第1719話 ルクセリオン教国 ――もう一つの秘密研究室――
ルクセリオン教国の内偵を行うべくルクセリオにある鍛冶屋を訪れていたカイト。そんな彼はローラントから紹介を受けた『ゲイツ鍛冶屋』へと訪れるとそこで少しの話を聞く事となる。そうしてそこで代替品となる玉鋼製の両手剣を手に入れた彼は、そのまま宿屋へと帰還していた。
「ふむ……まぁ、悪くない品だな」
今の所、カイトとしてもこの玉鋼の両手剣を使う予定は無いが、それでも悪くはない品と言えるだろう。流石は数百年に渡って鍛冶を続けてきた一族の品と言える。
「……」
が、悪くないからこそ。両手剣を見るカイトの顔は、苦かった。
(この玉鋼製の両手剣の拵えには明らかな慣れがある。であれば、十年以上も昔から玉鋼を使っていたと考えて不思議はない。相当前から玉鋼が出回っていたという事か。が、騎士達は……いや、当然か。使わないよな)
基本的に教国の騎士団は伝統と歴史を重んじる。故に使う武器もある程度固定化されており、素材も固定化している。そしてその武器についてはルクスが良く知っていた。
彼はヴァイスリッター家の嫡男だった男で、何より聖剣の使用を許されるほどの騎士だったのだ。そして元来の真面目さから教国で使われるおおよそ全ての武器を把握していた。その使う武器の中には、玉鋼は含まれていなかった。
(さて……いよいよ以て面倒になってきたぞ……)
玉鋼は出回っているという事実が現実に横たわっている。が、その理由が掴めない。故にカイトは裏になにかの意図がある事を察していた。と、そんな事を考えながらまた別の鍛冶屋を見に行くかと考えていた彼であったが、そこで通信機に着信が入った。
「ああ、オレだ」
『うむ。余じゃ。今は大丈夫か?』
「ああ……どうした?」
『いや、何。少々今日の打ち合わせでお主が大婆様の研究室に入る事になったのでのう。万が一に備えてお主が帰れぬかと思うたのよ』
大婆様の研究室。それはホタルが生まれた研究室とは別。もう一つあった秘匿エリアの中で最大の規模の研究室で、ルードヴィッヒが入った部屋である。あちらにはユスティーツィア・ユスティエル姉妹が務めており、世が世ならティナもまた研究員として所属していた可能性が高い部屋と言えた。
「確か代々エンテシア……魔女の名家エンテシアが率いていた最古の研究室の一つだったか?」
『大婆様曰く、そうらしいのう。故に何があるか分からぬ。使い魔ではなくお主が行く方が良いのでは、と思うてな』
「確かにな。ユスティーツィア殿もユスティエル殿もどちらも魔術師としては超の付くエリートだ。防備もそのままにされた可能性はあるな。であれば、流石に使い魔は拙い可能性が高いか」
ティナの提案に、カイトもまた同意する。二つの身分を行ったり来たりするのは面倒だが、今回ばかりはそれが仕方がない状況だ。なので今日はこのまま鍛冶屋の調査に向かうつもりだったが、諦めるしかなさそうだった。
「分かった。すぐに戻る」
別に鍛冶屋めぐりは急がねばならないわけではない。更には武器を手に入れたとて、必ず依頼に出なければならないわけでもない。最悪はカイトだ。二日酔いが残っていてとでもしてしまえば良い。
ソーニャには冷めた目を向けられるが、それもまた一興というものだ。というわけで、彼は一転して気を取り直して冒険部の長カイトとして動くべく使い魔を残してティナ達と合流する事にするのだった。
さて、ティナの提案を受けて冒険部の長として入れ替わっていた使い魔と入れ替わったカイトは、使い魔の情報をサルベージするとさも平然と朝から居たように冒険部の指示に勤しんでいた。
「ルードヴィッヒさん。こちらの準備は完了しました」
「そうか。先にも言ったが、今日は第零魔術開発室。明日は第零ゴーレム開発室の調査を行う。どちらも昨日我々が入った限りでは戦闘が必要とは思えないが……まぁ、君達には釈迦に説法かもしれないが、片や天才と言われたエンテシアの姉妹。片や君のゴーレムが開発された研究室だからな。罠には出来る限り警戒しておきたい」
「いえ、正しい判断だと……そう言えば、地下の交代の部隊に何か変わりは?」
「いや、今の所何か報告は来ていない。大丈夫だろう」
カイトの問い掛けに頷いたルードヴィッヒが現状問題ない事を明言する。というわけで、支度を終えた一同は残留の者達を一階に残して地下の調査を開始する事にする。そうして最下層にたどり着いたカイトは、ホタルの生まれた研究室とは真逆の研究室へとやって来ていた。
