第1757話 ルクセリオン教国 ――剣聖・柳生宗矩――
ルードヴィッヒの要請を受け、ルーファウスと共に研究所へと増援にやって来ていたカイト。そんな彼はルードヴィッヒを先に進ませ、自身は単身地下の実験エリアにて待ち構えていた宗矩と相対する。そうしてお互いに名乗りを上げた後、両者は静かにただ相対をするのみとなる。
(……やはり、<<原初の魂>>は使わんか)
まるで鏡合わせの様に自然体を取るカイトと相対しながら、宗矩はカイトの様子を見抜く。一見すると蒼い髪に変色し<<原初の魂>>を使っている様に見えるカイトであるが、これは単に本来の姿に近付いただけに過ぎない。
更に言えば、流石に彼にも宗矩を相手に手加減して戦える道理はなかった。故に背丈も本来の物に合わせており、少しでも有利になる様にしていた。それほどまでに本気にならねば勝てない、と彼は判断していたのである。
「……」
「……」
やはり同門だ。神陰流の本質は待ちにこそあるが故に、そしてどちらも相手を油断できない相手と理解するが故に、どちらも初手は様子見で仕掛けようとはしていない。
が、この光景を見ていた騎士達にも理解できた。これは戦っていないのではない。すでに戦いは始まっていて、ただそれが自分たちの想像の及ばない領域なのだ、と。と、そんな両者であったが、先に宗矩が焦れた。
「っ」
来た。来るではない。既に宗矩が疾走を開始していたのを、カイトは知覚する。が、それは<<縮地>>ではない。単なる疾走だ。にも関わらず、後にこの光景を見た者たちは口を揃えた。宗矩が消えた、と。
「はっ」
「っ」
初撃。疾走の体勢故に切り上げる様な宗矩の斬撃が放たれ、それにカイトが逆袈裟懸けに剣戟を叩き込む。そこからは、完全な詰将棋に似ていた。何手先の相手の動きを読み切るか。そして読み切れるか。これしかない。
「っ」
「っ」
初撃はこうなるのはお互いに読めていた。お互いに神陰流。世界の流れに乗ってこその流派だ。宗矩は疾走可能な流れに乗り、カイトはそれを迎撃可能な流れを読んだ。それだけの事だ。
そして、お互いにそう来る事は読めない筈がない。故に、宗矩は次の一手を選んだ時点でカイトもまた次の一手が定まる。そしてカイトの一手が決まれば、宗矩もまたその次の一手は決まっていた。
「なんだ……なんなんだ、こいつら……」
カイトと宗矩の戦いを目撃した騎士の一人が、もはや興奮さえ滲んだ様子でそう口にする。一つ一つの動きは目で追える。決して超速度ではない。いや、速い事は速い。だが、決してランクSの冒険者達の戦闘を見た事がある<<白騎士>>の騎士達が驚嘆するほどの速度とは言えない。それでも、愕然となるには愕然となるなりの理由があった。
「……読んでる……のか? 相手の先を……」
「可能……なのか……?」
わからないではない。良く言われる事だ。数手先の相手の行動を読んで攻撃する、というのは。が、これはもうその領域を超越していた。まるで予めお互いに次にこう出る、と話し合ったかの様に動くのだ。
相手を見て行動しているのではない。相手がこう来ると理解した上で、その次の一手を打つ。それが、連続するのだ。誰しもがこれは真剣を使った演舞なのではないか、と錯覚するほどに、どちらも最善の一手を打ち続けていた。だが、そんな演劇は長くは続かなかった。
「……」
「……」
ある時、宗矩が止まり手を前に出す。それに、カイトもまた停止した。宗矩が流れを断ち切ったのだ。騎士達にとってもはや愕然となる領域であっても、これは彼らにとっては所詮基礎の基礎を確認する為の謂わば型稽古に過ぎなかった。
しかもお互いに神陰流だ。流れを読む事が基礎とされるこの流派にとって、同門同士の戦いでは流れを読み合うのはあまり上策とは言えなかった。そうして、流れを断ち切った宗矩がまるで稽古だったとでも言わんばかりの様子で、カイトへと称賛を述べた。
「……遠き弟弟子よ。師に弟子入りし、何年だったか」
「信綱公に弟子入りしまだ三年という所ですが……鍛錬は怠っていません」
