第1736話 ルクセリオン教国 ――カイトの師事――
ルードヴィッヒの提案で行われる事になったカイト対ルーファウス、瞬対アリスの模擬戦。その第一戦目となる瞬とアリスの戦いは、何らかの切り札を切ったものの決めきる事が出来なかったアリスの降参により、彼女の敗北となる。そうして両者その場で一礼した後、カイト達の所に帰って早々に瞬が口を開いた。
「あー……この場合は……カイト。お前に聞くべきなのか?」
「うーん……まぁ、それでも良いんだろうがな。アリス、お前から話すか?」
「あ、いえ……カイトさんからお願いします。私もまだ完全に把握してるわけではないので……それに少し疲れました」
カイトの問いかけに、アリスはゲルタに治療されながら戦闘で僅かに上気させた頬を伝う汗を手ぬぐいで拭い、首を振る。というわけで、そんな彼女の申し出を受けてカイトが先程の一幕の詳細を語る。
「まぁ、こちらからは二度目しか見えていなかったが……先輩。一度大きく飛び跳ねたな?」
「ああ……あの時、背後に気配を感じた。アリスの何かしらの魔術か、と警戒したんだ」
「ああ。それが正しい」
どうやら近接戦闘の最中に瞬が大きく飛び跳ねたのは、そういう理由だったらしい。まぁ、これについてはそういう芸当は難しくはあるが一般的に知られており、カイトの所でアリスが教えられていたとしても不思議はない。なのでこの時はルードヴィッヒとルーファウスの二人も彼女がそれに類する何かをしたのだろう、と納得していた。が、ここでこの話を出す以上、これはこの話に関係してくるのだろう。
「実はオレはアリスに気を教えたんだ」
「気? 気というと……中津国のあれか?」
「ああ」
「君は気まで使えるのか」
特段驚かなかった瞬に対して、やはりルードヴィッヒは大いに驚いていた。一応は中津国もエネシア大陸の一部だ。なので気については他大陸よりも広く知られており、ルードヴィッヒも知っていた。
カイトの多彩さはルーファウスからの報告で知っていた彼であるが、それが気までになると流石に驚くしか無かったようだ。
「ええ……元々日本の武術は武道……道と見做す向きが強い。ですので気との相性は良いんです。ですので、比較的簡単には習得出来ました」
「なるほど……確かに聞いた事はあるな。日本の武術と気は相性が良い、と……」
どうやら武蔵の関係から気と日本の武術の相性についてはルードヴィッヒも耳にした事があったらしい。元々日本の何かしらの武芸を修めていたと思しきカイトが気を比較的早々に習得出来たとて、不思議がないと言えば不思議はない。と、そう考えたルードヴィッヒであるが、一転して首を振る。
「ああ、すまない。腰を折った」
「いえ……それで、アリスには霊力と気を混ぜる方法を学ばせたんです」
「霊力と気を……? すると、どうなるんだ?」
魔力と気を混ぜる、というのは比較的有名な方法だ。が、霊力を気を混ぜる、というのはそもそもの退魔師としての素養を持つ者の少なさから、ほとんど知られていなかった。
「簡単です。霊力は謂わばその人の魂の力。魂が一部そこに移動する、と言っても良いかもしれません。それに対して気は生命力……これが、一つの場所にあるとなると、人はどう感じると思いますか?」
「む……?」
少し楽しげなカイトの問いかけに、ルードヴィッヒが一度首を傾げる。そうして、彼はひとまずわかっている事を口にする。
「魂があり、生命力がある……まず、気配を感じる様になる……な」
「はい。まず魂……つまり意志の力がそこにあるので、気配がそこに生まれます。そしてそこに生命力があるとなると?」
「ふむ……意志がある所に生命力が宿っている……なるほど」
言ってみて、ルードヴィッヒが思わず目を見開いた。改めてしっかりと見直して見れば、あまりにわかりやすかった。
「そこにその人が存在する、と思わせる事が出来るのか」
「はい。気は生命力……つまりは肉体に宿る力。そして霊力は魂に宿る霊的な力です。そのどちらも、誰しもの肉体に宿っている。ただそれを扱えるか否か、というだけですね」
