第1751話 ルクセリオン教国 ――魔術と弓――
カイトがルクセリオ上空で『狭間の魔物』と戦いを繰り広げていた頃。冒険部の守る飛空艇近辺では、魔物の群れとの戦闘が行われていた。とはいえ、これについては苦戦は見受けられなかった。
これはまず飛空艇の各所に増設された魔導砲があった事で非戦闘員も役に立っていた事と、飛空艇の全システムを攻撃と防御の二つに割り振った事で即席の要塞となった事が大きかった。更には魔物が来る方角が限定されている事もあり、防戦が非常にやりやすかった事も大きい。
「ふむ……」
ここまでは、上手く行っている。ティナは逃走をしない選択に対して、そう判断を下す。現状、下手人は久秀を筆頭にした七人だと考えている。となると、一番気をつけるべきは剛弓使いである巴だ。
巴の弓の腕前は彼女らが一番知っている。彼女の剛弓の前には、飛空艇なぞひとたまりもない。それはティナが改良した飛空艇であろうと彼女が作った飛空艇であろうと、だ。
(……立地、良し。周囲に物陰無し。各使い魔の状況、問題無し)
ティナは魔物の迎撃の傍ら、巴からの狙撃を警戒する。一応、聞き及ぶ限りの久秀達の構成から、冒険部に甚大な被害が出ないだろうとは思っている。何よりあの中津国の風呂場で話した限り、巴は武人肌の少女ではあるが、それ故にこそ無意味な犠牲を生む存在とは思えない。
そんな彼女が何故<<死魔将>>に与しているかは甚だ謎であるが、敵である事だけは事実だ。注意はせねばならない。
(敵にまぎれている様子は……無いのう。ひとまず安心か)
とりあえず攻撃の危険は無い。ティナはそう判断し、一つ安堵を浮かべる。この場に着陸させたのは彼女の指示だ。見晴らしが良い場所というのは狙撃を受けやすいが、逆に敵の行動を把握しやすい場所でもある。
そして遠距離対遠距離であれば、これは間違いなくティナに分があった。彼女は遠距離であればカイトをも完封させられる。近づかれさえしなければ、負けはないはずだった。
(……現状。戦力は余のみ。が、防衛戦であれば余に分がある。『要塞』問題無し。守るに足る状況)
ティナの得意とする所は魔術による砲撃だ。故に一点に留まっての防御は最も得意とする所の一つと言える。ならば、冒険部が一箇所にまとまっている現状なら守り切る事が出来た。と、そんな所にホタルが通信機で連絡を入れた。
『マザー』
「何じゃ?」
『本機も出ましょうか? かなりの被害が想定されますが』
「いや、ならぬ。先に言うた通り、お主はそこで待機じゃ」
ホタルの提案に対して、ティナは即座に首を振る。今回、ホタルのみ飛空艇の内部にて残留して飛空艇の操作を任せていた。この状況下で一番困るのは、彼女が敵に回る事だ。故に彼女は完全にシャットアウトしたメンテナンスカプセルの中からいくつものドローンを仲介して飛空艇を操っていた。
「万が一にもお主が操られる様な事があれば、それこそ悪夢じゃ。お主の性能は余が良く知っておる。もし万が一<<X-ブラスター>>を街の上で最大出力で、結界も無しに発動してみよ。最悪はエネフィアが甚大な被害を受けよう。敵の思惑が見えぬ以上、ここでの戦闘は厳に禁ずる」
『了解』
ホタルの承諾を得て、ティナは改めて敵の行動と自らの行動を洗い直す。兎にも角にも現状、敵の思惑が見えない。何が目的でここを狙うのか。それを理解せねばならなかった。
(後考えるべき事は、何時敵が来るかという事。それと、カイトが内部に潜入すると同時に情報の確保を出来る様にせねばならんのう。後は……)
後はなにかしなければならない事があったか。ティナは魔物に向けて砲撃の嵐を叩き込みながら、並列に起動するいくつもの思考でいくつもの事を考える。と、そんな風に戦闘に集中していないのを見透かしたかの様に、一条の矢が飛来する。