「そうか……それでよくぞ、そこまで」
後に宗矩は告げる。自分がカイトの領域に立つまで彼の三倍の月日は必要だった、と。それほどまでにカイトの神陰流に対する適性の高さは異常だった。
それこそ、この神陰流への適性であれば信綱その人が大成すると自身を超えるかもしれない、と言うほどだ。宗矩と比べれば天と地ほどとまでは言わずとも、大人と子供程度の差があった。
「……準備運動はこれで良いだろう。そろそろ、稽古を付けてやる」
「ありがたきお言葉」
嘘だろう。周囲の騎士達はそう思う。今のが、単なる準備運動。本番に入る前のお遊びだというのだ。つまり、彼らにとっての本気は到底こんな物ではないというわけだ。そうして、彼らは遂にカイトへの援護という文字を頭から完全に消失させる。もはや手出しなぞ出来る領域では無くなったのだ。
「「「……え?」」」
騎士達の誰もが、思わず我が目を疑った。彼らは何もしていない。なのに、気づけば二人の中心で斬撃が起きたのである。そうして一切動かず、二人は無数の斬撃を交わし合う。
「……」
「……」
世界の流れを読み、世界の裏を掻き。カイトと宗矩は世界に結果のみを出力させる。これが、神陰流の基礎たる<<転>>。全ての武芸の極点に立ちはじめて到達出来る究極の到達点。世界さえ認識出来ない攻撃だった。
「っ」
そんな結果のみの戦いであるが、先に僅かに顔を歪めたのはなんと宗矩であった。そんな彼の頬には、僅かに紅い筋が入っていた。カイトの一撃を防ぎ損ねたのだ。だがこれは無理もない。世界の流れを読む力であればカイトが優れている。
こればかりは仕方がない側面はあった。これはカイトの才能というよりも、彼の辿った道のりに起因すると言って良い。神陰流はただ剣技のみを極めてたどり着ける領域ではない。精神鍛錬などを高度に極めて、ようやく入り口に立てる。
その点、三百年前の旅路において様々な出会いを得たカイトには剣技以外にも数多の技術が宿っており、それを応用すればこそ並外れた世界の流れを読む力が備わっていたのである。
ただ剣技のみを極めた宗矩が勝てるはずがなかった。無論、ただの剣技なら年月と才能に絶対的な差が存在する分、宗矩が勝つ。が、これはそういうことではないのだ。
「はぁ!」
頬に赤い筋を作った宗矩が、唐突に今までとは違い明白にわかる様な斬撃を放つ。このままでは自分の不利を悟り、敢えて強い力を放つ事で自然に流れる世界の流れを強制的に書き換えたのである。
それに対して、攻撃の一瞬前に宗矩の攻撃を読んでいたカイトは最小限のバックステップでそれを回避する。そうして、彼もまた地面を蹴って再度前に飛び出した。
「っ」
一瞬先の宗矩の攻撃を読んだカイトは、自らの首筋を狙う<<転>>での斬撃を僅かに首を動かして回避する。が、その際に頬に赤い筋が入る。どうやら、少しだけ読みそこねたらしい。宗矩より上とはいえ、年月の差から両者の間に大差はない。どちらもまだまだお互いの底を見抜けてはいない様子だった。
「ふっ」
小さくカイトが息を吐いて、剣戟を放つ。が、それは読み切られており、宗矩は僅かに身を捩って剣戟を回避。そのまま返す刀で剣戟を叩き込んだ。
「む……」
「流石に、いつまでも剣聖・柳生宗矩を相手に遊べませんよ」
「そうか」
一瞬だけ宗矩が驚いたタイミングで、会話が生ずる。何故彼が驚いたか。それはカイトが早々に二刀流に切り替えたからだ。もう少し遊ぶかな、と思っていたらしい。
いや、もしかしたら、思いたかっただけかもしれない。宗矩の顔に浮かぶどこか少年の様な笑みは、そんな事を想起させた。そんな彼はカイトの言葉に一つ言葉を返すと、彼自身の風格を今までのものより更に静謐なものに変える。
「では、俺もまた遊びをやめよう」
「……どうやら、その様で」
気配だけで分かった。宗矩もまた遊びを無くしたのだと。そうして、両者はまるで仕切り直しとばかりに鍔迫り合いの力を抜いて、お互いに背を向けて距離を取る。が、その一歩を踏み出したち同時だ。二人が同時に振り向いて、剣戟を放った。