「……ここが……」
カイトはかつてユスティーツィア・ユスティエルの姉妹が務めていた研究室を見る。世が世なら、ここにティナも並んだわけだ。そう思うと何か感慨深いものがあった。とはいえ、そんな彼の内心を知る由もない娘の方はというと、逆に訝しげだった。
『どしたー?』
「いや、なんでも無い」
とりあえずは気を取り直して作業に取り掛からないとな。今回は特に研究者達も同行している為、警護は厳重に行わねばならないだろう。
「アンセルムさん。基本的に我々はそちらの手伝いを命ぜられております。もし何かご用命の際にはお声がけを下さい」
「ああ、そうか。うむ。有り難く借り受けるとしよう」
カイトの言葉に今日も今日とて研究者達の統率を行うアンセルムが一つ頷いた。彼とてこのカイトの申し出が軍からの差し金――指揮系統の異なるカイト達は極論すれば邪魔な為――だというのは分かっているらしい。なので二つ返事で了承を示していた。
「では、ひとまずこの区画の清掃を頼む。やはり地震だ戦闘だ、とこの建物全体が揺れる事は多かった。色々と散らかっているし、ホコリも溜まっている。まずはそれをなんとかしないと作業もままならん」
「わかりました」
まぁ、結局はそれになるか。カイトとしても分かっていた事なので、アンセルムの指示に疑問は無い。わかりやすく言ってしまえば今のカイト達は便利屋だ。というわけで、カイト達はひとまず室内の清掃を行う事となる。
「……これは……」
清掃作業を開始したカイトであるが、そんな彼が見たのは巨大なカプセルだ。それはホタルのメンテナンス・カプセルというよりティナがかつて一葉達を生み出した時に使われていたカプセルや、<<死魔将>>達が久秀達を復活させた時に使っていたカプセルに似ていた。薬品を入れて使うタイプ、というわけなのだろう。
(ふむ……比較的新しいな。ホムンクルス技術の研究がされていた……か? 詳しくはデータベースを覗かないとどうにもならないだろうが……)
基本的にこういった巨大なカプセルを使う際には地球で言う所の生物学を利用した何らかの生物系の研究が行われている事が多かった。それは地球でもエネフィアでも変わりはなく、ここが最も重要な研究がされていた事を考えればホムンクルスの研究がされていても不思議はなかった。
と、そんなカプセルを覗き込むカイトのヘッドセットを通じて状況を確認していたティナもまた、興味深げに呟いた。
『ふむ……興味深いのう。ホムンクルス……じゃとは思うが』
「やはりお前もそう思うか?」
『うむ。と、言ってもやはりそこで使われたじゃろう溶液のデータが見えねば何も言えぬが……そも、元来ホムンクルスとは『フラスコの中の小人』と言う。それを更に発展させ人と変わらぬ肉体を得たのが、全ての錬金術師達の夢にして、余のたどり着いたホムンクルスというわけじゃ』
カイトの問い掛けにティナは改めてホムンクルスの根本を語る。そしてその上で、と彼女は語った。
『それで言えば、このカプセルを見るにすでにフラスコの中の小人の段階は終わった物と思われる。流石にこのサイズじゃと合成獣の研究をしておったとは思えぬ。どうしてもあの研究ではカプセルも肥大化せねばならぬからのう』
「ふむ……確かにオプロ遺跡でもそうだったな……」
『うむ。あれは魔術的な意味での合成獣というより、遺伝子工学としての合成獣と言うべきじゃろうが。まぁ、それはどうでも良い。結論としてはさほど変わらぬ。後はどの程度遺伝子についての研究が進んでおったか、という所じゃが……ふむ』
興味深い。ティナは一つ唸り、顎に手を当てる。そんな彼女にカイトが問い掛ける。
「何か気になる事でもあるのか?」
『うむ。気になる事と言えば無論、中が無い事じゃ』
「あ……」
言われて、カイトも気が付いた。ここで何かが研究されていた事は事実だ。が、同時にここで研究されていた『何か』はこのカプセルの中には無い。それが研究の成功を意味するのか失敗を意味するのかは分からないが、無い事だけは事実なのだ。
『失敗か、成功か……それは余も分からぬ。が、中に何かが残っておれは外観等からそれを知る事も出来る。が、無い。使われた形跡はあるのに、じゃ』
「ふむ……」
一体ここでは何を研究していたのだろうか。カイトもティナの得た疑問を得て少しだけ興味を抱く。とはいえ、彼は即座に首を振る。
「……いや、どうせ七百年も昔の事。今更気にした所で詮無きことか」
