第1749話 ルクセリオン教国 ――狭間の魔物――
少しだけ、話は変わる。当然の事ではあるが、生物は極所であればあるほど、そこで生きる生命体は人知の及ばぬ生命力を保有する。
例えば、深海。高重圧の水圧に耐えねばならない上、重力の縛りから解き放たれて巨体や打撃の効果の薄い軟体の身体を持つ魔物が多い。さらには光届かぬ深海故に、目以外の器官が非常に発達した魔物も少なくない。
他にも、溶岩地帯。本来なら生存不可能な領域でも、魔物は生息する。この地帯であれば、高熱に耐え得る強靭な肉体と火を喰らう様な人知の及ばぬ性質を持っていたりする。そして、もう一つ。現代の人類では想像さえしない極所が、この世にはあった。
「『狭間の魔物』……そう呼ばれる魔物達。どうですか? 懐かしいですか?」
ルクセリオ上空に空いた亀裂から這い出ようとする巨大な手を見ながら、道化師は笑う。狭間。それは世界と世界の狭間。世界の法則さえ届かぬ場所だった。
そこにも、魔物は居た。そこは人類の想像も及ばぬ場所。かつてカイトが居た『奈落』と同じく、法則が乱れに乱れた場所だ。つまり、そこと同じく天災としか言い得ない魔物達が生息していたのである。
「さぁ、私達からのプレゼントの第一弾。存分に楽しんで下さいませ」
道化師は混乱に陥ったルクセリオを見ながら、優雅に腰を折る。そうして、彼は混乱の中で暗躍を開始するのだった。
さて、暗躍を開始した道化師の一方。カイトは研究所を離れる冒険部一同と共に、研究所の外へと出ていた。が、そこで全員思わず足を止めてしまっていた。
「あれは……なんだ!?」
思わず、瞬が声を荒げる。何かが、空間の亀裂から這い出ようとしている。それは尋常じゃない大きさらしい、ということもわかる。
何せ空間の亀裂に引っかかっている爪が数十メートル級の飛空挺ほどの大きさだ。間違いなく全長は数百メートルを優に超える。下手をするとキロも届くだろう。
「這い出ようと……しているのか?」
「あれは……」
「うむ。余も伝説程度しか知らなんだが……間違いなく『狭間の魔物』であろう」
見たことがない。そう述べたティナの顔はやはり、真剣さが滲んでいた。そしてこの時点で確定だ。
「奴ら、しかないか」
「そりゃそうじゃろ。こんな大それた……それこそ世界さえ滅しかねないことをするのはな。何より、彼奴らお得意の次元歪曲の予兆もある。これで彼奴ら以外とは思いたくないのう」
改めて、二人は『狭間の魔物』を観察する。間違いなく魔物の等級としてはランクSはあるだろう。それ以上かもしれなかった。
「となると……ま、そうですよねー」
考えるまでもない。あの『狭間の魔物』の周辺には無数の魔物達がウヨウヨしていた。魑魅魍魎。それがよく似合う様子だった。と、そんな所にルーファウスが飛来した。
「カイト殿! 無事……そうだな」
「この通り、幸い研究所の敷地内にいたからな。ここからどうするか悩んでいる所だ」
「何か案はあるのか?」
「もちろん。何も馬鹿みたいにここに留まってるわけじゃない」
「ん?」
カイトの言葉に合わせるように舞い降りた影に気付いて、ルーファウスが振り向いた。そこには一隻の飛空挺が。カイト達が乗ってきたものだった。
「総員、乗艦!」
飛空挺が着陸すると同時に、カイトが号令を下す。ここらはさすがは日本人というところで、こういう緊急事態にこそ慌てず騒がず行動が出来ていた。まぁ、そう言ってもどちらかというとあまりに巨大な魔物に現実感が喪失しかかっているのと、魔物の群がまだ遠いからだろう。とはいえ、この姿はルーファウスからすれば思わず驚きを浮かべる物だった。
「す、すごいな……」
「伊達に地球でも日本人は狂ってるとさえ言われるわけじゃない。何より、頻繁に自然災害に見舞われるしな……ああ、あと少し待ってくれ。幹部連に指示を出す」
「わかっている」
