第1743話 閑話 ――騎士との出会い――
今日は少しだけ、過去の話を。
ルードヴィッヒを筆頭にした本家ヴァイスリッター家の参拝を待つ間、カイトは今はこの世を去った親友達との出会いを思い出す。それは、今から三百年前。エンテシア皇国の皇都付近の森の中の事であった。
「……これ、もしかして……」
全ての発端は、カイトが飲み物を飲みに台所へと向かった時の事。そこで扉を開けた直後の事であった。
「……いや、まっさかぁ」
ありえないだろう。この時のカイトはまだ、世界について知らなすぎた。異世界の存在なぞ物語でしかなかったし、戦いなぞゲームの中だけでしか知らない物だ。故に唐突に森に様変わりした周囲の風景を見ても、これが現実とは理解出来なかった。
いや、これは彼が悪いのではない。明らかにこんな事が起きる方が彼の常識からしてみれば可怪しいのだ。そしてその常識は地球人なら誰もが共通認識として持ち合わせている物だろう。となると、これは白昼夢。そう彼が思っても仕方がない。が、現実はすぐに襲いかかってきた。
「ん?」
がさっ。何かがうごめく音がして振り向いてみれば、そこに居たのは明らかに自らの常識からは大きく外れた存在。まさに鬼としか言いようのない醜悪な生命体だ。帰還後のカイトならこれは何だ、とわかる様な事でも、今の彼にはまさに未知の存在だった。
「……良く出来てんな……こんな物日本で作れるとなると……どこだろ」
この時、カイトはまだ今が夢だと思いこんでいた。それが幸いだった事は、彼が後に知る事だ。もしこれが天桜学園の様に早々に現実と理解出来たのなら、おそらく卒倒するか失禁するかどちらかだっただろう。なので彼にとっては幸いな事に、この明らかに地球にはあり得ない状況においても彼はある意味では混乱し、ある意味では正常だった。そして、もう一つ。幸運な事があった。
『おや……これは拙いですね……』
先にも言われていた事であるが、カイトの一度目の転移は事故ではなく召喚だ。であればつまり、この時は道化師の庇護下に居たのである。当然だ。カイトが普通の少年である事は彼らも知っている。
それを戦乱真っ只中の異世界に呼び寄せるのである。下手をすると早々に死ぬ可能性は十二分にあり得た。生き延びてもらわねばならない以上、最低限自らで生き延びられる力を得るまでは誰かは常に見守る必要があった。そしてそれが誰かというと、当然それは数々の所に潜伏先を用意している道化師の役目だった。
『現状、カイト殿は絶賛混乱の真っ最中……勿論、いくら彼が初期値10万とかいうぶっ飛んだ値でも一撃死。まず間違いなく勝ち目はない……かといって、私が出るわけにもいきませんね……』
高速化した思考の中で、道化師は次の一手を考える。カイトを助けるのは絶対条件だ。彼の死は彼らにとっての敗北を意味する。戦略的に負けてしまえば、戦争に勝っても意味がないのだ。
そもそもこの戦争とて、彼らにしてみればカイトを鍛える為の修練場の向きもあった。こんな初手で中ボスレベルの敵が出てきて良いわけがない。
『……なんとか……誤魔化せそうですかね』
道化師は潜みながら周囲を見回して、一度だけ頷いた。そうして、彼はこの当時の圧倒的な力量差を利用して、カイトと魔物の動きを停止させる。
「ふぅ……さて」
道化師は動きが止まったカイトと魔物を見ながら、姿を現す。そして次に考えるのは、どうやればこの状況でカイトを目的の場所へ向かわせる事が出来るだろうか、という所だ。
ここら彼らにとっても痛い所であったが、やはり召喚術というのは簡単な魔術ではない。それが異世界からの召喚ともなると、尚更だ。そう安々と狙った場所に召喚出来るわけがない。しかも、他にも悪い事がいくつもある。まず第一に、それは年齢だった。
「現在地は……エンテシア皇国皇都付近の森……ですか。なんとか、なりましたか。まぁ、そこを重要視して今呼び寄せたので当然といえば当然なんですが……あぁ、来ましたか」
道化師は万が一カイトが転移の事故で魔物の巣付近にたどり着いた場合に備えて呼び出していた剣士を見て、一つ頷いた。<<死魔将>>が二人。その時点で、どれだけカイトの召喚を重要視していたのかわかるだろう。そんな剣士であるが、カイトを見て僅かに目を細める。
「……若いな」
「仕方がありません。今を逃せば、この地点に呼び寄せる事は不可能に近かった。いえ、不可能ではないのですが……試算によれば、彼が二十歳を超えた後になるでしょう」
「待てない、か」
「はい。下手をするとあちらのかの王がカイト殿の存在に気付いて、育てる可能性もある。そうなれば、あまりよろしくない。いえ、そちらが良くないのではないですね。彼の伴侶の一人と合流されるのが、有り難くない」
