第1726話 ルクセリオン教国 ――巡回任務――
カイトが依頼を受け、西門へと向かった一方、その頃。ソーニャはというと自分が散らかした荷物の後片付けを行っていた。
「まったく……真面目にやればかっこよいのに……」
「あ、あはは……」
ぶつぶつぶつとカイトに対する愚痴を言いながら後片付けを行うソーニャに、近くの別の受付嬢が苦笑する。やはり業界が業界だ。若い受付嬢とみるや下品な冗談を言う者は少なくない。セクハラをしない分だけ、カイトはまだ良心的かつ常識的と言えるだろう。
「でも意外ー。ソーニャ、普通に笑ったり怒ったりするんだ」
「……」
「ん、やっぱり可愛い」
やはり感情を発露していたからだろう。顔を真っ赤にしたソーニャに、片付けを手伝っていた受付嬢が楽しげにそう告げる。今まで、ソーニャの扱いは腫れ物扱いと言って良い。
当然だろう。生まれてからは様々な欲望を見せつけられ、物心付いた頃には備品の様に扱われ。感情をほぼ喪失した状態で連れて来られたのだ。その上、感情を読み取れる魔女という噂もある。腫れ物扱いは当然だった。
そんな中でなんとかある程度の感情を取り戻すも、やはり職場が職場だからか笑うどころか感情を面に出す事自体が無かった。今の様に年頃の少女の様な姿を見るのは、このルクセリオ支部の誰しも――シェイラを含めて――が初めてだった。
「そうやって笑ったり怒ったりしてくれれば、私も付き合いやすいよ」
「え、あの、その……はい……」
やはり同じ年頃の少女からこう言われたからだろう。ソーニャは元々そんな経験が無いのだ。どう反応すれば良いか困っていた様子だった。
「……」
そんなソーニャを見ながら、シェイラは心底カイトに感謝を抱いていた。彼女自身が言っていたが、備品として扱われるソーニャを見るに耐えず引き取ったのは彼女だ。
が、ある種向こう見ずな行動だった事は否定出来ず、彼女にはどうすれば心を開かせられるか分からなかった。ソーニャに唯一出来た友人のおかげでなんとか人付き合いは出来る様になったが、それだけだ。その先、笑顔を見せたり人としての感情の発露はさせられなかった。
それ故、今の様に恥ずかしがったり笑ったり怒ったりするソーニャを見て、彼女は言い得ぬ感謝を抱いていたのである。と、そんなわけなのであるが、それ故に彼女は若干注意が疎かだった様だ。
「……支部長?」
「え、あ、ごめんなさい。どうしたの?」
「ローラントさんが来られています」
「ローラントが?」
今の所ローラントが自分に頼みたい案件は無いはずだ。シェイラは現状の自分とローラントの事を思い出し、首をかしげる。とはいえ、彼が来たのだから何らかの理由があっての事なのだろう、とは理解出来た。というわけで、彼女はローラントが待つ受付の席へと歩いていく。
「ローラント。どうしたの?」
「ん? ああ、シェイラ。悪いな、呼び出して」
「良いわ……それで、用事って?」
「あ、ああ……あれは何があったんだ?」
やはり入ってくるなりソーニャが恥ずかしがるなり焦るなりしながら、あくせくと片付けをしていたのだ。ローラントとしても心底訝しんでいたらしい。それにシェイラは笑いながら事情を教えた。
「ああ、さっきまでカイトが来てたのよ。で、何時も通りというわけね」
「あいつの女誑しっぷりも見事な物だな。流石は、というべきか……まさかソーニャの心を開くか」
「そうねぇ。私、口説かれてないのだけど……小さい子の方が好みなのかしら」
少し楽しげに告げられたローラントの言葉に、シェイラもまた少し冗談っぽく冗談を返す。
「お前があの子を連れ出す、と言い出して三年か。はぁ……あの時は苦労したぞ……どれだけ根回しに費やした事か。話を聞いたヴァイスリッター卿やご息女が動いて下さらねば、上手くいったかどうか」
「あはは。ありがとね、本当に。見捨てちゃおけなかったのよ」
話の流れで、二人はソーニャが教国からユニオンへと所属が移された時の事を思い出す。実はこの移籍の際にはローラントもかなり骨を折っており、ボロボロになったソーニャを知っていたのである。というわけで感謝を露わにしたシェイラであるが、一転してどこか情けなさそうにため息を吐いた。