「まさかその程度で余を落とせると思うておるのか? であれば、中々に舐められたもんじゃ」
きぃぃぃん、という澄んだ音を上げながら、ティナの障壁と巴の矢が激突する。と、そんな音を上げながら激突する障壁を避ける様に、更に無数の矢が周辺に飛来した。
「む? まさかその程度で余の防衛網を破れるとは、思うとらんな」
だからなんだ。言外にそう告げたティナは更に障壁を広範囲に展開して、飛空艇全域をも覆い尽くす規模で展開する。
「さて……」
次の一手はなにか。ティナは四方八方から乱射される無数の矢を見据え、そして巴の姿を探しながらそれを考える。これほどの相手だ。ある一点に立ち止まって四方八方からの狙撃なぞ容易い事だろう。
逆に、常に動きながらこれだけの数を速射する事も容易い。無論、これを隠れ蓑にして接近戦も妥当だろう。ありとあらゆる可能性が、彼女の頭の中では渦巻いていた。とはいえ、その中でも彼女はある可能性を第一として見ていた。そして、直後。彼女目掛けて、今までの矢とは比較にならないほどの一矢が飛んできた。
「見えとるわ!」
飛来した一矢に、ティナは杖の先端を向ける。物の道理の話として、範囲が広がれば広がるほどどうしても障壁の力は弱くなる。これは費用対効果の問題やその人がどれだけの魔力を一度に出せるか、という蛇口と容量の問題になってくる。
なので広がれば広がるほど破られる可能性が高くなるわけであるが、そんな基本中の基本をティナが見逃すはずがなかった。
『お見事です』
『この程度で称賛なぞ良さんか。余は魔王。歴代最高位の魔帝の称号さえ戴いた王じゃ。この程度が見過ごせぬでは、魔王は名乗れぬ』
どこからともなく響いた巴の称賛に対して、ティナは楽しげに笑いながら肩を竦める。基本中の基本を見過ごすわけがない以上、第一案として来ると考えるべきなのはこの広がった状態の時に強力な一撃を受ける事だ。
そして、同時に彼女はここまで読んで――と言っても念話は別だが――次の一手を打っていた。が、だからこそ彼女は思わず驚きを浮かべるしかなかった。
「っ!?」
矢の飛来した方角を見定めてそちらに視線を向けたティナであるが、それは至近距離だった様だ。どうやら牽制に牽制を重ね、この距離まで近づかれたらしい。とはいえ、これはまだ想定内。故にティナは即座に周囲に張り巡らせた罠を起動させる。
「っと」
火炎の吹き出した地面に向けて、巴は僅かに飛び上がって矢を叩き込んでティナの張った罠諸共地面を吹き飛ばす。そうして彼女は自らの着地点に向けて矢を放ち、そのまま一気に軽やかな動きで飛空艇へとものすごい勢いで肉薄していく。
その顔は楽しげで、まるで遊んでいるかの様でさえあった。どうやら、彼女も女だてらに武人というわけなのだろう。と、そんな彼女に対して、ティナもまた笑っていた。
「ほっ……良いぞ。余の地雷原を抜けていくか。いやさ、その気概や良し。余が直々に相手をしてやろう」
一直線に自分に向けてやってくる巴を、ティナは敵として見定める。そしてここは戦場。状況が状況故に本気で戦える事はないが、遊ぶつもりはない。故に彼女は罠を避けながら自分に向けて一直線にやってくる巴に向けて、杖を振るう。
「ふふっ」
ティナが本気になったのが見え、巴が僅かに笑みを深める。それはまるでそう来なくては面白くない、と言わんばかりであり、同時に乗ったという策士としての笑みでもあった。
「ふっ」
そんな巴に対して、ティナもまた笑う。おそらくこれが敵の手に乗せられる手なのだろう、というのはわかっている。が、ここで巴を抑えねば冒険部に甚大な被害がもたらされる事は明白だ。そして今の彼女に抑えられるのは精々巴一人と言って良い。なら、後の一人はまた別の誰かに任せるしかないだろう。