ルーファウスとて何ヶ月もカイトの下にいたのだ。彼の指示が適切で、さらには有益である事は知っている。なので待つだけだ。というわけで、その一方でカイトは指示を矢継ぎ早に飛ばす。
「先輩。先輩は近接防御。桜が全体の統率を摂れ。ティナは言わんでもわかってるな。その他、冒険部一同は各指揮官の指示に従い、飛空挺の防衛を行え。状況から考えて、逃げるより守る方が良い。逃げると周囲に被害が広がる。定点防御の方が今回は良い」
「「「了解!」」」
カイトの指示に、冒険部一同が声を揃える。そうして彼は一つ頷いて、声を張り上げた。
「カナタ!」
「はい、マイマスター。御命令を」
「ダンスの時間だ。ドレスは間に合ってないが、踊れるか?」
「イエス・マイマイスター。遊んでよろしくて?」
「オーケー。存分に遊べ。但し、奴には挑むな。藪を突っついて蛇どころか鬼が出かねん」
「はぁい……あぁ、楽しみ。『狭間の魔物』……どれだけ楽しめるかしら」
「行くな、言うとんだろ……」
楽しげに舞い上がるカナタに、カイトは盛大にため息を吐く。とはいえ、彼女の一撃は如何なる攻撃より強力で、如何なる一撃より速い。押さえ込むぐらいなら出来るだろう。
「さて……後の面子に逐一の指示は要らんだろう。総員、存分に戦い、民を守れ」
「「「ご命令のままに」」」
さて。各所に散って一斉砲撃で敵を減らしていく一葉達を横目に、カイトは一つ首を鳴らす。
「さて、行くか」
「は?」
「用事はわかってる。ルードヴィッヒさんからの増援の要請……だろう?」
「あ、ああ……流石にこの状況で見栄も何もあった物ではない」
自分の要請を言い当てられ一瞬呆気に取られたルーファウスであったが、カイトが飛翔するのに合わせて飛翔する。流石にこの状況で教国で有数の戦士である彼が来るのだ。要件ぐらいわからないはずがなかった。
「にしても、団長が連絡を入れるとは思わなかったのか?」
「あり得んな。現状だと、どれだけ強くともたった一人の戦士に過ぎないお前より、全体の指揮を行えるルードヴィッヒさんの方が重要だ。今は通信網も大混乱。まともに繋がるかもわからん。そして最悪は敵の群れを突破して、となる。お前を伝令にやるのが正解だ」
「そ、そうなのか……」
やはり思った通りではあったが、ルーファウスは言われた通りにただこちらに来ただけの様子だった。カイトの指摘に目を丸くしていた。
「にしても……ふむ」
カイトは上空に舞い上がりながら、改めて『狭間の魔物』を観察する。数百メートル、下手をすると数キロはあるだろう巨大な魔物だ。間違いなくルクセリオに落ちればそれだけで甚大な被害を被る事になるだろう。
「どうされた?」
「……少し奴ららしくない」
「?」
カイトのつぶやきに、ルーファウスは首を傾げる。それに、カイトは告げた。
「久秀……まぁ、お前にも前に語ったが、こいつは元オレの部下だ。だからこそ、その性格は良く知っている……あいつは派手好きだが……粋な奴だ」
「? だから……なんなのだ?」
「こんな不作法の極みみたいな策は打たん」
はっきりと言ってしまえば、彼の場合はやるなら最初からド派手にこの『狭間の魔物』をこちら側に呼び寄せるだろう。それもとんでもなくド派手に、だ。
「技術的な限界では? 俺が聞いた情報を考えると、あのレガドでの攻防戦の技術を応用していると思われる。なら、流石にこれは難しいのでは?」
「……それはあるだろうが……」
それだけじゃないな。というより、ルーファウスは見落としがある。それに気付いているカイトは、ルーファウスの指摘に僅かに苦い顔だ。そうして、彼は一度相手の策を考えるべく思考を高速化させる。
(そもそも一個であれだけの歪みを生めるのなら、複数個使えばやれない道理はない。なんだったら、もっと大きくしてしまえば良い……それをわざわざ敢えて不完全にした。何が理由だ? 研究所へ入り込む為? それなら最初から魔物の集団を送り込みゃ良い。じゃあ、なんだ?)