「ふふ……そうか。これが、戦いか」
「ええ。これが、戦いです」
騙し討ち。不意打ち。猫騙し。なんでもありが戦場だ。そしてそれこそが宗矩が求めて止まなかったものであり、そしてカイトが生きてきた場所でもある。
「っ」
今までのは稽古。であれば、ここからは戦闘だ。そう言わんばかりにカイトが消える。が、無念無想とて古武術の思想であり、戦国時代を生きた男だ。宗矩はすぐに戦場に順応した。
「……」
カイトが消えたのは剣術ではない。魔術だ。一度戦場に立った以上、これは剣術試合ではないのだ。魔術を使った所で宗矩に文句はない。そして高々消えた程度で何とかなる彼でもなかった。故に彼は意識を研ぎ澄ませ、ゆっくりと構えを取った。
(来るか、柳生新陰流……)
神陰流に型は存在しない。故に神陰流に構えは存在しない。自然体こそが神陰流の構えだ。それを使う宗矩が、構えを取った。それは即ち、柳生親子の誇りにして、日本で最も有名な剣技たる柳生新陰流を使うからに他ならなかった。
(……駄目だ)
姿を消したはずのカイトであるが、暫くして攻撃を断念して姿を現す。それに、宗矩が笑った。
「来ないのか?」
「いけないでしょう。貴方の身体能力の底はまだ見切れない。が、間違いなくまだ底は見せていない。オレが仕掛けて数手で、胴体を真っ二つにされるイメージしか湧きませんでしたよ」
間違いなくこの流れではどうにもならない。それを悟ったカイトはただ笑うしかなかった。構えを作る以上、攻撃の最善手は常に見えている。であれば、そこからの流れは極まった戦士なら見切れるのだ。
どうやればその相手の最善手を掻い潜り、自身の最善手を導き出せるか。それはその人の力量次第と言うしかない。が、この点でカイトは油断しなかった。間違いなく、そこまでたどり着けない。総合的に無理と判断したのである。
「あぁ……嬉しいですよ、本当に。叶うことなら、丸目殿や他の方々ともこうして相見えたかった」
これが、日本中の剣士達が憧れ、敬意を表してきた剣士達。それと一度で良いから戦ってみたい。数多の剣士たちの夢を、こうしてカイトは経験できているのだ。嬉しくない筈がなかった。
だが、そうして戦って思い知らされるのは唯々遠いという事実だけ。奇策を弄してなんとか追い縋れるという事実だけだ。そんなカイトに対して、宗矩もまた歓喜を抱く。
「……」
ただカイトとは違い、宗矩はそれを口には出さなかった。昔とは違い今は思うままを口に出していこう。そう思った彼であるが、それでも出来なかった。
(使えるのか、お前は。師が一度のみお見せ下さった絶技を。我が一門の基礎にして奥義を極めた者のみが使える絶技を……!)
歓喜。嫉妬。称賛。様々な感情が、宗矩に去来する。だから、彼はその流れが見えていながら感情を口には出さない。少しでも、この絶技を止めさせる可能性を無くしたいからだ。そうして、カイトが消える。
「……」
何処だ。何処にある。宗矩は意識を極限まで集中し、消えたカイトが乗る流れを探す。
今、カイトが消えたのは剣術でも魔術でもない。もちろん、トリックなぞでもない。神陰流の応用だ。神陰流は世界の流れを読み、そしてその世界の流れ、即ち世界の意思の裏を掻く事で結果のみを残している。
それを応用し世界の意思の認識出来ない裏に潜めば、見えているにも関わらず見えない様にさえしてしまえた。これはもちろん宗矩にも出来る。が、ここまで長時間となると不可能だ。そしてカイトは更に上に行く。
「っ! そこだ!」
額に珠のような汗を浮かべた宗矩が、唐突に虚空を斬る。が、その瞬間どういうわけか矢が落ちた。そうして矢を斬り捨てた宗矩であるが、彼の意識はまだ緩まない。
カイトはまだ現れていない。いつでも、結果のみを引き起こす攻撃を放てるのだ。一つ矢を落としたからと喜べるわけがなかった。そうして、兄弟弟子による戦いは更に深みえと進んでいくのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:1758話『ルクセリオン教国』