気も霊力も根本的には、誰しもが持ち合わせる力だ。それを使う才能があるか無いか、というだけに過ぎない。故にこの二つが同じ所にあると、感覚的にはそこにその人が居る、と勘違いさせる事が出来るのだ。それをしたが故に、瞬は戦闘中にアリスが背後に回り込んだ感覚を得て思わず距離を取らざるを得なかったのである。そんな話を横で聞いていたルーファウスもまた、感心した様に頷いた。
「なるほど……実に厄介だな……」
「ああ。特に上の戦士ほど、この手は有効だ。そう言う意味では先輩も比較的上位層に位置する、と言って良いんだろう」
「むぅ……それを逆手に取られた側としては、あまりうれしくはないな」
カイトの明言に、瞬が少し困った様な顔をする。確かにこれは気配を読んで戦える者たちだから引っかかる手で、戦闘中に気配を読んで戦える様になれば戦士としては一人前と言っても良いだろう。
が、それ故にこれは引っかかりやすいのだ。喜んで良いのか悪いのかは、判断の別れる所であった。と、そんな事を話したわけであるが、そこでふとルードヴィッヒが口を開く。
「いや、待ってくれ。それには納得が出来たが、それでも先の瞬くんの一幕には説明が付かない。あれは明らかに傷を負った様子だった……が、見える限り、瞬くんは手傷を負っている様子はない……無いね?」
「あ、はい。ご心配、ありがとうございます。目立った傷は一つも……ええ、ありません」
ルードヴィッヒの問いかけに瞬は一度自らの身を確認し、はっきりと怪我が無い事を明言する。無論、地面をバウンドしていたりするので細かな傷はあるものの、それは擦り傷程度。斬撃を食らった様な大きな傷跡はなにもない。
「そうだろう。私が見ていた限りでも、瞬くんが直撃を食らった様には見えなかった。最後の幻影の一撃を除いては、だが」
「ええ。そうですね……ここに、先程の幻影の妙がある。先の幻影はアリスの霊力と気を混ぜた幻影です。それを高度に練り合わせた幻影、という所でしょうか」
「ふむ……」
なるほど。それでアリスに見えたのか。ルードヴィッヒはカイトの言葉に納得を得る。そして同時に彼女の気配を感じたのも、納得出来た。アリスの生命力と霊力が合わさっていた為、自然と彼女の姿になったのである。
「それで、あの幻影ですが……先にも言いましたが、霊力と生命力を混ぜた高度な幻影です。そう……相手がまるで本人がそこに居る、と錯覚するぐらいには」
「だが、居ないだろう?」
「ああ、居ないさ。もちろんな。目の前にアリスは居たのだから、先輩にだってそれがよくわかっていたはずだ」
ルーファウスの確認に、カイトが笑いながらはっきりと頷いた。あれがアリス自身で、実は瞬が戦っていたアリスこそが幻影。その可能性はたしかに無いではなかったが、今回ばかりはそれもない。事実、あの時は何度と無く刃を交えていたのだ。力量差を考えれば、途中で入れ替わるなぞという事が出来るわけもない。そうしてそんなカイトは、更にはっきりと明言する。
「だが、身体はこう捉えている……後ろにはアリスが居る、とな。当然、これが幻影だというのは理性が知っている。目の前のアリスが本物。故に先輩は背後の幻影を無視した……違うか?」
「ああ、幻影に気を取られて目の前の敵を疎かするほど、俺も素人じゃない」
カイトの問いかけに対して、瞬ははっきりと頷いた。そしてこれにはルーファウスもルードヴィッヒも異論はない。そしてこの二人もまた自身が同じ様に背後に気配を感じたとて、それが幻影であると理解すれば無視しただろう事は想像に難くなかった。
「そうだ。それは正しい……だから、それを逆手に取った」
「「「?」」」
どういう意味か理解出来ず、三人が首を傾げる。おそらく今回の行動は熟練の冒険者が百人居れば九十人は同じ返答をしただろう。更に残り十人の内八人ぐらいは背後の敵は障壁だけで対処するので無視と答え、残る一人か二人ぐらいが正しい答えを言う。その程度だった。