巴の笑みはそれを見越してのものだと思われた。そしてその目処はある。何より、今の所七人衆は久秀が統率を取っている為、そこまで危険視しないでも良かった事が大きかった。
「さ、これを前に今までと同じ様に前進出来るかの」
楽しげに、ティナは中空に浮かべた無数の魔法陣を起動させる。それは数瞬の後には無数の魔弾をまるでガトリングの様に吐き出し始め、巴目掛けて殺到していく。それに対して、巴は地面に矢を打ち込んで強制的にティナの罠を破壊すると、その上に立って弓をつがえる。
「……ふぅ」
弓を射る寸前。巴は一度だけ深呼吸して狙いを定める。そうして、彼女は一瞬で魔力を溜めて最も魔弾の密度が高い場所へ向けて、矢を放った。
「ほぅ! やりおるな!」
矢を放つと同時に自らも矢を蹴って跳び上がり、一気に自身の魔弾の包囲網を抜け出した巴にティナが感心した声を上げる。と、その一方の巴であるが、魔弾の包囲網を抜けた後は一気にティナへと肉薄すべく虚空を蹴る。が、それに対して、ティナはすでに次の一手を終えていた。
「阿呆! 一直線に」
「行けるなぞ思っていません!」
「!?」
相手の方が一手上を行ったか。自らと巴を一直線につなぐ様な場所に魔法陣を編んで迎撃するつもりだったティナは、虚空を蹴った巴がすでに弓を構えていたのを見る。そうして矢が放たれる直前。ティナは急いで展開していた魔術を書き換えた。
「はっ」
矢が放たれると同時に、ティナの魔術の書き換えが終わり魔法陣の中に白い背中が見える。それは間違いなく、巴の背中だった。が、これはやはり咄嗟の行動だ。故に巴にも自らの背中が見えていたどころか空間が繋がった事さえ見ないでも知覚出来ており、彼女は咄嗟に下に向けて矢を射る。
「まだまだ!」
真下へ飛んだ矢に対して、ティナは巴が潰さなかった罠の一つを起動して迎撃する。その一方、巴は矢の反動を殺さず上空へと舞い上がり、そのまま何度も矢を放って反動だけで移動していく。
「器用な! じゃが、その程度! ソレイユで見慣れておるわ!」
威力の高い狙撃を得意とするフロドに対して、ソレイユはこの様な曲芸じみた行動を得意とする。故に弓の反動を利用して空中を移動するというのは見慣れた行動であり、特別驚くほどではなかった。と、そんな彼女であるが、まだまだ余裕は余裕だった。故にホタルからの報告にはいつもどおりで応じていた。
『という状況だそうです』
『なるほど。クズハとアウラに増援のう。ま、あれも弱くはない。なんとかなるじゃろ』
『了解しました。お二人には気をつける様に念を押しておきます』
『そーしとくれ。あれらになにかがあるとカイトが盛大にブチ切れるからのう。ま、そう言うておけば安全じゃろ』
『かしこまりました』
兎にも角にもクズハとアウラになにかがあればその時はカイトがキレる。それが何よりもティナには危惧するべき所だった。が、逆説的に言えばそれさえ気にしておけば特に気にするべき事はない。後は皇国としての戦略的敗北に繋がる皇帝レオンハルトと国民達の士気に直結するメルが無事なら、立て直せる。
「さて……後はしばらく遊ぶかのう」
ティナにとって何より痛かったのは、やはり彼女自身が魔女という所だろう。本気で戦って目立ってしまえば自身こそがかの魔王ユスティーナであるとバレてしまい、必然それはカイトの正体の露呈にほかならない。出来れば巴をさっさと片付けてしまいたい所であるが、そうも言っていられないのが現実だった。というわけで、彼女は自分が苦戦している様子を見せるため、もうしばらくは巴との交戦を続ける事にするのだった。
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