自身が気にするべき事はここで創られた者が危険を有するかどうかという事と、それとの戦いがあり得るかどうかという事だけだ。なのでカイトは気にする必要はないと判断。首を振って思考を切り上げた。
『む……それはそうじゃがのう。それを言ってしまえばここの全てがそうではないか。それにもしやすると、ルナリアの何かを再現しようと試みていたやもしれんぞ?』
「ま、それはあり得るが……どちらにせよ生物学系はオレ達の知ったことじゃない。更に言うと、多分その場合はオプロ遺跡の方に情報は集約されているだろうさ」
オプロ遺跡にはカナタ、ひいてはヴァールハイトが居たのだ。その彼の専門分野は生物学。しかもティナをして、この分野ではその背が見えないほどの大天才と言わしめた男だ。考えてみればそちらの方が遥かに高度な研究がされていた可能性は非常に高かった。
『それも一理あるのう……ま、真相を知るにも今は作業するしかあるまいか。うむ、腰を折った』
「じゃ、作業に戻るぞ」
ティナの返答に、カイトは作業を再開する事にする。そうして更にしばらく清掃作業を行った所で、アンセルムが声を上げた。
「カイトくん! 少しこちらに来てくれるか!」
「あ、はい! わかりました!」
アンセルムの声に、カイトは一度作業を切り上げて彼の所へと歩いていく。そうしてやって来た彼に、腰を屈めていたアンセルムが立ち上がる。
「すまないな」
「いえ……それで、どうしました?」
「ああ。ここなのだが……分かるかね?」
カイトの問い掛けにアンセルムは机の下を指し示す。するとそこには僅かにだが、紙切れの端が見えていた。
「紙……ですね」
「ああ。この机の中にも幾つか資料があって、おそらくその一枚なのだと思われる。他にも下に潜り込んでいる可能性があるから、取りたいんだが……頼めるか? 少し押してみたが動かなくてね。おそらく固定されているんだろうが……どちらにせよ重い。君に頼むのが一番だろう」
「わかりました。少々、場所を空けて貰えますか?」
「勿論だとも……全員、少しここから離れなさい」
カイトの問い掛けにアンセルムは周囲で作業していた研究者を横に退ける。それを受けて、カイトは肩のユリィと頷き合ってまずは机の周囲を確認する事にした。
「……そのままだと動きそうにないね」
「固定されてる……んだろうな。素材は……何らかの金属という所なのだろうが。さて」
壊す事は容易いし、最悪はそれでも良いと言われるだろう。が、なるべく破壊せずに回収するのがベストだ。と、そうして周囲を確認していたわけであるが、そこでユリィが声を上げる。
「あ、カイトー。ここ」
「ん? ああ、これは……相対位置を固定しているのか。なるほど」
「どうする? あんまり難しい術式でもなさそうだけど……」
机や椅子が不用意に動かないようにするのはエネフィアでは一般的だ。特にエネフィアには魔術がある為、ビス止めやネジ止めが不要だ。カイトが言った通り、相対位置の固定でなんとかなる。
重量物であるとそれ相応の魔力が必要になるが、机程度であれば四方に小さな刻印を刻んで大気中の魔力だけで良い。今回も、机の下の四方に相対位置を固定する刻印が刻まれている様子だった。
「ユリィ。魔糸で介入出来るか?」
「出来るよー」
「頼む。魔力を散らしてやるだけで十分だろう」
基本的な話として、相対位置の固定はさほど難しい魔術を使っているわけではない。一応どこかにこの相対位置の固定を制御するスイッチもあるのだろうが、今はさっさと回収しておきたい所だろう。というわけで、簡単である事を利用して刻印に魔糸を使って介入し、無効化してしまおうと考えた様だ。そうしてユリィが魔糸を伸ばして四方の刻印へと接続し、相対位置の固定を無効化する。
「良し。動かせると思うよー」
「良し……よいしょっと」
ユリィの報告を受け、カイトが僅かに机を動かしてみる。すると少しだけ動いたので、それを持ち上げる。そしてそれを見て、アンセルムが周囲の研究者達に頷きを送る。
「ありがとう。今のウチに資料を全て回収しなさい」
「はい」
アンセルムの指示を受けて、助手達が一斉に資料の回収を開始する。そうしてそれが終わった所でカイトは再び机を下ろして、カイトは再度清掃作業に戻る事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1720話『ルクセリオン教国』