「霊力と気を高度に練り上げた幻影は、時として理性を超越する……そうだな。先輩。こんな話は聞いた事がないか? 熱したアイロンを腕に当てる、と言って目隠しして実際には単なる鉄の板を当てるだけ、という話」
「ああ、聞いた事があるな。確か実際には当てられていないにも関わらず、水ぶくれまで出来てしまうんだったか」
「ああ。ノーシーボ効果だな……それと同じだ。今のアリスの幻影はそれの一歩手前。斬られたと思い込ませる状態だ」
わかりやすく言えば、プラシーボ効果の逆。実際には効果が無いにも関わらず、思い込みによって効果があると思わせるものだ。
この場合、プラシーボの様に思い込みで治療するのではなく、思い込みで怪我を負ったと思い込ませるとでも言えば良いだろう。思い込みによってこういった副作用を引き起こす事をノーシーボ効果と呼び、実際に医学的にも確認されている事だ。これを、カイトは利用したのである。
と、そんな事は地球の高度な医学があればこそ、証明されている事だ。故にルードヴィッヒもルーファウスも訝しげだった。
「そんな事が起きるのか?」
「にわかには信じられんが……」
「でも実際、起きたでしょう? 論より証拠。実際に起きたのがすべてですよ」
「「む、むぅ……」」
やはりここらは親子で似ていたのだろう。ルーファウスとルードヴィッヒは実際に見た以上はそうだが、と若干納得出来ない様子ではあった。が、これはそうなのだからそうとしか言いようがない。
「あはは……まぁ、そんなものなのだ、と思って下さい。というわけで、話を戻すと……思い込みを利用して、幻痛を引き起こしてやったんです。あまりに真に迫る気配があり、生命力がある。故に理性はここには無いと思いつつも、心のどこかで騙されてしまう。ここまで真に迫る気配なのだから、実際に見えている物が偽りで後ろが本物なのではないか、とね」
「ふむ……こちらはまだ納得が出来るか……」
後ろが本物なのではないか。これは気配を飛ばして相手を騙す時には、常に心掛ける事だ。つまりアリスはそれを更に高度に極めて、と考えても良い。そう考えれば、まだルードヴィッヒにも納得はしやすかった。と、そんな彼にカイトは続ける。
「もっと真に迫る事が出来れば、そして今回の様に自身が姿を晒していない、もしくは見えても本物か判別しにくい状態にしてしまえば、おそらくこれだけで人も殺せるでしょう」
「君は出来るのか?」
「いえ……流石にそこまでは。私も出来て精々傷跡を作って内出血を引き起こせる、という程度でしょう。魔物が相手ならどこまで通用する事やら、という程度ですし……」
ルードヴィッヒの問いかけに、カイトは若干苦笑気味に笑って首を振る。これは真実だ。別にそんな奇策を弄さないでもカイトは大抵の敵に勝ってしまえるし、こんな搦手を使いたい相手は魔物が多い。
が、この思い込みの効果が魔物に有効かは不明瞭だ。なので確実性は無いと判断しており、カイトもあまり熱心に極めてはいなかった。
「一応、アリスには気の練習の一環として教えた、という所ですね。もちろん、人が相手なら中々に有効ですし、格上なら尚更に有効な時もある。今回はそれ故、というわけなんでしょう」
「なるほどな……」
カイトの解説に、ルードヴィッヒが何度か頷いて納得を示す。と、そんな事を話していたが、そこでふと彼が僅かに目を見開いた。
「っと。いつまでもこの話をしている時間も無いか。話なら、仕事の空いた時間でも出来るしな。ルー……相手は中々に強敵の様子だが……」
「大丈夫です。何時でもいけます」
「そうか……良し。なら、次の戦いを開始しよう」
ルーファウスの返答に、ルードヴィッヒが一つ頷いた。そうして、ここでこの話を一度切り上げて、カイトとルーファウスが入れ替わりに鍛錬場へと入っていくのだった。
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