「とはいえ……私に出来たのはそれだけねぇ……」
「あの子にとっては、それで十分だろう。あの地獄からあの子を連れ出したのは、間違いなくお前だ」
「そう……かしらね」
恥ずかしげに頬を染めたり、カイトとの仲や感情を茶化されて必死で否定するソーニャを見ながら、そうだったら良いな、とシェイラは思う。彼女としては、自分に出来ているのは住む場所と働く場所を提供してやれただけだと思っていた。妹分として扱えてやれているかも、彼女自身としては不確かだった。
「……それで、どうしたの?」
「ん? あ、あぁ、そうだったな。すまないな、話の腰を折って」
「良いわよ。どうせ今は暇だったし。少ししみじみとしていたかった事もあったしね」
ローラントの謝罪に、シェイラは笑いながら首を振る。そうして、ローラントから要件が語られた。
「……そう」
ローラントから語られた内容を全て聞いて、シェイラは真剣な顔で頷いた。それに、ローラントが問いかける。
「どう、思う? 悪くはない話だと思うのだが」
「ふむ……まぁ、不可能ではないわね。総会で申し出れば、の話だけれど」
総会。それは言うまでもなく、ユニオンの総会だ。これについては教国が各方面と冷戦の真っ最中だろうと、シェイラは欠かさず出席している。
支部長は特別の理由が無い限りは出席しなければならないからだ。そしてこれについては教国も冒険者達の活動に直結する、と特例により許可を出し、周辺諸国も支部長の移動に関しては特別の許可を出していた。
「私の支部長としてのここでの任期は今期いっぱい。今忙しいのは、引き継ぎの資料があるから」
「わかっている。それを分かった上での申し出だ」
苦言にも似た言葉を発したシェイラに対して、ローラントは深く頭を下げる。ユニオンの支部長の任期であるが、これは基本的には四年となる。そこで支部長はこのまま支部長を続けるか、それとも一介の冒険者に戻るか選べるのだ。望めば新天地への配置換えも選べる。その三つの選択肢の中で、シェイラは今回で終わりにする事を選択していた。
「それで、私に異国まで行けと?」
「ここでの勤務歴とお前の腕があれば、十分に可能と踏んだ」
「あちらが受け入れるか……いえ、それ以前の話として空きがあるかどうかも分からないわ」
「空きなら問題はない。少し前に支部長の一人が老齢の為、今期限りで冒険者稼業そのものから引退する、と明言していた事をその場で聞いている。事実、かなりのご高齢だった。人望の高さで保っていたが……あれ以上は体力が保つまい」
「行ったの? わざわざ?」
「必要ならば、どこへでも行く」
驚きを露わにしたシェイラに対して、ローラントは真面目な顔でそう告げる。そしてシェイラとてすでに十年近い付き合いだ。彼がやると言った場合には本当にやる人物である事を承知していた。
「……はぁ。分かった。出来るかどうかは分からないけれど、試してみましょう。貴方にはあの子の借りもあるものね」
「すまん、恩に着る」
シェイラの受諾を受け、ローラントは深く頭を下げる。何を思っての事かは分からなかったが、これがかなり難しい案件である事だけは事実らしい。そうして自身の受諾を受けて立ち上がったローラントへと、苦笑気味にシェイラが告げる。
「貴方のその必要とあらば自分で何でもやって、どこへでも行く性格。直しなさいな。貴方、人を使うのが本当に苦手ね」
「何度も聞いた」
「何度も言ったもの」
「そうだな……だが、実験と自分の目で確認しなければならない事は自分で動くのが一番良い」
シェイラの苦言が自身を心配しての事だというのはローラントもわかっていた。なので彼は苦笑混じりに後ろ手に手を振って、冒険者としての一日を始めるべく掃除を終えたソーニャの所で依頼を確認する事にするのだった。
ルクセリオン教国。それはここ三百年に渡って皇国以下、異族達と共存する国との間で軋轢を抱えていた。というわけで、詰め所に行ったカイトへの応対は真っ当とは言い難かった。いや、ある意味では真っ当と言えたが、その裏に潜む感情に気付かぬほど、カイトは愚鈍ではない。