剣士の言葉に道化師ははっきりと頷いた。これが、全てだ。カイトと<<白の聖女>>が組んだら手に負えない。別にそれでも良いと言えば良いのであるが、それでは彼らにとって不十分な結果に終わる可能性があった。
「彼には神の力を取り戻していただく必要がある。誰よりも、何よりも強かったという彼に戻っていただかねばならない」
「……賭けになるな」
「……はい」
剣士の言葉に、道化師もはっきりと頷いた。最盛期のカイトに戻す為には、いくつも条件があった。それを全て達成するためには、自分達でコントロールしたい所だった。
「いえ。これは最初からわかっていた事です。そもそも陛下のお望みなぞ、到底叶うべくもない願いだ。それを達せようとしている我々が愚かしいだけで」
「……」
おおよそ呆れとしか思えない笑みを浮かべる道化師に対して、剣士もまた似た様な顔をしていた。賭けなぞ最初からわかっていた事だ。それでも、彼らはやると決めたのだ。全てを敵に回しても。その末路が死だとしても、だ。だから、覚悟と共に剣士が告げた。
「だが、やる」
「ええ……まぁ。欲を言えば、それこそかつてカイト殿が始源の時に記したという二冊の本が欲しい所ですが……どちらも見付けられていない。片方の目処は付いていますが……こちらは厄介な神の管理化。もう片方に至っては目処さえない」
「彼が目覚めれば必然、彼の手に戻ってくるだろう」
道化師のため息混じりの言葉に、剣士はカイトを見ながらそう告げる。結局、全てを完璧に仕上げる事なぞ出来はしなかった。なのであとは出たとこ勝負、重要な部分を完璧に仕上げるしか出来なかった。それだって、今の様に不十分な所も多かった。
「……そうですね。とりあえず、今は彼を安全な場所へ避難させないと」
「安全な場所なぞあるか?」
「揚げ足を取らないでくださいよ……首尾は?」
「問題ない」
自身の冗談に一つ笑った道化師の問いかけに、剣士は一つ頷いた。元々完全に予定通りにならない可能性は考えていた。なら、その万が一に備えた策は打っていた。
ここで今カイト達を動かせば待ち受けるのはカイトの死だ。それは頂けない。かといって、自分達が出ていけば今度は本番――カイトとの戦闘――でカイトに自分達だと気付かれかねない。なので救いの手を用意したのである。
「どれぐらいで来そうですか?」
「十分もあればこちらに来る」
「そうですか……では、それを待つ事にしましょう」
剣士の言葉に一つ頷いた道化師は、ひとまずそれを待つ間周囲に他の魔物が来ない様に牽制の気配を放っておく事にする。そしてこれは同時に、自分達がここに居るという合図でもあった。そうして、十分。人の動く気配があった。
「来ましたね……どこの部隊ですか?」
「教国のヴァイスリッターだ。皇都への支援の道中だった」
「なるほど。ちょうど良い」
これから皇国の首都に向かうという。となると、カイトも連れて行って貰える可能性は高い。しかも彼らは騎士。何もわからない上に戦う力の無いカイトに対して親切にしてくれることだろう。そして、案の定だった。
「……え?」
「ふぅ……団長」
「ああ。さすがはルクスだ。見事な腕だった」
一刀両断に生命が絶たれる様を目の当たりにしてようやくこれが現実と理解したカイトに対して、それを成し遂げたルクスへと彼の父が称賛を送っていた。彼らにとっては、これが日常だ。なのでこちらは一切迷いも困惑も無かった。と、そんなルクスの父がカイトへと声を掛けた。
「……大丈夫か? えらく変わった格好だが……皇都では今、それが普段着になっているのか?」
「え……あ……え……?」
一体、何が起きているんだろう。今の今まで夢うつつだったと言えるカイトは、ルクスの父の問いかけにただ困惑する――ルクスの父はルクスの父でカイトの服装に困惑していたが――だけだった。と、そんな彼の様子を見て、自分では怯えさせてしまったか、と思ったらしいルクスの父が後ろを向いた。
「……ルクス! 少し来てくれ!」
「あ、はい!」
「どうやら混乱しているらしい。俺よりもお前の方が年が近そうだ。お前が面倒を見てやれ」
「はい」
父の言葉に、ルクスが一つ頷いた。そうして、そんな彼がカイトへと笑いかけた。
「やあ、僕はルクス……君は?」
「え?」
「あはは……君の名前だよ」
「オレ……オレは……カイト。天音 カイトだ」
混乱した頭であるが、カイトとて流石に名前を問われた事ぐらいはわかっていた。故に自らの名をカイトも名乗る。こうして、カイトの初の異世界人との対面は彼にとって現実感の無いままに始まり、現実感の無いままに終わる事となるのだった。
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