何か理由があるからこそ、敢えて不完全な状態の召喚を行ったのだ。勿論、あと少し待てばこの『狭間の魔物』は外に這い出る事だろう。とはいえ、そのあと少しは五分、十分の話ではない。
勿論、毎分毎分状況は悪化し、被害は顕著になるだろう。が、それでも危険領域になるほどとは、言い切れなかった。であれば、最悪はカイトには放置という手が使える。と、そんな事を考える彼であったが、その次の瞬間。彼が危惧していた事が起きた。
「「は?」」
カイトとルーファウスの困惑した声が響く。本当に唐突に、空間の亀裂が更に広がったのだ。そしてそうなれば必然としてこちらに来ようと爪で空間の亀裂を押し広げていたのが更に広がって、ついには腕がこの世界へと抜け出てくる。そして同時に、その僅かな隙間から未知の魔物が這い出る事になった。
「っ!?」
何かがこの世界に入り込んだ。そう理解した瞬間、ルーファウスは思わず寒気が走った。本能的に何か拙い事態が起きた、と悟ったのだ。その一方、同じく顔を僅かに青ざめたカイトは久秀の目論見を理解していた。
「……なるほど。そりゃ、派手な事になるな」
「どういうことだ?」
「……<<守護者>>が出つつある。見ろ、あれを」
「っ……」
<<守護者>>。人類の守護者とも言われる存在。だが実態は、世界の守護者だ。それが、出ようとしている。明らかにのっぴきならない事態になりつつあった、というわけだろう。
「『狭間の魔物』がこちらの世界に来た……それは十分に<<守護者>>の出現条件を満たす。喩えそれが、あんな小物でもな」
「あれが……小物?」
「ああ……かつてのオレが言うに、あの程度は小物だ、だそうだ」
「……」
ゾッとする。ルーファウスはもう一人のカイトを偽ったカイトの言葉に、思わず背筋が凍った。間違いなくランクSの魔物だ。それが、小物。であれば、あの爪の持ち主がこの世に這い出たなら、どれほどのものか想像も出来なかった。
「……ルーファウス」
「……ああ。それしかない」
事ここに至っては、もう迷ってなぞいられない。過去の己を目覚めさせ、その力を借り受けるしかなかった。幸か不幸かまだ何も動きは見えない。戦闘中に出来ない事になっている――ルーファウスは事実出来ないが――以上、今ここでやっておく方が良かった。そうして、二人の姿が若干変化する。が、カイトは防具と武器は変えなかった。
「……カイト殿はそれで良いのか?」
「ああ。オレは持久戦でやる。この分野なら、一日の長がある。先がどうなるかわからん。お前は切れないだろうから、キツくなったら下がれ」
蒼髪と真紅と蒼のオッドアイに変貌したカイトは、ルーファウスの問いかけに一つ頷いた。そんな彼に、ルーファウスは自身の中で目覚めたもう一人の自分を宥めながら感謝を述べる。
「……感謝する」
「ああ……ルーファウス。おそらく現状だと、オレの方がまだ強い。お前は街に他の小物が降りない様に頼む。それが終わり次第、こちらに増援を」
「了解した」
カイトの指示を受け、ルーファウスが転移術でルクセリオの上空へと移動する。あの這い出た『狭間の魔物』以外にも魔物達は居る。そちらについては今の彼なら、鎧袖一触で斬り伏せられるだろう。
「さて……ユリィ」
「はいさ」
これは遊んでる場合ではない。そう判断したカイトは、未だ動きを見せない小さい方の『狭間の魔物』を見据えながらユリィを呼び寄せる。万が一の場合に冒険部の支援を頼んでいたのだが、流石にこの状況ではこちらを優先するべきだろう。というわけで、カイトの呼び出しに応じて転移術で彼の肩に腰掛けたユリィであるが、見えた光景に思いっきり顔を顰める。
「うっわー……」
「懐かしいか?」
「だから嫌なんでしょー」
あの『狭間の魔物』を見るだけで、原初の頃の自分がうずく。ユリィはそんな事を言外に言っていた。が、やらねばならない事は事実だ。そうして、ユリィを乗せたカイトは転移術で『狭間の魔物』へと肉薄するのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1750話『ルクセリオン教国』