「やぁ、よく来てくれた。待っていたよ。冒険者が来てくれない限りは巡回が始められなくてね」
「いえ、おまたせして申し訳ありません」
笑顔引きつってんなー。カイトは巡回の兵士を率いる隊長という人物に、内心で苦笑する。いや、この隊長としては努めて隠しているつもりなのだろう。
が、貴族であるカイトにその程度の付け焼き刃が分からない筈がなかった。とはいえ、ご丁寧な事に手を差し出してくれたので、カイトは有り難く手を握らせて貰う事にする。
「では一日、よろしくお願いします」
「ああ。さて、じゃあ仕事の話をしようか」
「はい」
何かを企まれるか、それとも置き去りにされるか。後者ならまだ良いが、前者なら中々に面倒だ。どちらにせよどんな策を練っていても叩き潰すだけなので良いが、下手に死人が出ると活動がし難くなる。カイトは自身に見えない様に後ろ手で握手をした手を拭う隊長に対して、そう思う。
(てーか。部下共。冒険者を前にして敵意は隠せよ。企んでますー、って気配満点じゃねぇか……折角隊長がなんとか信じ込ませようって企んでるってのに……ま、死人が出てくれれば武器の回収が容易になるからその時は楽なんだがね。最悪はそれさえ回収出来れば、任務は終わりで良いし)
この点、カイトはやはり戦士であり貴族である為かどこまでもドライと言えばドライだった。自分を謀ろうとする者を守ってやるほど、彼はお人好しではない。故に有り難く、その死を有効活用させてもらうつもりだった。
「それで今日の見回りだが、今日はルクセリオから少し北にある洞窟での見回りになる。私達は常にしている事なので問題は無いが、君は?」
「いえ、ありません。が、幾つか質問が」
「良いだろう」
兵士達からすれば、日常的な巡回だ。冒険者が居る事さえ日常的と言える。なので基本はカイトへの説明となるだけらしい。隊長はあくまでも冒険者という姿勢で臨むカイトに、一つ頷いて先を促した。
「地図を見た限り、水脈がある様子ですが、広さは?」
「そこそこ広い。ルクセリオに上水道として水を提供している重要な水脈だ」
「なるほど……水脈の深さは?」
「そこまでではない。まぁ、溺れるぐらいじゃない、とは言っておこう」
ということは、地下水道という所か。カイトは隊長の言葉で大体のイメージを固めておく。それでおおよそ何を企むか、というのも推測出来るからだ。
(よくて、水ポチャ。悪ければ水中の魔物からの奇襲……かね)
どちらでも対処は容易か。この程度なら警戒する必要もないだろう、とカイトは踏んでおく。水ポチャなら水の加護を展開すれば無効化出来るし、カイトが自身に敵意を発する水中の魔物が気づけぬわけがない。
(ま……ここは一つ格の違いを見せつけてやりますか)
おそらく自分が思っている以上に難所ではあるのだろう。カイトはそう判断しつつも、兵士達が考えられる範囲を想定してそう判断を下す。そうして更に幾つかの注意事項を質問しながら、カイトは詰め所にての打ち合わせを終える事にする。
「他にはあるか?」
「……そうですね。このぐらいで大丈夫です。後は現地に行って、感覚を掴む事にします」
「そうか。それは頼もしいな。流石は冒険者という所だ。では、行くか」
隊長はカイトの言葉に称賛を浮かべると、一つ頷いて部下に指示を出す。そうしてその号令を受けて、部下達も一つ頷いた。どうやらすぐに出立出来るらしい。そうして、隊長は詰め所をまとめる総隊長に声を掛けた。
「総隊長。西門第3分隊。これより巡回を開始します」
「ああ、気を付けてな。次は……第4分隊は今日は休みだから、第5分隊だな」
総隊長は隊長の言葉に一つ頷くと、次の冒険者を待つ間に色々と作業に取り掛かる様だ。それを背に、カイトは教国の兵士達と共に見回りに出発するのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1727話『ルクセリオン教国』




