて、断面がすぐにひっつくんです。勿論、ひっついてもそれは所詮はひっつくだけ。切り裂かれている以上、すぐに剥がれてしまうのですが……」
「それで、剥がれてる、と」
「はい。ひっついていた物を剥がした。そんな感じなのです」
ただただ恐ろしい。リーシャは感嘆と同時に、こんな切り裂き方が出来る宗矩が恐ろしかった。幾千幾万の患者を見てきたが、一人としてこんなある意味見事な切り方が出来た者を彼女は知らない。まるである種の芸術。これを医術に活用出来れば、おそらく手術は格段に進歩出来るだろう。そう思うばかりの切れ味だった。
「相変わらずというか、地球の戦士ってぶっ飛んでるねー」
「どっちもどっちだ。オレから言わせりゃな」
「カイトが言う?」
「オレだから言うんだろ」
自身の腹に腰掛け盛大に呆れ返ったユリィに対して、カイトは盛大にため息を吐いた。彼からしてみればどちらの世界にも彼をしてぶっ飛んでいると言わしめる猛者達は居て、それを鑑みれば宗矩が特別おかしいとは言い切れなかったらしい。と、そんな会話を繰り広げた二人であるが、ユリィが改めてリーシャへと問いかける。
「ま、それは良いかな。で、結局的に完治までどれぐらい?」
「回復薬などの投薬を含みですが……およそ半月でしょう」
「うーわー……」
これだけの大怪我でありながら、そして回復薬はありという前提ではあるが、たった半月である。普通なら抜糸までがそれぐらいでもおかしくない。どれほど異常な剣技かがよく理解できる一幕だった。そうして、そんな怪我を負ったカイトはその後もしばらくリーシャの診察を受けながら、トレーフルへと向かっていく事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1770話『ルクセリオン教国』




